砂上の楼閣(後編)
ホワンに伝えたいことがある。
あなたのことが好きですって。
「ホワン、ホワン、死なないで、ホワン……!」
「モア……さま……」
白い巨体は狼二匹を共倒れにしていた。
二匹は気絶してるみたいで、口から泡を吹いている。
力を振り絞ろうと立ち上がるホワンに、ぐりぐりと頭を擦りよせ泣きついた。
「わたしは、ホワンのことが好きなんだよ」
「モアさま……!」
「ホワンが死んだら、わたしはどうしたらいいの、一人ぼっちになっちゃうよぅ……」
心が悲鳴を上げている。
喉は締め付けられ、胸のあたりがぎゅぅと苦しい。
「ホワンのお嫁さんになりたいよ――!「なれますよ」――え?」
ホワンが簡単に体を起こすから、慌てて寄り添った。
びっくりして、瞬きしてると瞼をぺろりと舐められる。
「モアさま、私たちの羊毛の作りをご理解されていますか」
「え、なに、それ」
ひっく、ひっくと、しゃくっていると、ホワンにもっと舐められた。
「我らの白い羊毛は別名、毛玉要塞とも言います」
「う、うん」
傷で血だらけだと思っていたら、狼の返り血だったのか。
でもいつの間に反撃していたのだろう。
「体に向けられた物理攻撃は弾き返せるのですよ。ですが、一つだけ無防備な箇所があります。どこかわかりますね」
「あ――……」
自分で自分を傷つけた頭部のことだ。
おでこから流血させ、ホワンや両親を心配させた。
「頭部も羊毛に包まれておりますが、いまいち防御に欠けますよね。ですが、フォローだってできるんですよ……こんな風にね!」
何かが激しくぶつかってきた。
他の狼達よりもひときわ大きい狼王だ。ぐるぐる唸って、今にも食い荒らされそう。
死の恐怖にぶるりと震えたら、ホワンがくすりと笑った。足の蹄が地面に深くめり込み、押され気味だった体が今度は押す方へと転じている。
「ぐぅ、ぐるるぅ……!」
「私の巻貝角を防ぎきれるとお思いか、狼王よ!」
一撃を避けられると思わなかったのか、狼王は目を剥いて飛び退いた。毛を逆立てまた襲い掛かるも、ホワンの巨体と巻貝角には牙が届かないらしい。絶望と知った狼王が雄たけびを上げた。
「モアさまの角も固いですが、オス羊の角はさらに強固で殺傷性に優れております。外敵から身を守る術は、たくさんある方が良い」
ホワンの後ろ姿がカッコよくてまた好きになった。
男は背中で語るもの――前世で誰かが言ってた気がする。
「そうだったんだ。だから私も、鏡を割れたのね」
角はえらい。
「密猟されてばかりでは、我らファーファベア国民が廃れるというもの――反撃の隙を狙って逃れる確率も増え、今のファーファベア国があるのです!」
今度はホワンから攻めていく。
頭突きと頭上に放り投げて地面に打ち付ければ、狼王が情けない声を出した。それらを遠巻きに眺めていた狼達が、一目散に逃げだしていく。
「密猟者は逃がしてはなりません、モアさま!」
叱咤されて、ようやく自分の力に気づいた。
毛玉リングで狼達を縛りあげ、森に置き去りにした。
他の魔獣たちに狙われたら、襲われる側の気持ちがわかるでしょうとホワンが教えてくれる。罪悪感を持つ暇もなかった。
ファーファベア国を覆う毛玉要塞に包まれたお城の内部で、モアは花嫁衣装に身を包んでいた。
モアが安全のためにちまちまと毛玉で作った要塞は、少しの攻撃魔法も通さない。炎には過敏に反応するくらいで、別段不便に感じることもない。
日向ぼっこもできるし、雨が降ればしとどに濡れる。
市街地には清流が海へと流れ、雪が降れば少々積もる。
