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ハロー、ワンダー。  作者: 小木一寸
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第6節 -祝宴と憂鬱-

 目を覚ますと、何もない真っ白な空間にいた。床も空も壁も上下も左右もない、どこまでも広がるただただ白い空間。光も影も境界は無く、自分だけが有色の世界に、一人立っていた。

「……死んだか」

 最悪の想像を口にしてみたら思ったよりも重い響きになってしまい、自分で勝手に口走っていながら精神ダメージを受けた。働いていたころはよく死にたい死にたいと口にしていたものだが、存外死にたくはなかったらしい。いやまあ、死にたいと言っていても本当は死にたくない、なんてのはとうの昔に自覚していたけど、なんというか、いざその時が訪れると思いのほかショックだ。

「そっかぁ、死んじゃったかぁ……まだいっぱいやりたいことがあった……あった、あったはず。うん、あったあった。まだいっぱいやりたいことがあったのになあ。それももう叶わないのかぁ」

「早合点するでないわ単細胞」

 あっけない幕引きに気持ち落ち込んでいると、どこかで聞いた声が聞こえた。この声、そしてこの口の悪さは。

 果たして、振り返ってみるとそこには、あの魔改造十二単を着たロリ神様が立っていた。顔をしかめ、何やらご不満がおありのようだ。

「ありゃ、お久しぶりです神様。本日はどういったご用件で?」

「お前が来たんじゃ阿呆。我から会いになど行くわけがなかろうがたわけが。つーか久しぶりてまだ半日しかたっとらんわボケ」

 ううむ、相変わらずの暴言である。嫌われているのだろうか。神様に嫌われる理由なんて心当たりはないのだが。でもしっかりツッコんでくれる辺り逆に好かれてるのかもしれない。

「ところで、ここはどこなんです? お前が来た、と言われても、俺には自分がどうやってここに来たかなんてさっぱりなんですけども。そもそも意志を持ってここに来た訳でもないんですがね」

「何でもかんでも答えると思うなと言ったのをもう忘れたのか鳥頭が。ちっとは自分で考えろ無能」

 なんだか前よりも暴言の頻度が増えている気がする。どうもご機嫌斜めらしいが、ひょっとして女の子の日なのだろうか。なんて呑気に考えていると、それを見透かしたのかロリ神様は一層不機嫌そうな顔になる。

「相も変わらず失礼極まりないのぉ貴様は。神様にセクハラする人間とかめったにおらんぞ」

「いやぁ、現代日本には割といると思いますよ。そもそも神様が美少女化されてあんあん言わされてるような国ですし」

「……お前の国、大丈夫なのか?」

「さあ……個人的には結構末期だと思ってますけど。いろんな意味で」

 別に神様と現代社会の闇について話したいわけではないからこれ以上は言及しないけど。このまま神様と雑談に興じるというのもなかなか体験できるものではないし魅力的ではあるのだが、いつまでもこんなわけのわからない場所にいるわけにもいかないしそろそろ真面目にここがどこか考えよう。まあ、正直だいたいの予想はつくけど。

「えっと……俺は意識を失ってここに来たはずだから、ここは精神世界的なものでいいんですかね」

「定義なんぞ知らん」

 自分で考えろというから考えたのに、一蹴されてしまった。なんとひどい神様か。

 まあ、何でもいいか。どうも神様の言を鑑みるとまだ死んでないみたいだし、時間が来れば目が覚めて元の場所だろう。ファンタジーでよくあるやつだ。

 そんな風に考えていると、なんだかはじめに比べて周囲が明るくなってきたような気がする。目覚めが近いのだろうか。

「ふむ。我が授けた加護のおかげか知らんが、回復は速いの。……お主に一つだけ、追加でアドバイスをしてやる」

「え、いいんですか」

 不機嫌そうなことに変わりはないながらも、その口の悪さからは想像もできないような台詞が出てきたので、思わず聞き返してしまう。これはさらに不機嫌にさせてしまうのではと思ったが、意外にも全く気にしていなさそうな様子で神様が返事をしてくれた。

