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ハロー、ワンダー。  作者: 小木一寸
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第9節 -守るべき者-

 その後適当なところで修行を切り上げて診療所へ行ったのだが、結論から言って、鬼については何も分からなかった。というのも、どうにもオーバーキルが過ぎたらしく、鬼の亡骸が全身くまなく消し炭になってしまっていたのだ。「調べようにも全身炭になってちゃ調べられないねぇ。いやはや、さすがはエルツィレム様の御力だよ」と、皮肉交じりに医者の爺さんに言われてしまった。

 とは言っても、昨日の一撃が本当にやりすぎだったということが分かったのは大きい。まさか全身が燃え尽きるほどの火力があったとは思わなかったが、裏を返せばかなり少ない力でも倒せそうということだ。厳密な強さは実際に戦ってみないことにはわからないが、少なくとも修行の時の力加減くらいで戦っても鬼に圧倒されるということはないだろう。

 さて、想定よりも短い診療所訪問を終えて、現在はナギの家。村の外の探索に向けて支度をしている。とはいっても俺は特には準備することがないので、ナギの支度が終わるのを待っている状態だ。尤も、今回は敵情視察の意味合いが強いのであまり凝った準備も必要ないのだが。

 ともあれ、居間に座してナギを待つこと10分と少し。昨晩と似た恰好で弓と破魔矢を担いだナギがやってきた。髪も昨晩と同じように高い位置でポニーテールにしている。

「お待たせしてすみません。準備できました」

「時間は結構余裕あるし、もう少しゆっくりでもよかったのに」

 如何せん診療所訪問が早く終わりすぎたため、現在時刻はまだ9時半にもなっていない。10時ころに外へ行く予定だったから、まだ30分ほど余裕があるわけだ。

「せっかく時間も空いたし、ちょっと作戦会議しておこうか」

「分かりました。あ、お茶お持ちしますねっ」

 弓をテーブルに立てかけて、ぱたぱたとキッチンへ走っていく。心なしか声も弾んでいたし、前々から薄々思ってはいたのだがもしかして家事が好きなのだろうか。料理どころか掃除すらめったにしない俺にとっては理解できないことだ。

 麦茶のようなものと茶菓子を持ってきて、ナギは椅子へ腰を下ろす。コップを受け取って一口飲むと、どうやら見た目だけじゃなく味も麦茶に近いらしい、さわやかな香りが広がる。

「はー、ナギちゃんの淹れるお茶は絶品だねえ」

「ふふ、気に入っていただけたならうれしいです」

 茶を飲みながら、クッキーのような茶菓子を摘まむ。控え目な甘さが茶の苦みによって引き立てられ、非常に美味である。

「さて、まずは現状のおさらいからしようか。……といっても今朝したばかりだからだいたいは省くとして、最初の議題は『鬼とは何か?』かな」

 この村に迫る最大の脅威である、謎の生命体。あれらが何処から来て何をしようとしているのか。

「少なくともこの村に対して害意を持ってることはもはや疑いようはないけど、その目的は何なのかって話だな。このまま襲撃が続けばジリ貧でこの村は滅ぶかもしれないけど、そもそもこの村を滅ぼす意味があるのかって話だ。ナギちゃんはなんか心当たりないかい?」

 この村どころかこの世界に訪れたばかりの俺には全く分からないが、この世界、この村で16年暮らしてきたナギになら何かわかるだろうかと思い質問を投げかけると、ナギはしばらく神妙な面持ちで思案してから口を開いた。

「あるとすれば……私、でしょうか」

 帰ってきた答えは予想外のものだった。てっきりこの村には世界を救う聖剣が眠っているとかそういう王道ファンタジーな話でもあればいいなと期待していたのだが。

「ナギちゃん? ナギちゃんを手に入れるためってこと?」

「手に入れる、というより始末するためではないでしょうか。……ご存じのとおり、エルツィレム様の御力は鬼たちに対して非常に強い影響を及ぼします。ならば、鬼たちは自分たちの脅威、エルツィレム様の巫女である私や祖母を排除するつもりでこの村を襲っているのでは、と」

