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道化の回帰  作者: 矢田金木
第2章 加木穴工学園 ”本章”
5/14

第2話

 実は昨日こんなことがあったのだ。

時刻はお日様も頂点に上り詰めようとしている正午前。

 昨日の夜、バンドの練習に明け暮れて、帰ってくる頃には

日を跨いでおり、心身ともに疲れ切っていた義明は

未だ、布団の中で一時の休息を取っていた。

しかし、彼はこのような星の下に生まれてしまった因果なのか。

無慈悲にも彼の睡眠は終わりを迎えようとしていた。

義明の部屋中に五月蠅いくらいに響き渡る電子音。


 彼は今までの生活習慣からか、すぐさま目を覚ます。

しかし、その正体が電話のコール音だと言うことに気づくと

携帯には手を伸ばさずに布団の中に潜りこむ。

どうやら、諦めてくれるまでこのまま放置しておく腹らしい。

 しかし、相手も中々に諦めない。

おそらくは義明のこういった習慣を熟知しているのだろう。

観念した義明は携帯電話を手に取ると、寝ぼけた頭を使いながら

発話ボタンを押して。



「もしもし、義明・オ―ス――――――」


『出るのがおせぇよ、馬鹿!!』


起こした張本人の第一声がこれであった。


「耳元で怒鳴るなよ、こっちは寝起きなんだぞ」


寝起きに聞くも辛い無駄に大きくて野太い野蛮人の声。


『何、寝ぼけたこと言ってんだ、お前。

もう昼前だっつうの。

休日だからってダラケきってんじゃねぇよ、しゃきっとしろ、

しゃきっと。

こっちは仕事中なんだぞ!』


義明の惰眠を邪魔した犯人の正体はダニエルだった。


「……で、用事はなんだよ?」


『おお、そうだった。

急用で申し訳ないんだが、お前来週の土曜日、

アメリカに行ってくれ』


「は?」


寝耳に水とはまさにこのことだろう。

彼のあまりに突拍子もない発言に義明の脳が八割方起きた。


『ちょっとした要人の護衛をやってもらいたいんだが、

できるだろ?』


「まあ、かまわんが、宇都宮はどうするんだ?」


『彼女の件はこちらで何とかする、

とにかく、そう言う訳だ。

支度はちゃんと済ませておいてくれ』


「いや、でも時間ねぇぞ、俺。

今日はバンドのリハーサルで明日は本番なんだ」


『来週の水曜日は空いてるか?

空いてるならその日にやればいい』


「なんで? その日学校じゃん、

仮にも校長が学校さぼれとか言うんじゃないよな?」


ダニエルに返答はなく。

両者の間に短い沈黙。


『お前、その日は何の日か知らんのか?』


「知らん、少なくとも祝日ではないことだけは間違いない」


自称、祝日だけは見逃さないマンの義明がそう力強く断言した。


『…………加木穴工学園創立記念日で学校は休みだ』


「おー、なんてことだ、すまん、すまん。

俺が休みを把握していなかったなんて……

さんきゅー、じゃあ、その日にやっておくわ」


学園の創立記念日すら知らない不出来な学生に

落ち込むダニエルと軽い気持ちですまん、と連呼する義明。

そう言う訳だから、とダニエルが電話を切ると再び義明は

眠りについた。



「おぉかしぃいいいからぁあああああああああ!!!」


耳を劈くように響いたのは彼女の悲鳴。


「なんで、いきなりそういうこと言うわけ!?

あぁりえないからぁあああああああ!!!」


「いやぁ、もう決まったことですし……」


義明が小声で抵抗するも舞には届いていなかったらしく。


「そうよ、こんなデタラメ認めるわけにはいかないわ。

義明、今すぐキャンセルしてきましょ?」


こんな理不尽を注文してきたのだ。


「お前の方がデタラメだと思う……」


「いやいやいや、彼氏彼女のクリスマスイベントと

正月イベントを白紙にしようとしているあんたに言われたく

ないんですけど!!!」


「それについては申し訳なく思っておりますが

こっちにもやんごとなき事情と言うものがありまして……」


自然と敬語になる義明に対しても舞は容赦なく。


「私の立ててたデートプランはどうしてくれんのよ!?」


「それはまた後日に埋め合わせをできればと思っております、

もちろん舞さんがよろしければですが……」


「良いわけないでしょ!