ヒツジたちの楽園はファーファベアにありと謳われ、ヒツジの女神に守られた伝承も相まって平和を勝ち取っていた。
「う~、緊張する。ねぇ、ハミィ、どうかな」
「お美しゅうございます、私たちの至宝の姫さまですもの。ホワンさまもモアさまの美しさに感嘆されると思いますわ」
花嫁衣裳のベールを食もうとしたら口から離され、代わりにチョコニンジンを渡される。馬じゃあるまいし、この国はどれだけニンジン大好きなのか。
「そうかな、ベールを被せただけなんだけども……ホワン、褒めてくれるかな」
「もちろんですとも。モアさまより美しい姫ヒツジは見たことがありません」
母ヒツジはきれいで優しく、甘えたい。
父ヒツジもきれいなんだけど娘ラブで少しうざい。
従者のホワンはカッコいい。すり寄られてキスされて、自分も同じ行動を取りたくなってくる。
ホワンを思うと気持ちが高揚し、胸がドキドキと高鳴ってしまう。自分の旦那さまはホワンでなくてはならないし、他のヒツジでもダメなのだ。
ホワンに他のメスヒツジが群がってるところを見ると腹立たしくなってしまう。追い払おうかと思ったけど、私が困らせてはダメだと遠くに行こうとしたら彼女らを振り切って走ってきてくれる。
見目がみんな同じヒツジだから見分けなんてつくと思わなくて、いまの自分の心中に苦笑いした。ちゃんと見なくては特徴らしい特徴もわからないなど、ヒツジとしてきちんと生きてればぜんぶ分かるはずなのに――自棄した心を救いにきてくれたのは、いつだって父や母、ホワンだった。
「さぁ、モアさま、式場に行きましょう。ホワン様がお待ちしておりますよ」
「うん!」
白い巨体のホワンがのそりと後ろを向くと、優しい瞳と目があった。その瞳にはモアしか映っていない。丸くてちんまりしたモアを、好きだと言ってくれた愛しい雄ヒツジ。
「モアさま、綺麗で美しいです。私の花嫁……」
つぶらな瞳がうっとりしている。
「わ、そ、その、ホワンも、カッコいいよ」
太陽をなぞらえたような緋色のマントを羽織り、頭には黄金の装飾が付いた王冠とくれば、ホワンがモアと同じ王族となった証だ。
国王から受け継いだ王位継承は先送りにした。モアと一緒に放牧とは名ばかりのハネムーンに勤しみたいらしい。
思わず赤面していると、ホワンの顔が間近に迫っていた。ちゅ、と軽く被さったと思ったら、可愛いリップ音を鳴らして何度も口づけしてくる。口をひきつらせたヒツジ国王がごほんと咳払いして、惜しむようにホワンが離れる。
「我が娘モアとホワンの婚礼は成立した! 皆の者、今宵は大いにはしゃぐが良い――!」
ヒツジ達が喜び、お尻を振ってダンスする。
足の蹄でタカタカと床を打ちリズムを取って、みんなではしゃいだ。
――モアさま万歳、ホワンさま万歳! ファーファベア国に最上の幸せあれ!
モアとホワンは夫婦として結ばれる。
幸せに打ち震えるなか、モアとホワンは夢を見た。
二ホンと呼ばれる世界とは完全に剥離されたと、ヒツジの女神が告げる。ホワンの心配そうな眼差しを受け、モアは白い巨体にすり寄った。不思議と後悔はなく、自分の穏やかなる気持ちに向き合えることができた。そして、白い世界にはファーファベア国だけが残る。モアは、今いる故郷からスタートしたいと心の底から願えるようになった。
(※砂上の楼閣※)見かけはりっぱであるが、基礎がしっかりしていないために長く維持できない物事のたとえ。また、実現不可能なことのたとえ。
………ホワンがいなかったらこのお話ができなかったという意味を込めて、このサブタイトルを付けました('◇')ゞ