第6話
2013年12月24日
仮設会場爆破事件が起きて翌朝。
義明の一日はクリスマスイブに相応しい慌ただしさで幕を開けた。
彼がすやすや寝息を立てながら眠る5時前。
自室に設置してある電話機が部屋全体に伝わる音量で
電子音を奏で始める。
義明はその騒音にすぐさま目を見開き、
聞こえてくるコール音に不吉なものを感じ取りながらも
重い腰を起こして受話器を手に取った。
「もしもし、義明君かね!?
私だ、ジェームズ・ウィリアムだ!」
電話の主は彼のクライアントその人。
彼の口調から察するに酷く動揺している様子だ。
「娘が、娘が自室からいなくなっているんだ!
どこにいったのかも皆目見当がつかん。
どうにかしてくれ!」
義明に懇願する大統領候補。
いや、大統領候補というよりこれは父親としての側面だろう。
この人が一国の長になるかもしれないのだ、そう考えると
大丈夫なのか、この国は?、と要らぬ心配をする義明であったが
このような所に親近感を持てるのは非常にいい事かもしれない、と
も思い直すのであった。
「分かりました」
義明は彼に短くそう告げると受話器を耳から離し、
すぐに玄関扉へ向かった。
彼には正直、リリィが現在いる場所など皆目見当もつかない。
では、どうやって見つけると言うのか?
答えは簡単だ。
彼女の行動パターンからその行く先を絞り込む。
というよりも彼には取るべき選択肢がこれしか
用意されていない。
一見、頼りないように思えるが、
彼のヒトに対する観察眼は一級品だった。
言うまでもなく、それはストレートチルドレンだった頃に
培われた彼唯一の特技。
義明は情報の大切さについてこれまで肌身を通して理解してきた。
これはヒトについても全く同じことが当てはまる。
普段から癖になっている仕草。
日常的な行動の数々。
反射的に起こるその人特有の反応。
呼吸法から手癖の悪さまで全てを把握できれば
それはやがて情報となり、
いずれ役に立つ時が来るかもしれない。
そして――――――
なんとも予想外な場面で役に立つもんだ、と一人
現状に呆れてみる義明。
彼的には任務のために収拾していた情報だったのだが。
まぁ減るもんでもなし、フルに使いましょう、と意気込む彼。
さぁ、ここから義明のスーパー推理タイムが幕を開ける。
――――――とその前にひとまず一服する義明。
彼はシチュエーションを大事にするという
非常に不要な性を持っており、
探偵と言ったらキセルだろう、等という安易な考えから
キセルの代替品として葉巻を取りだしたのだった。
――――――ただ単純に彼が吸いたかっただけの話かもしれないが。
「彼女の今までのホテル内における行動パターンでは
父親に心配をかけまいと自室を出たことなど一度もない。
外部に用事がある時は必ず護衛の者を呼び出していた。
第三者が外に連れ出した可能性もあるが……
セキュリティ対策が万全に施されている最上階のスイートルームを
昼間から襲撃するような愚策を高じる馬鹿はいない。
つまり、彼女は自分の意志で自室を出たことになる。
その彼女が自分の意志で離れたということは彼女にとって
余程大きな案件が絡んでいる、かつ、
父親にすら言わずに自室から飛び出したということは
誰にも言いたくない用件なのだろう。
問題はどの時間に彼女は自室を後にしたか、だが。
昨日、ホテルに戻ったのが夜9時過ぎ。
それから電話がかかってきた翌朝の5時まで、か……
これは選択肢が多すぎるな」
――――――と無駄に思考を重ねていく義明。
まぁ、そもそも、知り合って一週間弱でその人物の人格が
全て分かるような中身の薄っぺらな人間などそうそういるものでもなく。
彼が今リリィの居場所に対して見出せている確定的な情報など
義明の部屋と彼女の自室以外にリリィはいる、といった
大変大雑把なものであった。
そこまで考えて、義明はとうとう思考を放棄した。
すると彼は何を思ったのか、グッと握りこぶしを作り。
「男なら行動あるのみだよな!」
と今までの自身の行動を全否定しながら玄関扉へと歩き出した。
「はてさてこれからどこへ行こうか、とりあえずエレベーターに向かうか?」
義明が廊下に出てこれからの行動方針を考えようと頭を働かせてからわずか一瞬、
時計の秒針が一寸も動かない間に本事件の中心人物が彼の視界に姿を見せていた。
彼女、リリィは周囲をキョロキョロ見渡しながら
エレベーターの前をウロウロと忙しなく動いていた。
そこで何をしているんだ、と義明が聞くまでもない。
どうやら、エレベーターの乗り方が分からないらしい。
彼女は自身の腰の高さに備えつけてあるエレベーターの押しボタンを
まじまじと眺めているかと思えば、エレベーターが作動音を出しただけで
びっくりしたり、あたふたと奇妙な動きを見せていた。
「おいっ」
その姿に見兼ねた義明が堪らず声をかける。
すると大きく身体を上下させて驚きの様子を露わにした
リリィが声のする方へと振り向いた。
彼女が振り向いた先に待ち構えていた者は
だらしなく羽織っている部屋着、
死んだ魚の様な両の眼、
ボディガードとは到底思えない貧相な体格と佇まいをしたアジア人。
紛れもなく、義明その人であった。
「あぁああああああああ!!
