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ハロー、ワンダー。  作者: 小木一寸
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第5節 -襲撃-

 鐘の音が響いた瞬間、ナギが立ち上がる。その表情はこわばっており、先ほどとはまた違った緊張が張り付いていた。

「噂をすれば、ということでしょうか……トーヤさん、申し訳ありません。『奴ら』が、来たみたいです」

「『奴ら』?」

 がらりと変わったナギの雰囲気にやや気圧されながら、質問を投げる。家の窓を次々に閉めながら、ナギが答えてくれた。

「はい、『奴ら』―――この村を2週間前からたびたび襲う、『鬼』たちです」

「鬼……?」

 鬼。日本人にとって一般的な鬼の外見といえば、頭部の角、成人男性すら見下ろす巨躯、虎柄のパンツ、そして金棒といったところだろうか。外見以外の特徴は、力が強く、酒が好きで―――そして、人を食う、妖怪の代表格だ。天狗や鬼の正体は欧米などの外国人ではないかという説もあるが、まさかここで欧米人が出てくるとは思えないし、ナギのいう『鬼』は妖怪、化け物としての鬼だろう。

「奴らこそが、この村に迫っている危機です。力が強く魔術も通用せず、言葉を解さず人を食う……あの鬼たちに、すでに村人の半分近くが殺されました。私の母も、やつらに……」

 ナギは唇をかみしめ、そこで言葉が切れる。悔しさと怒りをにじませ涙を堪えるその表情が、『鬼』がどういう存在なのかをひしひしと物語っていた。

 沈黙を破るように、家の奥の扉が開け放たれた。そちらに目をやると、ナギと一緒にいたあの老婆が立っていた。手には大きな薙刀を持っている。

「これはこれは、ウゴートーヤ様。こちらにおられましたか。申し訳ありませんが、少しの間ナギをお借りしてもよろしいでしょうか」

「え……あ、あぁ、はい」

「ありがとうございます。ナギ、警鐘は聞こえただろう。急いで支度しなさい」

 老婆に促され、ナギは無言で頷いて老婆とともに入り口へと向かう。

 いつ止んだのだろうか、すでに鐘の音はしていなかった。代わりに、外からは怒号と悲鳴、そして身の毛もよだつようなおぞましい咆哮が聞こえている。体が震え、一瞬遅れて「恐ろしい」のだと理解する。

 きっと、俺が行っても何の役にも立たないだろう。最後に運動したのがいつだったかも思い出せない、平和な日常に浸かり切った俺じゃあ、まともに戦うことなんてできない。ナギや老婆もなんとなく察していたのだろう、俺にはここで待っていろと言外に語っていた。

 しかし。ふと、ナギと目が合った。

 その瞳は、怒りと決意に満ちていたが、それでも。

 その中に、縋る様な揺らぎが見えて。

「待ってください。俺も行きます」

「「!」」

 気づいたときには、そう口にしていた。

「……よいのですかな。貴方には直接戦う類の力はないと思いましたが」

「それはここに来たばかりのころの話でしょう。ご心配なく、先ほどナギさんの助けもあって無事に神から『力』を受け取りましたから。そもそも、俺を呼んだのはこのためでしょう」

 老婆がこちらへ向けた探る様な視線を真正面から受けながら、右腕の紋様を見せ、無理やり口角を吊り上げる。覚悟を決めた以上、退くわけにはいかない。それにナギは俺の無茶な要求にも応えてくれたのだ、ならばこちらも多少の無茶は通すのが筋だろう。

 こちらの覚悟を読み取ったのか、老婆は目を閉じ身を翻した。

「わかりました。ぜひとも、そのお力で我らをお救いくださいまし。……ナギ、いくら神の御遣いとはいえ着の身着のままで戦場に送り出すわけにはいかない。鎧をお持ちして差し上げなさい」

「はっ、はい!」

「では、私は一足先にあちらへ向かいますので」

 こちらが口を挟む間もないまま、老婆は扉を潜り外へと出て行った。扉が閉まり、その音でナギがはっとしたように、恐らく鎧とやらを取りに、玄関とは逆の方へパタパタとかけていった。遅ればせながら、俺もそのあとを小走りで追いかける。

 追いかけながら、あの神様が言っていたことを思い出す。先ほどはなんの根拠もなく紋様を交渉の手札に使ったが、この"灼血の加護"を腕に刻んだとき、あの神は『集中すればもっといろいろできる』と言っていた。今こそその『いろいろ』を試すときだろう。

 ナギを追った先にあったのは倉庫のような場所で、箱やら袋やらが棚に所狭しと並べられていた。その棚の中の一つから、ナギが何かを引っ張り出そうとしている。

「手伝うよ」

 横に立って、一緒に棚から引き抜く。出てきたのは丈夫そうな革鎧だった。

「トーヤさん、これの着方は分かりますか?」

「いや、鎧なんて着た事ないから分かんねえなぁ……」

「じゃあ私が着せて差し上げますので、少しの間動かないでくださいね」

 いうが早いか、ナギはテキパキと俺の体に革鎧を纏わせ始める。一つ一つのパーツはそれほどの重さではないが、全部つけたらかなり重そうだと考えながら、為すがままに着せられる。

