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道化の回帰  作者: 矢田金木
第一章 加木穴工学園編 ”序章”
3/14

加木穴工学園編 序章〝後編〟

「なんでなんだよ――――――!!!」


放課後、学校の多目的ホールに疑問の声が響き渡る。

声の主は義明で目の前には不服そうな顔を隠そうともしない

初雪が立っていた。


「いやよ、私はあくまで賭けに負けたから

ここにいるだけだし、駄作のヒロインをやるほど

お人よしでもないわ、それに・・・・・・」


昼休みの事はみんなが許しても私は許してない、と

彼女は厳しい主張をする。

そんな彼女を見て義明は

案外こいつって根深いんだな、と楽観的な感想を

持っていた。


「お願いだよ~~~

お前も見ただろ、昨日の舞のアレな演技!

このままじゃあ、舞台なんて夢のまたその夢なんだよ~~~」


いたいけな少女に泣いてすがりつく大の男。

その少女ははぁ、と溜息をつくと。


「なら、私がキャスティングをしてあげる」


と一言呟いた。


「おぉ――――!!

本当か、演技上手い奴に心当たりでもあるのか!?

助かるぞ!」


今よりも最悪なキャストはあり得ない、と義明が

期待の眼差しで初雪を見る。

そんな義明に初雪はニッコリと満面の笑みを見せると。


「主役があなたで、ヒロインが環君」


とんでもない事を口にした。


「あぁりぃえないから―――――!!!

なんで里緒がヒロインなの!!?

あいつは男なんだぞ!!

確かに顔は可愛いし、ぶっちゃけ学園で一番可愛いけど

男なんだぞ!!!」


はははっ、と乾いた笑いを見せる外野の里緒と

自分の棒演技に黄昏ている舞。


「あら、このキャスティングはなかなかの

ものだと思うけど・・・・・・

特に一部の女子を客層として確保できる所なんか」


「何を言っているのか分かりたくないんだけど」


言って義明は里緒の方に振り向く。


「里緒、お前は嫌だろ!?

俺の相手なんかしたくないし、ヒロインもやりたくないよな?」


確認をする義明に里緒は顔を火照らせながら。


「僕は・・・・・・いいよ・・・・・・」


「まじかよ・・・・・・・・・・・」


「決まりね」


どうせ、里緒の脳内では女装した彼が壇上に

飛びだしたとき、観客が見せる変態を見る眼差しを

思って二つ返事したに違いないのだが。

自分のヒロインをやりたい、と言ってくれたのだ、と

勘違いした義明は。


「まぁ、お前がそこまで言うなら

俺もやぶさかではないけど・・・・・・」


と満更でもない様子だった。

舞台稽古も終わって帰り道。


「なんでよ~~~~~~」


舞の悲痛な叫び声が夕焼けの空に響き渡る。


「今までずっと一緒に帰っていたじゃない!?

なんで突然、そんなこと言い出すのよ!!!」


「当たり前だろ、昨日みたいなことは

もうこりごりなんだよ!!!」


初雪のボディガードをほっぽり出して舞の起こした

トラブルに巻き込まれた結果、ダニエルに

怒られた事実を忘れてはいけない、と義明は

彼女に別々に帰ろうと提案したのだった。

案の定、舞は

私もついて行く、と駄々をこねたがそこは里緒が

力ずくで防ぎ。

里緒と舞、義明と初雪はそれぞれ帰路についたのだった。



「あっ、私はこっちに用事があるからここでお別れね。」


お互いに会話がないまま、歩を進めていた最中。

突然初雪がそのようなことを言いだした。



「なら、俺もついていくぞ。」


義明は任務の事もあって初雪について行くと言ったが、

彼女は非常に嫌そうな顔をした。



「なんだよ。」


「いや、別にあなたはついてこなくても良いのだけど・・・・・・」


「こっちはお前の親父さんから

〝一人にするな〟って頼まれてるんだよ。」



「・・・・・・分かったわ。」


初雪のしかめ面に思わず義明も彼女と同じような

ムッとした表情で受け答えをした結果、

初雪は彼のことを無碍に出来るはずもなく

嫌々ながらに了承した。



義明は初雪に従うようにぴったりと後ろをついて行くと

彼女は四人で歩いていた街中の大通りを逸れていき、

路地を離れると雑草の生い茂る道ならざる道を

開拓していくように突き進んだ。

向かう先には山しか見えず――――――

義明はこれから初雪の向かう場所にまるで見当がつかなかった。

目の前にそびえる山に真っ直ぐ向かった

彼らはとうとう麓を迎え、それでも沈黙を貫きながら

歩き続ける初雪に義明がついて行った結果、

道のりは草木の生い茂る険しい山道になり――――――



「で、どこに行くんだ?」


一緒に歩き始めて数分。

沈黙とどこに行くのかもわからない得もいえぬ不安に

耐えきれなくなった義明が思わず口に出して聞いてみる。



「ついてくれば分かるわ。」


しかし、義明はものの見事に撃沈した。



初雪をヘリコプターに乗せたあの一件以降、

彼女は義明との約束を律儀に守り、

学校でもそして敷地外でもぴったりと離れなかった。

その結果、彼女ともある程度打ち解けることが出来たと

彼は思っていたのだが彼女の気に触れるような言動を

ちょっとでもすればすぐにこのような状態になる。

俺の周りにいる女はどいつもこいつも扱いが難しくて困る、と

義明が難儀な顔をしながら歩くこと更に数十分。



「教会・・・?」


義明の呟いたように目に前には立派な教会が見えてきた。


こんな辺鄙な山奥に教会があったなんて

知らなかった、と義明は感心するように聳え立つ

教会の様相をまじまじと眺めた。

外観は白一色で覆われた壁に包まれており、

屋根だけがその存在を鼓舞するかのように目立つ

色の赤や緑で彩られている。



特に際立って目立つような箇所もなく至って普通の教会だ。

初雪は教会に向かって真っ直ぐ歩き続け、やがて教会の門を開く。

中は木で出来た複数人掛けの椅子が奥から手前まで

平行に並べられており、中央には赤の絨毯と

更にその奥には祭壇が見えている。至って普通の造りだ。



「おや、このような夕暮れ時に礼拝とは・・・・・・

珍しい者たちがいたものです。」


義明が中の造りを観察していると奥の方から

低い響き渡るような声が耳に届いてきた。

彼が声のした方へ視線を向けるとそこには

背の高い細身の外国人男性が姿を見せていた。



「バージェス神父」


初雪はその姿を確認すると彼の元へと歩き出した。

〝バージェス神父〟と呼ばれた男性は彼女の

向かってくる様を微笑ましげに眺めている。



「あなたでしたか。良く来ましたね。」


「バージェス神父、今日もお稽古よろしくお願いします」


稽古・・・・・・?、と義明は教会で聞き慣れない単語について

どういう意味なのか考えつつも静観を貫いた。



「いいですとも。

ではいつも行っているトレーニングから始めてください。」


「はい」


神父と話すときは俺たちに接する時と

また違う対応をするんだな、と義明は何故かもどかしい

気持ちを覚えた。



やり取りを終えると初雪はバージェス神父から離れ、

何やらストレッチを始め出した。

神父は自分の下から離れていく彼女を見送ると

義明の方へと向かってきた。

義明はその様子をただ黙って眺めていた。



「私の名前はバージェス・ショウ。

バージェスとお呼び下さい。あなたのお名前は?」


「義明・オースティンだ。義明でいい。」


バージェス神父は義明の下に辿り着くと一礼をした後、

丁寧口調による自己紹介を始めた。

しかし、初対面の相手に対しても

義明の性格がぶれることはなく、

いつもの荒々しい口調による自己紹介となった。



「ほう・・・・・・」


そんな義明の様子を興味深げに神父は眺めた後――――――



「あなた、良い御心をお持ちのようですね。」


――――――と義明には理解できない言葉を発した。



「?

どういうことだ?」


「失礼、立ったままでは何かと不便ですから

座ってお話しませんか?」


バージェス神父は義明に腰掛けに座るように促し、

義明はそれに従った。



「さっきの表現はもっと噛み砕いて言うとあなたの

〝生き様〟、〝在り方〟を指して出てきた言葉なのです。」


「外人のくせによくもまぁそんな難しい日本語が出てくるもんだ。」


真面目に話すバージェス神父に対して冷たい態度で軽口をはさむ義明。



「ありがとうございます。

職業柄どうしてもこのような単語を先に

覚えないといけないのですよ。」


「そうか。」


神父はニッコリと微笑みながら義明の冷たい態度を受け流す。



こいつは気に食わない、と

義明は瞬間的にそう感じた。



「なぁ、あいつはいつもここであんなことをやってるのか?」


目の前で懸命にストレッチを続ける初雪を眺めながら

義明は疑問に感じたことを口にした。

教会でやることではないだろう、と

神父を非難する意味合いも込めて。



「えぇ、そうですよ。

彼女はここへリハビリに来ているのです。」


「リハビリ・・・・・・?

リハビリは普通病院でやるもんだ。

あんたのやることじゃない。」



教会へ来た目的も理由も彼女から聞いている

訳もない義明はいきなり〝リハビリ〟と言われても

何のことかさっぱり分からなかったが、以前、初雪を

ヘリコプターへ乗せる際、不自然なこけ方をしたこと、

この事象から義明は簡単に答えを導き出した。

足のリハビリか・・・・・・

やっぱり不自由だったんだな、と。



「確かに仰る通りです。

教会でするべき行為ではない。

しかし、病院では傷を完全に治すことが出来ないと

言われた少女が頼れるものはもはや

ここしかなかったのですよ。」


バージェス神父は憂いた表情で初雪を眺めながら更に続けた。



「神に救いを求めてこのような遠い山奥の教会まで

やって来た子羊を私は無碍にすることができなかった。

ただ、それだけなのです。」


そう言うと神父は立ち上がり、

初雪の下へ向かうとポケットから何かを取り出し、

それを彼女に手渡すと義明の下へ初雪を引き連れてやって来た。



「今日はもう遅い。二人ともお帰りなさい。」


今日は演劇の稽古もしていた為、

更には義明が学生会で時間を取られていたことも考えると

初雪がいつも来る時間帯よりもかなり遅くなったのだろう。

教会に着いてものの三〇分で帰路につくことになった。



「神父と何を話していたの?」


初雪が興味深げに義明へ問いかける。



「大したことは話してねえよ。」


「そう。」


初雪は答えてもらえなかったことが

よほど残念だったのか悲しげな表情を浮かべた。



「お前、あの神父に惚れてんのか?」


義明はふと、気になったことを憚りもせず口にした。



「何を馬鹿な事言ってるの?

人としては好きだけど恋愛対象としては見てないわ。」


「そうか。

あいつと俺たちとじゃお前の態度が違う気がしてな。」


あっさりと否定され、義明は的が外れたからか初雪の

彼女の冷たい態度がショックだったのか、

言葉にはできないがひどくもどかしい思いを感じていた。



「当たり前でしょう、

あの人と私、結構付き合い長いのよ。

初対面で最悪の印象を持っているあなた達とじゃ

違って当然だわ・・・・・・」


「・・・・・・そうか。」



義明は初雪を自宅まで送り届けると自分の

アパートに向かっていく中でバージェス神父に

対して激しい何かを感じていた。


あの神父とは相容れないな、と

義明は結局その感情が何なのか思考を放棄した。



夜更けの山奥、

獣たちの雄叫びが響き渡る山道を一人の男が

修道服をたなびかせながら闊歩していた。

片手には獣の死骸を持ち、向かう場所は教会近くの母屋。

その中にあるのは鼻を突き刺す強烈な異臭

を放っている巨大な鍋。

中には真っ赤な液体がびっしりと保管されていた。


「・・・・・・あれが前時代の遺物か」


そう言いながら彼は獣から血を取りだすと

巨大な鍋の中へと注ぎ足していく。

狂気に満ちた笑みを浮かべながら。



2013年09月13日



翌日、担任教師から呼び出された義明は昨日の

結果報告を聞かされることになった。


「俺たちの演劇のリハーサルですか?」



「そうだ、

そこで学園祭で通用する出し物か判断する。

審査員は私と学生会役員だ。」


予想外の結果に義明は戸惑った。

人前に出すのは本番当日のみだとばかり考えていた為、

いきなり人前でやるとなると他の連中が大丈夫なのか

不安になったのだ。



里緒も俺と一緒で肝が据わってるから心配はしてないが、

特に舞が一番不安なんだよな。

宇都宮は未知数、と義明は冷静に考察する。



「でも、いきなり人前でやるなんて緊張しちゃいます。」


「お前が緊張する玉なもんか、

そうだったら少しは可愛げがあったかもね。」



「くっ」


ジャブを入れて牽制を入れようとしたら、

ボディに思いきりクリーンヒットをもらってしまった。

伊達に独身じゃないってことか。



「誰が独身よ。」


「俺は何も言ってませんよ。」


「そういう顔をしてたのよ。」



「読心術はやめてください。」


独身なだけに、と義明は下種なボケを入れる。



「あんたが大人になったときのことを考えると本当に心配だわ。」


そんな教え子の様子に呆れたのか早乙女女史は思い切り

溜息を吐いた。



「大丈夫です、俺のことは先生がもらってくれますから!」


「そんなことになったら、私あの子に殺されそうで怖いわ。」



あの子とは舞のことだろう。

殺されそうなんて先生は一体舞に対してどんなイメージを

持っているのやら。

基本、あいつは教師陣からも好かれてるはずだけどな、

俺と違って・・・・・・、義明は心の中でそう考えながら

一人で勝手に落ち込んでいく。



「軽口はここまでにして。

そのリハーサルは今週末の土曜日……つまり、明日よ。

気合入れて練習しておきなさい。」


「もう少し猶予を・・・・・・」



「馬鹿ね、これでも妥協してもらったほうよ。

あんた、学園祭のスケジュール調整も簡単じゃないんだから。」


「確かにこれは俺たちだけでなく

他の部活動の連中にも迷惑をかける問題ですね・・・・・・」



「分かったら、さっさと練習しなさい、

リハーサルまで残り少ないわよ。」


 そう言われ、

職員室を出た義明はこのことを3人に話した後、

放課後をフルに使いリハーサルに向けて死に物狂いで練習を重ねた。



2013年09月14日


 そしてリハーサル当日の朝、

当4人と学生会役員、担任教師は体育館に集合していた。


「分かっていると思うが、

君たちは今日の演劇の出来によって

学園祭に出れるか出れないかが決まる。

今までの練習が無駄にならないよう頑張ってくれ。」



「義明君、君・・・・・・

上手く先生を懐柔したみたいだね。」


今から舞台仕度を整えようとステージに上がろうとした

義明に学生会長が耳打ちをしてきた。



「お前もよく承諾したな、

俺がいくら頼んでも頑なに拒否したくせに。」


「そりゃ、美人に頼まれるか野郎に頼まれるかじゃあ

ぜんぜん対応も違ってくるさ。」


当たり前だろ、とでも言いたげな表情で当然のように言う原本。

宇都宮と舞に行かせれば良かったかな、と義明は心の中で後悔をしながら

今度からはこの二人に行かせよう、とそう強く誓った。



「今なら、美少女フィギュア1つで僕を買収できるけどどう?」


「・・・・・・最悪の場合は検討しておこう。」


学生会長とのやり取りも適度に義明は舞台に上がった。



「舞、緊張してないか?」


「こんなの、全然平気よ。

かぼちゃが7つあると思えばいいんだから。」


おそらくかぼちゃはこの場で演劇を傍観する人のことを

指しているのだろうが7人もいない。

舞は自分の得意分野――――――

主に武道の大会などでは冷静でいられるのだが、

こういった突発的なものには弱い節がある。

相当緊張している様子が義明にも伝わってくる。



「これが無事に成功したらまたデートにでも行くか?」


「!」


 緊張をほぐすつもりで耳打ちした義明だったが、

舞の顔はみるみる赤くなっていった。

これは失敗だったかなと思いつつ、

解決も何もしないまま

次の不安要素の元へと義明は足を運んだ。



「宇都宮は大丈夫そうだな。」


「当たり前でしょう、あなたに心配される必要はないわ。」


宇都宮の表情から緊張の色が見られなかったため、義明は安堵した。



「準備が整ったら、適当にはじめてくれ。」


担任からの催促もあって、義明は

今からはじめます、と言い、ヒロインである里緒に合図を出した。

リハーサルは義明達にとって通過点に過ぎない。

彼らはそんなことを堂々と言えるほどの練習を積み重ねてきた。

故に、義明は今回のリハーサルに絶対的な自信を――――――



「何よ!