見つけたわよ、義明・オースティン、十七歳、独身!!」
「いや、俺まだ十六だけど、それに俺の住んでる国ではこの年じゃ
まだ結婚できないから独身なのは当たり前で……」
彼の姿を視認したかと思えば突如、怒鳴り声を上げるリリィと
ぶつぶつとささやき声で反論する義明。
「知ったこっちゃないわよ、そんなこと!」
そう言ってリリィは彼目掛けて歩み寄る。
どうやら彼女のお目当ては義明だったらしい。
「いきなり、どうしたんだよ。
野生動物の発情期か?」
「違うわよ、短小日本人!」
「だ、誰が短小だ!」
「あら、それなら粗○ンという言い方の方が良かったかしら?
粗末なものしか持っていないだなんてなんてかわいそうな人種かしら。」
耳を塞ぎながらリリィの奇声に耐える義明。
彼の暴言に自身も負けじと言い返すリリィ。
お嬢様が一体どこでそんな言葉を覚えたのか、と
不思議に思いながら義明は雇い主とコンタクトを
取ろうと与えられた携帯電話をポケットから取り出した。
「もしもし、お宅のあば…………」
彼の雇い主ウィリアムに電話が繋がり、
お宅の暴れ馬を発見しました、と義明が言いかけた所で
彼の持っていた携帯をリリィが取り上げ、
そして――――――
「ボキッ」
と嫌な音を立てながらへし折ってしまった。
「あぁあああああああああああああ!」
悲鳴を上げる義明と彼の大声に耐えきれず耳を塞いでいるリリィ。
さっきとは完全に真逆の立場となってしまった彼ら二人。
この様子を見ている限り、随分相性が良いように思えて仕方ない。
「五月蠅いわね、たかが携帯ぐらいで騒がないでよ。
これだからナニが小さい日本人は……」
リリィの義明に対する暴言は留まる所を知らないが、
今の彼にとってそんなことはどうでも良い事だった。
「なんてことしてくれちゃったの!?
ウィリアムとの唯一の連絡手段だったんだぞ!!」
「はぁ、そんな粗末な携帯ぐらいいくらでも
買ってあげるわよ、パパが」
「おまえって本当に最低だな」
そんなやり取りをしながら義明は本題へと切り替える。
「それはそうと、おまえ俺に用があるんだろ?
用件をさっさと言ってくれ」
「あ、あんた、知っててパパに連絡しようとしたの!?」
「いや、普通するだろ」
めちゃくちゃ心配してたんだぞ、と義明が語尾に付け加えるなり、
リリィは罪悪感を感じたのか罰の悪そうな顔をした。
「それで用件は……?」
親身な空気になる前に義明は再度本題へと切り替える。
「そうだったわ、あなたにどうしても言いたいことが
あって、実は……」
と急にしおらしくなったリリィ。
なんかこんな奴俺の身近にいた気がする、と義明は
リリィを眺めながら舞のことを思い出す。
支離滅裂な言動と暴言の嵐。
表情をコロコロと変える一貫性のなさ。
そして世間知らずなお嬢様。
それは間違いなくアメリカ版舞であった。
手のかかるトラブル製造機は身内に一人だけで十分なんだがな、と
自分が発見した新事実にがっくりと肩を落とす義明。
すると再びリリィが口を動かし始めた。
「昨日の昼の事なんだけど」
「昨日の昼……?」
〝昨日の昼の事〟と言われて義明が思いつくのは一つだけ。
「あぁ、ヒーローショ―か。
あれは良いものだった。
少しばかり思う所はあったが、会場が盛り上がっていたのなら
それはそれでOKだ。」
「そっちの話じゃないわよ、
もっと空気読みなさいよ、あなた。」
「く、空気読んだし!
