第4節 -道標-
「して、わざわざ我を呼び出した目的は何じゃ?」
名乗りが決まって満足したのか、自称神様の童女は再び胡坐を組んで宙へ浮き上がる。一体どういう力で浮いているのだろうか、謎である。
さておき、呼び出した目的か。ナギ達村の住民にとっての目的は「村を救ってほしい」といったところだろうが、俺個人としての目的は、まず現状の説明だろうか。文句を言おうなどと嘯いてはいたが、いざ目の前に来られると何を言ったものかと迷ってしまう。
ということで説明を求めてみたら、アホかこいつはとでも言いたそうな顔で溜息をつかれた。
「現状の説明だぁ? んなもん考えるまでもなかろうが。ここの住人が助けを求めてたから、救援としてお主が召喚された。それ以外に何があるっつうんじゃ」
「いやうん、まあ、そうなんだろうけど、なぜ俺なのかとか全く分からないじゃないですか。あと言い方は悪いけど、たかだか村一つだけのために異世界から連れてくるってやりすぎな気が」
言い訳がましく反論すると、はん、と鼻で笑われた。
「それくらい自分で考えて見せろ、愚か者。勘違いするなよ、我は神であるぞ? 求められるがままに応えるなぞ、それは神の行ないではない。使用人や奴隷のそれじゃ。神はただ道を示すのみ。道の先に何があるかはお主らが直接確かめる以外にありはせん」
「そんな無責任な……」
「とはいえ」
懲りずに食い下がろうとした俺を遮り、童女はまた胡坐を解いて地面に立つ。何をするのかと見ていると、俺の周りをぐるぐる回りながらじろじろと遠慮のない視線で俺の全身を隅々まで観察してきた。
「ふぅむ……なるほど。確かにお主の言い分も分からないでもない。我の不手際がないでもないしな。……よかろう、お主の質問に答えてやろう」
質問に答えてくれるのはうれしいんですがなんか不手際とか不穏な単語が聞こえたんですが大丈夫ですかこの童女神。
「というかお主、我が本当に神だと信じておらんじゃろ。表面だけ取り繕って神を欺けると思うでないぞ三下風情が」
「アッハイ」
心の中で童女よばわりしてたのが見透かされていたらしい。しかしいきなり現れた自称神様の童女を信じろという方が無茶だと思うのだ。
「……はあ、まったく。人は本能で理解しても論理が追い付かなければ許容もできぬのか。悲しい時代になってしまったのぅ向こうの世界は」
呆れたように溜息をついて、童女はその小さな手のひらを俺の腹部に当てる。そして低い声で一言、つぶやいた。
「図が高いぞ、人間」
途端、とてつもない悪寒に襲われ、同時に全身に力が入らなくなる。堪らず膝を折り、地面に倒れこみそうになる。何とか腕を動かして地面にキスする事態は避けることができたが、それ以上体を起こすことはできない。震える体で何とか童女の方を見上げると、童女は楽しそうに笑みを浮かべていた。
「ほほう? 地面にめり込ませるつもりでやったのじゃが、まさか耐えるとはな。さすが、選ばれるだけはある。よかろう、その気概に免じてお主がここにいる理由を教えてやる」
四つん這いでガタガタ震えている俺の背中に神様が腰かける。重さはほとんど感じないが、それとは比べ物にならないほどの威圧感が背に乗っているのを感じる。
「な、なに、を……」
「安心せい、ちょっと威嚇しただけじゃ。放っておけばすぐに治る」
首を動かして背を見ようとする俺の頭をべしべしと叩き、童女はなおも楽しそうに言う。
「ふむ、まずは一つプレゼントをしよう。手を出せ」
俺の返事も待たず、童女は俺の右腕をつかみ捻りあげる。ただでさえぎりぎりで体を支えられている状態でそんなことをされて体勢を崩しそうになるが、崩れたらまずいという予感と男の意地で何とか耐えた。
「ふふ、負けず嫌いは嫌いではないぞ。さておき、これをお主にやろう。ありがたく受け取るがよい」
「……? …………っ!?」
捻りあげられた右腕に、熱した金属を押し付けられたような痛みが走る。振り解こうにも、脱力状態でしかも無理やり動かされている腕に力を込めることはできず、為すがままに腕を焼かれる。
「よしよし、できた。我からのプレゼントだ、せいぜい泣いて感謝するがよい。それにしてもお主、悲鳴をあげないとはどうしてなかなか根性があるではないか。ますます我の好みだぞ」
プレゼントとやらが終わったらしく、興味を失ったおもちゃのように右腕が放られる。熱が走った場所を見てみると、何やら円と三角形を複雑に組み合わせたような不思議な紋様が浮かび上がっていた。
「そりゃどうも……悲鳴を上げる力すらなかっただけですけどね……」
「ハッハッハ、軽口をたたく余裕があるのに悲鳴をあげられない訳がないではないか。して、その紋様だがな。どうもお主は他の者とは違い何も加護がなかったようだから、我が直々に加護を授けてやったぞ」