この私の油まみれの手がそんなに嫌だっていうの!?」


「そうじゃない!

そうじゃないんだ!

気付いてくれ、由美子!」


「きゃあぁあああああああぁあああああ!!!」


絶対的な自信を――――――


「言わなきゃ分かんないわよ!

だって私は鉄板にこびりついている

煤汚れのように頑固なんだから。」


「そんな頑固汚れは俺の洗剤のように綺麗な心で

洗い流してみせる。」


「きゃあぁあああああああぁあああああ!!!」


絶対的な――――――



「私は鉄板焼き家業を継いでいるから油汚れも

煤汚れもついてるのよ。

そんな私を本当に愛してくれるというの?」


「僕はどんな君でも・・・・・・いや、

そんな君だからこそ愛している。

君の油汚れも煤汚れもまとめて好きなんだ。」


「きゃあぁあああああああぁあああああ!!!」


ぜ・・・・・・・・・・・・


終始、義明と里緒の演技の最中、

黄色い声が聞こえたのは聞き間違いではなかった。


「ごうかくぅうううぅううううぅうううう!」


突き抜けた声が体育館内に響き渡る。

皆がその気持ち悪いほど透き通った声に驚きながら

声の発信源へ視線を向けるとそこには。



「すばらしい、すばらしいよ!

やっぱり、美少女や男の娘っていうだけで

劇は見る価値があるね!」


里緒の可愛い姿に興奮している原本の姿があった。



「ええっと・・・・・・

じゃあ、原本もああ言っている訳だし、合格にするか?」


加木穴学園の文化祭は大半が学生会によって仕切られており、

発言権は教師よりも学生会。

その中でも学生会長は段違いの権力を持っている。

その学生会長である原本が声高らかに

〝合格〟と宣言した以上、多少の異論があったとしても

跳ね返されるだけだ。

とはいえ、学生会の中に異議を申し立てる者は誰一人として

おらず、皆が皆、爽やかな笑みを浮かべていた。

これは初雪の作戦勝ちと言うものなのか。

むしろ、演劇をやっていた義明が釈然としないご様子。



「本番でもヌルヌル動く美少女もとい男の娘を期待してるからね。

僕をさっき以上に萌え・・・・・・いや、悶えさせてよ!」


原本は義明の肩に手を置くとそんな言葉を伝えて

役員達の後を追った。



「えぇ・・・・・・」


これにはさすがの義明もびっくりである。

体育館に呆然と立ち尽くす四人の影。

しかし、そんな彼らを現実に引き戻すことが出来る

新参者が一人。



「終わったのよね・・・・・・

合格って言ってたし、もう帰りましょう。」


「あぁ、そうだな。」



初雪の言葉に皆が正気に戻る。

先頭を歩くは普段、後ろからついてくることが多い初雪。

義明たちもそれに倣えで歩を進め始める。

誰も何も喋らない沈黙の時間が少し過ぎた頃、

突然、初雪の身体がふらっと傾き、

何も言い終わらないうちに倒れてしまった。



「初雪ちゃん!」


「宇都宮!?」


義明たちは突然のことに困惑しながらも

義明が初雪を抱きかかえると駆け足で保健室まで運び、

彼女が目を覚ますのを待った。



保健室の先生曰く

〝ストレスから来る軽い貧血〟らしく、

何の心配もいらないとのことだった。

義明達は

知らず知らずのうちに彼女に迷惑をかけていたのか、と

重い沈黙が長時間続いた。



一体どれほど経っただろうか。

太陽の傾きが全く変わってない所を見るに

初雪を保健室に連れてきてから1時間も

経ってないようだが義明達にとってはとても

長い、長い時間が過ぎ、初雪は目を覚ました。



初雪は上体を起こすとすぐに義明達の方へ向き直り、

家の人に迎えを頼むから先に帰ってほしい、と口にした。

義明は任務のこともあって残るつもりだったが

初雪がわざわざ父親に連絡をし、

任務の一時的な解除の許可を貰った為、

彼らは口々に

また来週、とだけ言い残すと3人で帰路に着いた。

週明け、初雪が学校に姿を見せることはないとも知らずに。



2013年10月01日



 神様も祭壇から逃げ出して休暇を取る十月。

動物が冬眠に備えて物資を蓄える為に、重い腰を上げ、

重労働に勤しんでいる頃――――――

即ち食料事情も乏しくなり、活動的でなくなり始めたこの時期、

加木穴工学園の学生会室はそれはそれは荒れに荒れていた。



「なんでこの繁忙期に君の為に

貴重な人員を割かなくちゃいけないんだよ!」


室内に怒声を響かせるのは現学生会長の原本作音。

義明を一方的に親友として見ている人物だ。

そんな会長の怒声を浴びせられるは原本の事を

知人とすら認識していない義明その人だった。



「んな、ケチケチすんなよ。

ただ照明とか音響のスタッフがほしいって言っただけじゃねぇか。」


義明はなぜ原本がそこまでイライラしているのか分からず、

生理か?、などと失礼極まりないことを考えていた。



「あのね、君は自分の事、

しかも学園祭のことだけを考えていればいいのかも

しれないけど僕は学園祭全体の面倒を見なくちゃいけないんだよ!

ただでさえ学生会のメンツだけじゃ足りなくて

ボランティアスタッフも募集している最中なんだ。

労働力ならこっちがほしいくらいさ!」



つらつらと学生会長としての愚痴を聞かされた義明にとって

そんなことは正直どうでも良かったらしく、退屈そうに欠伸をしている。

――――――が原本はそれに気づかないまま話を続けた。


「来週には体育祭も控えているし、

こっちは今学園祭どころじゃないよ、まったく。」


「待て、体育祭ってどういうことだ?」



今、原本が吐き捨てた一言にはさすがの義明も反応せざるを

得なかった様子。

ぽかんとしたアホ面を晒しながら義明は原本に問いかけた。



「やっぱり、気づいてなかったんだ。」


はぁ、と溜息をついて落胆した様子を見せながら原本は話し始める。



「まぁ君は最近、学園祭の事ばかり考えていたみたいだからね。

無理もないけど・・・・・・

来週の日曜日は本学園記念すべき第二回体育祭が控えているのさ。」


原本はそこまで言うと得意そうに鼻を鳴らした。



「まっ、今の君の様子を見てると体育祭では負ける気がしないけどね。」


「何を言ってるんだ?」


このバカは、と義明が素で返すと原本は顔を面白いぐらいに

変形させながら驚いた。



「義明君、まさかとは思うけどちゃんと覚えてるよね?

去年の戦いの中で育まれた僕達の熱いパトスを!」


良く分からない言葉の羅列を震え声で熱弁するという

本職顔負けの芸当を見せながら尚も原本は義明に食い下がるが――――――



「?」


――――――義明は首をかしげただけだった。



「体育祭の全種個人競技は全部君が一番で僕が二番だったんだよ。」


がっくりと肩を落としながら呟いた一言で義明はうっすらと

本当にうっすらと去年の記憶を蘇らせた。



「あー、そう言えばなんかいた気がするわ、お前。

うん・・・・・・」


「絶対嘘だよね!」


義明の適当発言もとい優しい嘘にすかさず横槍を入れた原本は

出ていけっ、とばかりに義明の背中を扉目掛けて押して行き――――――



「今年は絶対に君の視界に入ってやる!」


とさっき言っていた言葉よりも幾分かランクダウンした

発言を残して義明を学生会室の外に追い出した。

やれやれ、追い出されてしまったか、と義明は

学生会室の扉の前で頭をかきながら立ち尽くした後、

原本の言葉を思い出していた。



〝体育祭のリレー全種、個人戦は全部君が一番で僕が二番だったんだよ。〟

〝今年は絶対に君の視界に入ってやる!〟


「・・・・・・」


義明はムスッとした表情になりながら――――――



〝そんなこと言っても仕方ないじゃないか、

去年の体育祭、俺が出た競技は全部一位だったんだ。

二位以下の奴なんて覚えてるわけがない〟


――――――と心の中で言い訳をし終わるととぼとぼと

寂しそうにその場を後にした。



体育祭か・・・・・・今年は楽しめそうかな、

なんて原本の発言に少しだけ胸を膨らませながら。



「すまん、駄目だった。」


学園からの帰り道、義明は先ほどの原本とのやり取りの

結果のみを里緒と舞に話した。



「まっ、当然だろうな。来週には体育祭も控えているし。」


里緒は義明ほど落胆した様子もなく、むしろいつも通りの表情だ。



「おまえ知っていたのか!」


義明は〝嵌められた!〟とばかりに声を張り上げる。



「知らなかったのはあんただけよ。」


心労困憊の義明に止めを刺すのは

何故か不自然なまでに汗をたらたら流す舞だ。



「お前、絶対知らなかっただろ、

そうだろう!?」


義明の鋭いツッコミに

うっ、とたじろぐ舞であったが――――――



「あんた、この私を誰だと思ってるのよ。

加木穴工学園随一の美少女にしてアイドルよ。

学園のイベントでは引っ張りだこになるこの私が

体育祭について知らないわけないじゃない。

私クラスになると嫌でも耳にはいってくるわ!

謝って、この私を知らない子呼ばわりしたこと

謝って!」



この通り、ムキになって言い返す為、

舞は相手にしない方が賢明なのだ。

義明はついそのことを忘れてしまっていた。


「そもそも体育祭の競技参加者を決めるとき、

お前ずっと下向いて台本とにらめっこしてたよな。」



「くっ」


舞と里緒、両者板ばさみの言葉に何も言い返せない

義明が発言できることといえば。



「ちなみに俺の参加競技はどうなった?」


この程度であった。



「お前は時間の許す限り、

全ての競技に参加してもらうことになってたな。」


「ははっ・・・・・・

ですよね・・・・・・」


目に涙を光らせながらもこういうイベントごとが

嫌いではない義明は体育祭にますます期待を弾ませる。



「まぁ、私達のクラスが昨年優勝出来たのだって

義明がいたからだし。」


当然のことと言えば当然よね、と舞の言葉。

加木穴工学園はアメリカ育ちのダニエルが校長を

務める為かクラスの編成も実力主義であり、

入試と内申の結果を下に優秀な者からA組、B組、C組と

振り分けられていき、最後はE組であることから義明達のクラスは

〝落ちこぼれ集団〟

と他クラスからバカにされることもしばしばあった。



しかし、その評価も最初の半年のみであった。

去年の十月に行われた体育祭、

E組もとい義明は他の組を寄せ付けない

圧倒的な成績を残し優勝を果たした。



それ以降、義明は他のクラスから一目置かれる存在となり、

今年は

〝打倒義明・オースティン(E組)〟

を掲げているクラスが殆どである。



「まっ、今年も適度に頑張るさ。」


義明はそう言い残し。



「ちょっと寄りたい所がある」


と二人と別れようとした。

しかし、



「あっ義明、ちょっといい?」


と舞に引きとめられ、



「私のパパがもうそろそろうちに顔出せって。

あんた二ヵ月近く来てないからパパの

フラストレーションが溜まってるみたい。」


と爆弾を投下して去っていった。



その言葉に義明は思わず

明日の朝に顔をだそうかな、と

冷や汗をだらだら流した。



義明が向かった場所は以前初雪と二人で向かった教会だ。

教会に辿り着き正門を開くと祭壇の前には

バージェス神父の姿があった。


「おやおや、このような夜更けに何用ですか?」



祭壇の前から語りかける神父とそれに対して

返答せずにただただ睨み続ける義明。


「なるほど、初雪さんですか?彼女は今日ここへ来ていませんよ。」



神父は義明の視線をそよ風のように受け流しながら

彼の気にしていることについて的確に答えた。


「あんた何者だ?」


そこに至ってようやく口を開いた義明に対して。



「何者とは?

私は辺境の地で教会の管理を任されている

しがないただの神父ですよ。」


バージェス神父は受け流した。



「〝ただの神父〟が軍人顔負けの身のこなしをするのか?」


「――――――、――――――!」


涼しげだった神父の顔に若干の陰りが見える。

なかなか鋭い義明の指摘に僅かながらも狼狽したのだろう。

その顔を確認しながら彼は慎重に話を続ける。



「分かるんだよ、

あんたは俺が警戒するに値する人物だってことが・・・・・・」


バージェス神父はそこまで聞くとまた余裕を取り戻したのだろう、

涼しげな表情に戻り――――――



「今日はもう遅い。また後日来なさい。

また会えたならその時はお話しますよ。」


――――――彼の言葉を遮り、笑顔と意味深な言葉を貼りつけて

義明を帰路へ誘った。



2013年10月02日



 翌日早朝、太陽もまだ起きれず、地平線の向こうから

顔を出せずにいる午前四時。

義明は相ノ木道場を訪れていた。

相ノ木道場は舞の父親である重人が管理している道場であり、

そして主に空手の基礎を教えている。

重人の体さばきは非常に流麗で参考になる所が多い為、

義明は門下ではないのだがちょくちょく顔を出し、

稽古に参加させてもらっている。



空手と一括りにはしてみてもそれの〝型〟と言うのは

流派によって個性が滲み出るものであり、数多くの種類がある。

故に〝門外不出〟を唱えている道場が殆どであり、

本来は門下生のみに伝授していくべきものなのだ。

義明の様な部外者は門前払いを受けるのが関の山である。



何故、

門下でもない義明がそのようなVIP待遇を許されているのか?