ちょっと、パパに報告してくる」


「やめてぇぇえええええええ!!!

それだけはやめてぇええええええええええ!!!

俺が殺されちゃうぅうううううううううう!!!」


「じゃあ、アメリカ行きをキャンセルして!」


「えっ、それは無理」


「一ヵ月以上、彼女を放置するバカがどこにいるってのよ!」


「や、やめろ、やめろ――――――――!」


義明の突拍子もないアメリカ行きます宣言に

つい、腹を立てて首を締めだす舞。

こうしてこの後の会話も平行線となり。

結果、事態は収拾しないまま解散となった。



2013年11月25日



翌日、朝も早く、寒空の下。

太陽が姿を見せようか見せまいかと四苦八苦している午前七時三〇分。

義明は着替えを済ませ、鞄を持ち。

学校へ行こうと玄関のドアノブに手をかけた。

すると――――――


『義明――――――!!

居るんでしょ?

居るのは分かってるからさっさと出てきなさいよ――――――!!

こっちは寒いんですけど――――――!!!』


ドアが激しく叩かれる。

呼び声も大きい。

霞みがかった景観と静けさに満ちた早朝には似合わない訪問の絵。

いや、そもそも早朝から友人宅を訪ねること自体が

一般では考えられない非常識な行動である。



「――――――――――――」


こんな、常識はずれの行動をしでかすのは義明の周囲の人間を

見回しても舞くらいだろう。

思わず、義明もドアノブにかけていた手を引っ込める。

おそらくは昨日の続きを討論しに来たに違いない。

まさか舞がここまでしてくるとは思わなかった義明。

彼は足音を立てずに部屋の中央へと避難していく。



「居留守、居留守って奴なのね?

こんなに可愛い彼女を氷点下の寒空の下に放置プレイなんて

ちょっとありえないんですけど――――――?」


 舞は絶えず義明に呼びかける。

声も第一声と同様に大きい。

このままでは近所の注目を集めるのも時間の問題だろう。

この喧騒に呆れた大家が出てきたら尚更まずいことになる。

 今、表にいるのはあの舞だ。

普段から周りを引っ張り回し、張り倒していくあの舞だ。



 きっと舞のことだ。

出てきた大家を格好の餌食としか目に映らないだろう。

そんな大家に彼女はきっとマスターキーを持ってこい、だのと

無茶ぶりを言うに違いない。

 大家はきっと最初は断るだろうが、一般人が舞の

相手をするのは骨が折れる……

というか複雑骨折になるレベルだ。

骨の欠片しか残らない。



 そうして、理不尽な要求に折れた大家はきっとマスターキーを

持ってこざるを得ない状況になる。

それだけはなんとしても阻止しなければならない。

 義明はどうにかしてこの状況を打開できる方法を考えようと

懸命に知恵を振り絞る。

自分から動くのは非常にまずい。

誰かに頼ろう。

誰に頼る?



 とりあえずはアメリカ行きの元凶を作ったダニーだ。

携帯電話を手に取るとアドレス帳の数少ない住人の中から

横文字の人物をチョイスする。

迷わず、電話をかけること数コール。

無感情な電子音の後に待っていたのは男の野太い声だった。


『は~い……

こちらダニエル・オースティン……

こんな朝っぱらから電話をかけてくる

非常識なバカはどこのどいつですか~?』


さも昨日、酔いつぶれたかのような声を出すダニエル。

しかしながら、よくもまあ、こんな辺鄙な日本語を流暢に使いこなす。

まあ、聞き慣れた義明にはどこも思う所などないらしく。


「お前、それ電話に出る奴の対応じゃねぇよ、」


『は?なんて言ってるのか聞こえねえよ……』


舞に怯んで思わず小声で話す義明。

そんな義明にダニエルは容赦なく苛立ちを含んだ大きな

声で対応する。


「だから、それ電話に出る奴の対応じゃねぇって言ってんだよ!!」


『あっ、今なんか声が聞こえたわよ!!

