まさかの失策です!
不動はムースを簡単に目よりも高く抱え上げ、マットに叩き付ける。
そこから腹を両足で体重をかけて何度も踏みつけ、髪を掴んで立ち上がらせると、喉元に手刀を打ち込む。
苦しさのあまりムースが喉を抑え悶絶すると、今度は彼女の右足に足払いをかけた。
倒れたムースは立ち上がろうと足に力を込める。だが、ガクガクと足が震え、直立さえ困難な状態に陥っていた。
「やりますわね……」
「まだ喋れる余裕があるとは」
不動は辛うじて立ち上がった彼女に容赦ない平手打ちを食らわせる。
乾いた音が響き、リングの至るところにムースの吐いた血が付着する。
試合を観戦していた美琴は、興奮したのか、少し高い声でスターに告げた。
「スターさん。最初はどうなるかと思いましたが、これほどの猛ラッシュをしているのですから安心ですね。ムースさんも防戦一方ですし」
「どうだろうね」
「どうだろうねって……不動さんはあの通り、優勢じゃないですか」
「君はそう思うのかもしれないけど、わたしから見て、今の彼は彼らしくないね」
「彼らしくない?」
反復する美琴だが、スターは答えない。
ポップコーンを口に運びながらもじっと試合を観戦している。
美琴にはスターの言葉の意味がわからなかった。
現に不動はムースを圧倒している。
彼の剛腕から繰り出される打撃を食らい、ムースは後退しているではないか。
出血も多く、このままいつまでも攻撃を耐えられるとは思えない。
不動の勝利は時間の問題と評しても不思議ではないはず。
それなのに何故、スターはこんなことを口にするのだろうか。
不動は彼の弟子であるはずなのに。どうして弟子を応援しないのだろう。
するとスターは小さく呟いた。
「不動君は必死だね」
「試合ですから、誰でも必死で勝利を掴み取ろうとすると思うのですが、違うのですか」
「わたしが言いたいのはそうじゃない。
必死と言うのは、彼がムースの恐怖から逃れようと必死で抵抗しているということだよ。
彼は焦っている。一刻も早くムースに勝利したいという焦りが動きに出ている」
「そういうものなのでしょうか。わたしにはいつもの不動さんに見えるのですが……」
「今にわかる。見ていてごらん」
リングの上では不動がムースの脳天に鉄拳を振るい、そこから彼女の身体を鉄柵に放り投げたところだった。
ムースは身を翻すこともせず、鉄柵に背中から激突。遠目でもわかるほどに彼女の全身をオレンジの火花が包み込み、爆竹のような激しい音が周囲に響いた。
「ううっ……」
小さく呻き倒れたムースはちょうど正座の姿勢となっていた。
その瞳は虚ろになっている。
完全な放心状態の瞳には戦意を感じ取ることができない。
まるでフランス人形のようにおとなしくなった少女に不動は距離を詰めていき。
「お前自身の提案でお前が真っ先に負傷するとは。身から出たサビとはこのことだ」
不動はムースの小さな顔を鷲掴みにして、片腕だけで宙に持ち上げる。
「残念だったな。俺はお前に完敗した嘗ての俺ではない。修行を得て進化をした俺の力により、往生されるがいいッ」
パッと手を離すと、ムースはそのまま地面へと身体を倒していく。
一瞬の隙を逃さず、その細い首にラリアートを炸裂させ、再度鉄柵に衝突させようと試みた。
無防備のまま鉄柵に突っ込んでいくムース。だが、鉄柵にぶつかる直前に閉じられた瞳がカッと見開き、両腕を伸ばして脳天からの衝突を防いだ。
華麗にリングを着地したムースは、試合開始前と変わらぬ微笑みを見せ。
「演技も楽ではありませんですわ」
「演技…だと!?」
彼女の発した意外な言葉に不動は瞳孔を縮めた。ムースは恭しくお辞儀をして顔を上げる。
その表情には残忍な笑みが張り付いていた。
不動が歯をギリギリと噛みしめ、眉間に深い皺を出現させる。相手を仕留めそこなった自分に対する怒りだった。ムースはコルセットのスカートの裾を掴んで口を開く。
「あなたはおかしいと思わなかったのですか。わたくしの衣服が鉄柵に衝突した際に何のダメージも受けていないことに」
彼女の言葉を聞いた美琴はハッとして。
「言われてみれば、あれほどの電撃を受けたのですから衣服が黒焦げになっているのが普通ですね。彼女の服には電気を通さない工夫でもしているのでしょうか」
「美琴様、ご名答ですわ。最も、不動様はあなたより年長であるにも関わらずそのような当たり前のことさえ気づかなかったほどの、残念な頭の持ち主のようですけれど」
「黙れッ!」
不動は吠え、タックルを決めようとするが、ムースは鉄柵を蹴って反動をつけ、彼の直前でくるりと一回転し、足の裏で不動を蹴る。
まるでロケットのような一撃を受け、不動は反対方向に盛大に吹き飛ばされ、鉄柵に激突。全身を電流が駆け巡る。
「ぐ……おおおおおッ!」
「わたくしと違ってあなたは皮膚を晒していますから、電流はざそかし痺れるでしょうね。ああ、何て可哀想な不動様なのでしょう。こんな電流に苦しみ辛い思いを味わうくらいなら、いっそのこと……」
禍々しい狂気を宿した瞳を光らせ、虚空から鞭を取り出した。一振りするとパァン!という音が高らかに響き渡る。
「もっと苦しめて壊して差し上げますわ。さあ、不動様? 鮮血と絶叫でわたくしを楽しませてくださいな」




