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ハロー、ワンダー。  作者: 小木一寸
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第7節 -二日目の朝-

 怒涛の初日を無事乗り切って、翌朝。時計の短針があと少しで真下を指そうかという頃に目を覚ました。いつもは最低でも6時間は寝てしまうのだが、これも加護の力だろうか。

 今更だが、この世界も一日は24時間らしい。まあ約数が多い数字だし妥当なのかもしれないが、どうも科学はそれほど発達していないようだしたまたま一致しただけという可能性もあり得る。いや、元の世界が神格視されているなら、あっちの概念に合わせたという可能性もあるか。むしろそれが最有力でさえありそうだ。

 そんな風に益体もないことを考えながら部屋の扉を開けると、ちょうど同じく起きたところらしいナギが自室から出てきた。まだ目がさめきっていないのか、緩い顔で瞼をこすっている。

「ナギちゃん、おはよう。ずいぶんおねむみたいだな」

「ぉはおござぁまし……らいじょうぶですぉ……おきてまーぅ……」

「緩いなあ……」

 昨日の激動が嘘のようだ。呂律も回らず間延びした口調がなんとも可愛らしい。もこもこの寝間着も相まってとても幼く見える。

 挨拶は返してくれたもののそもそも俺がいることを認識していないのか、ナギはふらふら揺れながら階段へと向かう。階段から転げ落ちたりしないかと慌てて追いかけるが、日ごろの動きが身に染み付いているのか、ナギは危なげなく階段を下り、そのままゆらゆらと洗面所に入っていった。

 しばらく待っていると、さっきまでの寝ぼけ眼が嘘のようにしゃっきりとしたナギが洗面所から出てきた。顔でも洗って目が覚めたらしく、居間の見えやすい位置に座っていた俺にもすぐ気づいて駆け寄ってくる。

「おはようございますトーヤさん。今朝は早いですね」

「うん、おはよう」

 さわやかな笑顔で再度挨拶をされた。どうやら2階で会ったことは覚えていないらしい。

 前も駆け寄ってきたが、話す相手に駆け寄るのはこの子の癖なのだろうか、なんとなく昔飼っていた犬を思い出す。人懐っこくて俺や家族の姿を見つけると尻尾を振りながら駆け寄ってきて、撫でてやると嬉しそうに頭をこすりつけてくる可愛いやつだった。4年ほど前に死んでしまったが、あの日はしこたま泣いたのを今でも鮮明に覚えている。

「? どうかしましたか、トーヤさん。……あ、もしかしておなか空いてます? 今、何かご用意しますね!」

「あ、うん、ありがとう」

 覇気のない面を空腹から来るものだと思ったのか、ナギはパタパタとキッチンへと駆けていってしまった。入れ替わる形で、ウンシューさんが階段を下りてくる。

「おはようございます神使殿。お早いお目覚めですな」

「おはようございます」

 挨拶を一言交わして、ウンシューさんはすぐに洗面所に入っていった。この辺の生活リズムは親子なんだなあと思う。尤も、寝起きの良さは遺伝していないようだが。

 ウンシューさんとまた入れ替わる形で、ナギが居間に入ってきた。手にはサンドイッチとコップ3つが乗ったお盆を持っている。

「お待たせしました。昨日の残りで申し訳ないんですけど……」

「いや、昨日の料理もめっちゃ美味かったからうれしいよ。ありがとう」

 コップとサンドイッチを受け取り、手を合わせる。「戴きます」とつぶやいてサンドイッチにかぶりつこうとしたところで、ナギが不思議そうな顔でこちらを見ていることに気づいた。

「……なんか変だったかな」

「あっ、いえ、戴きます……?というのが、少し珍しかったといいますか……その合掌はどういった意味を持つのでしょうか?」

「あー、これはあれだよ。我々の命の糧になってくれるすべての食材、すべての命に感謝を込めて、一つ一つ大事にいただきます、という俺の国に伝わる礼儀作法の一つ」

「なるほど……!」

 日本の文化がよほど珍しいのか、ナギは目を輝かせながらテーブルにサンドイッチとコップを並べ、俺がさきほどやったのと同様に手を合わせた。

「戴きます!」

「ナギ、そりゃあ何だ?」

 絶妙なタイミングでウンシューさんが居間に戻ってきた。先ほどの洗面所へ行くタイミングといい、なんとも絶妙なテンポで動く親子だ。

 関心している間にナギが説明をしたのだろう、ウンシューさんも同様に手を合わせてサンドイッチにかじりついていた。ナギもその隣でサンドイッチをかじっている。

「神使殿、本日はどうなさるご予定で?」

 少しして、早くもサンドイッチを平らげたウンシューさんが聞いてきた。こちらはまだ食べている途中だったのでコップの中の牛乳のようなものでサンドイッチを慌てて流し込む。少し噎せてしまった。