「かご……?」
「うむ、名付けて『灼血の加護』じゃ。まあざっくり言って、怪我の治りとかが早くなる加護よ。集中すればもっといろいろできるがの。どら、もう立ち上がれるのではないか?」
背中から童女が下りたので、その言葉に従い足に力を込めてみる。さっきまでの脱力が嘘のように、難なく立ち上がることができた。
「あとお主はここの住人の言葉が分からんようだから、その辺も加護に加えておいたぞ。ふふん、慈悲深い我を讃え崇めるがよい」
「ところで、さっき言ってた『他の者』って」
「無視とはいい度胸じゃの」
腕の紋様をさすりながら尋ねたら、脇腹にチョップがめり込んできた。「ぐおっ」と思わず声が漏れる。さっきからバイオレンス過ぎないかこの神様。
「他の者というのは、言葉通りお主以外の者のことじゃ。あと4人、我の血を引く者がこちらの世界に召喚されておる。まあ、やつらはお主と違って我の血を向こうでもっとも強く引いている4人じゃから、お主のように自分が召喚された理由すら知らんなどということはないじゃろうがな」
「召喚された理由ね……結局、俺は何のために召喚されたんだ?」
「それくらい自分で考えろ、と言ったじゃろう無能」
さりげなく聞いたら教えてもらえるかと思ったが、すげなく一蹴されてしまった。
「まあ、神は道を示すと言った手前、何も教えないというのは我の主義に反する。まずは世界樹へ向かうがよい。そこへ行けば、お主がこれから救世主として何をすべきか分かるであろう」
童女はそういうと、言うべきことは言ったとばかりに宙へと浮かび上がり、そして虚空をなでるように手を動かす。すると地面に書かれていた魔法陣が輝きだした。
「世界樹に行けば、この村も救えるのか?」
「自分で考えろ、と三度も言わせるでないわ愚図が。村の危機はそこの娘っ子に聞けばよいじゃろう。お主が面白いから色々とサービスしすぎてしまったが、こんな機会はもう二度とないと思え」
心底迷惑そうに顔をしかめながら、神様らしい童女は光の中に消えていった。しばらく魔法陣から放たれていた光もやがて弱まり、洞窟内には再び静寂と薄闇に包まれる。
そういえばナギのことを放置してしまっていた。ナギの元へ慌てて駆け寄ると、ナギは寝息を立てて眠っていた。一瞬危うい状態なのではと嫌な予感がよぎるが、呼吸も脈も安定しており、命に別状はなさそうだ。単純に疲れてしまったのだろう。
ナギの隣に腰を下ろし、溜息を吐く。さすが神というだけあって、話しているだけですごく体力を削られた気がする。
右腕を持ち上げ、そこに刻まれた紋様を眺める。太陽を模しているとも取れなくもないその紋様はまるで古傷のように、昔からそこにあったかのように皮膚に馴染んでいた。たしか灼血の加護、だったか。怪我の治りが早くなると言っていたが、そもそもあんな遥か上空から落ちても無傷だったのに怪我をするのだろうか。今更になって、なぜあの時無傷だったのかとか、俺に救世主足り得る力があるのかとか、いろいろと聞き忘れていたことに気づく―――聞いたところで、どうせそれも自分で考えろと一蹴されそうな気もするが。
救世主。何となく思っていた、そして何気なく言われたその言葉が意識に引っかかる。
現状、俺の目の前にある問題はナギの村に降りかかっているらしい危機だけだ。まさか村一つ救っただけで救世主とは呼ばれないだろう。他の召喚者というのも気になる。
世界樹に行けば何かわかるのだろうか。何もないということはないだろうが、明確な答えが用意されているとも思えない。
考えるだけ、きっと無駄だろう。あの神様はまずは世界樹へ向かえと、そこで何をすべきか分かると言った。考えるのはその後でも遅くはないはずだ。
顔をバチンと叩いて、気を締める。一先ずの目的地も決まったのだ、ぐだぐだ悩んでいないで行動を起こそう。差し当たってはナギを起こし、村に戻るとしようか。
「おーいナギちゃーん。起きろー」
頬をぺちぺちと叩く。うーんうーんとうなるものの、どうもこの程度では起きる様子がない。このまま背負って行ってもいいんだが、村に戻ったところでナギが目覚めないと村人は俺と会話をしてくれないし、どちらにせよナギが起きない限り俺は動きようがない。できれば早急に起きてくれるとありがたいのだが、疲れ切っているであろうナギを起こすことに罪悪感があることも否定できない。
しばし迷った結果、起こさずに待つことにした。ナギちゃんも緊張しっぱなしで疲れているだろうし、俺も少し気持ちを整理したい。しばらくこの静かな洞窟で休むとしよう。風邪をひいては大変なので上着をナギに被せたら、岩壁に体を預けて目を閉じる。背中から伝わる岩の冷たさが不安や焦りに熱された思考まで冷ましていってくれているようで、立て続けの非現実に振り回されて草臥れていた意識を手放すのにさほど時間はかからなかった。