「まあ、あんな自殺行為みたいな戦い方をされて野垂れ死なれては我の面子が立たんからな。とはいえもう時間がないようじゃから手短に言おう」

 神様の言葉に呼応するように、明るさがさらに増す。心なし自分自身の輪郭もぼやけているような気がするし、神様も後光がすごいことになっている。

「お主はもう少し加減を覚えるがよい。雑魚に全力は無駄遣いじゃ」

「はあ。それはつまりどういう―――」

「時間じゃ」

 こちらの問が終わる前に、視界が完全に光に呑まれた。神様の姿も、自分の手すらも見えなくなる。

 やがて意識もどんどんと遠のいていき―――最後に「期待しておるぞ」という、らしくない台詞が耳に届いて、俺の意識はまた途切れた。

 と感じた次の瞬間には、再び目が覚めていた。目に入ってきたのは暗い空間と、天井と思しき木目。どうやら無事に帰ってきたようだが、ここはどこだろうか。灯りのない室内には俺が今寝かされているベッドと簡素な机がある以外にものはなく、扉の下から光が漏れ入ってきている。額に何か張り付いている感覚があったので取ってみると、温くなった濡れタオルだった。誰かが――おそらくナギだろう、看病してくれていたらしい。

 軽く腕や首を鳴らしてみる。まだ多少気怠さと右腕の熱はあるものの、鬼に受けた攻撃の痛みも消えていてもうほとんど問題なく活動できそうな程度だ。どうやら気を失っている間に鎧を脱がされたらしく、もとのジャージ姿に戻っていた。……今更だが、ジャージに革鎧を付けた自分の姿は相当シュールだったに違いない。一度鏡で見ておくべきだった。

 扉を開けるた先は廊下だった。どうやら一番奥の部屋に寝かされていたらしく左側はすぐ壁になっていて、右側の突き当りには階段があった。その階段の下の方からは人の話し声、というか騒ぎ声が聞こえている。祝勝会でもしているのだろうか。

 腹も減ったし乱入しようか、などと考えていると、誰かが階段を上る足音が響く。少し待っていると、桶を持ったナギが現れた。装飾だらけだった儀式用の服ではなく動きやすそうな服に着替えて、長い金髪も後ろでまとめてポニーテールにしている。ナギはこちらに気づくと、驚いた様子で駆けてきた。

「トーヤさん、目が覚めたんですか!?」

「あー、うん。おはよう。なんか騒がしいけどパーティでも開いてんの?」

「はい、初めての大勝利ということでちょっとしたお祭り状態に……。そ、そんなことより、もう起きても大丈夫なんですか? かなり消耗していたようでしたけど……」

「うん、もう元気元気。神様にもらった灼血の加護と、何よりナギちゃんの看病のおかげだな。ありがとう」

「いえ、巫女としての役目を果たしただけですから、感謝の言葉なんてもったいないです。……あの、おなかは空いていませんか? 下の階に用意があるので、よろしければご一緒に行きましょう。皆さんも英雄の顔を一目見たいと言っていますし」

「お、いいね。ちょうど何か食いたいと思ってたんだ」

 話しながら、ナギの様子を見る。鬼を撃退できたことがよかったのか前より表情は明るいように見えるが、額には汗が滲んでいる。初めての儀式成功に鬼との戦闘、加えて俺の面倒を見ていたのだから、疲れもたまっているのだろう。

「ナギちゃんこそ、休まなくて大丈夫なのか? 今日は色々あったし、疲れてるだろ」

「いえ、村の平和の象徴である巫女の私が弱音を吐くわけにはいきませんから。大丈夫ですよ」

「いやいや、平和の象徴こそいつも十分に休んで健康的な状態にしてなきゃダメだよ。それにナギちゃんはまだ見習いみたいだし、今の服装って儀式の時のじゃないから、今は巫女じゃないってことだろ? それにここには俺しかいないし、少しくらい弱音吐いたって誰も怒らないよ」