それは――――――


「義明、久しぶりじゃねぇか。

こんな早朝からよく精が出るな。

お前、基本は出来てるんだから型ばっかりやってても上達出来ねぇぞ。

しょうがねぇな、稽古つけてやるから準備をしろ。」



基本の型を繰り返し身体に馴染ませようと叩きこんでいた

義明の前に重人が顔を出し、

二ヵ月ぶりの言葉がそれか、と言う程淡白なもので済まされると、

義明は

俺に拒否権はありませんか、そうですか、の精神で

彼の言葉に従い、今までの型の動きを止めて組手の準備に入った。



二人は防音マットの上で立ち止まり、距離を取る。


「義明との組手は二ヵ月ぶりか・・・・・・

訛ってねぇだろうな!」


そう言うが早いか重人の貫手が飛んできた。

実は重人ことこの親父殿は先ほど

〝しょうがねぇな〟と言い、これは義明の上達の為にやってるんだ、と

後付けの理由、口実を作ったものの――――――



義明は貫手の直線上から少しだけ身体を逸らし、

相手の懐に入るとその腕を掴んで投げのモーションに入った。

重人は義明の為すがままに投げられ、

義明が一本取ったかのように思えた。

しかし、投げられた重人は両足から綺麗に着地し、

投げられた時の反動を生かして義明に掴まれている片手を振り回しながら、

彼を放り投げた。



めちゃくちゃだ、と愚痴を言う暇もなく、

義明が着地をし、顔を上げると眼前には重人の姿がある。

彼はそれを視認すると両の腕を胸の前でクロスさせ、

即座にガードの姿勢を取った。

しかし、重人は

それがどうした、と言わんばかりに

義明の両腕を貫かんとする正拳突きをお見舞いする。



重人の正拳突きを諸に喰らった義明はマットの隅まで

吹っ飛ばされ、軽く見積もっても三mは宙を舞っていた。

今の攻防、時間にして二秒と登校前の男がする行為ではない。

冗談じゃねぇ、何を考えてるんだ、この親父は、と

義明も同じことを思ったのだろう。

心の中で彼を言葉の思いつく限り、罵倒した。



「やっぱり、訛ってるじゃねぇか!

これからは定期的に俺と殺り合うしかねぇな!」


その実態はただただ彼が暴れたいだけだったのだった。



「俺じゃなかったら死んでるぜ。」


「お前だから本気でやれるんだよ。」


義明の愚痴に重人は答えながらも畳みかけるように

義明へ迫る巨大熊。

これがVIP待遇の内情である。



相ノ木道場は県下トップクラスの実力を持ち、

全国進出も果たしてはいるものの重人師範の相手を

出来る者など一人もおらず、こうしてたまに

義明が道場に出向いてはサンドバックの様な

目に合わせられるのであった。



「もうそろそろ終いにするか?」


朝日も登り、早い者は登校を始めている時間になった頃、

ようやく重人は荒れ狂う狂気の手を止めて義明に問いかけた。



「そうだな、俺も久しぶりの組手だったから

ちょっと疲れたわ・・・・・・」


「最後だ。」


義明がそそくさと帰る支度を始めた所で

重人はそれを呼び止め、

まだ終わらないのか、とこの世の無慈悲に咽び泣く。



義明には彼が自分を呼べ止めた理由が容易に想像できていた。

故にまだ何も重人が語っていない現在の時点で

彼の両眼にはうっすらと涙が溜まっていた。


「お前、舞を泣かせたな。」



「やっぱり・・・・・・

こうなるの・・・・・・?」


口角を上に向けて入るが目は笑っていない

重人と今にも逃げ出したい気持ちで頭がいっぱいの義明。

その二人が顔を合わせる。



「九月上旬・・・・・・舞は目を腫らせて帰って来たことがある。

理由は教えてくれなかったが、

あいつはお前関連以外で感情を表に出したりなんてしない。」



(確かに九月上旬、学校が二学期を迎えたその初日、

その日の昼休みに舞は一筋涙を流した。

だが待ってほしい。

目を腫らせたとは言いすぎではなかろうか?)


義明が心の中で葛藤している間にも重人は話を進める。



「この罪は非常に重い。

従って貴様にはこれから

一度だけ〝死〟を経験してもらう。」


そう言うと重人はワナワナと震わせながら握りこぶしを作った。



「や・・・・・・

やめ・・・・・・」


涙目に苦笑いを浮かべた義明と憎悪の限りに目をギラつかせる重人。



「いやぁああああああああああああああ!」


抵抗を見せる言葉も空しく今日この場所に、

義明の悲痛な叫び声が木霊し、

登校が不可能になったことを告げる鐘変わりとなった。



 重人師範にお灸を据えられた義明は学園の保健室まで

運ばれたらしい。

彼が目を覚ました時にはベッドの上で横になっていた。

何でも、

学生の本分は勉強ですので俺の目の届く範囲にはそれを疎かにする奴

なんぞ作りません、

なんて勉強不可能な状況を作り出した張本人がほざいてここまで

運んだんだそうだ。

目を覚ました義明はどうして自分がここにいるのか、

今日、自分が何をしていたのか、全く思い出せずにいた。

何が何だか分からない状態でまっさらなベッドから降りると

廊下に出てみる。

そこに学生たちの姿はなく、あるのは窓から差し込む夕焼けの光のみ。

そうか、今は放課後なのか、とまだ働かない頭を懸命に使いながら

自分も帰ろうと昇降口まで歩いて行く。

すると――――――



「おー、義明。ちょうどいい所に来たな。」



偶然すれ違った早乙女女史に声を掛けられた。



「あー、ナンパなら間に合ってるんで別の人にしてください。」


義明はこの時、非常に嫌な予感

――――――おもに面倒な頼まれごとをされそうな気――――――

がしたのでそそくさとその場を後にしようとしたが、



「つれないこと言うなよ。ちょっと付き合え。」


女性とは思えない握力で肩を握られ、

義明は指示に従うしか道がなかった。



「それで、話とは?」


早乙女女史が場所を理科準備室に移したものの

本題に全く入ろうとしなかったので義明が促した。



「宇都宮の件だ。」


短く、しかし正確に用件の根幹を口にした。


「彼女が学校に出てこなくなってもう半月近い。

体調不良を言い訳に出来るのもそろそろ限界だろう。

様子を見てきてくれ。」



初雪は学園祭進出を掛けた審査が終わった直後に

軽い貧血に見舞われ、倒れてしまった。

その日以降、初雪は学校に姿を見せていない。

彼女の自宅から体調不良により、

しばらくの間休養を取らせるという連絡が

学校側に入ったこともあって目を瞑っていたが

どうやらそれも限界を迎えたらしい。



基本、彼は

〝初雪の様子を見てきてくれ〟

などのような厄介事は例え教師からの

頼まれごとであろうと断ることのできる精神の持ち主、

つまり極度の面倒くさがりであるのだが、

今回に限って言えば、初雪が学校に来なくなった、

もとい来れなくなった原因が

自分にあることを自負していた為、

二つ返事で了解した。



義明は早乙女女史から初雪が住んでいる自宅の住所を

教えてもらうと真っ直ぐ彼女の家へと向かった。

正直な所、義明が初雪に対して抱いてる感情は

〝長期休暇を取らざるを得ない状況に

追い詰めたことへの自責の念〟

その一点のみである。



彼は彼女との賭けごと、その勝利報酬である

〝自分の傍に常時居て、離れないこと〟

についても単に彼女への嫌がらせがしたかったから

そのような条件を提示したのであって、



彼の心情としては、

〝宇都宮への嫌がらせも十分堪能したし、

学校に来ないなら来ないで執着する必要はない〟

と言った非常に冷めたものであった。



故にこのように誰かに後押しされない限り、

初雪の様子を見に行く等面倒なことは

するつもりなど毛頭なかったのである。

まぁ、彼と同様に初雪が学校に来なくなった原因の

一端を担っている舞と里緒はどこぞの機械人間と違って

非常に心配した様子だったのだが――――――



そもそも、義明は今日も山頂にある例の教会を訪れる

つもりだったのだ。

理由は単純にして明快。

神父の只者ではないその正体について

〝また会えたならその時はお話しますよ。〟

という口約束を守らせるためだ。



昨日、義明が教会を訪れたのは初雪がいるかもしれない、

という気持ちも少しだけ、ほんの少しだけ――――――

いや、米粒大くらいにはあったのだが、

本命は〝神父の正体を暴くこと〟にあったのだった。



義明は彼が間違いなく只者ではないと直感している。

自分と同じ〝人外〟なのだと。

義明も自分の中で定義している〝人外〟という言葉に

ついては上手く口にして説明できないのだが、

件の教会に住まう神父は間違いなく

普通の人間とは違う感性、

普通の人間とは違う知性、

そして――――――



自分と同じく人間の壁を越えた力を

持っていると確信していた。

その確信は

自分と同じ雰囲気であったり、匂いであったり、

一つ一つの所作から感じ取ったものだ。

証拠はない。



(もしかして、神父が俺に教会を訪れさせないように

裏で細工でもしているのではなかろうか・・・)


昨日、今日と教会を訪問できていないその事実を

無理矢理に神父の仕業に仕立て上げようとする義明。

そんな馬鹿げたことを考えている内に早乙女女史に

教えてもらった場所に辿り着いた。



〝宇都宮の様子を見て来てくれ〟

そう早乙女女史から頼まれた義明は彼女の実家に向かう

その道中、普通の人間であれば彼女の心配をしたり、

彼女の安全について考えたりするものなのだろうが、

この通り、ずっと教会の神父について考察する

人外と言うよりは外道そのものであった。



その外道が早乙女女史に教えられた住所の前で立ち止まり

周囲を見渡すとそこには屋敷と呼ぶに相応しい豪邸、

人が住まう場所はそこのただ一つしか見当たらなかった。

本当にここなのか・・・?、と義明が初めて

初雪の身の上について考えたのも束の間、

悩んでいても仕方がない為、〝当たって砕けろ〟の精神で

何の躊躇もなく眼前にそびえる豪邸の門前にあるチャイムを鳴らす。

するとすぐに野太い男声の応答と

それから少し経った後小太りの年配の男性が門の扉を開けた。



「・・・・・架木穴工学園の生徒さんかな、

私の家に何のようだね?」


その小太りじいさんはまるで義明を品定めでもするように

じろじろと見た後、目を細めながら問いかけてきた。

彼の態度から察するにどうやら歓迎されてないようだ。



「初雪さんのお見舞いに来たんです。

長期間に亘って体調不良だと言うものですから

心配になりまして。」


義明の普段は見せない優等生然とした佇まいと対応に

気を許したのかその男性はあからさまに溜息を吐いた。



「そのくらい、普段から娘のことを

気遣ってくれれば良かったのに・・・・・・」


「?」


彼はぼそっと呟いてから義明を家の中へ招き入れた。



玄関で靴を脱ぎ、廊下を真っ直ぐに歩いて突き当たり、

そこにある居間へ案内された義明はその初老の男性が

ソファに腰を下ろし、〝どうぞ〟と手だけで座るように

指示されたのを確認した後、ゆっくりと自身もソファに

身を下ろした。



「私の名前は宇都宮一誠。初雪の父だ。君の名前は?」


「義明・オースティンです。

見ての通り、お分かりかとは思いますが、

加木穴工学園の学生です。」


お互いに自己紹介を済ませると宇都宮一誠は目を見開かせた。



「そうか、君があのダニエル大佐が最も信頼を置いている

義明君だったのか。

君には娘の身の回りの警護を任せているね?」


「はい。」


一誠の言葉に義明が頷く。

それにしてもこの男、普段の乱雑な口調と横柄な態度からは

想像もできない程に役者真っ青な猫かぶりである。



「娘は気が強いが内面はとても弱い子だ。

演劇の練習をしていることは知っていたが

やりすぎたのだろうな。」


〝やりすぎた〟とはつまり頑張り過ぎたと言うことだろう。

義明たちが無茶をさせすぎたと初雪の父親は言外に

指摘し、非難しているのだ。



「では、やはり初雪さんは演劇の練習が影響して

今も体調が優れないのでしょうか?」


義明の問いに一誠は首を横に振った。



「いや、完全に回復してるよ。」


私が無理矢理休ませたんだ、と言いながら

一誠は重そうに腰を上げ、2階へと上がって行った。

程なくして帰ってくると後ろには久々の再会だと言うのに

無表情を顔面に貼りつけた初雪も一緒にいた。



彼女は義明と目を合わせても何も喋ろうとしない。


「義明君、

今後は初雪の身体にも気を使ってあげてくれないか?」


一誠が懇願するように義明へと自分の思いの丈を打ち明ける。



「初雪は中学の頃、

陸上部に所属していたが過度な練習量によって

足を故障してしまってね・・・・・・」


一誠が初雪の内情について語りだす。

自分の失敗した過去を掘り返されて気分が悪いであろう

初雪の方を義明が振り向くと彼女は目を閉じ、

沈黙を貫いていた。



初雪の今の態度が意味する所を義明は掴めずに

話の続きを聞くべく一誠の方に向き直る。


「初雪の足はそれ以来、不自由になった。

日常の生活に支障はないが走るとなると別だ。

この子はずっと頑張り続けた陸上競技を

諦めなければならなくなり後悔の念を感じている。

もうあの時の様な初雪は見たくないんだ。」



「「・・・・・・・・・・・・」」


初雪も義明もお互いに沈黙を貫く。

義明は真剣な眼差しで一誠の言葉に聞き入り、

初雪は相変わらず目を閉じたままだ。



「だから、初雪にこれ以上の無茶はさせないでくれ!」


二回り以上年下の義明に頭を下げる一誠。

それに対して義明は彼の求める言葉を口にする。



「分かりました。

あなたはダニーのクライアントであり、

僕はダニーの手下です。

僕はあなたの命令を遵守する義務がある。

従いますよ。」


義明の妙な言い回しに対して、

疑問を抱きつつもホッと胸をなでおろす一誠。

しかし――――――



「ただ、一言だけ言わせてもらえるのならば・・・・・・」


義明がこれから何を述べるのか皆目見当もつかない

一誠はおそるおそる彼の顔を覗きこむ。

そこには義憤に目を彩った彼の姿があった。



「あなたの言葉の中には初雪さんの気持ちが含まれていない。」


「??