やっぱり、いたのね!?

さすが私だわ、何をさせても外れないんだから!!!

ねぇ、怒らないからさっさと出て来なさいよ!!

いい加減、寒さも限界なんですけど!

今出てきてくれたなら肩パンで済ませてあげるわ!』


「…………」


『…………』


ダニエルの難聴具合に義明が痺れを切らした結果、

とうとう、舞に自分の居留守がばれてしまった。

というか女子が肩パン発言はどうかと思う。


『なんか、今嫌な声が聞こえてきたぞ……

かな―――り遠くから……』


「言外に伝わってくれて嬉しいよ、実は……」


『あ~、皆まで言わなくても良い。

ようするにあれだ、俺に助けを請いたいとそう言うこったな?』


「良く分かったな、エスパーなのか、お前?」


 ダニエルの勘の鋭さに驚く義明であるが。

考えても見てほしい。

第一印象でその区域には本来生息していない筈の外来種が元から

その地に生息していた種の住処、食物を奪ってしまう。

 つまり、舞はダニエルからブラックバス的な認識を持たれている。

義明みたく、年がら年中舞と一緒にいたわけではない……

否、つい二ヵ月ほど前に一度会ったきりのダニエルにとって

このように凶暴な外来種の取るべき行動など弱肉強食に則った

動物的行動以外に思いつかなかった。

ようするに

〝弱者である義明を強者である舞が追い詰めている〟

という考えにしか及ばなかっただけである。


『原因は何だ?

そこまではさすがに分からんぞ……』


「あれだよ、ほら、アメリカ行きの任務」


『あれがなんだよ?』


「この時期のアメリカ遠征が嫌らしい……」


『ますます、意味が分からん』


「クリスマスデートと正月デートがなくなるのが嫌なんだと……」


『…………

なんだって日本人はクリスマスとか正月を特別視したがるんだ?

あんなん、普通の休日と変わらんだろう』


「そうだよな、俺にも理解できん、

大体、日本人はやれ祝日だ、祭りだと現を抜かし過ぎる。

最近じゃあ、ハロウィンも本来の姿を忘れてただのコスプレイベント

になってるぐらいだしな、騒げれば何でもいいんじゃないか?」


『違いない』


あははは、と軽い口調で日本の女性、

あるいは世界中の女性を敵に回す益荒男二人。

義明は純日本人であるもののおよそ半分の人生を

外国で過ごしていたこともあり、このような日本の

伝統には同感できずにいた。


『まあ、それだけが原因ならお前だけで

解決できそうだな』


「えっ?」


薄情なダニエルの対応に思わず上吊った声が出る義明。


『当然だろう、彼女のケアは彼氏の務めだ。

理不尽な要求なら救いの手を差し伸べてやろうと思ったが、

この件についてはお前の方で解決しろよ。

こっちはただでさえ、二日酔いの所を朝早くから起こされて

気分が悪いんだ、じゃあ頑張れよ』


プツ、と一方的に切られた電話。

彼女の要望はアメリカ行きのキャンセルなんですが

それはダニーにも関係ありませんかね?、と一人

心の中で愚痴てみる義明。

しかし、場の状況が一転することはなかった。

とりあえず、ダニーが使えないことは分かった。

他に助けてくれそうな奴を探そう。

里緒は…………

『えっ、それなんて御褒美?

いいなぁ、僕も混ぜてよ!』

なんてドM精神MAXな声が聞こえて来そうなので没。

宇都宮は…………

『何、朝早くから痴話喧嘩?