 着せられている間は棒立ちのままやることもなかったので、紋様について試行をしてみようと思い立ち、目を閉じて深く息を吸い、ゆっくりと吐く。

 思考を止め、自身の内側に意識を凝らすイメージをする。

 静寂に包まれた自意識の奥へ奥へと手を伸ばす。

 何が掴めるかなどとは考えず。

 何もないかもなどとも考えず。

 ただ、手を伸ばす。

 闇の中をひたすらに突き進み、そして。

 右腕に熱が宿った。

「……っはぁっ! がはっ、はぁっ……! げほっ、げほっ……」

 目を開く。知らぬ間に呼吸も止めてしまっていたようで、噎せてしまった。

「だ、大丈夫ですか!? やっぱり、無理はなさらない方がいいんじゃ……」

「ごほっ、ごほっ……いや、大丈夫。ありがとう、問題ない」

 背中をさすってくれるナギに礼を言い、体を起こす。噎せかえるのは予想外だったが、どうやらうまくいったみたいだ。右腕の紋様を見ると、赤く輝いていた。

 何が変わったのかは、即座に理解した。あんなに重かった革鎧が、今では意識しなければそれを纏っていることを忘れそうなほど軽く感じる。これならそれなりに動くことはできるだろう。

「それじゃあそろそろ行こうか。あまり時間もないんだろう」

「は、はい。では行きましょう」

 ナギから古ぼけた剣を受け取り、玄関へと走る。扉にたどり着き、扉のすぐ近くに何の気配もないことを確認したのち、開け放つ。

 外で待ち構えていた景色は、まさしく襲撃という光景だった。

 扉を出て真正面、30メートルほど離れた場所で、火の手が上がっていた。炎に照らされ、従者たちと鬼の姿が闇に浮かび上がっている。村の端、入り口のところで交戦してるようだから、おそらく火元は入り口の横に立ててあった篝火だろう。

 鬼のシルエットが揺れる。ざっと見ただけで、鬼の数は6匹といったところか。それに対し従者は20人近くいるが、それでも有利なようには全く見えない。互角どころか、押され気味にすら見えた。障壁のようなものを張って鬼の侵入を妨害しつつ剣や槍で攻撃しているようだが、あまり効いているようには見えない。不詳者の避難や救助も従者たちが行っているようだし、人手は明らかに不足していた。

「急ごう」

「はい!」

 炎へ向かって走る。今まで気が付かなかったが、ナギは矢筒を背負い弓を持っていた。ナギは走りながら器用にその弓に矢を番え、何かをつぶやいてそれを放つ。矢は朱い軌跡を描いて飛び、体長3メートルはありそうな鬼の右肩に命中した。途端、その箇所から火が上がる。

 鬼が吼える。怒りの込められたその咆哮から数瞬ののち、前線にたどり着き、迷いなく未だ吼えるその鬼の脇腹へと剣を抜いた。ガキィン、と鈍い音が鳴り鬼の態勢が少し崩れるが、その肉体に刃がめり込むことはなく、どころか剣は根元からぽっきりと折れた。

「おいおいマジかよ……ッ!」

 脆そうだとは思ったが、まさか一撃で折れるか。もはや柄と鍔しか残っていないそれを苦笑いで一瞥し、このまま持っていても邪魔になるだけだと判断し投げ捨てる。そのわずかな間にも鬼は態勢を立て直し、こちらをギロリとにらむ。どうやら一撃で態勢を崩されたのが気に入らないらしく、他の人には目もくれず、鬼は聴いただけで竦んでしまいそうな雄叫びをあげ、その丸太のように太い腕を俺の頭上へ振り下ろした。とっさに頭上で腕をクロスし防ぐ。

「ぐッ……、結構、きついなこりゃあ……!」

 足が数センチ地面にめり込んだが、腕の加護のおかげなのかぺしゃんこにはならずに済んだ。両腕に痛みが走るがそちらも折れてはいないようで、まだ十分動かせる。

 武器を失った以上、ここからは素手で戦うしかない。これまでの人生で格闘技なんて習ったことはないし取っ組み合いの喧嘩すらほとんどしたことのない俺だが、腹をくくるしかないようだ。

 頭上の腕はなおも俺を押しつぶそうと圧力を増している。素手で戦うならば、敵に肉薄している今が好機だろう。

「う、おお、おりゃああッッ!」

 体を捻って鬼の腕を横に逸らす。相当力を込めていたのだろう、鬼は自分の腕に引っ張られるように前のめりになった。がら空きになった鬼の脇腹が、俺の眼前に晒される。

 これ以上ない好機。この加護がどれだけの力を持つのかは分からないが、向こうもその脅威を把握しきれてはいない。ならば、相手に油断のあるうちに、全力をぶつける。

 目を閉じ、短く息を吸い、先ほどの右腕に熱が宿る感覚を思い出す。体感では数分にも及びそうな長い、しかし実際は半秒にも満たないその呼吸で、右腕の紋様が強い熱を放つ。それを感じ取った瞬間、躊躇いなく、橙色の光を纏うその右拳を鬼の脇腹へ叩き込んだ。