何を言っている?」


義明の言葉の意味が全く理解できない一誠は彼に問いかける。



「では、はっきり言います。

さっきの発言はあなた個人の独りよがりだってことですよ。」


「!?」


義明のこの発言にはさすがの一誠も絶句した。



「初雪さんにお聞きします。

あなたは本当に足が不自由になったことを後悔していますか?」


「何を言っている?

当然だろう、そんなこと聞くまでもない!」


絶句していた一誠も義明のこの問いにはすかさず苦言を呈した。

しかし――――――



「私は初雪さんに聞いている。あなたは黙っていてください。」


――――――義明は有無を言わせず一蹴した。



「私は・・・・・・」


義明に問われた初雪がここへ来て初めて目を開け、

口を開く。



「後悔しているわ、当然でしょ。」


この言葉を聞いて一誠は

ほれ見たことか、と満足そうに微笑んだ。

しかし、義明の表情は相変わらず真剣な眼差しで

初雪を見つめ、まるでその先の言葉があるかのように

沈黙したままだった。

初雪はその期待に応えるかのように

でも・・・・・・、と言葉の先を紡ぎ出す。



「足が不自由になったからじゃないわ。

陸上が続けられなくなったことでもない。

本当の理由は言えないけど・・・・・・」


そこまで言うと初雪は再度目を閉じて

これ以上は喋らない、という姿勢を示した。

一誠もこれには

何だと・・・・・・、と言葉を発したまま口を開き、

唖然とした様子だ。



「一誠さん、

あなたは落ち込む彼女を見ることで

自分が辛い気持ちになるのを嫌っただけだ。」


今まで皮を被っていた義明の敬語が

普段の容赦ない熾烈な口調へと徐々にシフトしていく。



「あなたは彼女の気持ちなんてこれっぽっちも考えちゃいない。

彼女が故障するまで陸上に打ち込んだのは彼女の意志だ。

彼女がぶっ倒れるまで演劇の練習に来たのも彼女の意志だ。

彼女は自分のやりたいようにやっただけであり、

後悔の念なんて出てくるはずがない。

そもそも〝後悔〟なんて言葉を使うのは

〝やった〟時ではなく、〝やれなかった〟時だけだ。

そんな彼女の気持ちにあなたが介在する余地は一切ない。」



二回りも年下の男の子から好き放題言われた

一誠であったが反論の言葉が喉から出てくるはずもなく、

ただただ

今までの自分の行いの中に誤ちがあったのだろうか、と

自分の所業を振り返った。



ぐうの音も出ない程に叩きのめされ、

静まり返った邸内の中で義明は一人立ち上がると、


「明日、初雪さんを迎えに来ます。

学校へ行く準備はさせておいてください。」


それだけ言い残し、誰の見送りもないままに宇都宮邸を後にした。



2013年10月03日



翌日早朝、宇都宮邸で捨て台詞のように言い残した言葉通り、

義明は初雪の迎えに出向いた。

すると門前には既に登校する準備を終えた彼女の姿があった。

義明はそんな初雪の姿を視認すると昨日の一誠との約束を

守るべく彼女の周囲に気を配りながら学園へとエスコートした。



「お前の親父さん、あの後なんか言ってたか?」


学園へ登校する道すがら義明は初雪に問いかけた。



「お父さんが言ったのは一言だけ。

〝あの子の言うとおりだった〟だけよ。」


「そうか。」



「きっとお父さんも義明に言われるまでもなく

自分の誤った行いに気づいていたんだわ。

でも止められなかった。

だからきちんと面と向かって言葉にしてくれた

あなたに感謝していると思う。

落ち込んではいたけど。」



義明は悲しそうに独白する初雪に好きなように喋らせた。

きっと被害者である彼女には不満や怒りといった

個人的な感情が埋もれていると思ったから。

最後に彼女は

ありがとう・・・・・・、と義明に聞こえない程度に呟いた。

それは、話を最後まで聞いてくれたことに対する謝辞なのか

それとも、父親の素行を止めてくれたことに対する感謝なのか

彼女本人以外には預かり知れない所だ。



しかし、最後まで彼女の独白を聞いても

義明は一つだけ解せないことがあった。


「それはそうと、お前なんで学校に来ようとしなかったんだ?

あの親父さんなら俺がやらなかったとしても

簡単に説き伏せることも逃げ出すこともできたはずだ。」



「えっ、

だってお父さんを説得するの骨が折れそうだし、

それに・・・・・・・」


言って、彼女は言葉を詰まらせる。

いや、彼女の厭らしい笑みを浮かべた表情を見る限り、

何かしら義明の嫌がることを言うつもりだろう。

やっと、いつも通りのこいつに戻ったか、と

珍しく他人を思いやりながらホッと一息を入れる義明。

その彼に――――――



「あなたの賭けごとの勝利報酬は確か

〝家にいる時と授業中以外はずっと俺と一緒にいること〟

だったはず。

なら、いっそのこと家から出なければあなたといる

必要なんてないのよ。」


なんてここまで堂々と

〝あなたと一緒にいるのがいや〟と

言われるとさすがの義明も傷つく。



そんな義明の心の内を知ってか初雪は

ますます笑みを顔に貼り付けていく。

そんな彼女の態度が気に入らない義明は

仕返しとばかりに――――――


「ふん、まぁ別にどうでもいいけど。

そのせいで期末テストを今週いきなり受けさせられるのは

自業自得としか言いようがないな。」



義明の言葉の全てを把握できなかった初雪は

学園へ向かっていた歩を止めて首をかしげる。

何のことよ・・・・・・、と。


「お前が休んでたこの二週間の間に俺たちは期末試験期間を

終えているんだよ。

お前は明日行われる追試で全教科六〇点以上取らないと

行けないんだ。

学校の決まり上、追試で点を取れなかった奴の救済措置は

ないから正に〝背水の陣〟って奴だな。」



義明の表情が徐々に初雪寄りになっていく。

それを自覚しながらも彼は止まらなかった。

それより

俺ってSっ気あったんだな、等と場違いなことを

考えていた。



この学園の試験制度は他の学校と比べると

おかしい点がある。

それは〝本試験は三十点以上で合格なのに

追試は六十点に合格ラインが引きあがる点〟だ。



これについては学園校長であるダニエルが

定めた規定であり、

〝本試験で三十点も取れないような馬鹿に

同じ合格基準を設定することが間違っている。

第一、本試験を目指して勉強し、合格ぎりぎりでは

あっても見事突破できた者と

それが出来ずに追試を受ける者の評価が同じです、

では納得できん者もいるだろう?俺は納得できん〟

というのは彼の言葉だ。



要するに

〝本試験を受ける時よりも時間が与えられ、

かつ、問題の出題傾向も分かっているという

良条件ではハードルも自然と高くなるもの〟

ということである。

彼女には自分の置かれている状況がいまいち

把握できていないのか依然として緊張感の

欠片もない様子。



そう・・・・・・、と涼しい顔で受け流し、学園へ

再び歩き出す初雪。

この態度には異常者である義明でさえおかしい

行動に思えたらしい。


「おいおい、状況分かってるのか?

〝半年分の授業内容を明日、明後日で理解しろ〟

って言われてるようなもんだぞ。」



普通は無理だ、と主張する義明。

初雪はそんな彼を流し見ながら


「なんとかするわよ。」


の一言で一蹴した。

その強気な姿勢には何かしらの自信と根拠があるのだろう。

そんなことを考えていた義明の期待を打ち破る出来事が

次の日発生した。



2013年10月04日



金曜日、サラリーマンとしては後一日乗り切るだけで

明日から二日間という短い期間ではあるものの

完全に会社からは隔離された生活を満喫し、

英気を養うことのできる通称〝華金〟と

呼ばれる日を迎えた義明は完全にお休みモード。



今週末は何をして過ごそうか、とお気楽な思考は

朝起きてから終業の鐘が鳴るまで続いた。

今週末はダニエルからの任務だの舞とのデートだの

里緒とのしょうもない悪だくみだのといった予定が

一切入っていない義明にとって高校生活初めて

自由を与えられた休日だ。




せっかくの休日なんだから私の為に使いなさいよ、と

凡人には理解不能な主張を普段から義明にしてくる

舞は土日をフルに使い、一泊二日の家族旅行。

里緒は苦学生である為、バイトに明け暮れ、

ダニエルも業務に追われている。

つまり、今週末は義明にとって誰にも邪魔をされずに

自分の為に全ての時間を使える素晴らしい二日間だ。



この日の義明には目に映る全てのものがバラ色に見えていた

ことだろう。

よし、明日、明後日は部屋に引きこもって

読書、映画鑑賞、ネットサーフィン、etc.を実行しよう、と

普段はできない自堕落な生活をやってやるぞなんてことを

考えつつ、ウキウキしながら放課後を迎えた直後、



「義明、今から職員室まで来い。」


という早乙女女史の無慈悲な声により、

〝華金〟という言葉はとうとう

義明の辞書から消え失せた。



「何故、私がお前を呼び出したか分かるか?」


「僕、何も悪い事はしてませんよ。」


早乙女女史の問いかけに見当違いな即答をする義明。

実はこの男、呼び出される原因に心当たりが

全くなかった為、職員室に向かう時から彼女と

戦う姿勢でいたのだ。



彼女もそのことを理解していたのだろう。

わざとこのように意地の悪い質問をして彼の

様子をうかがい、見るからに楽しんでいた。

彼女が口元を押さえ、笑いをこらえるように

手で口を塞いだ時に義明は自分がからかわれている

のだと自覚した。



「帰ります。」


義明は目の前の駄目教師に短くそう告げると一気に

職員室の扉に向かって歩き出した。


「待ちたまえ。」



それを見た早乙女女史は慌てて彼を制止し、

自身の机の上にテストの答案用紙をばら撒いた。

そこには――――――


0点、5点、3点、7点、9点・・・・・・と

点数一桁のオールスターが雁首を揃えて待ち構えていた。

名前の欄にはしっかり

〝宇都宮初雪〟

と明記されている。



「えっと、一応聞きますけど

これって十点満点のテストですよね?」


「君も先週同じテストを受けてた気がするが・・・・・・」


「はい・・・・・・」



義明の言葉がみるみるしぼんでいく。

この後の展開は目に見えて想像できる。


「それにしても、ここまでびっしりと回答欄を

埋めているのに殆ど外しているのは初めて見たよ。」


「そうですね。」



教師らしからぬ発言をする早乙女女史と

気のない返事を返す義明。

義明はこの後、彼女が発する言葉が本題なのだと

察し、臨戦態勢に入った。



「まぁ、彼女は転校して間もないし、

こう言っては何だが普段から病気がちだ。

授業を満足に受けられる機会も少なかったのだろう。

君が彼女の面倒を見たまえ。」


「丁重にお断りさせて頂きます。」



二つ返事で拒絶する義明。

その義明に早乙女女史は

ほう、と一言。


「君が一番、彼女と親身に接していた

気がしたのだが、気のせいだったか・・・・・・

学外では彼女との間で一悶着も・・・・・・」



「あー、ああぁあああああああ!

分かりました、やります。

やらせて下さい、お願いします!」


気のせいです、と口答えしたが最期。

そのあとの早乙女女史の発言は義明的に

看過できないものだった。



「彼女の身辺上の都合も考えた結果、

特例措置が取られることになった。

来週、彼女の為に追追試があるからそれまでに

彼女を人並みの学力にしたまえ。」


「それは僕じゃなく、先生の仕事では・・・・・・

そういうのを職務怠慢と・・・・・・」



「・・・・・・賭け。」


「あ―、あっぁあああぁあああ!

分かりました、ごめんなさい!

謝りますから許して下さい!」


ぶつくさ言う義明を彼の弱みで以て黙らせる早乙女女史。

彼女を敵に回してはいけないと改めて実感した

瞬間であった。



2013年10月05日



次の日の朝十時。

初雪は義明の住処であるアパートの一室を訪れていた。


「こんな狭い所に住んでいるだなんて・・・・・・」


気の毒ね、と心底憐みを以て発言してくるのは

学力最低辺に生息する宇都宮初雪。



「お前、今日ここに呼ばれた用件を言ってみろ。」


「用件ってあれでしょ?

〝自分の住居は人の住む所ではなく、

獣の住まう場所なんです〟

って伝える為・・・・・・」



「ちっがああぁああああああああう!

あやまれぇぇええええええ!

今すぐこのアパートの住人に謝ってこい!」


義明の威嚇にも全く動じることがないお嬢様。

ここまで手強いとは、と義明が早くも

この状況に辟易し始めた頃。



「ねぇ、いつまで漫才やるつもりなの?

勉強しに来たんじゃないの?

勉強しないんだったら帰るわよ、私。」


――――――と横になりながら肩肘をつき、

煎餅をバリバリ食べながら傍観に徹していた

舞が茶々を入れてきた。



「なんで、舞が俺の部屋に、我が物顔で

いらっしゃるの?

今日は家族旅行ではなかったの?」



「はあ?

馬鹿ね、私があんたとそこの女を二人きり

にするわけないじゃない。

旅行なら断ったわよ。

むしろ、私が行かないって言ったら

〝舞が行かないなら俺も行かん〟って

パパの発言で家族旅行自体なくなったわ!」



今の発言のどこにそんな胸を張れる要素が

あったのだろう、

彼女は今まで横になっていた身体を起こし、

両手を腰に当てふんぞり返っている。

そんな舞とは対照的に

あ、やばい。重人師範に殺される、と義明は

舞の一言で自らの死期を悟り、顔を曇らせた。



「茶番はそれくらいにして勉強を教えるなら

さっさと教えて頂戴。

私だって暇ではないのよ。」


「この元凶が~~~~!

お前は黙ってろ!」



彼女ら二人のボケの応酬に義明もツッコミきれなく

なって来た頃、ようやく本題である試験勉強に

入ることが出来てホッと胸をなでおろす義明。


「ところで・・・・・・」


この能天気な世間知らずの女がいなければの話だが――――――



「あんた、最近やたら男子学生から呼び出されてる

みたいだけど、何?告られてるの?」


この女の宇都宮に対する敵対心はどうにかならんものか、と

元凶は場違いにも溜息を洩らす。

舞が自分に突っかかってくるのに慣れてきた初雪は

そんな元凶の様子を横目で睨んだ。

あなたのせいなのだけれど、とでも言いたげに。



「そうね、あれが告白と言うのなら

一日に最低でも三人からされてるわ。」


「三人・・・・・・!」


自分の武勇伝を初雪に聞かせて優位性を

確保する予定だったのだろう舞はその予想外の

返答に絶句した。



「私の前で間抜け面は止めて頂戴。

不愉快だわ。」


「ふ、ふん!

