真実の瞳
戦場となるはずだった平原に、雨を呼び込む湿った風が吹く。薄暗い遠くの空で、ごろごろと雷鳴がとどろいた。
今、己の目に映っているのは、現実だろうか。誰も身じろぎしないこの場で、レオンハルトは自分は今なにをするべきか考える。
「つまり、どういうことだ?」
「はい・・・」
レオンハルトが問うと、アメリアは苦しそうな、はたまた悲しそうな表情をした。けれど、その瞳はまっすぐにレオンハルトを見ている。
「わたしの本当の父は先代公爵、ジョージ・スチュアンティックです。ヘンリー・スチュアンティックは、わたしの叔父にあたります。ヘンリー叔父さまは、父の腹違いの弟で庶子です。ですから、本当はスチュアンティックを名乗ることはできません。しかし、戦争のどさくさに紛れ公爵位を簒奪したのです。」
「なんてことだ・・・!」
状況を理解したレオンハルトは、話の大きさに頭を抱えた。
これは、スチュアンティック家だけの問題ではない。国家を揺るがす大問題だ。なぜなら、スチュアンティック家の先々代は、つまりスチューリー王朝最後の国王であるからだ。それ人物を殺したということは・・・
だからこそ、アメリアが今この時に打ち明けたことの意味にレオンハルトは悔しさを感じた。
(さすがだな、アメリア。)
アメリアが男だったなら、必ずレオンハルトと敵対する勢力に担ぎ上げられたはずだ。そして、彼女ならばきっと、レオンハルトの王位を簒奪出来ただろう。
しかし、彼女は女として生まれた。女性は守るべき存在。
(でも、アメリアはしっかり前を見据えている。)
アメリアは守られる者ではなく、守る者だったのだ。
(俺はアメリアには敵いそうもないな、一生。)
彼女の輝く青い瞳は、ずっとずっと先の未来を見ていたのだから。
「父が亡くなったのは、先の戦争のおり。当時はわたしも幼く、何かを判断し命令するには未熟すぎました。それ故に、叔父さまに公爵位を取られ家人ともどもうまくまるめこまれた。」
アメリアはヘンリーに視線を向けた。
「あなたが爵位を、王位を求めるのは、今まで庶子としてないがしろにされたことへの恨み、でしょう?」
「・・・。」
返す言葉もなく、ヘンリーはただアメリアを睨んでいた。怖ろしいほど底冷えのする瞳で。
「・・・アメリア、つまり、これは公爵による個人的な恨みで、スチュアンティック家は名を語られた。と、そういうことでいいのか?」
アメリアが自分の心を欺いてまで守ろうとしたもの。
それは、父から受け継いだ一族の名誉だけではないだろう。
「はい・・・」
一瞬、アメリアの瞳が葛藤し揺れた。けれどすぐに、苦しげな声で彼女は肯く。
「・・・ははっ、くくくく。」
こらえるようにヘンリーが笑った。
直後、それは高笑いに変わり、ヘンリーは狂ったように笑い叫ぶ。
「あははははははっ、お前たちはいつもそうだな!自分こそが強き者だとうぬぼれて、弱い者など自分の立場があやうくなれば、すぐに切り捨てる!」
憎しみと、怒りと、悲しみと、絶望と、そして愛への飢え。
そんな感情をぐちゃぐちゃに入り混ぜた叫びが、平原に響いた。
「本当に、勝手だっ!父上だって、私が協力しなければ何もできなかったくせに!母上の身分が低いから、兄上より遅く生まれたからっ。だから、わたしのほうが何倍も力があるのに!」
アメリアは涙がこぼれそうだった。
アメリアは、ヘンリーの叫びに分かる部分も分からない部分もある。けれど・・・!