空気読んだ上での発言だし!」
「なら、もっと達が悪いわよ。」
リリィの容赦ない一言にがっくりと腰を落とし両膝と両手を地面につけて
義明は分かりやすいくらいに落ち込んだ。
そんな彼に毒気を抜かれたのか、リリィは溜息をつきながら
口調も必然と単調なものになり、先ほどまでの恥じらう姿は身を潜めてしまった。
「お昼に起きたテロ事件で助けてくれた時のお礼が
まだだったから言っておかなくちゃと思って……」
それを聞いた義明は
あぁ、とつまらなさそうに立ち上がる。
「ボディガードとして雇われたんだからあれくらいは当然だ」
「確かに当然なのかもしれないけど感謝している
気持ちを伝えたかったのよ」
そこまで言われては無碍にも出来ない義明がリリィの
これから言うであろう〝感謝の言葉〟とやらをじっと待つ。
「あ、あの時のあなたはその……
感じは悪くなかったわね。
感謝してあげるわ。」
「えっ」
義明の喉を突いて出てくる異音。
リリィも思わず訝しげな視線を彼に向ける。
彼の奇妙な発声音も無理はない。
「おまえ、それが感謝の言葉だって言うのか?」
「そうだけど?」
それが何?、と何の問題もないと言うかの如く振る舞うリリィ。
「もう少しマシな言い方思いつかなかったのかよ」
期待してなかったとは言えあまりのお粗末さに落胆する義明。
「し、仕方ないじゃない。
こういうの慣れてないんだから、はい、これ!!」
――――――とリリィが義明に綺麗にラッピングされた包み紙を手渡した。
「なんだ、これ?」
義明が素朴な疑問をリリィに投げかける。
すると、リリィは顔を真っ赤にしながら
「察しなさいよ、馬鹿!
お礼のつもりで用意したバタークッキーよ。
もちろん、市販の物だからね!」
「嘘はいけませんよ、リリィ様ぁああああああ!
それはこのにっくきアジア人の為に夜中こっそり起きて
朝方まで苦労して作った手作りク――――――」
「なんで、あんたがここにいるのよ――――――!」
「グハッ」
突如、廊下の向こうから現れた包帯まみれの佐藤太郎に
リリィは飛び蹴りを食らわし、気絶させた。
「おい、そいつ今ので止め刺されたぞ。
死んだんじゃね?」
「これくらいで死ぬタマじゃないわよ。
昨日、重傷を負ったんだから入院しろって言っても
聞かない奴よ?」
「へー、すごいね」
そんな気のない返事をしながら義明は彼女の目の前で
ラッピングを剥がしていく。
どうやら彼の意識はとっくに地面に倒れている佐藤太郎から離れていたらしい。
こいつ、本当にデリカシーの欠片もないわね、と
心の声が如実に伝わるくらいの険しい表情を見せるリリィ。
義明がラッピングを全ては剥がし終わると中から出てきたのは
黒いナニカであった。
「えっと……
これはチョコレートですか?」
〝ダークマタ―〟
そう呼ぶにふさわしい物を両手に抱えながら
おずおずと敬語で聞いてみる義明。
「―――――そ、そうなの!
これはチョコレートなのよ!」
「この野郎、平気な顔で嘘つきやがった!
さっきバタークッキーとかなんとかって言ってなかったか?」
不自然に明るい表情を作っているリリィにさすがの義明も
さらっと暴言を口にする。
非常に嫌な予感をぷんぷんと漂わせながら義明は確認しなければいけない
重要な事を問いただす
「料理の経験はありますか?」
「あるわよ、失礼な奴ね!
その時は家族に食べさせたんだけど私の手料理を食べた
パパは何故かトイレから出て来なくなって
ママは何故かご飯の途中で寝ちゃってたわね。
そのあとパパが事あるごとにキッチンから私を
遠ざけようとしていたのは疑問だったけど
ちゃんとおいしいって言ってもらえたから安心していいわ!」
「安心できる要素が何一つなかったんですが、それは……」
今この場で食べなさい、と無言の圧力をかけてくるリリィと
そんな彼女の内情をまじまじと肌身で実感しながら絶望感に打ちひしがれる義明。
(前略、天国のお父様、お母様。
どうやら私はここまでのようです。
短い人生しか送れなかった親不孝な私をどうかお許しください。
今からそちらに向かいます)
義明は袋から一欠片だけ中身を取り出すとそれをじっと眺めた。
先ほどまでの彼女の説明を聞く限り、この暗黒物質を食べたら
良くて便所から抜け出せない、
悪くてこの場では言えない禁止ワードと言ったところだろう。
さすがの義明もこんな馬鹿げたことに命を掛けたくはないのだが、
差出人が雇い主の身内、差し出した理由が感謝の現れとなると
無碍にも出来ない。
男らしく覚悟を決めた義明はおそるおそるその物質を口の中へと運んだ。
とうとう口の中に入った物質を躊躇いがちに噛んでみる。
一噛み、二噛み、三噛み――――――
「ふむ、ドロッとした食感とヌルヌルした舌触りがなんとも……」
言って疑問に思う。
これ本当にクッキーか?、と。
更に噛み続ける義明。
飲み込めばそれまでのような気がしてならない義明は意地でも
喉の奥にその暗黒物質を通さない気でいた。
「そして、奇妙な酸味と得も言えない苦み。
そして口の中をこれでもかと言う程刺激する辛みがまた――――――」
言って彼は疑問に思う。
俺が今、食べてるのって本当にクッキーだよな!?
義明が思わず疑問の声を出そうとしたその瞬間、
もはや流動体となったそれが彼の喉を通過し、
そして――――――
義明の意識はそこで途切れてしまった。