「む……トーヤさんは、口が上手いですね。誘惑に負けちゃいそうです」

 ナギは少し悔しそうな顔をした後、柔らかく微笑む。

「心配してくれて、ありがとうございます。でも、これは私がやりたくてやってることですから。さ、早く行きましょう」

 それだけ言って、それ以上の会話を拒否するようにナギは歩き出した。本人が嫌がっているのなら、これ以上は言及しないほうがいいだろう。しぶしぶではあるが、説得は諦めてナギの後を追う。

 階段を下りた先では、数十人の人が酒を飲み飯を食い騒いでいた。まさに宴会といった様相だったが、俺に気づくと、全員慌てて手に持っていたものを置いて立ち上がった。さっきまでの騒々しさが嘘のように場が静まり返る。水を差してしまったことを申し訳なく思いながら、ナギに案内されて上座に座る。すぐ右手の席にナギも腰を下ろし、テーブルにおいてあった瓶からジョッキに液体を注ぎ渡してきた。アルコールの匂いと甘酸っぱい果実の香りが鼻腔をくすぐる。どんな果実が使われているのかは分からないが、果実酒のようだ。

「ではトーヤさん。村を救った英雄として何か一言お願いします」

「ぅえ゛っ」

 突然振られ、変な声が出る。村人たちは全員姿勢を正して俺の発言を待っている。人前に立って音頭をとるなんて一番苦手なことを異世界にきてまでやることになろうとは……。

「えーっと……まあ、なんというか……今夜はお疲れさまでした。何はともあれ無事に鬼を撃退できたってことで、助力できたことをうれしく思います。えー……まだ鬼を全部倒したわけじゃないのでこれで終わりにはならないっすけど、とりあえず今日は目いっぱい喜びましょう。祝いの席ってことで、どうか無礼講でお願いします。それじゃあ皆さんグラスを持って、ご唱和願います。では、乾杯!」

「「「「「乾杯!!!!」」」」」

 ガチャガチャとグラスのぶつかる音が響き、喧騒が戻ってくる。俺は慣れないことをした緊張から解放されて溜息を一つ吐き、500mlくらい入りそうなグラスの中身を半分まで飲み干した。果実酒の甘味と香りが口いっぱいに広がり、すきっ腹に染み渡る。

「ではトーヤさん、何か食べたい物がありましたら仰ってください。私がお取りいたしますので」

「え、いや、自分で取るからいいよ」

 その程度のことでわざわざ手を煩わせるのは悪いと思って断ると、ずずいっと効果音がしそうな勢いでナギがテーブルから乗り出した。思わず椅子ごと後ずさりそうになる。

「そういうわけにはいきませんっ! これも巫女の務めですから!」

「あっはい」

 勢いに圧され、思わず敬語になった。それを了承と受け取ったのか、てきぱきと取り皿やフォークを取り俺の前に並べる。

「さあ、どれをお食べになりますか?」

 聞かれ、テーブルを埋め尽くす料理をざっと眺める。どれも見たことのない料理で、せいぜいサラダだとか肉だとか程度しか判別できないので、どれが食べたいかと問われても正直困る。

 ので、ナギに任せることにした。

「とりあえず肉多めで、あとはお任せします」

「承知しました。では取ってきますね」

 皿を数枚持ってナギが席を立つ。必然、話し相手がいなくなってしまったので、周りの喧騒を眺めながらナギの帰りを待ちつつちびちびと酒を飲む。酒はあまり得意じゃないが、この果実酒は苦味も少なくなかなか飲みやすい。

「いい飲みっぷりですな神使殿!」

 突然隣ででかい声がし、赤ら顔の大柄な男性が隣の席に腰を下ろした。神職にかかわっているのだろう、従者たちが着ていたものによく似た白いローブを羽織っているが、よくよく見るとほかのローブよりも少し装飾が多いように見える。この男性は誰だろうかと返事をしあぐねていると、男性は何かに気づいたような顔をして自身の額をたたき、笑い始めた。