「今日は昨日聞けなかったこの村の危機の詳細を聞いてから、村の周りの様子でも見て回ろうかと。村から出られないってのも解決しなきゃならない問題の一つですし、あわよくば敵の拠点なんかも見つけられればなあと思ってます」

「ふむ、ということは村の外へ出るおつもりですかな?」

「はい。あまり遠くまで行くつもりはありませんけど、行けるとこまで行ってみようかなと」

 村から出られないといっても巨大な壁が立ちはだかっているわけでもなさそうだし、今の問いかけからも察するに厳密には全く出られない訳ではないのだろう。もしかしたら俺だけなら出られるかもしれないし。

「あと、こっちの世界の事はほとんど知らないので、その辺も教えてもらいたいなと」

「ふむふむ。では今日もナギを自由にお使いください。神使殿の世界のことはナギが一番詳しいですし、祝福を受けている金烏の巫女ならこの霧の中でもそれなりの時間活動できますから。よろしく頼むぞ、ナギ」

「はいっ。任せてくださいっ」

 力強くナギが返事をする。巫女としての役目に張り切っているようだ、が。

「ナギちゃん、そろそろ着替えたら?」

「? ……ぅえっ!? ああっ、こんな見苦しい恰好ですみませんっ!! す、すぐに着替えてきますっ!」

 指摘するまで自分が寝間着だったことに気づいていなかったのだろう、自分の恰好に気づいたナギは慌てて自室へ戻っていった。

「……神使殿」

「なんでしょう」

 真面目な顔つきでウンシューさんがこちらを見てくる。昨晩の宴会の陽気さや先ほどまでのにこやかさとは対照的で、朝の静けさも相まって居間の空気が張りつめているように感じる。

 数秒の静寂ののち、ウンシューさんが口を開いた。

「……うちの娘、可愛いでしょう」

「可愛いっすね」

 がっしりと熱い握手を交わす。話の分かるおっさんだ。

 その後、おっさんは神官たちと村の修繕や今後の話し合いがあるとかで、家を出て行ってしまった。修繕なんかは完全に専門外なので、いくら加護があっても俺にできることはないだろう。

 ウンシューさんを見送ってからサンドイッチの残りに手をつけ、ちょうど食べ終わったころにナギが戻ってきた。昨日の宴会の時と同じく、おそらく麻製であろうゆったりした服に、毛織物と思しき大きいストールのようなものを纏っている。髪も昨日と同様結んでいるが、今日は高い位置でのポニーテールではなくうなじの辺りで一つにまとめていた。

「お待たせしてすみません。それでは、改めていまこの村を襲っている危機についてお話させていただきます」

「ああ、飯食い終わってからでいいよ」

 俺が意地の悪いことを言ってしまったせいで、ナギのサンドイッチはまだ半分ほど残っていた。俺が促すとナギはばつが悪そうに頭を下げ、椅子に座って黙々とサンドイッチを食べ始めたので、俺もコップに残った牛乳のようなものをちびちびと飲みながらその様子を眺める。見られるのが気恥ずかしいのか、ナギはサンドイッチをかじりながらも時たまこちらを見たり玄関や台所へ視線を向けたりと、存分に視線を泳がせている。

 心なし急ぎめでサンドイッチが消費され、牛乳をぐいっと飲み干して、ナギはこちらに向き直り「改めて、お待たせいたしました」と軽く頭を下げた。真面目な顔をしているが、金髪からのぞく尖った耳が赤くなっている。耳を見ていることに気づいたのか、ナギはこほんと咳払いをしてから、話し始める。

「改めまして、今度こそ、この村の状況をお話しします。現在この村『ツァイヴァード』は、謎の反魔術生命体、通称『鬼』の襲撃を受け、また村の外へ避難することもできない危機に陥っています。鬼が現れたのはおよそ2週間前。ここまでは昨日お話ししたと思います」

