再会の舞曲
イザリエ王国の王宮は、レヴィンエーゼル城という。二百年以上前に建てられた古様式の白亜の城で、所々に古い時代の名残が感じられる。
花の香り漂う、春の夜。王宮では、現国王レオンハルトの即位十五年を祝って、舞踏会が開かれていた。
きらびやかな広間のシャンデリアの下の、宝石をこれでもかとちりばめたかのような姿の貴族たちの煩いほどの美々しさ。その光景に目を細めながら、アメリアはひっそりと壁際に移動した。
「…早く帰りたいわ。」
誰に聞かせるでもない愚痴を思わず溢してため息をつく。…っと、口煩い者はいないだろうな? 慌てて周りを見渡すと、きょろきょろとアメリアを探す父を見つけた。センスの良い銀糸の刺繍が施された上衣の似合う男が、ディファクター公爵ヘンリー・スチュアンティック。彼を父に持つアメリアは、つまるところ名門公爵家の令嬢である。先王朝の血を引き、世が世ならハー・ロイヤル・ハイネスと呼ばれるべき生粋の姫君だ。
普通ならば、社交界の中心に立って最新の流行を先導し、或いは国賓の接待をして、一番の華ともなれるはずの立場。しかし、アメリアはパーティーのような華やかな場が好きではなかった。珍しくも王宮から直接の招待ということで断れず、公爵令嬢として父の面目をつぶさないようにとしぶしぶ足を運んだのだ。いや、来たまではよかったのだが、あまりの忙しなさにもう既に帰りたい。
広間の中心では、これでもかと着飾った貴族令嬢たちが、極上の獲物を狙うハイエナの如くに集まっていた。彼女たちうっとりとした視線を一身に浴びるのは、ラズベリッシュブラウンの髪の青年。そう、イザリエ王国国王レオンハルト・ランリアティエその人である。
珍しい紫の瞳をした若き国王は、今年で二十七歳になるというのに未だ結婚をしていない。王族としては異例である。昨今、その年頃ならば既に子どもの一人や二人いてもおかしくはないと言うのに。
美しい見た目をつくり上げ、媚びる目でレオンハルトを見上げる大勢の令嬢たち。いっそ滑稽だと思う。少なくともアメリアはあの中に混ざる勇気はないし、そもそもアメリアは最も高位令嬢でありながら、一方で最も王妃になることができない令嬢でもある。あまり見ていて面白い光景ではないが、アメリアに実害があるわけではないのでどうかそのご令嬢の群れの中から早く番を見つけて欲しいものだと他人事のように思っていた。
一際大きな笑声が聞こえ、レオンハルトが満面の笑みを浮かべる。それはあまりにも美しい造形であった。思わず見惚れてしまい、アメリアは慌てて首を振る。
「いけないいけない、とばっちりはごめんだわ。」
あのハイエ…もといご令嬢方に睨まれた下級貴族出身の女官が、王宮を無理矢理辞めさせられそうになったという噂が実しやかに囁かれていた。アメリアは彼女たちがどうこうできるような立場の存在ではないが、まあ、平穏に過ごせるのに越したことはない。触らぬ何とかに…というやつである。
しかし何故レオンハルトは結婚をしないのか。皆目見当もつかないが、さっさと身を固めてくれればこの厄介で恐ろしい蝶々たちも静かに羽を休めてくれるのではないだろうか。二十三歳という貴族令嬢にしては嫁き遅れとも言える年齢の自分のことは棚に上げて、アメリアは心の中で毒付く。
「アーメーリーア!」
ぼんやりと会場を眺めていると、横から飛び出してくる人物がいた。ふわりと甘い、香水の香りがしていたので、実は先ほどから隠れているこの少女に気付いていたのだ。
「ふふっ、クリスティーナさま、ご機嫌よう。お久しぶりね、相変わらず侍女や女官たちを困らせているの?」
一昨年デビュタントを終えて、正式にプリンセスとなったはずなのに、この少女はどうにも落ち着きがなかった。しかしそれでも粗野な印象とならないのは、彼女の生まれが成せる技なのかもしれない。クリスティーナ・ランリアティエ、それが十年以上前にアメリアと出会い、友人となった少女の名である。
「また、アメリアは壁の花を演じているのね。確かに、アレに巻き込まれちゃあ堪らないけれど、せっかくの舞踏会なのに踊らないのは勿体ないでしょう。」
レオンハルト王の従妹にあたるが、実の両親である先王の王弟夫妻が早世した後彼女は先王に育てられたため、レオンハルトから見て実質王妹のような存在だった。誰からも好かれ、王族でありながらも話しやすく親近感がある性格。本来ならば敵対するはずの家柄のアメリアにも、昔から隔てなく接してくれた。
「ねぇ、一緒に踊りましょうよ。次は、花の輪舞だから」
花の円舞は古くからある、イザリエの伝統的な舞曲である。女性だけが輪になり、手を取り合って踊るので「花」は乙女たちに例えられた。すでに、広間には多くの令嬢や貴婦人が集まり始めている。