「確かに……瘴気の満ちたこの森で自分たちに有害な結界が張られていて、それを取り除くために襲撃してきたとなれば筋は通るな」

 脅威の排除。それは、俺たちが鬼を倒さんとする理由とまったく同じだ。鬼たちはこの村が自分たちに害をなすから滅ぼすし、俺たちは黙ってると滅ぼされるからその前に相手を滅ぼす。つまるところこれは鬼と人との戦争ということだろうか。瘴気が満ちている以上こちらは結界を消すわけにはいかないし、結界がある限り鬼たちはこの村を襲撃する。結局どちらかが滅ぶしか道はないということだろうか。

 こちらに害意がないことを伝えられればあるいは鬼の襲撃自体はなくなるかもしれないが、それでは結局この村は瘴気に囲まれたまま孤立し続ける。瘴気をどうにかしないことには、この村は滅びへと向かうしかないのだ。

「そもそも、瘴気の原因は何なんだろうな……たしか瘴気の発生自体は、数百年に一度くらいの頻度ではあるけど起こりうるんだよな。その時は予兆があるはずって話だったけど、例えばどんな予兆があるんだ?」

「私も伝え聞いただけなので詳しくは知らないんですけど、まず大前提として、今回のようにいきなり高濃度の瘴気が出るということはあり得ないそうなんです。世界樹に何か障害が出ると龍脈に乱れが生じて、植物や土壌に悪影響が出た結果瘴気が発生しますから。世界樹は龍穴という、龍脈の集合点のような場所にあるんですが、龍脈は世界全土に張り巡らされていますから、影響が出るにも時間がかかるんです。そのため瘴気が発生しそうなときは数週間前にドゥシェルから連絡が来ますし、瘴気も徐々に徐々に出始めますから、龍脈の乱れと僅かな瘴気の発生がそのまま予兆として扱われますね」

「龍脈の乱れ、ね。今現在、それは確認されてるのか?」

「ええ、確かに龍脈は乱れています。けれどその乱れは少なくとも現段階ではわずかなもので、こんなに濃い瘴気が発生するとは思えないんです」

 龍脈の乱れによって発生するはずの瘴気が、龍脈が乱れていないのに発生している。ということは、龍脈の乱れ以外の、瘴気の発生原因が存在するのだ。……あるいは、今発生しているものが、瘴気に似た別の何かだということも考えられる。

「ふぅむ……これ以上は、実際に調べてみないとわかりそうにもないな。仮説を立てるにも情報が少なすぎる」

 下手に決めつけて、実際に目の当たりにした結果が全く違うものだったら狼狽えてしまうだろう。何が起こるか分からないならば、対策を一つに絞りすぎるのは得策ではない。

「考察はこの辺にしといて、この後の事を考えるか」

「はい」

「この後森に行くわけだけど、まず目標と時間制限を決めよう。第三目標は鬼の拠点の発見、可能であれば制圧、殲滅。第二目標は瘴気の発生原因の究明、可能ならば原因の排除。勿論第一目標は無事に戻ってくることだ。ここまでで何か質問や意見はある?」

「えっと……そうですね、鬼と瘴気の関係性が不透明ですので、それらが解明されないうちに制圧や排除はしないほうがいいのでは、と思います。瘴気の原因を排除したら激高した鬼が村を襲うかもしれませんし」

 確かに、もし鬼の目的が瘴気を発生させ続けることならば、鬼の脅威を残したままで瘴気の発生原因を取り除くのは危険だ。活動的な鬼のほうをまずは危険視するべきかもしれない。

「なるほど、そうなると第一目標は変わらないとして、第二目標を鬼の戦力把握、可能ならば殲滅。第三目標を瘴気発生原因の究明にしたほうがいいか。いや、原因究明自体は優先であることは変わらないから……優先度順に、①生存、②瘴気の原因究明、③鬼の無力化、④瘴気の除去って感じかな」

「はい、それでいいと思います。それでさきほどトーヤさんが仰った通り、可能であればすべてこなすつもりで」

「ああ、でも危ないかもと少しでも思ったら無理はしないことにしよう。今この村にとっては俺たちが最後の希望といっても過言じゃない。俺たちが死んだらこの村は本格的に対処できなくなる。例えば鬼の群れに遭遇したとして、相手の数によっては制圧を試みるけど、勝てそうになかったらすぐ逃げよう。もしはぐれたら、ナギちゃんは俺にかまわず村に戻ってくれ」