「うぬぼれるのもいい加減にして、叔父さま!」
アメリアの青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
悲しかった。ヘンリーの言葉が。自分自身も、彼を裏切ってしまったことが。そして、アメリアの父や祖父が行ったであろうことも。
すべてが、悲しかった。
「誰かが一番優れているなんて、どうしていえるの?今のあなたを作った人たちがいるのに、あなただけが素晴らしいなんていえないじゃない。」
ヘンリーの瞳から、怒りの色が消えた。
「あぁ・・・」
ため息のような声を出し、ヘンリーはその場にひざをついた。
「父上・・・母上・・・兄上・・・。」
「アメリア・・・。」
ヘンリーが、しぼり出すようにアメリアの名を呼んだ。
「すまなかった。」
項垂れた養父を見ながら、アメリアは頬を伝う涙を拭う。
「・・・レオン。」
アメリアは、泣きぬれた瞳をレオンハルトに向けた。最後の審判を下してもらうために。
雷鳴が先ほどよりも強くとどろく。
ヘンリーとアメリア、その場にいたすべての人の悲しみに誘われるように、霧雨が降り出した。
「ヘンリー・スチュアンティック。国家への反逆、その罪は赦されるものではない。・・・しかし、その生い立ちは考慮する。俺も立場上考えなければならないこと。今は亡き者たちに変わり、改めて謝罪する。すまなかった。」
すべての始まりは、先々代の当主が庶子のヘンリーに冷たくあたったこと。そして、それらを悪化させた先の戦争。
それに目を瞑れても、なかったことには出来ない。
「叔父さま、わたしは違ったと思います。」
「え?」
アメリアは、ヘンリーの瞳を見つめた。暗い色を消し、ただあきらめだけを映す瞳を。
「お祖父さまは、きっと叔父さまを嫌ってなんかいなかった。」
「しかし、ずっと・・・」
ヘンリーは困惑したように言葉を詰まらせた。
「もっと話したかったけど、愛しさを伝えたかったけど、そのたびにお祖父さまの心の中には罪悪感が生まれた。庶子として生まれたことを嘆く叔父さまに。言いたくても言えない。そのもどかしさがお祖父さまを苛立たせ、叔父さまに冷たくあたってしまうことになったのでしょう。」
そう言って、アメリアは笑みを浮かべた。それはやさしく、すべてを包み込むような笑みだった。
「ねぇ、叔父さま。叔父さまだって、お祖父さまやお父さまを嫌ってなんかいなかったでしょう?」
「・・・あぁ、・・・あぁ、そうだ、そうだな。」
泣き笑いのように顔をゆがめて、ヘンリーは何度も頷いた。
「私が間違っていた。私の身勝手な逆恨みに付き合わせてしまってすまなかった。」
ヘンリーは、反乱軍に向かって頭を下げた。深く、深く。決して、赦される罪ではないけれど。
「・・・よろしいですか。」
ヴィクターが、ヘンリーに縄をかけた。兵たちに縄を引かれ、ヘンリーが歩きだす。
「お養父さま!」
その去り行く背中に向かって、アメリアは叫んだ。ヘンリーがゆっくりと振り向く。
「わたしが父を亡くしてからずっと、わたしに向けられたお養父さまの優しさ、そのすべてが偽りだったとは思えません!」
本当の父でないことは理解していた。
けれど、「父」と呼んで慕ったのは、彼のことを本当の家族のように思っていたからだ。
「・・・昔、お前が青いタイピンをくれた。」
ヘンリーが目を細めて、ここではない過去の光景を見る。
これはおそらく、10歳のアメリアがヘンリーの誕生日に青いサファイアのタイピンをプレゼントしたときの話だ。
「どうして青なのか、と私は聞いた。その時お前が何と言ったか覚えているか?アメリア。」
覚えていた。
───だってお父さま、いつもわたしの瞳をきれいな青だって言っていたから。
青色が好きなのかと思った。
幼いアメリアは、そう言ったはずだ。
「あぁ、だが本当は父や兄と同じだった青い瞳がねたましくて、うらやましくて、青は嫌いだった。それなのに・・・」
アメリアとは違う、緑の瞳がこちらを見ていた。昼間の森のような暖かい緑だ。
「その時からだよ。青が、好きな色になったのは。」
そして、ヘンリーは笑った。うらみも何もない、心からの笑みで。
「その澄み切った瞳を、濁らせてはいけないよ。私の娘、アメリア。」
「お養父さま・・・」
うれしさに再び涙がこぼれた時だ。
最後にアメリアの名をつぶやいたその声が、喘鳴に変わる。体をくの字に折って、ヘンリーが激しく咳こんだ。
「・・ア、アメリアの・・お前の、花嫁姿・・・。王妃になった・・・お前を、見たっ・・・」
見たかった。そう紡ぐ前に、ヘンリーの口から鮮血が溢れた。
「お養父さま!」
悲鳴のような声を上げて、アメリアはヘンリーに駈け寄り、背中をさすった。その背中があまりにも痩せ細っていて・・・
「まさか、あなたはもう・・・」
レオンハルトが呆然と呟く。
ヘンリーが咳こむたびに、口から真っ赤な血が滴り落ちた。
「いやっ、いやよお養父!わたしを、わたしをっ・・・!」
ーーまた、おいて逝くの?