「…一曲だけよ」
クリスティーナに差し出された手を取り、輪の中に加わった。すると見計らったかのように楽団の演奏が始まる。
冒頭のゆったりとしたメロディーは春の優しげな雰囲気をかもしだし、途中の跳ねるようなヴァイオリンの音が小鳥や蝶を表す。そして吹く風に散る花弁の中を、駆け回りたくなるようなチャルダッシュ。
くるりとまわると、アメリアの銀髪とクリスティーナの金髪が混ざり合いながら広がり、きらきらと輝いた。
その美しくも神々しい、王家の血を引く二人の姫君の姿に自然と人々の視線は集まった。そして誰もがうっとりとため息をつく。
ふわりとドレスをひるがえすとともに曲が終わった。
一緒に踊っていた人たちとともに、そろって国王のいる玉座を向く。曲が終われば、国王にあいさつするのがマナーだった。
ドレスのスカートをつまみ、アメリアたちは優雅に腰を折る。そして、再び顔を上げたときだった。
レオンハルトと目があったのだ。
「……っ!」
アメリアは表情に出さずに混乱した。無作法をした覚えはないし、ましてや十年以上前に一度庭で話したきり、直接面識があるわけではない。クリスティーナとともにいたから目についたのだろうが、彼女がスチュアンティック家の娘と懇意であることくらい報告が行っているだろう。それしきのことで気にかけるはずがない。
(たまたま、そう、たまたまでしょう。)
こちらが気にしたら負け。そんな気がして素知らぬ顔をして目を逸らした。大きく深呼吸をして踵を返す。慌てているようには見えぬよう、優雅に。しかし、レオンハルトの行動はアメリアの願いに反していた。
「丁度良かった、レディ・スチュアンティック、話があるのだが一曲如何か」
騒がしい広間の中でも、レオンハルトの声はよく響いた。会場の視線がアメリアに集まる。ようやっとアメリアに気付いた父が驚いた顔でこちらを見ていることが気になったが、今はそれどころではなかった。
(出来れば遠慮したかった…!)
レオンハルトの輝くような笑顔が眩しくも腹立たしい。たった今、アメリアの穏やかな壁の花生活は終了したのだから。
「ご機嫌よう、陛下。光栄なことではございますが、わたくしごときでは陛下のおみ足を踏んで恥をかくだけですわ。どうかご容赦ください。」
ふわっと笑って見せ、小首をかしげる。慣れないことだが、これでも王族の端くれの端くれ。プリンセススマイルとやらがキングに効くのかどうかは知らないが、効いてくれと念じながら「遠慮」をアピールする。
「まったく、謙遜のし過ぎは嫌みだぞ。だがまあ、不安だと言うならそうだな、君の失敗程度で私のエスコートは揺らがないと保証しよう。どうかな?」
効かなかった。そして追い打ちをかけられた。左手を差し出する様は、いつぞやの迷子のアメリアを救う手を思い出させた。あの頃のようには無邪気でいられないのだが。
「俺と踊ってくれないか、姫君?」
未婚の国王に直接声をかけられたアメリアに妬みの視線を向ける者、それから敗残王家の令嬢に好奇の視線を向ける者、様々だ。
ああ、ほら。あちらに美しい娘がたくさんいるではないか。こんな立場上いろいろ面倒臭い、年齢的にも微妙な令嬢に声をかけないで欲しかった。
「…申し訳ございませんが、今日はもう疲れてしまいましたの。お話でしたら後ほど父を通して伺いますわ」
というより元々何かしらの重要な話があるのだろう。どうりで父がアメリアを探していたわけだ。どんな話にせよ、きっとこんな人目があるところで聞きたい話ではないはずだ。
「陛下、お暇致しますわね」
本来許しを得ないまま王の前を辞するのは不敬である。しかしアメリアの家の特殊な立場上、表立って批判できる者は居なかった。いるとしたら目の前の若き国王であるが、彼はアメリアに引き止める言葉を探して口籠もっている。案外不器用なのかもしれないなと思ったが、いまは脱走が先決だ。踵を返して、優雅な早足で歩き出す。
「…ま、待ってくれ、白薔薇姫!」
アメリアの足が止まった。背に流した銀髪が、弧を描いて揺れるほどの勢いでレオンハルトの方は振り返る。
「赤薔薇の王よ、不用意な発言はお互いに慎もうではありませんか」
混じり気のない銀髪はスチュアンティック家の直系、前王朝の血を引く、白薔薇の一族の証。レオンハルトの赤髪と対になる政治的対立構造。
何も返答がないことを良いことに、今度こそ確実に後ろを向き歩き出した。人々の波が、ゆっくりと道を開けていく。さながら古代にモーセが海を割ったように。
しかしながら翌日、険しい顔をした父から、ランリアティエ家の紋章の封蝋が押された手紙を渡され、アメリアはとんでもないラッキーでアンラッキーな出来事を知ることになるのだった。