「ハッハッハ、いや失礼いたした! まだ名乗っていませんでしたな。私の名前はウンシュー、この村で宮司をしておる者です。以後お見知りおきを!」

「あ、えっと、卯郷桐哉です。一応、救世主やってます。よろしく」

 ずいと目の前に出された、俺が持っているものの倍はありそうなグラスに恐る恐る自分のグラスをぶつける。ウンシューさんは何が楽しいのかがっはっはと大声で笑いながら、そのジョッキになみなみと注がれた黄金色のアルコールを一息に飲み干した。テーブルに叩きつける勢いでジョッキを置き、また大声で笑う。

「いやはや、此度は見事な戦いでした! 颯爽と現れて鬼を一撃で屠るその姿はまさに神の鉄槌! 我々神官もあの一撃によって消沈していた意気が完全に復活しましたぞ! しかも私はその神の一撃を一番近くで見せていただきましたからな、間近で見たその威力たるや! いやぁあの真っ赤な神炎は今も目に焼き付いておりますよ!」

「は、はあ。ありがとうございます」

 勢いに圧されつつ礼を言ってから、このおっさんが、俺が最初に攻撃した鬼と戦っていた人だと気づく。今までも何度も鬼や村の脅威と戦ってきたのだろう、ローブから垣間見える肌には無数の生傷が刻まれていた。おっさんは空いたジョッキに酒を足しながら上機嫌に言う。

「これまで奴らには負け続きでしたが、神使殿が来てくれたからにはもはや負けなどあり得ませんな! いや実に爽快! 今までさんざん苦い思いをさせられてきましたが、ここからは奴らの目にものを見せてやりましょうぞ!」

 バシンバシンと背中をたたかれる。痛い。いや正直それほど痛くはないが、いたたまれない。こっちはほぼ素面だというのに酔っ払いのテンションでガンガン来られても挨拶に困るというものだ。

 勢いに圧されながら助けを求めるように視線を彷徨わせていると、ちょうど料理を取り終えたらしいナギと目が合った。ナギは一瞬怪訝な顔をしたが縋るような思いが届いたのか、俺の隣に座っているおっさんの姿を認めると慌ててこちらに戻ってきた。

「ちょ、ちょっとお父さん! 何してるの!」

「えっ」

 お父さん……? この酔っ払いが? あっけに取られて両者を何度も見返してしまう。

「おお、なんだナギ。神使様をほっぽり出してどこに行っとったんだ」

「ほっぽり出してないから! トーヤさんが食べる料理をとってきてたの! 神使様に迷惑かけないでよもう!」

「ム、迷惑なんてかけとらんぞ。神使様が退屈しないようにお話しさせていただいていたんだ。これも立派な宮司の仕事だぞ」

「神使様のお世話は巫女の役目でしょう! ていうか、巫女以外は神使様と話しちゃいけないんじゃなかったの!?」

「そんな堅っ苦しいしきたりなんぞ知らん知らん! 神使殿も言った通り宴の席は無礼講だ!」

「無礼講でも限度があるでしょーっ!!」

 烈火のごとく怒るナギと、それを笑ってかわすおっさん。怒りながらも取ってきた料理を最初にこちらに渡すあたり真面目だなあなどと思う。

「なんか……全然似てないですね」

「はっはっは、よく言われます! ナギももっとおおらかになってくれればいいんですけどもなぁ!」

「お父さんは適当すぎるの! ごめんなさいトーヤさん、すぐにどけさせますから……」

「あ、いやいやお構いなく。退屈が紛れたのは事実だし無礼講って言ったのも俺だからさ。それより、酒のお替りもらってもいいかな」

「あ、はい! すぐにお入れしますね」

 酔っ払いの相手に困っていたのは事実なのだが、ナギがいてくれるならば問題ない。しかし酔っ払いの相手をしたり俺の世話をしたり、ずいぶん手慣れた様子でこなしていてまだ若いのにずいぶんとしっかりした子だ。