「ああ、村の名前は知らなかったけど、そこまでは鬼の襲撃があったときに聞いたな。どたばたしてたせいでその話はそれっきりになっちまってたが、もう少し詳しく聞きたい」

 鬼がどのように現れたのか、また外に出られないとはどういった理由でなのか。2週間も経っているのだ、何等かの調査はしているだろう。

「はい。では、ことの起こりから順を追って説明させていただきます。……一番最初の異変は、今も広がるこの霧でした」

 言いながら、窓の方へ視線を移す。

「朝目覚めて、霧の濃さに驚いたのを覚えています。村の中は霧がないのに村の外は一切見えず、その日は2週に一度ドゥシェルから手紙などが届く日だったのですが、今日は郵便屋さん達はいつもより遅れるかもしれないな、と思いながら、一先ずはいつも通り、村の門を開けに行ったのです。門の向こうにも霧が広がっていたのですが、門を開いた瞬間に全身に怖気が走りました。……村の外には、霧に紛れて瘴気が漂っていたのです」

 瘴気。自然環境においてまれに発生し人体に悪影響を与えるとされる、簡潔に言うと『悪い空気』だ。現代医学で言うところのウイルスや細菌が詰まった空気のようなものだろう。中世ではインフルエンザやマラリアなどもこの瘴気によるものだと考えられていたとかなんとか。

「瘴気の発生自体は、この国では非常に珍しいものではあるものの、数百年に一度程度なら起こりうる災害です。世界樹が不調に陥ると龍脈が不安定になり、瘴気を発生させることもありますから。……でも、世界樹も生命ですから、それなら多少の前兆はあります。しかし今回はそういったものは全くなく、しかも一晩で、濃度が異様に高い瘴気が発生していたのです。私はすぐに両親と祖母に伝え、神官の方たちも集めて集会が開かれました。話し合いの結果、ひとまず村人全員に村から出ないように通達し、原因を調査することになりました」

「なるほど。その時点では、少なくとも村人は全員無事だった?」

「はい。幸いその日は外で出ている村人もなく、村全体にはエルツィレム様の祝福が施されているため、全員の無事が確認できました。霧が村の外にのみ広がっているのも、エルツィレム様の祝福のおかげだと思います。また、祝福の範囲に畑や畜舎も入っていましたので、各家庭の蓄えも併せて食料は数か月分は問題なく確保できていました」

「ひとまずの危機には対処できたって感じだな」

「ええ。でも、異変はそれだけで終わりませんでした。

 ……忘れもしない、その日の晩のことです。日も沈み切った8時頃、突如おぞましい咆哮が村に響き渡ったのです。何事かと、私達は家から飛び出し声のした方向へ様子を見に行きました。すると、村に張られた魔物避けの結界を引き裂いて、あの恐ろしい鬼たちが村へ入ってきていたのです」

 ナギの表情が曇り、声のトーンも数段落ちる。辛い記憶を思い出させるのは申し訳ないが、それでも聞かない訳にはいかない。

「初めての鬼の襲来はおよそ5分ととても短い時間でしたが、家屋8棟が壊され死者10名、行方不明者3名という惨状でした。私の母も、村人をかばって……。鬼にやられた傷は治癒魔術もほとんど意味を成さず、翌朝には鬼に襲われた人は全員息を引き取っていました。中には鬼に体のほとんどを食べられた人も――」

「ナギちゃん」

 蒼白になりながらも詳細を語ろうとするナギの名前を呼ぶ。ハッとしたようにナギは顔を上げ、「すみません」とつぶやいた。一つ思い出してしまったら芋づる式に次々思い出されてしまったのだろう。もし止めていなかったら、ナギの精神にはより負担がかかっていたはずだ。今後もなるべく死人の話は避けた方がいいだろう。

「しかし、2週間前はたった5分で帰っていったのか。ずいぶん短いが、何か理由があるのかね」

「……恐らく、村の結界と祝福のせいだと思います。魔物避けの結界は裂かれてしまっても多少は機能しますし、昨晩トーヤさんがやって見せたようにエルツィレム様の御力は鬼にも通用しますから。……ただ、結界も祝福も、今代の巫女である母の仕事で……」

「張り直すにしても、先代は衰えてるしナギちゃんは未熟だしで、完全には張り直せなかった、と」

「はい……」

 二人掛かりでやれば張れるのでは、とも思うが、何せこの霧だ。どうやら太陽を司る神様であるらしいあの神様も、霧に遮られて十分に力を貸せないのだろう。

「それで結界は消耗していって、鬼の襲撃時間もどんどん長くなっていった、と」

「はい。鬼の襲撃は前はおおよそ四日に1度で、昨日の分も合わせて合計4回の襲撃がありました。時間は、決まって日が沈み切った夜に来ます。はじめは2体しかいなかった鬼もいつの間にか増え、前回からは昨日のように6体で来ていました」