何よ、それで結局一人でいることを選ぶんなら

告白された数なんて無意味だわ。」



自分から話を振っておいてなんだろう、

この自由人は、と義明が一人感じたことを心の中で述べてみる。



「これだから恋愛脳は手に負えないのよ。

恋愛さえやってれば人生バラ色だなんて

価値観が昭和ね。」


「な、何よ~~~~!」


呆れたように溜息をつく初雪と

ワナワナと怒りに震えるものの何も言い返せない

恋愛至上主義女。



「だいたい、あの男のどこが良いの?

素行に問題あり、

周りの友達の少なさと

その数少ない友達の異常性、

重度の変態、

歪な趣味嗜好・・・・・・」


「もう、止めてぇえええ!

俺のライフはとっくにゼロよ!」



初雪と舞の言い合いの犠牲になった義明は

何故、俺がお前らの口喧嘩の標的にされなくちゃ

いけないんだ、と断末魔の如き雄叫びを上げた。


「確かに義明は不良品だし、

変態だから周囲の人間も寄り付かないけど・・・・・・」



「お前、やっぱり俺の事嫌いなんだろう?

そうなんだろう!?」


標的にされた義明はこれ以上ない程に

打ちのめされ、



「お前らの事はもう知らん!

勝手にやってろ!

俺は二度寝に入る、絶対起こすなよ!」


勉強なら舞が面倒を見ろ、と自暴自棄になった

義明が襖越しの寝室へと移動した。



「何、あれが芸人特有の〝フリ〟っていう

奴かしら?」


「言われなくてもこっちは最初からそのつもりよ、

あんたが他人に勉強を教えるなんてできっこないじゃない。」


義明が消えた襖の向こうに呼びかけるように

彼女達は各々好き勝手に彼のことを口にした。



「あら、本当に勉強を教えてくれるの?

優しいのね。」


「私が優しいのなんて当たり前じゃない。

私は慈悲の心を以て下々の民に愛を振りまく

学園のアイドルなのよ!」



「ちなみにあなたの学力がどの程度あるのか

教えてもらえるかしら?

人に教鞭を振るう程度の頭は持っているのよね。」


得意げになる舞を叩き落とさんと容赦のない

質問をする初雪であったが――――――



「学年での成績はいつも五位以内よ。」


「ゴ・・・・・・!」


予想外の答えが飛びだし絶句する舞。



「じゃ、じゃあもしかして彼も・・・・・・」


おそるおそる問う初雪。

彼とは義明のことであろう。

それを聞いた舞は鼻を鳴らしながら――――――


「当然じゃない!

私が自分より下の男を彼氏にするわけないでしょ!」



――――――と声高らかに初雪へ止めを刺した。


「ちなみに里緒は毎回学年一位よ。」


グサグサっと初雪に畳みかける舞。

まさか、自分の周りにいるキチガイ集団がそんな

高スペックだったとは露ほども思わなかった初雪。

彼女は見るからに瀕死だった。

肉体ではなく精神がやられて。

この人たちは私と同類だと思っていたのに、と

自分勝手な理想が破られて。

そのあとの初雪は生涯お目にかかれない程、

舞の言うことに従順した。



時刻は正午を回り、勉強を開始してから

二時間が経過した。


「何で、こんなことも覚えられないのよ!」


舞の怒声が部屋中に響く。



「怒鳴らないで頂戴。

そんなことを言われても理解できないものは

理解できないのだから仕方ないでしょう。」


「こっちは仕方ないじゃ済まされないんですけど!」


舞のキ―キ―声に両耳を手で塞ぎながら会話する初雪。

舞は何か打開策はないものかと考えたが良い案も浮かばず。



「仕方ない、難易度を中学レベルまで下げましょう。」


溜息と共に最後の手段を取ったのだった。


「ねぇ、お昼を回ってるのだけどご飯は・・・・・・」


「ないわよ!」



「それは駄目よ。

糖分を摂取しないと午後から頭が

回らなくなるわ。」


その発言にはさすがの舞も頭を抱えた。

それは最低限の学力を持ってから言ってほしいわ、と。

普段は義明の悩みの種である彼女が頭を抱えるという

珍しい光景が彼の部屋で繰り広げられた。

舞が食事係として台所に立たされるというお墨付きで。



「何よ、あなた。

料理もできるの?」


食卓に並べられた色彩豊かな和風の料理。

相当に手が込んでいる、と普段厨房に立つことがない

初雪でも分かった。



「まぁね、女の嗜みよ。」


ふふん、と得意げになる舞。

その様子を見ても今回ばかりは初雪も

彼女に頭が上がらない様子。



「ねぇ、一つ聞いていい?」


いただきます、という言葉と共に食事を始めた

初雪は舞へ何気ない質問をする。



「あなた、さっき

〝あんたが他人に勉強を教えるなんてできっこないじゃない〟

って義明君に言っていたけれど

彼、あなたよりも学力上なんでしょう?

どういう意味だったのかしら?」


その質問に舞は食事の手を止め――――――



「一概にも学力があるから人にものを教えるのも

上手ってわけじゃないのよ。」


「へぇ・・・・・・」


そういうもの?、と今まで人に何か教えるという

経験をしたことがない初雪は少しばかり納得できずにいた。



「あいつは勉強なんてやったことがないから。

出来ない奴の気持ちなんて分かんないのよ。

だから人に合わせてレベルを下げて教えるなんて

行為は無理なの。」


酷い言い様ではあるが、初雪は

なるほど、と納得した様子。



「勉強したことがないのにあなたよりも

学年順に上だなんて彼、凄いのね。

少しだけ、あなたが彼に惚れた理由が分かったわ」


「あんた、全然分かってないわよ」


「・・・・・・えっ?」


食事を再開しようとした舞の手が止まる。

そんな舞の様子に戸惑う初雪。


「あたしがあいつに惚れたのは単に

私と言う人間性をあいつに初めて見抜かれたからで

それ以外は全部後付けよ!!!」


「・・・・・・・・・・・・」


恥ずかしそうに全部言ってのける舞。

そんな彼女の発言に初雪は思考する。

つまりは彼のおかげで今の彼女の人格が

形成されたということかしら、と。


「あなた達って思っていたよりも凄いのね」


思いがけない初雪の一言。

それに動揺した舞は。


「・・・・・・そんなに尊敬したいなら

私のことは舞姫様って呼んでも良いのよ!」


やはり、とんでもない事を言い出した。


「まい・・・・・・ひめ・・・・・・さま・・・・・・?」


「そうよ、みんなに推奨してるんだけど未だに誰も

呼んでくれないのよね!」


得意げに語る舞に何やら嫌な笑みを浮かべる初雪。


「分かったわ、今度からあなたのことは

頓馬胃姫様って呼んであげる」


「トン・・・・・・?

ねぇ、私の考えすぎなら嬉しいんだけど今

漢字変換間違えてなかった?」


「心配する必要はないわ、それは貴方の考えすぎよ、

頓馬胃姫様」


そ、そっか、と形はどうあれ初めて名前を呼ばれて動揺する舞。

彼女達はその後、無言で昼食を済ませると勉強の続きを再開した。



「お疲れ様―!

ちゃんとやってるー?」


のこのこと義明のアパートを訪れたのは

バイト帰りの里緒だった。

律儀にも手土産をぶら下げている。



「あー・・・・・・

やってるわよー・・・・・・」


気のない返事、身体の底から体力を奪われた舞が

里緒に返事をする。

時刻は午後の七時過ぎ。

昼食の時間を抜いても優に八時間は勉強をして

いたことになる。



心身ともに疲弊するのも無理はない。

そんな舞を見て里緒が思わず、

うわぁ、と声を漏らす。


「順調なの?」



「一応ね。」


勉強の経過を心配する里緒に短く答える舞。

舞は昼からどの程度まで遡るべきか初雪の学力を

調べる為に中学の内容をおさらいした。

その結果、基礎はできるが、応用はとことん無理だと

判明した。



そしてそのレベルに合わせた勉強を開始したのだが、

これが当たりだったらしい。

初雪は舞の教える内容をみるみる習得していったのだ。

結局、これが時間はかかるものの堅実で

確実な勉強方法であり、

八時間という短い勉強時間の中で高校の

基礎までは叩きこむことが出来た。



真性の馬鹿って言う訳じゃなかったのね、と

舞がホッと一息つく。

実は彼女、義明から初雪の試験内容を聞かされており、

最初から半ば諦めの姿勢だったのだ。


「あれ、義明はー?」



その声が発せられたと同時に奥の襖が開く。


「里緒ぉぉおおおお!

俺の精神安定剤~~~!」


義明はいつ起きたものやら精神安定剤なる者の

居場所を特定するとボールに向かうラグビー選手

真っ青の速度で彼目掛けて体当たりした。



その衝撃に多少、後ずさりながらもしっかりと

受け止め、よしよし、と義明の頭を撫でる里緒。


「あ、悪魔が・・・・・・

人の形をした悪魔が今日ずっと、俺の居場所を

奪ってたんだよ~~~~!」


「そう、それは大変だったね・・・・・・」



義明越しに見る舞は肩をわなわなと震わせている。


「あぁ、やっぱり、里緒が一番

俺の周囲で女らしい。」


そんな事情を知らない義明が止めの一言を口にする。



「ブ――――――ッ!

今ひどいこと言った!

聞き逃さなかったわよ、あんたの暴言。

上等じゃない、このクソダメンズ。」


えっ、ダメンズって僕も入るの?、と小声で異議を

唱える男の娘。

そんな声、もちろん彼女の耳に届くはずもなく

今まさに鉄拳が――――――



「頓馬胃姫様、指示された所まで

解き終わりました。」


――――――初雪の言葉によって振りおろされずに

済んだ。

どうやら、彼女近くで起きていた喧騒などお構いなしに

勉学に励んでいたらしい。

そして彼女がたった今、放った〝頓馬胃姫様〟発言には

当然の如くスル―。

何よりも突っ込んだ後が目に見えて怖いからである。



初雪の言葉が耳に届いた赤い髪の悪魔は

猛る怒りを鎮め、彼女の下へと戻った。


「それじゃあ、今日は夜も遅いし、

ここまでにしましょうか。

明日も今日と同じ時間にここに集合ね。」



はい、と気持ちのいい返事。

一体、彼女達の身に何が起きたのだろう、と

朝方までの彼女達しか知らない義明は現在の

師弟関係に勝るとも劣らない二人のやり取りを

間近に見て不思議に思ったが、それ以上に

気になったのが――――――



「あの、僕のアパートを使うんですよね。

僕に拒否権ってないんでしょうか?」


「「・・・・・・・・・・・・」」


義明の問いには答えず、無言で睨む悪魔二人。



「ですよね――――――。」


この時を以て義明の貴重な休日はまたしても

消えることが確定し、彼には泣き寝入りするしか

選択肢が閉ざされた。

後日、舞の頑張りもあって初雪は見事、

追追試にて全教科一〇〇点という異業を

達成したのであった。



2013年10月13日



初雪が久々に登校してきてからというもの

時間は矢のように過ぎ去り、月日は早くも一〇月中旬。

体育祭当日。

天候は今日と言う日を歓迎するかのように

一点の曇りもない青空が広がるまさに体育祭日和だ。

学生たちは現在既にグラウンドに整列し、

体育祭の開会式が進行されていた。



「えー、本日は我が校記念すべき第二回加木穴工学園

体育祭を迎えることが出来、大変うれしく思う。

運動部所属の者は日頃の成果を存分に発揮してくれ。」


難しい日本語を次から次へと紡いでいくアメリカ国籍の

ダニエル校長の有難い挨拶が終わり、

開会式が無事終了したのも束の間、

義明は舞や里緒、初雪の声援を受けながら

一〇〇m走の準備へと向かった。



この学園は創立2年目ということもあって

最上級生が義明達二年生という状況だ。

故に体育祭をこれから盛り上げるためにも最初に

花形競技であるクラス対抗一〇〇m走が

プログラムとして組み込まれた。



「ぐふっ、義明君。

今日は負けないからね!

ぐふふふふふふふふ。」


気持ち悪い笑みを浮かべながら

義明の眼前に原本が現れた。



「お前も一〇〇m走に出るのか?」


義明が鬱陶しそうな表情を露骨に

顔に出しながら原本へ質問した。



「その通りさ、

なんたって僕は今回、

君の出る競技全てに参加するからね!」


こいつ案外根に持つタイプなのか、と義明は

内心でこのストーカー気質なオタクを罵ったが、

いや、見た目通りか、なんて酷い結論を出した。



「去年とは一味違うってことを見せてあげるさ!」


原本はそう言いながら右手の一指し指を義明に向け、

左腕は腰に当てるという決めポーズを披露したのだが

恥ずかしかったのだろう、義明の反応を窺うことなく

スタートポジションへ移動した。



「それでは、選手の方は位置について・・・・・・」


スターターの合図とともに各クラスの代表が位置に着いた。

選手達の間に緊張が走る。



「よーい・・・・・・」


ドンッと言い終えるが早いかスターターはピストルを

天に目掛けて打ち鳴らした。

義明達はその銃声と共に走り出す。

義明は見事なスタートダッシュを決め、悠々と1位に躍り出た。



アナウンスで現在の走者の順位を公表している

みたいだったが義明の耳にはノイズにしか聞こえない。

彼は更にぐんぐんと加速していった。

人型をしたチ―タ―ならこのような走りをするであろうと

思われるほどの完璧な走り。

義明も一〇〇m走を見守る観客も1位という順位は

揺るがないと思っていた。



「その慢心が命取りになるんだよ!」


突如、後ろからはっきりとした声が義明の耳に響いてくる。

義明が後ろを振り向くとそこにはみるみる距離を縮めてくる

原本の姿があった。



(あの巨体でなんつう走りだ!)


