忠義の鏡!ジャドウさん灰色の過去です!
男には名前がない。両親の顔も知らない。冥府に生まれた男が幼少期になり理解したことは、自分が他の悪魔とは異なる外見をしているということだけだ。通常、悪魔には蝙蝠のような二枚一対の翼があるのだが、男にはこの翼の他にも白鳥のような柔らかく純白の翼が生えていた。鏡の前に立ち、男は考えた。
これは明らかに天使のものだ。なぜ、冥府に生まれ落ちた自分に天使の羽が?
実は男は天使と悪魔の間に生まれ、異端児として疎まていた。
悪魔の父も天使の母も物心がつく前に亡くなり、男はひとりで生きてゆかねばならなかった。天使と悪魔の双方から仲間外れにされる日々を過ごす中、生まれついて負けん気の強いこの男は決意した。強くなって、実力で天使も悪魔も黙らせてやる。
男は体を鍛え武を独学で学び長い時間をかけて、実力を高めていった。
やがて名もない男は冥府で王にまで君臨することになった。純粋な叩き上げだ。
自分より人気があるものは策略で潰し、彼は冥府の頂点に立って優越感を覚えた。
銀髪の髪を撫でつけ、純白の軍服に身を包んだ長身痩躯の男は偉そうに足を組み、玉座から悪魔どもを見下ろす日々。ふと、鏡を見ると顔にはしわが刻まれ、老いたことがわかる。
ここに至るまでずいぶんと長い時間がかかり数多くの同胞を葬り去ったが、そんなことはどうでもいい。大事なのは自分だけであり、それ以外は価値はない。
悪魔たちを使役し、天界まで勢力を伸ばそうかと画策したとき、ひとりの男が冥府を訪れた。
金髪碧眼、茶色の三つ揃えのスーツ。身長は一八五センチほどだろうか。突然に訪問してきた無礼極まりない男に、冥府の王は告げた。
「貴殿は何者だ」
「私はスター=アーナツメルツ!君、良かったら私の弟子にならないかね? 君なら私の修行に耐えられそうだ」
「何を言い出すかと思えば笑止千万。吾輩は冥府の王ぞ。王に向かって弟子になれとは、蛮勇と勇者は紙一重とはまさにこのこと」
「まあ、初対面なら無理もないね。よろしい!私の実力を教えてあげよう。かかってきたまえ!」
男の上から目線の態度に冥府の王は激怒した。
玉座のひじ掛けを掴み、腕力で砕くと、地の底から這いあがるような低音で言った。
「……殺れ」
王の命令を受けた悪魔の大軍が一斉に男に襲い掛かる。槍を持った悪魔たちに対し、男は素手。だが、男は微笑を崩さずに言った。
「では、お望み通り相手になってあげよう」
スターは軽く一匹の悪魔の首に手刀を見舞うと、悪魔は頭と胴体が綺麗にわかれた。
「スター流奥義、ナイフチョップ」
果物を切るかのように次々と悪魔の首を手刀で切り落とし、胸を貫いていく。
無数に発生する悪魔の死骸を前に、冥府の王は苛立たし気に魔力で死骸を消した。
「スター殿とやら。貴殿は多少の実力があるようだが、これはどうかな」
冥府の王が次に召喚したのは一つ目の巨人で体長は五十五メートルはある。
「これは大きい子だねえ!さっきの子たちと比較すると少しは楽しい戦いになりそうだ!」
スターが歓喜していると一つ目の巨人は容赦なくこん棒を振るう。スターはガードもせずに真向から受けて立つ。こん棒はスターの頭部に命中すると同時に亀裂が走り、粉砕。
「武器では私を倒せないよ。素手できたまえ!」
拳を振るってきた巨人にスターは跳躍し、巨人の目玉に強烈な回し蹴りを放った。
絶叫する巨人に間髪入れずに首を掴み、DDTで地面へ叩きつけて絶命させてしまった。
冥府の中でも指折りの巨人を相手にしても無傷で完勝するスターの実力に冥府の王は、ゆっくりと立ち上がると腰の鞘からサーベルを引き抜き、言った。
「スター殿。次は吾輩が直々に相手をしてやろう。感謝するが良い」
「これは至極光栄ですね、冥府の王様」
「今のうちに言いたいことがあれば言うがいい」
「では、冥府の王様。私はあなたの名前が知りたい」
「……無い」
「名前が、無い!?」
「左様」
男の答えにスターは仰天した。この男は冥府の王にまで上り詰めていながら、自分の名が無かった。生活に困るだろうなと思いつつ、スターは人差し指を立てて提案をした。
「それでは、私が君に勝ったら名前を付けて弟子にしてあげよう。悪い提案ではないと思うが、どうかね?」
「フフフフフフ、自惚れもここまでくると救いようがない。吾輩に名を付けると?