「なるほど……また増えてるかもしれないし、6体で全部だとは思わない方がよさそうだな」

 増えるというなら、下手をしたら村の外がすでに数千の鬼が暮らす魔境と化している可能性すらもありうるわけだ。なんとも恐ろしい話である。

「ちなみに、瘴気がどれくらい危険かわからないんだが、それは一呼吸でも吸ったら即座に体を異常をきたすのか?」

 言葉としては知っているものの、具体的なイメージが持てない。濃い瘴気とはどれくらいの致死性を持つのだろうかと、純粋な疑問をナギに投げかけてみた。ナギはしばらく思案してから口を開く。

「瘴気は魔物以上に私達に特に強く影響を引き起こしますので、人によっては少し触れただけで最悪死に至ります。ただ、エルツィレム様の祝福を受けている神官の方々ならほんの数分であれば村から出ることもできますし、巫女である私や祖母は1,2時間程度なら活動可能だと思います。加護を持っているトーヤさんなら、具体的には判断しかねますけれど、おそらく半日程度は問題なく活動できるかと」

「ふむふむ。瘴気にも神様の力は有効なわけだ」

 尤も、土地勘のないこんな場所で霧の中を半日も彷徨ったら確実に戻ってこれなくなる。村から出るならばナギに案内を頼む必要があり、そうするとこの加護による恩恵はあまり得られない訳だ。

 もしかしたら、これも加護の力の応用が利くのかもしれない。仮に俺の加護をナギに少しでも分け与えることができれば――いや、これはあまり得策ではないか。仮にできたとしてもどれほどの時間有効なのかもわからないし、それで慢心して外に長居しては結果としてもっと危険な状況に陥りかねない。ならばここら一帯の地図を入手して、道を見失わないよう気を付けながら自力で回るのが最適解か。

「このあたりの地図ってある?」

「地図ですか? 一応あるにはありますけど、どっちを向いても木ばかりですしこの霧じゃああまり役には立たないと思いますよ。……まさか、一人で行こうとか考えてますか?」

「えっ、まあ、うん。それが一番リスク少ないし」

「そんなのだめです!!!」

 テーブルをバンッと叩き、ナギがずずいと身を乗り出す。昨日の宴会の時もこんなことがあった気がする。

「この霧の中をトーヤさん一人で歩くだなんて無茶です! 5分も歩いたらどこにいるのかわからなくなりますよ! だいいち、神使様のお世話が私の仕事なんですから、一人で行こうなんて言わないでください!」

「おっおう」

 勢いに負けて思わず了解してしまった。この子の世話役としてのこの執念は何なんだろうか。

 ともあれ、ナギが同行するなら長時間村から出ることはできないだろう。さきほどの話を鑑みるにせいぜい1時間が限度か。ナギの目を盗んで村から出るという選択肢もないこともないが、それをしたらナギや村人からの信用を失う上に森で迷子になってそのまま野垂れ死ぬ危険まである。ここは多少の制限を覚悟してもナギに同行してもらった方がいいか。先ほどは俺一人が死ぬだけなら村への損害もほとんどないと考えてしまっていたが、現状では鬼を打倒し得る手段が俺だけである以上、短絡的な行動はできない。ハイリターンよりもローリスクが求められているのだ。

「それじゃあ、活動限界は1時間ってことで、昼までには戻れるようにこのあと向かってみるか。鬼の襲撃はいつも日没後って話だし、まだ朝早いこの時間なら仮に遭遇しても、少なくとも夜よりは安全だろう」

 もちろん、鬼が一体だった場合の話だ。あるいは二体くらいまでならなんとかなるかもしれないが、それ以上になったらもはや逃げ以外に選択肢はないだろう。しかし襲撃の頻度からして、もし拠点があるとしたらこの村からほど近い場所にあるはずだし、遭遇の危険はそれなりに高いと考えた方がいいはず。せめて遭遇する前に鬼の接近に気づければいいのだが。