義明が人型のチーターならば義明の2回り以上の

肉体を持つあれはもはや生物に非ず。

鼻息荒く過度な重量で以て真っ直ぐ

突進してくるあれは機関車だ。

義明の心に焦りが生じる。



今まで運動関連で無敗を貫いてきた義明だからこそ感じる動揺。

一〇〇m走も残すは直線のみ。

ここで負けるわけにはいかないと義明が更に足に力を入れる。

しかし、原本の速度は緩まない。

義明と原本の差は段々縮まり、とうとう両者ともに並んでしまった。

義明の耳に自分を応援する声援が聞こえてくる。



ここで負けるわけにはいかない、と最後の力を振り絞り、

両者とも白い砂地の上を全力疾走する。

ゴールテープが目前に迫っても両者は並んだまま。

どちらが先にゴールするか分からない状況の中で

義明は上半身を前に突き出し、トルソーの姿勢を取った。

ゴールテープが切られ、義明は勝利を確信した。

しかし――――――



「一着・・・・・・A組!二着にE組!」


A組サイドの応援席から歓声が響いてくる。

審判は三着、四着と次々にゴールしていく

クラス名を呼び挙げていった。



全クラスがゴールし、一〇〇m走が終了した中、

義明は何故自分が一着じゃないのか理解できず

審判である早乙女女史を流し見た。

早乙女女史は自分の方に視線を向ける義明に気づき、

無言で切られたゴールテープのその先を親指で指す。

早乙女女史が差す方向へ義明が目を向けると

そこには倒れたまま動かない原本の姿があった。



「奴はゴールテープが目前に迫った状態で

前方へジャンプしたんだ。」


「!」


早乙女女史の言葉にさすがの義明も驚いた。



「おそらく、お前が油断しきっている

最初の競技に全てを掛けたんだろうな。」


早乙女女史は微笑ましそうにそれだけ言うと

一〇〇m走者へ撤退を言い渡した。



「・・・・・・」


義明は無言で原本の前まで行くと

倒れこんでる原本の腕を掴み立たせた。



「ナイスファイト。」


原本が満身創痍の様子で義明に焦点を合わせた時、

短い言葉で原本の頑張りを称えた。



「へへ、君の無敗伝説に泥を塗ってやったぞ。」


「次の競技で倍にして返してやるから安心しろ。」


軽口を叩く原本に軽口で返す義明。



「勘弁してよ、もう今日は動けないよ。」


「肩を貸せ。」


満足に動くことが出来ない原本を見兼ねた義明が

彼と肩を組みながらトラックの外へ移動した。



「義~明~君~!」


「気持ち悪いな、鼻水を垂らすなよ!」


義明に泣きつく原本へ苦悶の声を漏らす。



「だって、だって・・・・・・

同級生に触れたの初めてだったんだもん!」


「・・・・・・」


最後まで締まらない原本に残念な気持ちになった義明であった。

ここにお互いをライバルと呼ぶにふさわしい二人が

誕生したのだが義明が原本をライバルと認識したのは

今日この日だけであった。



昼休憩に入り、義明は舞、初雪、里緒そして

舞の父親である重人と共に簡易テントの中で

昼食を摂っていた。


「義明、てめぇあの様は何だ!

腕が訛ってるんじゃねぇのか?」



体育祭の出し物を酒の肴にしながら真昼間から

酒盛りをしている重人が義明へ渇を入れた。


「いや、あの原本って奴かなり速かったよ。」



何か言いたいなら俺に渇を入れるよりも

原本を称えるべき、と言外に伝える義明に対して

お前がそこまでいう奴なのか、と重人の興味は

原本に移った。

重人が考え込むように黙り込んだ所で

――――――おそらく原本を自分の門下生にしようと

たくらんでいるのであろう――――――

義明は相ノ木家が用意してくれた弁当に手を伸ばした。



各人それぞれに弁当を持ってきてはいたものの

重人がみんなとの昼食用にと重箱の弁当を持ってきていた為、

5人は重箱の中身を突っつき合いながら楽しい食事と

おしゃべりの時間を過ごした。



「そういえば、初雪の親父さんは今日来てないのか?」


義明がふっと思いついた素朴な疑問を投げかけた。



「父は仕事よ。

それに私は競技に出られないから

来てもあまり意味はないわ。」


なるほど・・・・・・、一理ある、と義明は小さく相槌を打った。

それを横で盗み聞きしていた重人が

親と言うものはなー、子供の成長した姿と

学校での様子を見る為にー、と酔っ払い口調で

御高説を垂れ始めたが四人とも当然のようにスル―。



「それを言うならあなた達はどうなの?

義明君も里緒君も両親が応援に来てないみたいだけど・・・・・・」


「俺たちは孤児だよ。

親からはとっくの昔に勘当を喰らった身だ。」


初雪の問いに対して義明が素っ気なく

自分達の近況について口にする。



「あら、ごめんなさい。

私ったら余計なことを・・・・・・」


口にしたわね、と言いかけた所で義明が首を横に振った。



「誰も気にしちゃいないさ。

それよりもお前が勝手に喋って勝手に落ち込む方が

俺たちにとっては気分が悪い。」


「義明と里緒ってこの年でもう独り暮らしをしてるのよ!」


初雪が失言だったと黙り込んでしまい、

場の空気が悪くなりかけた所で舞が助け船を出した。

舞はこういう所で気のきく本当に優しい女の子だった。



「えっ!?

家事を全部一人でやっていたの?

驚きだわ。」


「お前、俺の家に来た癖に気づかなかったのか?」


お前、この子を自分の家に上げたのか?