これほどの大法螺を吹く者を見たのは今宵が初めて。
スターよ。貴様は吾輩が魂の一片さえも残さず葬り去ってやるからありがたく思え」
冥府の王はスターと同じ地上に降り立ち、決闘の火ぶたが切って落とされた。
冥府の王は長剣を突きつけ、髭の生えた口角を上げた。
スターは素手、王は剣。素手と比較すると剣の方がリーチに優れている。
加えて斬ることも突くこともできる。王は自らが優位と確信していた。
スターはだらりと無防備に両腕を下げたまま構えさえ見せない。
舐めているのか、それともこれが構えなのか考え込むが、頭脳だけを働かせても勝負には勝てない。先手必勝とばかりに王は踏み込み、スターの喉元へ突きを見舞った。
いきなり急所の喉笛を狙うところが冥府の王らしい戦術である。
スターは剣を喉に受けて盛大に吹き飛ばされる。床に倒れて咳き込む彼に、王は追撃を放つ。
背が隙だらけであり、刺し貫けば心臓まで達するだろう。
王は跳躍し、スターの背に剣先を突き立てようとした。
刹那、王の顎に強烈な靴底が迫り、咄嗟に身を翻して回避する。
背を向けた状態でスターが後ろ蹴りを放ってきたのだ。あと一秒回避が遅れていれば顎の骨が砕かれていただろう。スターは服の埃を払うような仕草を見せてから微笑む。
王は至近距離に詰め寄り斬撃を浴びせていく。袈裟切りを十二太刀も浴びせるが、スターの衣服を破くだけの効果に留まった。ボロボロになった衣服を捨て去ると、スターの筋肉質な体躯が露わとなった。冥府の王と比較すると頭一つ分ほど低いスターの背丈だが、筋肉の鎧は無駄なく鍛えられ、一八五センチメートル、体重百一キロと均整が取れている。
「私の服をボロボロにするとはすばらしい剣技だね。これで私も本気を出さなければならなくなった」
「冗談をぬかすな若造。今までも本気だったであろう」
「いや、君の実力を試すためにちょっとだけ手を抜いていた」
「ほほう」
冥府の王は目を細めた。黒い瞳の中に怒りでゆらゆらと炎が燃えている。
冥府の頂点に君臨する自分に対し不遜な態度を続ける謎の訪問者、スター。
既に多数の部下をせん滅され自分が倒されれば冥府の威厳が地に落ちる危惧もあり、王は怒りと焦りが混ぜられた複雑な感情を抱いていた。
再び踏み込んでの突き。しかし二度目はスターの人差し指と中指に掴まれ、阻まれる。
王の突きは並の悪魔や天使ならば一突きで喉を貫かれ即死している。
しかしスターは余裕綽々で紙一重で受け止めて見せたのだ。あと二センチで喉に到達するというのに、どれほど力を込めても先を突くことができない。金縛りにあったかのように体が硬直し、剣を持つ右手が震え汗で濡れてきた。
これは何もスターが技を使ったわけではない。ただ、単に力が強すぎるだけなのだ。
スターは蹴りで王の愛剣を折ると、真ん中から折れた刃が宙を舞っている間に王を強襲し、
王の右足を左足で絡めて固定させコブラツイストの体勢に入る。
足と腰、首は極められてしまっているが、両腕は動かすことができ、その気になれば相手の後頭部を握りつぶしたり、右腕と痛みに耐えて腰に勢いをつければ、腰投げで切り返すこともできる。
だが、冥府の王にはできなかった。先ほどの攻防で力を使い果たしていたこともあったが、腰投げで返す発想自体がなかった。これまでの彼の相手はすべて槍、剣、棒、弓矢など得物を用いて戦う相手ばかりであり肉弾戦自体が不慣れだったことが災いした。
「君は思った以上に体が硬いねえ。この技はスター流奥義の初歩のひとつ、アナコンダクラッチというのだが、お味はどうかね?」
「なかなかの美味であるぞ、スターとやら」
「ではもっと喜ばせてあげよう」
王の皮肉を真に受けたスターがより力を込めて絞り上げると、激痛のあまり冥府の王は白目をむいて失神。口からは白い泡が涎のように垂れ流れている。
冥府の王は、負けた。手も足もでず、完敗だった。
長い時間が経ち、ようやく目が覚めた冥府の王の視界に映ったものはニコニコと笑うスターの顔だった。
「それでは約束通り。君に名前を与えて弟子にしよう。
名前は、ジャドウ=グレイというのはどうかな?
君には私にはできないことができる。
世の中は綺麗ごとだけでは悪に勝つことはできない。
時には悪以上に悪辣な策や汚れ仕事が必要になる。
そういうときに君ならば大いに世界平和に貢献することができる。毒を持って毒を制するのは、冥府の王である君にしかできない仕事だと私は思う。
どうだろう、ジャドウ君、私のために力を貸してもらえないかな?」
冥府の王は名前がなかった。強さだけが心の拠り所だった。
その彼にスターは名前を与え、存在を肯定された。力ですべてをねじ伏せることしかしらなかった男をスターは必要とし、認めてくれたのだ。
老いた冥府の王がどれほど嬉しかったかは想像に難くない。
「スター様……」
気づいたらスターをそのように呼んでいた。片膝を立て騎士風の礼をして言った。
「このジャドウ=グレイ、この先何があろうとも一蓮托生、スター様に仕えまする!」
こうしてスターにとって最も信頼に足りる側近、ジャドウ=グレイが誕生した。