「そういえば、昨日俺が倒した鬼はその後どうなったんだ?」

 死骸があるのなら、何かヒントが得られるかもしれない。すでに調べているのであれば万々歳なのだが。

「鬼の死骸は、診療所の奥においてあります。見えるところに置いていては村人に不安を与えかねませんし、調査もしていますから」

「調査はしてるのか。じゃあまずその進捗を聞きに行ってから外へ向かおう。午後の予定は帰って来てから考えるってことで。診療所側にも都合はあるだろうし、とりあえず10時を目安に外へ出るつもりで動こうか」

「はい。承知しました」

 ひとまず予定が決まり、一息つく。昨日半日の怒涛を超えて、とうとう救世主として本格始動するわけだ。昨日は意気揚々と救世主になる宣言をしたが、実際に鬼と戦った今となっては正直、気が重い。あの殺意の塊みたいな化け物共とほとんど一人で戦わなければならないのだ、そりゃあ気も滅入るというものだ。気が滅入るからといって、この村を見捨てて逃げる度胸もないわけだが。

 さておき、今立てた予定の時間までかなりの空き時間がある。この間に何をするかといえば、もちろん常識のすり合わせだ。何度か会話に出てきたものの本題から逸れるが故にスルーせざるを得なかった、聞きたくて仕方のないワードが一つある。それはズバリ。

「魔術って、何?」

 昨夜の襲撃の際にもチラッと出て来て、今も何度か話の中に出てきていた。異世界に並んで、いやそれ以上にファンタジーを代表するもはや説明不要な要素だが、それでも詳細が気にならないと言ったら嘘になる。むしろめっちゃ気になる。正直この村が危機に瀕してなかったら真っ先に食いついていた話題だ。

 ありったけの期待を込めてナギを見る。しかしナギは、困ったように視線を彷徨わせていた。

「何、と聞かれましても……魔術だ、としか言えないのですが。トーヤさんの世界には魔術がなかったんですか?」

「ないよそんなもん。夢物語だよ。むしろ夢だったとさえ言えるよ。魔術が使えたらどれだけいいかと常々思っていたくらいだね」

「は、はあ、そうですか……うーん……」

 自分の生活に慣れ親しんだものの説明がよほど難しいのか、ナギは難しい顔をして考え込んでしまった。

 うんうん唸っているのを聞きながら答えがまとまるのを待っていると、不意に玄関が開き、初めて俺がこの村に落ちたときにナギの隣にいた老婆が入ってきた。

「魔術というのは魔力を変換して自然現象を引き起こす術でございます」

「は、はあ」

 どこから聞いていたのだろうか、上手く説明できないナギの代わりに老婆が答えてくれた。老婆は俺の方へ一礼し、ナギの正面へ腰を下ろす。

「この世界には魔力と呼ばれる力が満ちております。地脈や我らの内より()でるそれらを我々や一部の動物は操り、魔術という形で行使するのです。これができる動物のことを魔物と呼び、他の動物と区別しております。知能の低い魔物は火を出したり風を吹かせたりと簡単なことしか出来ませぬが、知能の高い魔物や我々は言葉等を駆使してより高等な魔術を操ることが可能でございます」

 整然と老婆が説明してくれる。聞いた限りでは、おおむねゲームや漫画で見かけるものと同じだと考えてよさそうだ。

「それって、俺でも使うことはできるんですか?」

「体内に魔力を溜めることができれば可能でございます。エルツィレム様の加護を授かっておいでですから、おそらくは使えるでしょう。魔術は限定的な加護の発現と呼ばれるくらいでございますから」

「ほほう」

 素晴らしい。やはり異世界に来たのなら魔法の一つくらい使えなくては。

「それで、その魔術はどうやったら使えるんです?」

 はしゃぐ心を抑えて平静を装い、老婆に質問する。使えることが分かっても使い方が分からなければ意味がない。

「ただ魔力を変換して放出するだけであれば、念じるだけで可能でございます。ただ初めてでは加減もわからぬでしょうから、初歩的なところから順を追っていきましょう」

 そういうと、老婆は席を立ち家の奥へ向かっていった。そして倉庫へと入っていき、またすぐに戻ってきて席へと座る。その手には一辺20㎝ほどの正方形の板を持っていた。石製のその板の表面には彫刻が施されており、また中心に円形の鏡が嵌っている。

「魔術には属性というものがあり、種族や個々人によって扱えるものと扱えないものが存在します。我々『ドレク』と呼ばれる種族ならば光、水、風とそれに関連するものを扱うことができ、逆に火、土、闇とそれに関連する魔術は扱えません。その中でも私は光と風、ナギは光と水を操ることが可能でございます」