「そ、それはできません……! トーヤさん、この辺りの地理は分からないじゃないですか! どうやって戻ってくるつもりなんですか!?」

 声を荒げて立ち上がるナギを軽く手を振って制する。

「まあまあ、落ち着きなさい。そもそもナギちゃんがあの森に行くのと俺が森に行くのじゃ前提条件が違うだろ。俺は神様直々の加護があるからかなり長い間瘴気にさらされても平気だが、ナギちゃんは1,2時間しかもたないんだろ? だったらナギちゃんが一旦ここに戻って態勢を整えてから救助にきてくれればそれが最適じゃないか」

「で、でも長時間活動できるっていうのはあくまで私の推測で……!」

「それでもだよ。例えば森で離ればなれになったとして、そこを鬼が襲ってきたとしよう。俺なら十分にやつらに対抗できる力があるけど、ナギちゃんは破魔矢以外に有効な手立てがないだろ? そういうところを踏まえても、ナギちゃんは俺とはぐれたらすぐ村へ戻るべきなんだ」

「で、でも、それだったら何か合流できる方法を考えれば……! 例えば、大声を出すとか……」

「目立つ行動をしたらそれこそ鬼が寄ってくるだろう。下手をしたら俺は気づかないで鬼だけが寄ってくるかもしれない。そもそも視界が悪く広い森で合流することがどれだけ難しいかは、ナギちゃんのほうが分かってるだろ?」

 ナギが苦虫を噛み潰したような表情で、俯く。彼女がそこまで俺に同行することに固執するのは、巫女として神使である俺を守らなければという責任感からだろう。しかし、英雄とは守られる存在ではなく守る存在であるべきだ。

「なあ、ナギちゃん。ナギちゃんの、巫女としての役目を果たそうとする心構えは素晴らしいものだけど、俺はこの村を助けるために来たんだ。守られてばかりじゃあ、英雄になんてなれない。それに、この村にきて俺はナギちゃんにたくさん助けられたんだ。俺にその恩を返させてくれ。……俺に、ナギちゃんを守らせてくれないか」

 召喚された英雄、神使としての責任と、助けられた一人の人間としての恩。俺が行動する理由の全てを果たさせてくれ、と。まっすぐにナギを見つめる。ナギはハッとして、数秒無言で俯いたのちに顔を上げた。

「分かりました。……けど、極力はぐれないようにしましょう! はぐれなければいいだけの話ですから!」

「ああ、もちろんだ」

 あくまでもしもの話で、わざわざ別行動をする必要はないのだ。守るなら近くにいるほうがいいに決まっている。

「さて、そろそろ出るか」

「はいっ」

 時計を確認すると、ちょうど10時になろうというところだった。立ち上がり、鬼との交戦に備えて軽く体操をする。せっかくだからラジオ体操でもしようかと思ったが、覚えていなかったので適当に体を動かしてから、外へと出た。

 ナギの家から村の入り口の門へと続く道を並んで歩く。

「ナギちゃんはたしか1,2時間は瘴気の中でも動けるって話だったし、ひとまずの目安として11時半に戻ってくることにしようか。もちろん予想より活動可能な時間が短そうだったら言ってくれ。我慢や無理はしないでくれよ?」

「はい、大丈夫です。私達が最後の希望、なんですよね」

「ああ、その通りだ」

 門の前で、にやりとして顔を合わせる。緊張はもちろんあるが、適度に余裕もある。ベストコンディションと言って差し支えないだろう。

 門に手をかける。昨日までは鬼の襲撃を一瞬だけ遅らせていた心もとない防壁だったそれも、今この瞬間に反撃の第一歩の、その証へと変わる。

 昨日は鬼の襲撃があったから、流れで戦っただけだった。結果として鬼を追い返して英雄扱いされはしたが、いつまでも受動的に動いていては真の英雄とは言えない。この門を超えて初めて、俺は英雄足り得るのだ。この門は反撃の証になり、また英雄の証にもなる。

 深呼吸をする。右腕に宿った力が全身に満ち、その熱が決意を後押ししてくれる。

 隣に立つナギを見る。穏やかながら確かな決意を秘めたその瞳は、まぎれもなくこの村を守る巫女として十分な光を宿していた。

「行こう。反撃開始だ」

「はい!」

 門を開き、霧と瘴気と敵意の満ちる森へ、決意の一歩を踏み出した。

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