「ナギちゃんって、おいくつなんです?」

「おっ、神使殿! ナギに興味がおありですかな!? そうでしょうそうでしょう、なんせ16歳という若さで家事もできて気遣いも完璧にこなす、自慢の一人娘ですからな! 金烏(きんう)の巫女でありながら驕ることなく誰にでも平等に接し老若男女問わず誰からも好かれて――」

「お、お父さん! 恥ずかしいから大声でそういうこと言わないで!」

 ここぞとばかりに饒舌に話し出すおっさんをナギが顔を真っ赤にしながら慌てて止める。おっさんの心底嬉しそうな表情やナギの照れ顔から、この親子の仲の良さがありありと見て取れる。詳しい事情を知らなかったとはいえ、一時でもナギを矢面に立たせて自分たちは楽をしてるのではなどと考えてしまった自分が情けない。

 しかし、16歳か。16歳にしてこの面倒見の良さとあの勇気とは、本当恐れ入る。俺が16の時なんて適当に生きていた記憶しか……いや、そもそも16の時じゃなくともずっと今の今まで適当に生きていたが。

「そういえば、トーヤさんはおいくつなんですか?」

「ん、俺? 21歳だけど」

 予想とほぼ同じだったのか、ナギは曖昧なリアクションをした。まあ若くもないし老けてもいない微妙な歳だから仕方ない。明らかに子供ではないが大人らしさもあまりない、そんな中途半端な年齢だ。

 ナギと比べると5歳上、割合ならだいたい3割増し。尤も、3割増しなのは容れ物だけで中身が伴っていない気がする。

 自分の右腕を見つめる。斜に構えた態度と軽口、それと今は酒でごまかしちゃいるが、正直現状にかなりビビっている。知らない世界、見たこともない宗教、でかい化け物。ハイになっていたテンションが落ち着いたせいか、今更になってそれら非現実的な恐怖が、鬼を殴った時の、治ったはずの拳の痛みとともに逃れようのない現実味を伴って押し寄せる。

 確かに俺は、一撃で鬼を倒すことができた。鬼の攻撃も耐えることができた。

 それでも、あの鬼の威圧感が。今まで体験したことのない、平和ボケした俺でも分かるほどの圧倒的な殺意が。脳裏にこびりついて離れない。

 今回は何も考えずに突っ込んでがむしゃらに殴っただけだから何とかなったが、鬼の恐怖を実感した今、果たしてまた同じことができるのか。

 それだけじゃない。もし俺の攻撃では倒せない鬼が現れたら? あるいは、まともな戦闘経験などない俺の動きなんてすぐに読まれて当たらなくなるかもしれない。腕でガードできたからって、あの一撃を頭部や胴体に食らったら耐えられるのか? そもそも敵の数が分からない。一体一体があんなに強いのに、囲まれたら勝ち目なんてあるのか。

 グラスに注がれた酒を呷る。いずれにしても、この村の現状を見た限りじゃ俺が戦わなければこの村は滅ぶ。自分でやると言って、自分から関わった以上は、ここで退くなんてことはできない。覚悟ができていようができていなかろうが、俺にしかできないのだ。ならば、今するべきことは。

 フォークをナギが持ってきてくれた肉に突き立てる。こんがりと焼かれた黄金色に煌くその肉を口に含むと、肉汁と香辛料の刺激が口いっぱいに広がった。

「ん、美味い」

 肉を咀嚼しながら、パンのようなものに適当に裂け目を入れて野菜と肉を挟む。口の中に残っている肉を酒で流し込み、間髪入れず手に持った即席サンドイッチにかじりついた。

 今はとにかく腹を満たして、次に備える。覚悟が決まらなくても腹は減るのだ。どうもあの力は燃費を食うらしく、戦闘前に食った分の飯はとっくに消化されて腹の虫が鳴いていた。皿に山と盛られた料理も、すぐになくなった。

