第3節 -巫女と女神-
さて、決意固く意気込んだはいいが、知らないこともわからないことも多すぎる。差し当たって把握するべきは、自分が何をすべきなのかと、何ができるのかだ。
というわけで、適当に腹ごしらえを済ませ、9割以上残った料理は村の皆で分けるようにお願いしたのち、ナギに頼んで神様とやらを祭っている場所に連れてきてもらった。
「ココガ、メァ……エルツィレム様、ヲ、祀ッテイル、祠デス」
「へぇ……意外と小さいんだな」
村から少し外れたところにあった洞窟の突き当り、円形に開けたスペースの最奥に、石造りの小さな祠が鎮座していた。腰ほどまでの高さの台に乗った祠は三角屋根に観音開きの扉と、よく見る形をしている。石の扉は固く閉ざされ、おそらく開かれることはほとんどないのだろう。
祠の前には供物を置くのだろう、小さな台があり、そのさらに前の床には魔法陣のようなものが描かれ、ここで何かしらの儀式を行なっていたであろうことが窺える。周囲の壁で揺らめく篝火が祠と陣をゆらゆらと照らし、人ならざるものの呼吸が聞こえてきそうなほど厳かで異質な雰囲気を作り上げていた。
「ココデ、エルツィレム様ノ、コエ、キキマス。巫女ガ、エルツィレム様、呼ビマス」
ナギが陣の中心ほどに立ち、たどたどしくながらも説明してくれる。よくよく見ると、ナギの着ている装束も他の村人の服装とは明らかに異質だ。麻か何かで作られた簡素なデザインの服を着ていたが、ナギの装束は日本の巫女装束を魔改造したような、袖のない小袖だったりもはやフリルじゃねえかというくらいひらひらの緋袴だったりあちこちについているリボンやら紐やらだったり、巫女風ドレスとでも言えそうな装束を纏っている。正直巫女要素が上下が紅白だという点以外見当たらない気もする。それでもなんとなく巫女服っぽいと思えてしまうのは、彼女が巫女だという先入観ゆえか、もしくはすでに創作物で巫女衣装にさんざ魔改造が施されているのを見ているからだろうか。
さておき、恐らくこの装束はここでの儀式の際に着用するものだろう。髪飾りや装飾品もやたら華美で豪奢だし、まさかこれが普段着だとは思えない。これが普段着だとしたら動きづらいだろうし、趣味が悪いだろう。
ふと、供物台の上に置かれている、肉や果物に目が行く。どれも新鮮そうで、まだ置かれて間もないように見える。
「今日もその……エルツィレム様? を、降ろしてた?」
「デュー……ハイ。エルツィレム様、ニ助ケ、願イマシタ。ソシテ、ウゴートーヤ様、降リテキタ」
「あーまあ……降りてきたというか、落ちてきたが……」
降臨というより明らかに墜落だった。その勢いで落ちてきておいて無傷だったのが逆に神に関連付けられている一因とも言えるが。
と、ふと疑問が一つ浮かぶ。
そもそも、なぜあの超高高度から落下して、無傷だったのか。ちょっと高いビルから落ちたって死ねる人間が、雲より高いところから落ちて無傷など、本来あり得ないはずだ。しかし、あの時の事は目いっぱいテンパっていたこともあってどうやって着地したのか思い出せない。
考えられる可能性として、肉体の強化、みたいなものだろうか。もしかしたらとてつもなく体が丈夫になっているのかもしれない。さすがにこの儀式場で試すわけにはいかないし、ここから出たらどうにかして試してみよう。
閑話休題、どうやら俺が落ちてきた当時、ナギはここで儀式をしていたらしい。神を降ろす儀式をしている最中に何かが落ちてきたとなっては、そりゃ神が遣わした使者だと思うだろう。
というか、どうもことの顛末を聞く限り、その儀式によって俺がここに落とされたと考えた方が自然な気がする。この世界の儀式が元の世界にあの求人を出現させ、そしてそれをタップした俺は召喚に応じたことになった、と考えるとつじつまは合っている。きっとエルツィレム様とやらの計らいだろう。
しかし、そうなってくると問題が一つ出てくる。すなわち、俺が召喚されたことによってこの村は本当に救われるのか、という問題だ。
現状、俺はただの異物だ。異世界出身というだけの、平凡無能な人間の一個体。運動が得意なわけでも頭がいいわけでもない、ちょっとゲームや漫画が好きなだけの何の取柄も経験もない、それこそ村人A、いや村人Dくらいのような人間なのだが。救世主として召喚するのなら、せめて聖剣くらいは持たせてもらいたいものだ。