舞というものがありながら・・・・・・

いや、お前にはまだ、舞はやれんぞ!、と重人が

面倒な茶々を入れてきたが当然のようにスル―。



重人は昼食中、最後まで横やりを入れ続けたが、

一切、構ってもらえず、〝の〟の字を地面に

書き始めた。

結論、子供でも酔っ払いの相手は面倒くさいと

本能で分かっているらしい。



「順調に事は運んでいるか、DAB?」


「ええ、順調よ。

子どもたちは今にも彼女に襲い掛かりそうで

宥めるのに必死だけど・・・・・・

あなた一体、彼らに何を吹き込んだの?」



加木穴工学園、体育祭昼の部がスタートするぞ、と

皆がぞろぞろ移動し始めている頃、

校舎の陰で何やら不穏なやり取りが行われていた。

二人でやり取りしているように思えるが

現場には女の影が一つしか見当たらない。

どうやら電話で会話をしているらしい。



「何、大したことはしてないさ。

それよりもこの作戦は君の指揮系統に掛かっているんだ。

必ず成功させてくれよ、

これが失敗すれば君の今の地位も危ういものになる・・・・・・」


「分かってるわ、必ず成功させてみせる。」



女の強気な発言に多少なりとも安堵したのか

電話越しの男は

ふっ、と小さく息を漏らし――――――


「頼んだぞ、人手ならいくらでも貸してやる。

必要なら連絡してきてくれ。」



それだけを言い残し、

男はこれ以上話すことは何もないとでも

言うように電話を一方的に切った。

女は無音になった携帯を耳から離し、

静かにその場から立ち去った。



昼休憩も終わり、

生徒たちが各担当場所、

及び担当する競技種目の位置に着き、

義明、里緒、舞が昼一の競技種目

――――――一年のクラス対抗騎馬戦――――――

の次競技であるクラス対抗リレ―に向けて

応援席からトラックへと移動を始めた頃、

初雪は保健係としての仕事を全うしていた。



現在、とある簡易テントでは

カンカンに照りつける熱日にやられた生徒達が

救護班の手当てを受けていた。


「宇都宮、

アイシングスプレーをあるだけ

保健室から持ってきてくれ。」



早乙女女史が目の前で横になり、

低くうめき声をあげている男子学生から

目を離さずに初雪へと呼びかけた。

それに対して初雪は

分かりました、とだけ答えると保健室へ向かった。



初雪が校舎に足を踏み入れた時、

外から大歓声が響いてきた。

観客の声援、

拍手の嵐をノイズのように捉えながら初雪は目を閉じる。


もしあの時、無茶をしなければきっとあそこに

立っていたのは私のはずなのに・・・・・・、と

自嘲的な考えに苛まれながらも初雪は義明の言葉を思い出す。

〝やって後悔することなんか一つもない〟

彼の発言は極端だが間違ってはいないと初雪は考える。



なぜなら初雪はどうしたって

〝やらなかった時〟のことを考えてしまうのだ。

もしもあの時ここまで頑張らずに途中で投げ出していたら、

きっと今以上に後悔していたと初雪は心の中で何度も呟いた。

そうこうしているうちにいつの間にか保健室へと辿り着き、

取っ手に手を掛けドアノブを回す。



ドアを開けるとそこには人体模型、体重計、

白いシーツに覆われたベッド、

至る薬品が置かれた棚と何の面白味もない

至って普通の保健室があった。



初雪はきょろきょろと辺りを見回すと

真っ先に様々な種類の薬品が置かれた棚へと向かい、

一番上に置かれた段ボールへと手を伸ばしたその瞬間、

慌ただしい喧騒と共に体操着を身に纏った男子学生達が

次々に正面のドア、窓、ロッカー、排気口・・・

ありとあらゆるスペースから侵入してきた。



「あっ・・・・・・

あ・・・・・・」


そんな異様な光景を目前にして初雪は助けを

請う為の声すら出せない。

あまりの恐怖に足がすくみ、膝が諤々と震え、

立っていられない。



「おまえが・・・・・・ワルいんだ・・・・・・

おまえが、おれたちをキョゼツしたから・・・・・・

だからシカタナイ。

これはおまえがまねいたことであっておれたちは

ナニもわるくない!」


しかたない、わるくない、と叫びながら

男子学生全員が一斉に初雪の方へと駆けだした。



初雪はその光景を怯えるばかりで

ただただ黙って眺めていた。

男達が一歩また一歩と初雪に近づく。


「義明君!」


男達の手が義明君、と叫びながら怯える初雪に触れる――――――



その前に何者かがそれを阻んだ。


「!?」


男達は身の危険を感じたのか一斉に

初雪から離れるように後方へ跳び下がった。



しかし、初雪に触れる寸前だった者は頭を地面に伏していた。


「ったく、真昼間から胸糞悪い事してんじゃねぇよ。」


男子学生一人を瞬殺した張本人は気だるそうに

頭をボリボリ掻きながら初雪を庇うように男達の前に出た。



「あ・・・・・・、あ―?」


男子学生の集団は素姓の分からぬ敵に対して

ひどく、怯えている様子だった。

殆どの男子学生が身体をプルプルと震わせている。

まるで目の前の男との力量差を理解してしまったかのように。



「ようするにあれか、おまえらこの譲ちゃんに

振られたから腹いせがしたかったんだな。

OK、よおぉく、分かった。

おまえらの腐りきった根性はこの俺が叩きのめす。」


通りすがりの酔っ払いはそう口にした。



重人は退屈していた。

自分の今いる観客席には話相手になってくれるような

御仁は一人もおらず。

ましてや愛娘が顔を見せにくる暇など皆無。

故に一人酒を楽しみながら娘とその友達の

頑張る姿を酒の肴にしていたのだが、

しかし――――――



舞の友達である義明が今日、

俺に何やら頼みごとをしていたな、と

〝舞の友達〟という部分を強調しながらもふっと

彼との約束を思い出した重人は辺りをキョロキョロ見渡した。

するといたいけな少女が何やら物騒な雰囲気を

醸し出す男連中数人を引き連れて校舎に入っていくのが見えた。



おっと、あぶねぇ、あぶねぇ、と

重人は重い腰を上げてゆらりゆらりと

千鳥足のまま校舎を目指した。



「・・・・・・」


男子学生は見るからに正気を失っている。

口を開けば片言しか発せず、

涎を垂らし、

そして何より瞳孔が異常だった。



しかし、理性はまだ多少なりとも残っているらしい。

彼らはじっと動かずに隙あらばの姿勢を保っていた。

しかし、当の重人はそんなことを気にかけるはずもなく、


「義明の言っていた通りだったな。」


意味深な発言を呟いた。



「さて、お前ら・・・・・・少しお灸を据えてやるから・・・・・・

さっさとかかってこい。」


こっちは早く帰って愛娘の晴れ姿を見たいんだよ、と重人は

小さな声で呟きながら彼らに対面して構えを取った。



「!」


行っては殺される、しかし、行かなくても殺される。

八方塞がりのこの状況の中で彼らは特攻の態勢を取った。

これが正しいのか間違っているのか彼らには判断がつかなかったが

何もできずに終わるよりはマシらしい。

重人目掛けて男子学生全員が駆けだした。

しかし――――――



重人は動揺したその隙を見逃さず、

わずか一歩で学生集団との距離をゼロにした。

彼らがその光景に目を見開きながら硬直する。

重人の手が彼らの目前に迫る。

重人の目の前にいた人物は今や大の字で宙を舞っていた。

重人以外何が起きているのか正確に判断できている者は

この場におらず。



漫画やアニメでなら見たことがある光景、

むしろ慣れ親しんだ光景がいざ現実で実際に、

目の前で起きる時、人は思考することが不可能になる。

重人によって宙に舞ったの学生はこれでもかという程、

遊覧飛行を楽しみ、その終点が壁であったのは不運だが

そこに強打した後、頭から地面に倒れ込んだ。



「かよわい少女一人を大の男が大人数で囲んでたんだ。

てめぇら、三途の川ぐらい視る覚悟をしておけよ。」


「ああぁあああああああ!」


圧倒的捕食者を目前にして為すすべのない

被食者である学生集団は奇声を上げることしかできない。



しかし、それでもなお正気を失っている彼らに

残された道は初雪のみであり、

彼女目掛けて疾走した。



「その執着心には恐れ入るがな。」


重人は再び一歩で初雪に駆け寄った敵の懐に飛び込んだ。

その姿に敵は再度驚きを隠せない。

何故、こんなにも早く動けるのだ、と――――――

この男、人間ではない、と――――――



そんな驚愕を露わにする学生たち

目掛けて重人は各々に一発ずつボディブローを

ぶち込むと倒れ込む瞬間を狙って文字通り一蹴した。

敵は痛みさえ感じない間に気を失った。

以て危機は潜り抜けた。



重人は不完全燃焼な――――――

まだ暴れたりない、不満そうな様相を浮かべている。


「あ、ありがとうございました。」


先に口を開いたのは初雪だった。



おそらく今回の事件の中心人物でありながら

最もこの状況を理解してない彼女は未だに

第三者の感覚なのだろう。

目の前で何が繰り広げられていたのかも

全く理解できていない様子だ。

しかし、それ故に精神的な問題もなさそうである。



「いや、気にしなさんな。

それよりもお譲ちゃんに怪我とか

何もなくておじさんほっとしちゃったよ。」


重人は不満げな様相を取り止め、

義明達に聞かれたら頭でも打ったかと言われかねない

レベルの優しすぎる声を初雪に掛けた後、

ポンッと彼女の頭の上に大きな掌を乗せた。



「けどな、男ってのは譲ちゃんが考える以上に

ナイーブな生き物だ。

振るのは構わんがなるべく言葉は選んでくれ。」


罪作りなお嬢さん、と彼女の頭をポンポン叩く。

初雪は珍しい事に大人しくその行動を黙認していたが

先ほどの乱戦の音に引き寄せられた大多数の足音が

聞こえてきた為、重人はその手を離した。



保健室に駆け付けた足音の正体は教師陣や警備員、

更には野次馬気分の学生たちであった。

教師陣と警備員は保健室内に倒れている男子学生の

集団を視認すると、唖然とした様子。

生徒たちは前方にいる教師や警備員の背中の

隙間を縫って覗き見しながらワイワイ騒いでる中――――――



「現状について事情をお聞かせ願いたい。

付き合って頂けますか?」


煙草をふかせながら呟いた早乙女女史の一言が

停滞した状況を動かした。



「大丈夫ですよ。大丈夫なのですが・・・・・・」


そう言いつつ、周りを見渡す重人の目には

この場にいてもあまり必要性を感じない

人、人、人が写っていた。



「ほら、野次馬気分でここにいる者はとっとと失せなさい。

教師、警備員の方もここは私にお任せ下さい。」


その鶴の一言で散り散りになっていく子どもと大人達。

早乙女女史と事件の中心人物である二人を残して

この場に立っている者は誰もいないことを確認した

彼女は重人を別室へと誘った。



「しかし・・・・・・」


初雪がここに取り残される状況は作りたくない、とでも

言うように重人は一歩も動かない。

その様子にフッと微笑した早乙女女史は――――――



「安心してください。

いつもちょっと遅れてやってくる

正義の味方が宇都宮を守ってくれますから。」


と言い残して保健室から出て行ってしまった。



その言葉の真意に気付いた重人も笑いながら

それなら安心だ、とでも吠えたてて

闊歩しながら保健室を後にした。

取り残された初雪は早乙女女史の発言の

意図が全く分からず右往左往するハメになった。



どういうことなの?怖いんだけど・・・・・・、と

初雪の下に転がる無数の残骸達。

これがいつ起きあがってくるのか分からない

恐怖に怯えながら初雪は一歩も動けずにいた。

不安と焦燥に駆られ初雪の目尻に涙が浮かびだした時、

その頃合いを見計らったかのように義明が中へ入って来た。



「なっ・・・・・・」


初雪は声が上手く出せない。

汗と泥にまみれた義明の姿、今もなお、

息を切れ切れに身体が絶えず上下している。

これが何といった感情なのか初雪は理解できずにいたが

何かしらの感情が爆発しそうなことは理解できた。



「なんであなたがここにいるの・・・・・・?」


今にも口を裂いて出て来そうな膨大な気持ちを

グッと飲み込みながら初雪は振り絞り気味に呟く。



「なんでって・・・・・・

俺がお前のボディガードだから。」


さらっと口にしたその一言に初雪は怒りの一端を見せる。



「なら、もっと早く来なさい。

ヒーロー気取りなのかもしれないけど、

遅れてやってくるのが許されるのは画面の中だけ。

現実は違うわよ、役立たずさん。」


「お、おう・・・・・・」


蛇口を捻ると溢れだしてくる水のように止めどない

初雪の暴言にさすがの義明もぐうの音すら出ない。



「それで、体育祭の方はどうなったの?」


少しの動揺も見せない初雪に

さすがだな、と先ほどまでの彼女の

様子を知らない義明は思う。



「優勝したよ。」


「そう。」


「お前のことは気にかけていたつもりだったが、

まだ不十分だったようだ。本当にすまん。」


何の感情も視えない初雪の口調に

義明は今の自分の素直な気持ちを口にした。



「もういいわ、終わったことだし。

私はこの通り無事なのだから、

けれどこれからは頑張ってね。」


初雪の温かい言葉に多少救われた義明であったが

そんな優しい初雪を守ることが出来なかった

自分の未熟さにより一層苛まれた。



自分の情けなさに押しつぶされそうになる義明と

これからの事を考えると不安でいっぱいな初雪。

二人が黙って立ち尽くしている所に先ほど保健室から

出ていった重人と早乙女女史が姿を見せた。



「義明、てめぇこんなことになるなんて聞いてねぇぞ!

それにお前はこの子以前に舞のヒーローだろうが!

何駆けつけて来てんだよ!」


「!?」


重人がじゃれるように義明に絡みついてくる。



「はいはい、御二人さん。

やるなら外でやって下さいね。

それでは私はこいつらを片づけますから

もう少しここに残ります。

相ノ木さん、ご協力のほどありがとうございました。

お二人を連れてグラウンドの方へお戻りください。」



早乙女女史に促されて義明達御一行は外に出た。

グラウンドではE組総出で優勝の喜びを

共有するかのように暴れている。

義明はこれからピラニアの棲む池に飛び込め、とでも

言われたかのように長い溜息をしながら

重い足取りでその渦中へと向かった。

こうして波乱あり、涙ありの体育祭は

一応無事に幕を閉じた。



「作戦は失敗したか――――――」


「ええ」


不穏な陰に包まれながら学園から離れた廃墟ビル内で

電話越しに胡散臭いやり取りが繰り広げられている。



「まぁいい。

最悪の事態は避けられた。

ならばチャンスはまた必ず訪れる。

その時まで牙を研いでおけよ。」


男のドスの効いた低い声を最後に携帯からは

ツーツー音のみが発せられた。



今この場に立ち尽くしている女は今後の厄介な敵の事を

考えながら思わず溜息を吐く。


あの男の存在はマークしていなかった。

それは私のミスだ。次は絶対に決めて見せる、と

そう心に硬く誓いながら女は闇の中へと姿を消した。



「今日の真の敵さんについて何か分かったか?」


義明が語りかけるは雇い主であり、加木穴工学園の

校長でもあるダニエル・オースティン、その人だ。

義明もダニエルも今回の事件について

〝正気を失っていた男子学生独断の犯行〟

等とは露ほどにも思っておらず、黒幕が必ずいると

睨んでいた。



「全くだ。

今回の件は結局、学生同士のいざこざだからな。

素姓を探るのに警察の手を借りることはできねぇし。

もう少し時間がかかりそうだ。」


クソッと舌打ちをしながらステーキ肉にかぶりつく

ダニエルの言葉に一抹の不安を抱えながら

義明も食事を進めた。

二人は今、シックに彩られた個室で

家族水入らずのディナーを楽しんでいた。

会話の内容自体はやたら物騒なものではあるのだが。



「おそらく次も来るぞ、気をつけろよ。

早ければ・・・・・・」


そこでダニエルは義明を見据える。

まるでこの先の発言を促すかのように。



「一ヶ月後に控える文化祭だろ。」


「そうだ。」


良くできました、とばかりに満足した様子のダニエルは

再度、目の前のステーキ肉にかぶりついた。



「奴さんらは一般客の入れる体育祭を狙ってやって来た。

おそらく次も・・・・・・」


「文化祭では俺が初雪から離れずに行動できる

環境が整っている。大丈夫だろ。」



「そうだ、お前は何があってもあの子から

離れるんじゃねぇぞ。

今日みたいなことが二度もあったら俺の

面目丸つぶれだ。」


ダニエルはそう言いながらグラスについである

赤ワインを一気に飲み干すとこの話は

これでおしまいとばかりに雑談に切り替えた。



2013年11月01日



季節は秋も終わりもうそろそろ冬に

差し掛かろうかとしている十一月。

義明たち一行は文化祭に向けて着実に練習を重ね、

学校全体を通して見ても順調に準備を進めていた。

初雪の親父さんに体育祭での出来事を報告しに行くのは

―――また初雪の登校を渋る可能性を考えた時に―――

躊躇われたが、隠しごととしてはあまりに大きすぎる

事案だった為、義明とダニエルで事の詳細を伝えた。



ところが二人の考えとは裏腹に初雪の親父さんは

そうですか。

これからはしっかりと護衛の任務めてくださいね、とだけ

伝えるとあっさり談話は終わってしまった。



「お前、あの人に何かしたのか?」


帰り道ぼそっと質問したダニエルに対して

義明は〝特に何も・・・・・・〟とだけ言うと後は無言を貫いた。



2013年11月10日


文化祭当日、校内は活気に包まれ、

外部からも一般客が次々に押し寄せ始めた午前一〇時。

午後三時の演劇の舞台本番までにはまだ時間が有り余っている

義明達四人は追い込みの練習などなんのそのと言わんばかりに

呑気に出店を徘徊していた。

すると四人の下へ見知った人物が顔を出した。



「おい、義明。今日は俺の出番なしかい?」


野太い声、そしてそれに負けないだけの体格と体つき。

顔を見せたのは舞の父親である重人であった。



「あぁ、大丈夫だよ。

今日は俺が一日中ついててやれるからな。」


心配はいらない、と義明は重人を安心させようと口にした

のだが―――



「てめぇ舞の事ないがしろにするんじゃねぇぞ。」


どうやらこの返事は重人を少し不機嫌にさせたらしい。

軽く悪態をつきながら義明の胸元を小突いた。



「「「?」」」


二人の問答に義明を除く三人は頭にクエスチョンマークを

浮かべた。



「またいつでも頼まれてやるから気軽に来いや。」


言いたいことを終えた重人は満足そうに

出店を見物しに出かけてしまった。

四人は出店巡りを再開するとすぐに興味を引かれる

出し物屋を発見した。



「「「「メイド喫茶(和服ver)?」」」


教室前に立てかけてあるプレートにはそう書かれており、

思わず四人とも口ずさんでしまった。

興味心身で室内を覗きこんでみるとそこには

着物を着こんで接客する見目麗しい女子たちの姿。

その光景を呆然と見ていた義明達の下へ一人の男がやってきた。



「やぁ、義明君。調子はどうだい?」


「原本・・・・・・」


原本はいやらしい笑みを携え、義明は

またこのパターンか、とでも言いたげな様子。



「そう、気づいたようだね。この僕の罠に!」


原本は義明のどんよりした表情を満足そうに眺めた後、

自慢げに語りだした。



「僕達A組は文化祭の出し物として

君たちE組に対抗するべく同じ土俵で戦おうと

メイド喫茶をやることにしたのさ!

それも!

ただのメイド喫茶なんかじゃない!

日本の伝統着である着物によるものだ!

僕達エリートは君たちみたいに

普通のメイド喫茶なんかしないんだよ。」



鼻息荒く語った原本の熱弁によって

義明は初めて自分達のクラスの出し物を知った。

義明は文化祭に向けて舞台稽古に熱が入り過ぎていたあまり

自分の所属クラスの出し物について無関心になってしまった。



「これこそが孔明の罠っていうやつなのさ!

売上NO1の座は僕達A組が頂く!」


「売上一位になったら何かいいことでもあるの?」


今まで傍観に徹していた里緒が原本に質問する。

原本は多少驚いた様子で里緒の方を見ると

静かに俯いてしまった。



「何か言えよ。」


その姿を見た義明がすかさず原本にツッコミを入れる。


「だって仕方ないじゃないか、

女の子と話すのは久しぶりなんだ!」



「あの、僕男なんだけど・・・・・・」


「えっ!?」


原本の間の抜けた声が廊下に響き渡る。



「これは新事実だよ。

僕、男の娘もいけそうだ。

現実の女は僕に見向きもしないけどこの子は違う。

僕に嫌そうな視線一つ送らずに笑顔を振りまいてくれる。

これはや・・・」


「それで売上一位のメリットは?」


一人で何やらぶつぶつ言いだした原本を見兼ねたのか

義明がうんざりしながら先を促す。



「聞いて驚け!

売上一位のクラスにはなんとそのクラスの

売上額の一割が譲渡されるのだ!」


「「何!?」」


義明と里緒は同時に驚き、

舞と初雪はホームルームで言ってたじゃない、

何で聞いてないのよ・・・、と静かに呟く。



去年の加木穴工学園の文化祭では全てのクラスの

売り上げが学校側に取り上げられ、

生徒達から非難が殺到した。

それを考慮した上で学園長が今回このような

措置に踏みだしたのだ。



「ふふん、すでに僕達のクラスは

5万円の売り上げを出している。

君達では到底追いつけないよ。」


やれやれと肩をすくめながら威張る原本に

売上一〇%還元のおまけまでついてしまった

この状況では義明の心に火をつけるなと言う方が

無理難題な話であった。



「おもしれぇ、すぐに追いついてやるよ。」


上から目線でそう呟く義明に

ふん、やってみなよ、と睨み返す原本。

義明と一緒で金銭に目がくらんだ里緒と

もうどうにでもなれ、と言いたげな女子二名。

この場の収拾をつけるには第三者の力が必要になった。



「会長!雑談はそれくらいにしてさっさと

指揮管理に戻ってくれ!俺たちじゃ限界だ!」


そう悲鳴を上げる男子学生に原本は溜息をつきながら

重い足取りで男子学生が手招きする方へと戻っていく。

原本本人としてはまだ喋り足りないらしい。



「なぁ、ちょっといいか?」


「ん、何?」


義明の呼びかけに喜々として応じる原本。

原本の嬉しそうな姿を見るとげんなりしてしまう

義明だったがどうしても聞きたいことがあったのだ。



「なんで着物なんだ?」


「うーん、本当はスチュワーデスやナース、

ゴスロリなんかでも悩んだんだけどね・・・・・・

一番万人受けするのはこれかなと思ったのさ!」


得意げに語る原本に対して、

なるほど、センスいいな、と親指を立てる義明。



義明達が自分の教室に戻ってくると

氷点下を越えてしまったのか、と心配するほどに

室内は静まり返っていた。


「この状況はなんなの?」


里緒が思わず近くにいた男子学生に質問する。



「客を全部、A組に取られてうちのクラスが

枯渇しているだけだよ。」


それを聞いた義明がなるほど、とうなずく。

A組はあえて自分のクラスと同じジャンルの

出し物をぶつけてきてE組に客が回らないように

したのだとようやく原本が先ほど言っていた

言葉の意図に彼は気づいた。



「現在の売り上げは?」


「一万いかないくらい・・・・・・」


義明の問いに男子学生は申し訳なさそうに返答する。

女子たちもせっかくメイドコスを着ているのに

全く活気がない。

これに見兼ねた義明は良いアイデアがある、と言い

教室の扉を閉め切り、数少ない貴重な客を追い出し、

教室の模様替えを始めた。



「ふぅ、そろそろ一段落ついたかな・・・・・・」


稼ぎ時である昼食の時間帯を過ぎ去った午後の一時過ぎ。

原本は教室の真ん中で汗水を垂らしながらぼやき、

もちろんのこと周囲には人っ子一人寄せ付けてはいなかった。

僕は休憩に入るよ、と原本が言い残して

A組の教室を去るとすぐさま男子学生諸君が

リセッシュやら芳香剤やらを振りまき始めた。



教室を出た原本の行動パターンには空しいかな、

一通りしか存在せず、

選択肢などという単語は原本の脳内に非ず。

原本が向かう先は無論、

一方的にライバル視している義明のクラスE組である。

彼は敵情視察という名の下、E組のメイド喫茶へ向かった。

原本が義明の所属するクラスであるE組へ向かう途中、

ひょんな違和感を感じた。


なんか男率が異様に高いぞ・・・・・・、と

原本が歩を進めるたびに女性の姿が消えていき、

非常に愉快な笑みを携えた一般男性、男子学生の姿が目に映った。

原本は不思議に思いながらE組教室前まで来ると扉の前で

いかにもボーイ然とした男子学生の姿を発見した。

彼はまさか、と思いながら黒スーツを着た男子学生の目を盗み

正面扉の前を陣取った。



今や原本は〝二年E組〟なるプレートが

立てかけられている扉の真正面。

ここからもう一歩踏み出すだけで〝親愛なる義明君〟を

拝めるのだが――――――

コミュ障の彼にそんな真似出来るはずもなく。



彼には義明達の様子を扉越しに見ることだけで

精一杯なのであった

義明達のクラスを覗きこむとそこにはメイド喫茶からは

程遠い暗い色に包まれた異様な空間が形成されていた。

日の光は入ってこないようにカーテンで閉め切られ、

一つのテーブルに複数のソファが設置されている。

それは男のロマンであり、非日常であり、


これって、これって・・・・・・



「ねぇ、これってどう見てもキャバク・・・・・・」


この光景を目の当たりにした里緒が思わず呟きそうになった

不健全な言葉を義明は遮り――――――


「メイド喫茶だ!」


と吠えた。



「メニューはこれだ。

女子は男子の隣に座って接客をすること。

男子は外に出て客の勧誘と中にいる奴はオーダーを取れ。

いいか、これはれっきとした、

十八禁ではない、

健全な、学生の出し物であってキャバなんたらとか

いうものでは決してない!