 その後も宴は続き、広間の大時計が1時を指す頃にようやくお開きとなった。騒いでいた神官たちも徐々に帰っていき、数分で広間は宴の喧騒が嘘のように静まっている。

「それじゃあそろそろ私たちも休みましょうか」

「ん」

 宴会場の片づけを終え、シャワーで土埃と汗もさっぱり洗い流し、あとは寝るだけだ。俺はもともと寝間着だったジャージ姿、ナギはおそらく羊毛のようなもので編まれているのだろう、やたらもこもこしている寝間着を着ている。今はシャワーを浴びた後だからそれほど感じないものの今の季節は夜は冷えるらしく、その恰好はごく当たり前の格好ではあるのだが、昼間は儀式用の装束、鬼との戦闘時は動きやすい機能的な軽装をしていたので、不意に目にしたその年相応な可愛らしい出で立ちになぜか少し安心してしまう。

「トーヤさんは宴会の前に寝ていた部屋を……なぜ笑っているんです?」

 階段を上り切ったところで、振り向いたナギに怪訝そうな顔を向けられる。どうも頬が緩んでしまっていたらしい。

「いや、なんでもないよ。それより今更な質問なんだけど、また鬼が来るかもしれないのに宴会なんか開いててよかったのか?」

「この村に張られているエルツィレム様の加護の結界のおかげで、鬼の襲撃はいつも短時間なんです。見張りも継続していますし、父と祖母が今日の襲撃はもうないと判断したんですよ」

「へえ、結界なんて便利なものがあるのか」

 あの神様の力が有用なことは俺が身を以て証明している。どうやら他に鬼に有効な手立ても見つかっていないみたいだし、現状はあの神様の力が唯一の望みだろう。

「でも、最近力が弱まっているみたいで……侵入も許してしまっていますし」

「ふぅむ」

 度重なる鬼の襲撃で消耗しているのだろうか。結界があるからと悠長に構えていることはできないようだ。

「まあ今日はもう遅いし、その辺の話はまた明日、といってももう日付変わってるけど、寝て起きてからにしようか」

「はい。それでは、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 一礼して部屋に入っていくナギを見送り、自分も貸してもらった部屋に入る。

 一人になって気が抜けてしまったらしい、無意識に溜息をついていた。

 全く以て、怒涛の半日だった。常識外の状況に順応できている風を装ってはいたものの、痛みと疲れと目覚めによって現実味がこれでもかと押し寄せて来ている。

 何だ異世界って。

 何だ世界樹って。

 何だ神様って。

 何なんだ、鬼って。

 どれもこれも全部空想の産物じゃなかったのか。厳しい現実を知らない子供特有の夢想じゃないのか。疲れた大人の現実逃避の妄想じゃなかったのか。

 何なんだこの世界は。何もかもあり得ない。こんなことがあっていいはずがない。こんなことが有り得たら、俺が今まで20年以上かけて築き上げてきた常識が音を立てて崩れる。

「……はあ。さっさと寝よう」

 どれだけ否定したって、今ここにあるものはなくならない。むしろいきなり無くなられたらそれはそれで非現実的なのだ。ならばもうあるがままを受け入れるしかあるまい。異世界も世界樹も神様も鬼もすべて受け入れて、元の世界に戻る方法をさっさと探そう。あるいはそんな方法はないのかもしれないが、なかったらその時はその時だ。第一戻ったところで、そこに待っているのは今まさに崩れかけている穴だらけの常識に侵された退屈な世界。ならば、現実であれ幻想であれ、幼い頃に夢見たこの異世界を思う存分楽しむのが一番賢い生き方だろう。

 布団に潜り込み、目を瞑る。この半日だけで2回眠っているし頭の中は思考がぐるぐるだしもしかしたら眠れないかもという不安もないではなかったが、頭も体も使って疲れていたのだろう。ほどなく意識は微睡みの奥に落ちていった。

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