いい御身分ね、あなたの命が残っているように祈ってあげるわ。

ああ、それと心配してほしくないのだけれど骨はちゃんと

拾ってあげるから安心して』

なんてドS発言が聞こえて来そうなのでこれもまた没。

となると…………

あれ…………

おかしいな…………

俺の電話帳の登録件数が4件だから、

これで詰み、チェックメイトなのか、と

自身の人脈の狭ささに嘆く義明。

状況は舞が玄関先に出現した当初から1ミリたりとも進んでいなかった。



 舞がここに来てから一〇分が経過した。

近所の人たちも姿を見せない。

関わり合いにならないことを望んでいるのだろう。

未だ、表には出てこようとせず、傍観を決め込んでいる。

まあ、それも時間の問題ではありそうだが。

 おそらくこの喧騒が三〇分も続こうものなら

痺れを切らすに違いない。

最悪の場合、警察に通報と言うこともありうる。

これからどうするべきなのか。



 自分から行動を起こすことはできず、外部の人間も

頼れる奴はいない。

もう手詰まり状態の義明は素直に自首すべきかと

腹を括る意志を固め始めた頃。

 耳を済ませると外からの騒音が途絶えていた。

近所の人たちが追い払ったのか?

いや、この状況であの舞を追い払えるだけの力ある人間は

この世界に存在しない。



 誰かが警察を呼んだのか?

