おんぶ、それは人を背中に乗せる行為のことを言う。
「よく考えたら詳しいことを何も聞いていない」
俺のその一言から林間学校ならぬ、森林授業が始まった。
授業と言っても歩きながら、フィルが得意げに話す内容を聞くだけだ。
フィルは泥濘む地面を何の苦にもせず俺に旅の目的を説明しながら先を歩いていく。慣れ、だろうか。俺にとっては死ぬほど歩き辛いんだけどな。
というか、ここ二日間は雨なんて降ってないと思うんだけど、これは森では普通のことなんだろうか。
「つまりですね、この旅の目的は、各民族を回り、他民族間会議の約束を取り付けてくることなのです」
フィルは得意げな顔でこっちを振り返った。
そして歩きづらそうにしている俺を見るや否や少しかがんで両手を後ろに伸ばした。
フィルさんそれはまるであれの待機姿勢の様に見えるんですけどまさか……。
「ヨイチ様、お乗りください!」
……おんぶ……だと⁉︎
おんぶ、それは人を背中に乗せる行為のことを言う。
語源は負ぶる、から来ていると言われ、主に幼児期の子供が親や年長の者にされる行為である。
つまりそれは俺が超絶美少女フィルの背中に抱きつく、という行為に繋がる。
合法的に!合意の上で!
あぁ、なんて素晴らしいんだおんぶ!異世界に来て本当に良かった……。
……待てよ?もし、もし仮にだ。男だった時のフィルの性格が演技でなかったとしたら。
あの時のフィルはおだてられやすく、傷付きやすいという性格だった。言ってみれば世間知らずのお嬢様の様なものだろう。
あれがもし演技でなかったら、俺が今から行おうとしている行為はとても危険なものだ。
恐らくフィルは今、護衛の仕事を勘違いしている。
俺の身を護るだけでなく、俺の役に立つことが、自分の護衛としての役目だ、くらいに考えているのだろう。世間知らず故に。
もしそんな世間知らずのお嬢様に対して、俺がおんぶの際にセクハラまがいのことをしてしまったら、ここから長く続くであろう俺たちの関係に、大きな亀裂を生む事になるだろう。彼女はそんなことをされるだなんて微塵も思ってないのだから!お嬢様なのだから!
俺は途端に恐怖の対象となり、この旅はひどく気まずいものになる。
そして何より、俺はあんな超絶美少女におんぶされて、自分を抑える自信がない!
……となると、答えは見えた。
「いや、遠慮しておくよ。これから旅をしていくんだ。これくらい歩ける様にならなきゃな」
俺はそう言ってフィルに笑いかけた。
惜しい、正直言ってかなり惜しい。でもこれからずっと気まずくなるより、楽しく旅を続けた方が……。
そんなことを考えながらフィルの方を見るとフィルはあからさまにガッカリしたように、
「そう……ですか」
と、呟いた。
……え?
何だ?俺をおんぶしたかったのか?何?もう脈アリなの?抱きついていいの?
……いや、違う。フィルは恐らくこう考えたのだろう。
役に立てなかった、と。
さっきも言った様にフィルは恐らく護衛の仕事を俺の役に立つことだと勘違いしている。
そしてその護衛の仕事に誇りを持っているのだ。それは男だった時のフィルの態度が物語っている。不備がある、と俺に言われた時、しばらく根に持って拗ねていた。
フィルにとって今の俺の言葉は、不用品宣言。自分の誇りをけなす言葉だったのだろう。
つまり、フィルを例えるなら世間知らずの血統持ちだが、飼い主の役に立ちたい忠犬。今回は護衛だから……言うなればシェパード!
何てことだ、世間知らずのシェパードなんて、どうやって手懐けたらいいんだ。
もしフィルが恋愛ゲームに出てきたとしたら恐らく攻略難易度はS。
当たり前だ、選択肢によってどの様にご機嫌ポイントが変動するか全く予想がつかないのだから。
俺がこの旅をうまく楽しくやっていく為には、彼女自身は勿論、彼女のプライドも傷付けず、彼女に役に立って貰わなくてはならない。
……難しい。はっきり言って難しい。
けれどやるしかない。全ては、輝かしい俺の未来の為に。
まずは今損ねてしまった機嫌を治さなければならない。
だが恐らくその方法は簡単だ。
褒める。
フィルは恐ろしいくらいおだてられやすい。簡単に言えばちょろい。何度か褒めればすぐに回復するだろう。
だが、褒めるところを間違えてはいけない。もしもそれが自らが自覚していない褒められポイント、または実際は出来ない事なんかを褒められると、ご機嫌ポイントは著しく下がるだろう。イデアを使えそうだ、と言ったときは面倒くさいほどに落ち込んでいた。
大丈夫だ、俺になら出来る。簡単だ。
実際に仕事をしてもらい、それを褒めれば良いのだ。
今回の場合、護衛、そして解説人!
まずはそうだな、もう一度この旅の細かい説明をしてもらおう。
「なぁフィル、さっきの話もう一度してくれないか?さっきの説明ちゃんと聞いてなくて。俺何もわかんないから、フィルだけが頼りなんだ」
俺がそう言うとフィルは暗かった表情をころっと明るくした。
「そ、そーですか。仕方がないですねヨイチ様は。そーですか私が頼りですか」
そう言ってニヤニヤと笑っている。
ちょろいな。驚きのちょろさだ。攻略難易度Sとか言ったけど撤回しよう。
もし俺の元いた世界にフィルがいたら5分で食われるだろう。食われるというのが何を指すは置いといて。
そうしてフィルは嬉しそうにこの旅の目的を話し始めた。
かなり長かったのでかいつまんで言おう。
まず、この旅の大きな目的は他民族間会議の約束を取り付けてくることらしい。
その為に各民族をまわって信頼の証に親善大使と、その民長が守護する【使徒の証】を譲り受けなければならないらしい。
使徒の証とはカムランが俺に渡したこの真実の手袋の様な物で、大抵は武具や装飾品であるという話だ。真実の手袋の嘘を見抜く力のように一つ一つ特別な力が宿っているのだそうだ。
「使徒の証は簡単には渡して貰えないと思います。その民の宝ですから。でも、二人で根気強く頑張りましょう!世界の為に!」
フィルはそう言って話を締めくくった。
フィルは何となく、ピータンに似てるな。空気呼んだりとかは下手くそだけど根本のところが近い気がする。
この子も、世界の為なら誰もが動くと思ってるクチだ。
真面目というか、硬いというか、夢見がちというか。
実際は世界の為に動ける人間なんて一握りだ。たいていの人は自分の為に動く。俺がその代表だ。
他の民が世界の為とは言え、どこの馬の骨かもわからない俺に大事な宝と仲間を預けるとは思えない。
……安請け合いしたけど、かなり厳しいぞこの仕事。
だがまぁそれは置いとくとして。
……親善大使とな?
それはもしかして、ハーレムフラグじゃないでしょうか。
このまま次々と女の子の仲間が増えていく展開じゃないでしょうか。
参ったな、俺のハーレムが出来上がる未来しか見えない。
俄然やる気が出てきた。
「それじゃあ、最初はどの民からいくんだ?」
俺の質問に、フィルの表情が固まった。
額からは汗が浮かび、笑みのままで固まった口の端はヒクヒクと震えている。
「まさか……」
「……はい、聞くのを忘れてきました」
それは森の出口が既に見え始めた頃の出来事でした。
この短い付き合いでひとつわかったことがある。
この子、ひどくポンコツである。