「ナギちゃん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「ハイ、ナンデショウカ?」
俺が考え事をしている間もナギはおとなしく待ってくれていたらしく、俺の横に立ち小首をかしげている。その仕草は神に仕えているとはいえ年相応の少女らしいあどけなさに満ちており、そんな年端もいかぬ子を見知らぬ男と当然のように二人きりにしている村人たちにかすかな憤りさえ覚える。あるいは、他の村人やあの権力者らしい老婆に被害がいかないようにとの人身御供だろうか。だとしたら、余計に腹立たしいことだ。
まあ、事情を知らない俺がとやかく言えることではないだろう。それでも腹の虫がおさまる訳ではないが、とりあえずそれを考えるのは後だ。
「今、エルツィレム様を降ろすことって、できる?」
差し当たってはまずその神様に文句を言ってやろうと、そんな憤慨も抱えながらナギに尋ねると、ナギの表情が少し曇った。
「今、デスカ……。イーツ、ゴメンナサイ……私マダ、上手ク、降ロセナイ、デス……」
申し訳なさそうにナギが謝る。話を聞いてみるとナギはまだ巫女の見習いだそうで、儀式の際の巫女の役割は先代の巫女であるあの老婆が果たしているらしい。ナギ一人で儀式を行なう練習もしているものの、まだ成功したことは無い、という話だ。
老婆に頼めば降ろしてもらうことは可能だろうが、降ろせるかどうか聞いたのは単なる好奇心からだし、そこまでしてやってもらうほどのことでもない。というか正直、平然とこんな幼気な少女を見ず知らずの男と二人きりにする連中に憤りすら覚えているので、あまり老婆やその従者どもとは接触したくない。
しかし、どんな神様なのだろうか。見た様子じゃかなり崇められているみたいだし、穏やかで包容力のある大和撫子然とした女性の神様とかだろうか。あるいは質実剛健でとても頼りになるごつい男の神様かもしれない。もしこのどっちかなら女神さまの方がいいな。
「……あ。じゃあ今練習してみればいいんじゃない?」
「エッ」
「ほら、俺がいるし。神の遣いが近くにいれば成功率上がるかも」
我ながら適当なこと言ってるなあと思いながら、思いついたことを口にしてみる。まあナギが渋るようだったら無理強いをするつもりはないし、冗談半分で言ったのだが、ナギは少しの間迷うように視線を彷徨わせた後、決意したように唇を引き結んだ。
「ヤッテ、ミマス……!」
ナギはその宣言とともに右手を前に突き出す。何をするのかとみていると、一言呪文のようなものをつ呟いた。
「"ミューヴクス"、【キンウノツルギ】」
その短い言葉が紡がれた直後、周囲の篝火からナギの右手に光が集まり、剣の形を形成した。光はすぐに落ち着き、ナギに握られた剣はその全容を露わにする。
それは刃渡り40センチほどで幅は3センチ程度、両刃の直剣だった。柄と思しき部分は他の場所と比べて幅が少し広くなっている程度で、刀身と円柱状の柄がひとつながりになっているように見える。その刃先から柄の端まで細かな彫刻が施され、一目でそれが武器としてではなく祭具としての剣であることが見て取れた。
その剣を握り、ナギは魔法陣の中央に立つ。目を閉じたまま剣を体の正面で水平に構えて一つ深呼吸をし、そして開かれたナギの目つきは、先ほどまでのおどおどしたものとは似ても似つかない、静謐で厳かなものだった。
空気が変わる。もともとこの洞窟から感じていた厳かな、そしてある種懐かしささえ感じる異質さが、魔法陣へ、ナギへと集まっているような錯覚。
篝火が揺れる。照らし出されたナギの影が、ゆらりとぶれる。
まるで永遠のような、しかし恐らく1秒にも満たないであろう静寂ののち、ナギが舞いを始めた。それとともに、ナギの口からは唄も流れてくる。
凛とハリのある唄声と、水面に揺蕩う陽光のようなその舞を、魅力を完全に表現できる言葉を持たない自分を恨めしく思う。
神へ捧げる舞を踊るナギは、ただただ、綺麗だった。
見とれている間に、舞は終盤に入ったらしく、動きが速さを増していた。唄も畳みかけるように高く低くと目まぐるしく紡ぎ出される。
そしてとうとう終幕なのだろう、唄が終わり、ナギの動きが止まる。