どれくらい寝ていたのかは分からないが、不意に隣で何かが動く気配に意識が引き上げられる。目を開けて気配のした方を見ると、ナギが寝ぼけ眼をこすりながら上体を起こしていた。
「ぅん……あれ、ここは……」
「おう、おはようナギちゃん。よく眠れたか?」
「ぁ、はい、おはようございます……え?」
こちらに気づいて数秒ののち、重力に負けそうだったナギの瞼が勢いよく跳ねあがる。
「えっ!? あのっ、私、そのっ、ご、ごめんなさい! すみません! うわぁっ、うわっ、上着!? すみ、すみません!!」
「うんまあ、気持ちは分からないでもないけど、落ち着いてくれ」
あわあわと狼狽えるナギから上着を受け取り、立ち上がる。
「ちょっとは体力も回復したみたいだな、よかった。言葉も通じるようになったし、とりあえず目下の懸念は解消されたって感じかな。そろそろ村に戻ろうぜ」
「あ、はい! ごめんなさい! ……あれっ、そういえばどうして言葉が……?」
「その辺の話は歩きながらしようぜ」
ナギの手を取り、立ち上がらせる。ふらつくこともなくしっかりと立ち上がったナギを見て、再度安心した。
洞窟を抜け、最初に案内された家に戻る頃にはもう日がほとんど沈んでいた。どうやら少し休むだけのつもりでかなり長いこと眠っていたらしい。
「まあそんな感じで、収穫としては"灼血"の加護とやらとそれに付随した翻訳機能、差し当たっての目的地くらいかな。聞きたいことは色々あったんだけど、どうも全面的に助けてくれるってわけじゃないみたいだし、あれ以上聞いても教えてくれなかっただろうなあ」
「いえ、そもそも神様そのものが降りてきたという時点で相当衝撃的な事態ですから、怒りも買わずにいろいろ教えていただけたなんて、むしろ収穫ありすぎといって差し支えないくらいですよ……本当に、本当にエルツィレム様だったんですか?」
「だから腕の紋様も見せたじゃんか……どんだけ疑ってるんだよ。ぶっちゃけこっちだってエルツィレム様がどういう見た目か知らないんだし断言できないよ。ただ、只者じゃないことは明らかだったけど」
ナギの家、昼の残り物を食べながら何度目か分からない確認に答える。言葉が通じるようになったからか、それとも初めての降霊成功という一つ成し遂げた後で緊張がほぐれているのか、はじめに比べてだいぶナギの態度がフランクになっている。
「それにしても、世界樹ですか……確かにここ数週間、世界樹と連絡が取れていませんけど、あちらでも何かあったんでしょうか」
「えっ連絡とか取れんの? 樹と?」
思わず聞き返す。森に棲む人々は木と話すことができるのだろうか。
「あ、すいません、少し語弊がありました。正確には、世界樹の下にある、この国一番の都市『ドゥシェル』と連絡が取れないってことです。この村から出ることができないというのもあるのですけど、通信もつながらない状態で」
「ああ、なるほど……って相当まずくないかそれ?」
この国―――そもそもこの国の名前も規模も知らんが―――で一番大きい都市が音信不通。それはつまりこの国が崩壊しているのと同義ではないのだろうか。
「はい、確かにその通りなんですけれど……なにぶん、この村も危機に陥っていますから。ドゥシェルの危機を知ったところで、この村から出ることができませんし、仮に出られたとしても向こうに回せるだけの人員的余裕もありませんし、そもそもあの町で解決できないことをこの村でどうしようというのは土台無理な話でして……」
「ああ……」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。どうしようもない切羽詰まった状態だからこそ、神頼みくらいしかできることもないのだと捉えることもできる状況だ。
「ていうかそもそも、今まで聞きそびれてたけど、この村の危機って何なんだ? 出れないってのもその一つなんだとは思うが」
ここに至ってようやく、核心に、俺がここに召喚された核心に迫る質問をする。この質問をしたら戻れない、と心のどこかで保身的な自分が喚いているが、ここまで来てしまったら覚悟を決めるほかない。
「あぁっ、ごめんなさい! 私としたことが、肝心なことをお話ししていないなんて……!」
「いや、その辺に関してはこっちもわざと話題にするのを避けてたからお互いさまだ。それで、教えてくれるか?」
「はい、遅ればせながら、お話しさせていただきます。今この村には―――」
ナギが神妙な面持ちで言葉を続けようとした、その時。
カンカンカンと、けたたましい鐘の音が響いた。