 ガゴン、という鈍い衝撃音と、火花がはじける。

 瞬間、辺りの音がすべて消え失せる。木々のざわめきさえ失せ、まるで時間が止まったような感覚を覚える。

 その永遠のような一瞬の後。

 鬼の体がくの字に折れ曲がり、宙を舞った。

 数百キロはありそうな巨体が地面から引きはがされ、数メートル飛んで轟音を立てて地面に落ちる。無様な着地を見せたその巨躯の脇腹、俺の拳が当たった場所から、間髪入れずに朱色の炎が上がった。炎は瞬く間に鬼の全身を包み込む。

 鬼が吼える。悲鳴にも似たその咆哮すらかき消すように火の手は勢いを増していき、立ち上がろうともがいていた鬼はやがて、自身を支える力すら失ったのか地面に倒れ伏した。朱色の炎もやがて勢いを失い、そこには黒焦げになった鬼の亡骸だけが残った。

 静寂が訪れる。突然起こったパワーバランスの逆転に、鬼も人も、俺自身すら、状況が掴めず立ち尽くしていた。

 想像以上の火力だった。従者たちが数人がかりでも倒し切れていないようだったあの鬼を、まさか一撃で仕留められるとは誰が予想しただろうか。

 一部始終を見ていた村人たちが、歓声を上げる。「救世主様」だとか「俺たちは助かるんだ」だとか、形勢逆転に歓喜する声がいくつも上がる中、ある不安がよぎる。

「ハァッ、ハァッ……」

 一撃撃っただけで、すでに息が上がっている。右腕は灼けるように熱く、全身が気怠さに襲われている。気を抜いたら膝をつきそうなほどだ。この調子ではあと何発今のが撃てるか分からないし、そもそも今のが再現できるのか、そして鬼がそれをおとなしく食らってくれるのかという問題もある。

 崩れそうな脚に、力を入れる。救世主として期待を受けた以上、仮にもう撃てないとしてもここでそれを悟られて鬼に猛攻されるようなことがあってはならないのだ。村の救世主として、鬼の脅威として、虚勢を張らなければ。

「ハァッ、ハッ……鬼ってのも、大した事ねえな。さあ、次はどいつだ?」

 渾身の嘲笑を浮かべ、周りにいる鬼を見回す。鬼の感情なんて読み取れないから何を考えているか分からないが、どの鬼もこちらを見たまま動きを止めている。

 炎の音だけが響く中、不意に風切り音が鳴る。直後、俺の近くにいた鬼に朱の光が刺さり燃え上がった。

「今です!」

 矢を放ったナギのその叫びが終わる前に、腕に意識を集中し地面を蹴った。叫び仰け反る鬼に1歩で間合いを詰め、熱を纏う渾身の右ストレートを見舞う。鬼の体は一体目同様宙を舞い、そして燃え上がった。

 先ほどよりも強い倦怠感が襲う。膝が震えそうになるが、奥歯を噛み締めて堪えた。今鬼の攻撃を食らってしまえば、碌に防ぐこともできずに崩れ落ちるのが容易に想像できる。

「ハッ、これで二匹だ。早くも三分の一が潰れたなぁ?」

 それでもまだ、鬼が残っている以上は虚勢を張るしかない。全身に力を籠めて体の震えをねじ伏せ、他の鬼へ向き直る。まだ撃てる。気合いを振り絞ればあと一発、いやあと二発は撃てる。次はどいつを狙うか。残っている鬼たちを値踏みするように眺めていると、四匹のうち一番大柄な個体が短く吼えた。思わず身構える。

 が、そんなこちらの警戒に見向きもせず、鬼たちが突然森に向かって走り出した。わき目もふらず、一目散に森へと逃げていく。

 一瞬何が起きたのか分からず、立ち尽くす。鬼たちの足音はどんどん遠ざかっていき、やがて夜の森本来の静寂が村に訪れた。風に揺れる木々のざわめきと、近くを流れているらしい川の水音だけが響く。

「…………勝った、のか?」

 無理矢理体を支えるのもそろそろ限界だったらしく、地面に尻餅をついた。

 ようやく村人たちも事態を飲み込めたのか、森を震わさんばかりの歓声が上がった。あちらこちらで抱き合い、泣いている人もちらほら窺える。消火に当たっている老婆や従者たちも、心なしか表情が明るいように見えた。

 ナギの姿を探すと、従者たちと一緒に消火作業をしているのが見えた。目じりに涙を溜めながら、笑顔で従者たちや村人と話している。

 その姿を見て、ようやっと勝利が実感できた。俺の救世主としての初戦闘は、無事に勝利で飾られたのだ。

 全身を地面へ投げ出す。全身を襲う気怠さも、今となっては心地よい勝利の証に思える。右腕はまるで燃えているかのように熱いが、今はそれも気にならない。消火に使われた水で冷えたのか、地面がひんやりと心地よい。

 緊張が切れたのか、瞼が重くなる。疲労感と達成感に包まれて、意識が襲い来る睡魔に負けるのにさほど時間はかからなかった。

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