いや、それでも舞の事だ。

きっと騒ぎ立てるに違いない。

 警察が来たらきっと俺もこの部屋から出ざるを得なくなる。

一体何なんだろう。

物静かになった玄関先まで移動し、ドアスコープから外の状況を確認する。

人っ子一人、誰もいない。

 ほっと安心し、玄関から離れた義明は

一体、どれだけの時間、人様に迷惑かけたのか、と

気になり、時計に視線を移す。



 時刻は午前七時五〇分。

あれだけ長く感じられた舞の奇襲はたった二〇分の

出来事だったらしい。

 そして、ようやく義明は彼女がいなくなった原因に気づいた。

ああ、学校に遅刻することを恐れたのか、と。

舞は厳しい教育環境、家庭環境の中で育てられた結果なのか。

 自分に課せられている掟、規則、義務の類を守ることに対しては

非常にマメなのだ。



 加木穴工学園の始業時間は午前八時二〇分から。

ここから学園までの距離はおよそ三キロメートル程度。

車通学なら余裕がある時間帯でも徒歩通学の

学生にはちと厳しい時間を迎えていたのだ。

 なんだ、時間が解決してくれる問題だったのか、

ああ、あんなにも規則正しい子に育ててくださって

ありがとうございます、重人様、と

義明は舞の育ての親である重人に深い感謝を込めながら

ようやく、ほっと一息ついた。



 そもそも何故、俺は舞から逃げる必要があったのかと。

条件反射と言われればそれは正しいものがあるし、

昨日のアメリカ行く宣言後の首絞め事件が尾を引きづっていると

言われればそれも正しい。

だが、義明の中ではどの答えもしっくりと来ないのだ。

 近いもので言えばこれは、そう、ノリに近い。

彼女が理不尽なことをしてきたらとりあえず拒否する、という

いつもの流れを汲み取っただけのようなものだ。

もはや、彼と彼女の間にはそのようなお約束が言外に根付いていた。

 まあ、いいや、とりあえず二度寝しよう、と学校へ行くことを

諦めた義明は寝巻に着替え、そそくさと布団の中へ還っていった。



 時刻は正午を回り、太陽は天高く昇り切った直後の十二時三十分。

結局この日は学校をさぼり、午前中丸々、惰眠を貪った義明。

ますます、舞に顔向けできなくなってしまったこの状況で

 アメリカへ旅立つ今週末の土曜日までどうやって過ごそう、と

義明は寝起きの頭を振り絞って模索した。

布団からは意地でも出ようとせずに。



 とりあえず、考える時間だけはたっぷりあるのだ。

この最悪の状況を円満に解決できる方法を考えよう。

舞が義明宅を訪れたのは午前七時三〇分から五〇分までの間。

これはおそらく今度の土曜日まで続くのだろう。

 そして、昼間は学校にいて身動きは取れないはず。

行動するなら今しかないのだが。

いかんせん身体が重い。

まるで何もする気になれない。

 それと同時に周囲が勉学に励んだり、仕事に精を出したりと

している中、自分だけは自宅で寛いでいるというある種の優越感も

味わっていた。



 この贅沢な休みを最高なまでに浪費してやろう。

もはや、彼の頭の中には舞のことなど存在しておらず。

これから何をして過ごそうか、とそのことで頭がいっぱいになっていた。

しかし、思考して気付く真実。

 自分には休日を消費するだけの趣味がない。

本はあれば読む。

映画も必要とあれば見る。

スポーツも断れないなら参加する。

このように自ら何かに取り組もうとしたことがない

義明にとってこの真実は致命的だ。



 何せ、時間はあるのに何もすることがない。

自分の無趣味はきっと舞やダニエルに毎週末の貴重な

休日を潰されていたからだ、

そうに違いない、うん、きっとそうだ、

……そういうことにしておこう、と心の中ではもう八つ当たりする気

満々の義明。

まあ、強いていえば創作は好きだが、

今はそれをする気力がない、気分じゃない。

創作活動にとって最も必要なものはやる気によって

導かれるインスピレーションなのだ。

今、それが発動するとは到底思えない。



 時間はこの間にも刻々と過ぎていく。

時刻は十三時を回っていた。

時間はあるのに何もすることがない。

これも考えようによっては贅沢な休日の過ごし方かもしれない。

そんな発想の転換に成功した義明は。

もう一度寝るか、なんて独りごとを残して再び布団の中へと

潜っていった。

 外は真冬で今にも雪が降り出しそうな灰色の曇り空。

こんなときは温かい布団の中で一日過ごすに限る。

途端、彼は眠気に苛まれ、逆らうことなく再び夢の中へと落ちていった。



 義明が起きたのは外が真っ暗闇になってから。

何かに邪魔されて今までの快眠から目を覚ました様な気がしたが

理由が全く分からない。

寝ぼけ眼で部屋中を見渡すが部屋には光の一つも見当たらない。

――――――ように思えたのだが。

 光の線が一本義明の顔を掠めて部屋の天井を映し出す。

明らかに自然のものとは思えない人工的な光線を目の当たりにして

義明の額に冷や汗が溜まる。



 光の線の正体は窓から差し込むサーチライト。

おそらくは例の彼女に違いない。

彼の身を恐怖が覆い尽くす。

義明を起こした犯人は義明の姿を捕えようとあらゆる角度から

また、あらゆる方向を照らしていく。

 義明は再度、布団に潜り、携帯電話にて時刻を確認する。

十八時三十分。

嘘だろ、下校中に遠回りしてまでここにやってきたのかよ、

義明に戦慄が走った。



 登校時も遠回りしてここへやってきた彼女のことだ。

このくらいのことは仕出かすと思いついてもおかしくはないのだが。

義明はこの時、パニックに陥っていた。

この分じゃあ、とても土曜日までなんて持たない。

そう、理解した彼はダニエルに匿ってもらおうと決心した。



2013年11月26日


 午前七時〇〇分

まずは情報精査だ、と

慎重派な義明はこの日を彼女の行動把握に費やそうと考えた。

 昨日は丸々、睡眠に使っていた為、彼女がここへ来る正確な

行動時間を把握できていない。

義明は居間の中心部からびた一文動かず、

舞がいつ来ても気付けるように耳を澄ましていた。

待つのには慣れている。

 なんせ、ダニエルに業務命令とやらで待機指示を

いくつも受けてきたのだ。

 それに比べればこの状況のなんと容易いことか。

それから三〇分後。


『開けなさいよ、居るの知ってるんだから!!!』


 昨日よりも激しく叩かれる玄関のドア。

鉄製なのに軋みを上げるそれを見て、義明は親子だな、と

客観的な感想を述べてみた。

 昨日同様に時間が経てば学校へと走り去っていく。

現時刻は七時四〇分。

昨日よりは早くに諦めたな、と義明が玄関まで歩いて行き、

ドアスコープから外を覗いてみるとそこには――――――

こちらを覗き返す舞の眼。


「ひぃいいいいいいいいいいいいい!!!」


もはや、ホラ―な絵面に義明が悲鳴を上げる。


「やっぱり、居たわね!!