これで終わりなのか判断できず見守っていると、ナギが、天を仰ぎ、掲げていた剣の切っ先を自らの首に突きつける。
止めに入ろうと動く暇すらなく、ナギは一切の躊躇なく、その喉を、貫いた。
固まる視界に、ナギの体を貫いたその切っ先が映る。
確かに人体を貫通したはずのその刀身は、一切血に濡れていなかった。どころか、直後には光となって霧散し、それで解放されたかのように、ナギの体がガクリと倒れる。
「ナ、ナギちゃん!」
今更ながら、慌てて駆け寄る。ナギの体を抱き起こすと、ナギは全身から冷や汗を流し、荒くなった呼吸を鎮めようと大きく呼吸しながら、それでも嬉しそうに微笑んでいた。見たところ、貫いたはずの喉やそれ以外の場所にも怪我は見られない。
「フフ……、……ハジ、メ、テ……成功、シマシタ……。アリガトウ、ゴザイマス……」
途切れ途切れながら、ナギが礼を告げてくる。それは言葉に慣れてないだけでなく、極度の疲労で話すことさえ辛いからであることは明白だった。
軽々しく「今やってみればいい」などといったことを激しく後悔する。そりゃあ何年もやって成功しないものなのだ、そう簡単なものではないことは少し考えれば分かるはずだろう。ましてや神に接触するための儀式だ、その代償が大きくても何ら不思議ではない。もし儀式が失敗してしまっていたら、喉を貫いたナギはどうなっていたのかは、想像に難くない。
ナギはありがとうと言ったが、礼を言われる資格などない。俺は自身の浅慮によって、少女の命を危険にさらしたのだ。
「……すまん。無責任で、迂闊な発言だった」
「………?」
うまく言葉が通じなかったのか、ナギが不思議そうな顔で見上げてくる。
「ごめんなさい、って言ったんだ。無理させちゃってごめん、って」
「……? ナンデ、謝ル、デスカ? 儀式、初メテ、成功シマシタ。ウゴートーヤ様、嬉シイ、私モ、嬉シイ。悪イコト、ナイデス」
本当にうれしくて仕方がないと言いたげに、少女は満面の笑みを浮かべる。その笑顔を見て、実感した。
ああ、俺は、この子にとても大きな恩ができてしまった、と。
この献身に報いるために、俺は何としても、この村の問題を解決しなければいけない、と。
できるかどうかはこの際関係ない。俺の軽口に自らの危険も顧みずに真剣に答えてくれたこの少女のために、俺も全身全霊を以て問題解決に当たろう。この村の問題を解決して、ようやく、俺は胸を張ってこの少女の前に立つことができるだろう。
「おーい、そろそろいいかぁ?」
突然、背後から声がかかる。
現在、ナギ以外の村人は俺と接触しないようにしているらしい。この洞窟に来ることはすでにナギが老婆に伝えてあるしここが神聖な場所であることは明らかであり、ここに今人がいることは、老婆が様子を見に来るくらいしか有り得ないはずだ―――と。
そこまで考えて、一つの仮説にたどり着く。人ではないものなら、いるではないか。
ここは何をする場所だったか。
今の今までナギは何をしていたか。
その結果はどうであったと、ナギは言ったか。
もはや確信に近いその仮説を胸に、恐る恐る振り返る。
果たして。
そこには、ナギよりもさらに幼く見える少女、いやもはや童女が、退屈そうに胡坐をかいて片肘をついて、宙に浮いていた。
「…………えっ」
「おう気づくのが遅いぞ三下。我を待たせるとはいいご身分じゃな三下」
やたら豪奢な着物じみた独特の装束。やたら流暢に投げつけられる棘のある日本語。あとなんか後光っぽい光。
「まったく、勝手に呼び出しておきながら完全に無視して目の前でいちゃつきだすとかナメとんのか。こっちも暇じゃないんじゃ、ちゃきちゃき行動せい」
「えーっと……」
なんというか、想像していたのとはかけ離れたその様子に、いや性別は予想というか希望に沿ってはいたんだけど、それ以外は沿っていないというか、むしろ真逆なその在り方に軽めの頭痛を覚えながら。
現状を確認するために、もはや聞くまでもないことではありそうだが、目の前の童女に質問を一つ投げかけた。
「もしかして……神様、ですか?」
「いかにも!」
よくぞ聞いてくれたとばかりに童女はふんぞり返り、胡坐を解いて地面に降り立ち、そしてその平らな胸を張って高らかに宣言した。
「我こそは太陽と豊穣の神、エルツィレムである!! 我に直接見えることができた幸運に泣いて感謝し、我が足元にひれ伏すがよい!!」