だが、客の勧誘、接客はそれの見様見真似でやれ、

分かったか!」



はい!、と高らかに響き渡るE組学生達の声。

絶対に一位を取るぞ!、と気合を入れるべく声を張り上げる

義明の声に呼応するべくE組の教室が猛烈な熱気に包まれる。

途端にメイド服を着た女学生がお客の目の前、

もしくは隣に座って接客をし始める。

義明達との立場は逆点し、今度は原本がその光景を

目の当たりにして呆然と立ち尽くす番であった。



「あの、お客様入られないのですか・・・・・・?」


扉の前を陣取っていた所を黒服の学生に見つかり、

慌てふためく原本。



「おや、どうしたんだ、原本?」


教室前の異常にいち早く気づいた義明姿を見せた。

立場が完全に逆転した義明は先程の嫌みたらしい

原本と同じの笑みを浮かべている。



「くっ、これはなんなのさ?」


苛立ち気味に問う原本に余裕の姿勢を崩さない義明が答える。


「何って、ただのメイド喫茶だけど?」



「これのどこがただのメイド喫茶なんだ!」


原本の遠吠えが教室内に響き渡る。

しかし、室内に流れている音量の高いクラシックのせいか

誰一人として原本に反応する者はいない。

それどころか室内に広がる香水のせいか原本がこの場にいても

嫌な顔をする者は誰一人としていなかった。



「まぁまぁ落ち着けって、お前もちやほやしてもらえよ。」


「くっ、僕はそんな手に引っ掛からないぞ!

本当だぞ!

僕は二次元さえあればそれでいいんだ!」


言葉とは裏腹に身体は素直に、

義明に誘導されるがままに、

教室内に入り、席に着いた。



原本の接客は無論この二人である。


「なんで君たちなんだよ!」


激怒している原本に対して

えーっ、と本当に驚いた様子の義明と里緒。



「えーっじゃないよ、

僕だって女子にちやほやしてもらいたいんだ!」


普段のこの男の扱いについて理解している

義明は本当に気の毒そうに――――――



「女子たちがお前の接待いやだっていうから・・・・・・」


容赦なく現実を突き付けた。

原本はそれに対して動揺など露ほども見せずに

まぁ、いいや、と呟いた。

まぁ、いいんだ!?、と心の底で義明と里緒は原本に

驚愕し終えた後、メニュー表を渡した。



「お勧めは何なの?」


原本がメニュー表をぱらぱらめくりながら

だるそうに質問する。



「はい、おススメは当店自慢の

〝女子の手製生おにぎり〟にございます。」


畏まったように頭を垂れながら話す義明に

衝撃を受けたような変顔をみせる原本。

まぁ、原本の変顔はいつものことではあるのだが。



「それって、まさか・・・・・・!」


「はい、その〝まさか〟にございます!」


義明と原本は意味ありげにニヤリと笑う。

その様子を呆れたように流し見る里緒。

その目線は

なんだよ、お前達同類じゃん、とでも

言わんばかりだ。



「女子が結んだおにぎり・・・・・・!」


原本が噛みしめるように口にする。

義明がそれを聞いて

イエス、マイマスター、と答え――――――



「じゃあ、それをお願いしようかな!」


「畏まりました!」


――――――トントン拍子に話は進む。

義明がオーダーを取ると五分もかからない内に

例の品が盆に載せられてやってきた。

そこには暗いシックな雰囲気を醸し出す

この部屋に似合わない純白の三角おにぎりが乗っている。



原本は逃げも隠れもしない、

ましてや取る者など誰一人としていないというのに、

それを修羅の形相で掴み取ると勢いよく

一口で食べてしまった。



「うまぁしゃぁあぁぁぁ」


とろけるようなブサ面にドン引きする義明達。

良い物が食べれた、とは原本の言葉。

満足して帰っていった彼だが、

実は原本が食べたおにぎりを握ったのが義明であると

知ることになるのはまた後日のお話。



午後二時三〇分、そろそろ出番が近づいてきた

四人は体育館へ移動をし、裏方にある準備室へと向かう。

文化祭スタッフに一面真っ白な準備室に通された

四人はそれぞれ好き勝手にやり始めた。

里緒は睡眠。

舞と初雪はセリフ併せ。

そして義明はイヤホンを耳にかけ、音楽を聴き始めた。



「何の音楽を聴いてるの?」


初雪は不思議そうにその光景を眺めながら舞に問う。

だって彼女の視点からでは

どう控え目に言っても似合わない光景に写ったのだ。



「あぁ、なんか好きな歌手がピコピコ動画?

で配信してるからそれを聞いてるんだって」


舞も詳しくは知らないとばかりに肩をすくめる。



「でも、集中したいときなんかに

いつも聴いてるみたいよ。」


舞はそう言い残すと再度自身のパートのセリフを

復唱し始めた。



数分後、各自好き勝手にリラックスしていると

そこに文化祭スタッフが来てこれからスタンバイに

入るよう伝えていった。

それを聞いた四人はステージへと移動を始めた。

その間、四人の間に言葉はなく、

その空気がまた緊張をより一層際立たせてしまう。

スタンバイ完了しました、とは文化祭スタッフの声。

四人は無言のまま頷き合うとスタッフに促されるがまま

煌びやかな天蓋の下へと出て行き、いざ舞台の幕が開いた。



「ちょっと、あれはどういうこと?」


怒りに肩をわなわな震わせるのは原本。

その矛先は珍しい事に義明だった。

義明は何故、原本が怒っているのか皆目見当もつかない。

あれとは?、と義明が首をかしげながら問うと

原本の怒りは沸点を突破したらしい。



「君達の演劇の内容だよ!」


太陽に向かって吠えた。


「劇・・・・・・?あー、あれはだな、

グラン・ギニョールと言ってフランスで

二〇世紀を中心に・・・・・・」



「そんな蘊蓄は聞いてないんだよ。」


言って原本のこめかみが痙攣する。

あー、これはまずいやつだ、と義明もようやく自分の

置かれている状況が把握できたらしい。

途端、苦虫を潰した表情になった。



「君達が以前、僕に見せた舞台の内容とは

全然違ったよね!

舞台に立ってたの環君じゃなかったよね、

人形だったよね!?

しかも内容も前はしょうもないものを見せられたけど

あれは何?

血飛沫が舞ったり、

人形の首が捥げたり、

お客さんドン引きだったじゃん!」



「いや、だっておまえ俺が前に

人手がほしいって頼み言った時、

そんな余裕ないって言って俺を追い返したじゃん。」


「そんなことはどうでもいいんだよ。」


ぼそぼそと反論する義明を感情論に任せて

有無を言わせない姿勢の原本。



「そして何より、僕が怒っているのは・・・・・・」


溜めに溜める原本。

そんな原本の様子をおそるおそる

爆発しませんように、と祈りながら見据える義明。



「どうして相ノ木さんが舞台上に出なかったんだよ!

(宇都宮さんでも可)」


あぁ、良かった、やっぱり原本は原本だった、と

途端に説教の空気が弛緩する。



「僕は彼女が舞台の上で輝ける逸材だって

確信したから君達を推したんだよ!

それを君は・・・・・・君は・・・・・・!」


言葉にならない怒りを見せる原本。

しかしながらそれはもう義明の心に響かない。

こいつ、喋れば喋るほど自分の価値を下げる奴だな、と

彼は思う。



「・・・・・・まぁ、いいや。

例の約束はちゃんと守ってもらうよ!」


義明が自分を見据える視線が

生温かいのに気づいたのだろう。

原本は説教もこの辺に、と切り上げた。



「「「約束・・・・・・?」」」


今まで傍観に徹していた里緒、初雪、舞の三人は

疑問を揃えて口にした。


「あぁ、分かってるよ・・・・・・」


言って義明は舞と初雪の方に向き直る。

正直、彼女達二人は嫌な予感しかしなかった。



「お前達、申し訳ないが・・・・・・」


これから、原本と一緒にステージに立ってくれ、と

義明はそう呟いた。



はぁ、冗談じゃないわ、とは舞の声。

私も断るわ、第一メリットがない、とは初雪の言葉。

それに対して義明は最悪の人質を口にした。


「実は文化祭のステージプログラムに俺たちの出る時間を

設ける代わりに原本におまえらを貸すっていう条件だったんだ。」


てへっと舌を出す義明とそれを見てすぐに手を出す舞。



「私たちはそんな条件聞かされてないし、

呑んでもいないわ。」


そんなの無効よ、と吠える舞。

そんな舞の姿にがっくり肩を落とす原本。

しかし――――――



「約束ね・・・・・・

そう、約束なら守る義務があるわね。」


このように学生同士の口約束にも関わらず

義理堅くもたった今、聞かされた条件に

OKを出す初雪。



そんな彼女と殴られて尚、懇願してくる義明を

見ては舞も強く否定することなどできずに――――――


「・・・・・・分かったわよ。」


――――――と理不尽な要求を承諾したのだった。



「それで、何をするつもり?」


ステージ上で何をするかも聞かされていない舞が

原本に当然の疑問を投げかける。



「それは、もちろんバンドさ!」


何がもちろんなのか理解に苦しむ所ではあるが

どうやら彼は本気らしい。

即興のバンドで歌を歌う、と豪語した。



「そんなの無理よ!

第一、練習もしていないズブの素人にバンドなんて・・・・・・」


「君はピアノのスペシャリストだそうじゃないか。」


舞の発言を遮ってイケメンボイスで物申す原本。

確かに、スペシャリストではあるけれど、と舞も

まんざらではない様子。



「そんなスペシャリストであるはずの君が

即興でキーボードすら弾けないっていうのかい!?」


目に見えて安い挑発。

こんなの誰ものってこない、そんな風に考えていた義明だったが

どうやらこの男、未だに舞の事を計りきれずにいるらしい。



「やってやろうじゃない!!」


力強く拳を握る舞と原本。

しかし、彼ら二人が握りしめた拳の意図は大きく違う。

舞はやってやるという強い意志を秘めた拳。

そして原本は――――――

ただのガッツポーズだった。



「そして君は・・・・・・」


初雪の方に向き直る原本。

彼女は嫌な予感に身を震わせ

死刑宣告を待つ身の如く目を閉じた。



「君にはヴォーカルをやってもらいます。

歌はこちらの独断と偏見によって決めます。」


予想通りの答えが飛んできた初雪はひとまず

安心と不安が入り混じった溜息をもらす。



「なんで、宇都宮がヴォーカルなんだ?」


歌唱力なんて知らないだろ、と義明が原本に問う。

すると原本は普段とは一線を画す変な顔を披露した。



「君はまだ気づいてないのか?」


「???」


頭にクエスチョンマークを浮かべる義明に

まぁ、これから起こることを刮目せよ、だね、と言って

壇上に向かった。



初雪と舞の登場に場内が歓喜に震える。

上物がきた!

どえれぇ美人がお出なすった!

目の保養・・・・・・

――――――と主に震えたのは男子諸君だったが、

その様子を感じ取った原本は顔をにんまりさせ、

これだよ、義明君、と目で彼にコンタクトを取った。

が――――――

正直、義明にとってはどうでもいい事だった。



一体、何に刮目せよ、なのかいまいちピンと来ない義明。

原本はそんな義明など目に見えていないのだろう。

お構いなしに舞と初雪目掛けて合図を送る。

3、2、1――――――

原本のドラムが炸裂する。

もはやこれは叩いてるのではなく爆発だ。

スティックを振るう度に爆発が起きている。

そう思わせるほどに原本のドラムさばきは迫力がある。



それに負けじと食らいつく舞のキーボード。

即興にしては――――――

いや、練習した、といっても誤魔化せるレベルの演奏だ。

伊達に自称スペシャリストを名乗ってはいない。



そしてこの後、義明は驚愕する。

現在、前奏の真っただ中であるものの

彼は何やら違和感を覚える。

それと同時に観客達がざわめきだす。

何だ、この音楽は?――――――

知らないぞ、と――――――

しかし、義明は観客とは真逆に興奮と期待で

心をざわつかせた。



俺はこの音楽を知っている、と――――――


「~~~~~~~~~~~~~~~♪」


前奏が終わりを告げ、初雪が歌い出す。

途端、そのハーモニーは会場のざわめきを

一瞬にして黙らせた。

義明はその歌声を知っている――――――

なぜなら彼は毎日その歌声を――――――



――――――聞いていたのだから。


「ふぅさん、なのか・・・・・・」


義明が独り呟く。

その声に応えるものは誰もおらず。

この会場にいるのは彼女の歌声の虜になった者

だけであった。



「来年の文化祭の出し物が決まったな。」


独りで不敵の笑みを浮かべる義明。

この不吉な発言は幸いなのか不幸なのかはともかく

誰の耳にも・・・・・・

近くにいる里緒の耳にすら届かずに済んだ。

檀上の三人が演奏を終えると拍手喝采の嵐、

嵐、嵐、嵐――――――



加木穴工学園祭ステージ部門はこうして大熱狂の中、幕を閉じ、

そして学園祭閉会式、売上部門第一位のクラスは二年E組、

義明達のクラスと発表された。

原本は心底悔しそうな表情を滲ませたが

ステージ部門最優秀賞は

原本、舞、初雪の即興バンドが獲得し、

賞状を受け取るべく壇上に上がった人物が

原本だと分かると観客はブーイングを巻き起こし、

義明の目には涙が光った。



こうして、加木穴工学園第二回学園祭は幕を閉じる。

はずだったのだが――――――

義明達のクラスでは売り上げの一割を使い、

カラオケの部屋を1フロア分貸し切っての

大仰な打ち上げが開始される。

その前に二年E組のキャ○クラ然とした出し物が問題として

教師間で取り上げられ、賞金として譲渡された売上金の

一割は没収。

更に主犯格である義明とその一行は早乙女女史の説教部屋

行きとなって真の幕を閉じたのであった。

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