さっさと出て来なさいよ!!!」


 さっきよりも一層、激しく叩かれるドア。

もはや、壊す気なのだろうか?

これ以上は耐えきれない、とドアが悲鳴を上げる。

義明は足が竦んでしまった為、

尻もちをついたまま、玄関先から動けずにいた。

 しかしながら、それもやはり七時五〇分まで。

それが過ぎると今度は本当の本当に学校へと走り去っていった。

舞が立ち去り、ようやく平穏を取り戻した義明宅。



 彼の足もようやく震えが止まり、立つことが許された。

この後は昼休みの時間を使ってここまで来るか

はたまた来ないのか、という所なので今の内に

アメリカ行きの為の身支度を整える。

 一際、素早い手際で手荷物を揃えていく義明。

これはダニエルの教育の賜物だろう。

今までにも数回程、海外遠征は経験済みだ。



 時刻は正午に差し掛かろうとしている十一時五十分。

午前中に身支度は済ませてしまい、

後は彼女が昼間もここまで来るのか来ないのか見張るだけ。

終業が早い先生ならば、もうこの時間には授業を切り上げるはずだ。

 昨日は昼過ぎに起きたとはいえ、一瞬だけであった為、油断はできない。

それに寝起きの状態じゃあ、訪れていたとしても気付かない場合がある。

義明はこれまでの経験則から低血圧気味である自分が

寝起きに弱いことは自負していた。



 舞を待つこと三十分。

全然来ない。

おそらく、昼間にはここを訪れるつもりがないのだろう。

義明は昼食の支度に取りかかった。

すると、携帯電話から鳴り響く着信音。

画面を確認するとそこには〝相ノ木舞〟の文字。

それを視認した義明は瞬時に電源を切って布団の中に滑り込ませた。

そこまでして彼はふう、と一息ついて再び昼食の支度へと戻っていった。



十八時00分。

外が真っ暗になる。

案の定、部屋にはサーチライトの光が忍び込んできた。

まあ、それは三十分もすれば消える灯であったのでそこまで

怖くはなかったが…………



2013年11月27日


 「時は満ちた!」


とは義明の声。

部屋のど真ん中で堂々と叫ぶ情けない彼。

時刻はとっくに午前八時を回っている。

学校ももうすぐ始まる時間帯。

行動するなら今しかない。

遠征支度は済ませた。

ダニエルに救助願いも申請してある。

 結局、昨日の収穫はあまりなかったものの十分だ、と

彼はドアノブに手をかける。

そこまでして彼はようやく、今朝の異変に気がついた。


「あれ、そう言えば今朝は舞が来なかったな、諦めたのか?

近所の人に通報されてこの辺りに立ち入れなくなったのかもな!!!」


あはは、と楽観的に笑いながらドアを開ける彼。

残念な彼はこの時、失態にまだ気が付いていなかったのである。



「ようやく出てきたわね、義明!!

観念なさい!!」


「ひぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」


玄関の前には仁王立ちで構えている舞。

それを見た義明は悲鳴を上げながらすぐさまドアを閉めようとするが

舞が自分の片腕を隙間に滑り込ませてそれを阻んだ。


「逃がさないわよ、義明!!

今日という今日は白黒つけようじゃないの!!」


「お、お、お、おおおおお前、今日は学校じゃないのかよ!

ずる休みか、優等生ぶってるお前が?」


「ずる休みとか昨日、一昨日と学校をさぼったあんたに

言われたくないんですけど!

それに今日は創立記念日とやらで学校はお休みですぅ」


「あ…………」


そういえば、先週ダニエルが電話越しにそんなことを

言ってたかもしれない、なんて今さら重要なことを思い出す義明。


「ていうか、あんた運が良いわね!

昨日の今頃このドアを開けていたらうちのパパが相手して

くれてた所よ!」


「ひぃいいいいいいいいいいいい!

て言うことはもしかして舞が学校の間もずっと……」


「良く気づいたわね、その通りよ!