 新しい単語が出てきた。種族といえば、人間だとか竜人だとかのあれだろう。俺の知りうる限りでは『エルフ』と呼ばれる種族の特徴を持つ彼女たちのことを、恐らくこの世界の固有名詞だろう、『ドレク』と呼ぶらしい。

 老婆が、テーブルに置いた鏡を俺の方へ差し出す。

「この鏡は霊詠(たまよみ)の鏡と申しまして、触れた者の力を映し出す霊鏡でございます。こちらへ手を」

 鏡を見つめる。曇りのないその表面に映りこんだ自分の顔は期待半分不安半分といったところか。それはそうだろう、此処での結果が今後の異世界ライフに大きく影響しそうなことは明白だ。個人的には救世主らしく光属性を希望したい。闇属性の救世主とか、いまいちピンと来ないし。

 ごくりとつばを飲み込み、意を決して鏡へと手を伸ばす。ゆっくりと近づき、そして、指先が鏡面に触れた。

 一瞬、指先に吸い付くような感覚を感じた、と思った次の瞬間。

 ゴゥッ、と巨大な火柱が鏡から一瞬吹き出し、そして鏡が砕け散った。

「………………」

「………………」

 予想外の事態に言葉を失う。まさかこうなることを分かったうえで触らせたのか、と少し怨みを込め二人の方を見ると、ナギはおろおろと狼狽え、老婆は難しい顔をしていた。どうも二人にとっても予想外の事態だったらしい。辺りに沈黙が漂う。

「…………これで、属性が分かったんですかね」

 沈黙に耐えかねて老婆へ問いかけると、老婆はテーブルの上の砕けた鏡を一瞥して、こちらへ向き直る。

「恐らくは、火の力でありましょう。しかし、なにぶんエルツィレム様の加護が強いようで、鏡がその力に耐えきれなかったために割れてしまいましたから、さきほどの火柱がエルツィレム様の御力なのか、神使様ご自身の御力なのかは判断いたしかねます」

「なるほど……」

 つまり、火属性かもしれないが神様の力が邪魔して確証が得られない、ということらしい。まったく、気の利かない神様もいたものだ。

「ともあれ、霊詠の鏡にエルツィレム様の御力が反応するということは、その御力も魔力として使えるということでございましょう。我々と同じように扱おうとしては強大過ぎて制御が効かぬかもしれませぬが、制御さえできるのであれば魔術の完全な上位互換になるでしょうな」

「要するに……力はあるけど、今はコントロールできないと?」

「そうなりますな」

 ばっさりと言い切られる。例えるならば、膨大なMPはあるけれど呪文を一つも覚えていない状態か。なんという死にステ。いや、純粋な力として叩きつけるくらいはできるから死にステってほどではないが、しかしこのままでは宝の持ち腐れであることには変わりない。この宝をどれだけコントロールできるかが、俺の救世主生命を左右するといっても過言ではないだろう。

「となれば、特訓あるのみか」

 あの神様は、集中すれば高度なことができると言った。現に昨晩は肉体の強化と、力そのものを叩きつけるという乱暴なものではあれど攻撃ができていたわけだし、集中力の強化こそがこの力を制御するための最短ルートだろう。

 時計を確認する。そろそろ起床から長針が一周しようかというところで、まだまだ時間には余裕がある。この時間を有効活用しない手はあるまい。とりあえず瞑想から始めるとして、場所は……祠がベストか。

「しばらく祠をお借りしてもいいですか?」

「ええ、ご自由にお使いくださいませ。ナギも、引き続き神使様のサポートを頼みますよ」

「はい、おばあ様」

 席から立ちあがり、一礼して老婆はまた外へと出ていった。先代とはいえ実質巫女の役目はあの老婆がほとんどはたしているのだろう。一切そんな素振りは見せなかったが、あの老婆も大変であろうことは容易に想像できる。

「さて、じゃあ行くか」

「はい!」

 コップに残っていた牛乳を飲み干し、立ち上がる。結界が日々弱まっている以上、やつらが今日襲撃してくる可能性も無視できない。早急に力をコントロールできるようになろうと決意し、救世主としての修業の一歩を踏み出した。

「あっ、先に洗い物済ませてからでもいいですか?」

「お、おう……」

 ……洗い物が済んでから、救世主としての修業の一歩を踏み出した。

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