ちなみにライトであんたの部屋を照らしていたのもパパだから」


おそるおそる事実確認をする義明に恐怖という感情がこみあげてくる。

つまりは、舞が登校してから学校から帰宅するまで

およそ十時間超もの間、重人がここにいたということか。

その真相に気づいた義明はもうどう足掻いてもバッドエンドな

未来しか思い描けず。


「わぁあああああああああああああああ!!」


ドアを勢いよく開けて舞を突き飛ばし、その場から

逃げていったのであった。


「もういや……こんな世界……

本当にいや!!!」


遠くから鳴り響く叫び声を尻目に涙を流す義明。

舞は五十メートルを六秒台で走る化け物だが。

義明はそんな彼女よりも速い。

荷物を抱えている等、微塵も感じさせない速さで

徐々に舞との差を広げていく。

結果、とうとう彼女の影すら見えなくなり、

義明は悠々とダニエルに保護してもらったのであった。




2013年11月30日


 フライト当日。


「結局、彼女のことは良かったのかよ?」


空港内でダニエルにそう問われた義明は途端に涙を流す。


「ああ、ごめん、俺が謝るから、

頼むから泣きやんでくれ!!」


ったく、これは重症だな、と頭を抱えるダニエル。

義明はダニエルが匿った時からずっとこの調子だった為、

彼の精神面を案じて友達には義明がここにいることなど話さず、

義明の前では学校の話はせず、のスタンスを保ち。

今日までには治るだろう、と鷹を括っていたのだが。

今日この日、この時にこの様子である。

若い男が体格の良いアメリカ人に泣かされているという図は

周囲の注目を集める格好の的となり。

この様子で本当に護衛の任務が務まるのか、と不安になりながら

義明をあやすダニエルであった。



 義明はダニエルに見送られ、後は保安検査場を通り過ぎて

機内に乗り込むだけとなった。

そんなときに今、最も会いたくない怪物が姿を現した。

彼が保安検査場を通る為、形成された列に並んでいた所。

 横から巨大な手が襲いかかってきて義明の首根っこを掴んだかと

思うと一瞬でその列から引き離したのだ。

あまりにも一瞬の出来事過ぎて困惑する義明。

最も驚きなのが周囲の誰一人として彼の異変に気付かなかったこと。

前に並んでいたビジネスマンも後方でおしゃべりしている若い男女も

気付かない神業。



 それだけで彼はこんなことを仕出かした悪魔の正体に気づいた。

否、こんなことが出来るのはおそらく地球上にただ一人。

地面に叩きつけられる義明の身体。

そして彼が見上げた先には案の定の人物。

相ノ木重人が立っていた。


「てめぇ…………」


あ、俺生きて帰れない、そう悟ってしまう程の威圧感が

今の発声で伝わってきた。

ガクガク、と震える義明の姿に舌打ちを鳴らす重人。



「まあ、とりあえず俺はいい。

出航の時間があるんだろう?

だが、最低限、舞には顔出せ」


 重人にしか目線が行かなかった義明も

その一言でようやく気付いた。

彼の後ろで悲しそうに佇む舞の姿に。

後は、若い奴らでやってくれ、と言い残して

その場から立ち去る重人。

そこまでお膳立てしてもらってようやく

義明は腰を上げて舞と向き合った。


「すまん、この埋め合わせは絶対にするから……」


今にも泣き出しそうな舞の顔。

それを見た義明は真っ先に今までの自分の非を詫びた。



「早く帰って来なさいよ、このバカ……

あんたがいないと退屈なんだから……」


久しぶりに交わす男女の会話。

たった一言だけではあるがそれが妙に心地よい。

帰るべき場所がある。

そう思うだけでこれからのアメリカでの生活が華やいで見えてくる。


「それじゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃい」


と二人とも最後は笑顔。

別れの時くらいは誰しも笑顔で見送られ、

見送りたいものだろう、そういった両者を思いやっての行動。

円満とは行かなかったものの。

他人の尽力が大きかったとは言えども。

とりあえずは仲直りしたと言っても良いくらいの別れ方で。

義明は日本を後にした。

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