砂上の楼閣(前編)
流行とは、私のためにある。
ヒツジを彩るベスト、くるくる角にリボン、羊毛ポシェットは、我が国やヒト族にて流行らせたものだ。もちろん、私を含めたヒツジたちが刈られる恐れありと予測して、密猟者には自らの力を誇示してお帰りいただいた。
毛玉リングで相手を縛り・転がし・海落とし。
ポンデリングのようにモチモチした弾力あるリングに挟まれば、だれ一つ逃れるすべがない。この技は私にしか使えないので、王族特有だと両親たちには説明した。
「うまい、うまい」
「モアさまの羊毛が……光輝いていく!」
モシャリモシャリ。
服がメシウマなうえに、私の羊毛がどんどん光り輝き、まとまった毛玉を作り出した。元の素材を殺すことなく上手に生かせば、マフラーなり手袋なり髪飾だってできるではないか。しかもどれだけ刈り取られても羊毛はアップ。みすぼらしさとはほど遠く、常にあたたかいウールに包まれている。
そんな私は何者かって?
前世持ちのヒツジ族、ファーファべア国のモア姫と呼ばれている。
***
「モア、今日も服を食していたのですって? 緑草の方が体に良いのよ」
「お母さま、私はファーファベア国をもっと発展させたいと思っておりますので、野菜は要りません」
のんびりした動きで、ヒツジ母が頭突きしてきた。
「我が国の野菜はとびきりおいしいと謳われているのよ。野菜不足のモアは食べなくちゃ」
ニンジンを口で引っこ抜き、ヒツジ母が私の口元まで持ってきた。皮むきなし! 頭と根っこはそのまんま! ひょろりとした細いヒゲが付いてる――口いっぱいに広がる甘くて苦いようなわけ分からんこの味よ。前世持ちだから、野菜だけは抵抗あるって少し損な気分だ。
オクラオクラニンジンニンジンと目の前に広がる野菜畑は、肥沃なる大地・ファーファベア国ならではでメガトン級に広がっていた。オクラのねばねばが体中の細胞を若返らせ、ニンジンは視力を急激に良くさせる効力がある。野菜嫌いでなければ私は喜んで食べていただろう。今日も今日とて、ねばねばと格闘しつつ母のご飯に付き合っていると、従者のホワンが四つ足で走ってきた。
「王妃さま、モアさま!」
「何事です、騒々しい……ほら、干し草でも食べて落ち着きなさい」
「ありがとうございます……むぐむぐ……」
二匹のヒツジがほのぼのしてきたから、私が疑問を投げつけた。
「はっ……! モアさま、かたじけないです……実は、ファーファベア国に狼族の大群が押し寄せてきました!」
「なんですってぇ!」
「モア、はしたないですよ。もう、嫁入り前なのに」
ヒツジが大人しくやられるとでも思っているのだろうか。この国には私がいるんだ、狼達を追っ払い、私という存在を世界にとどろかせてやろうと意気込んだ。決して、お転婆なだけじゃないと母を説得して、ホワンや従騎士のホルン達と狼達を迎えうつ。
***
狼の大群はファーファベア国の草原を駆けていた。
狼族の王とその側近の狼たちがファーファベア国の入り口手前に差し掛かるとき、毛玉が襲い掛かってきた。
狼が縦横無尽に逃げ回っても、二つの毛玉が方向転換して再び襲い掛かる。純毛を持つ大型のヒツジであるホワンが突進すると、若い狼達が痛みにうめいた。
「最近、我が民を誘拐しようと謀っている者たちの噂を聞き及んでおります。お帰りください。そしてモアさまもお戻りください」
ホワンの兄上にあたるホルンさまにちらりと目配せして、周辺にいる狼達から気を逸らさせた。続いてホルン兄上も角を振りかざしている。
「やーよ! ファーファベア国に危機が迫ってるときに、守られてるだけなんて自分の矜持が許さないんだから!」
邪魔者扱いされたショックを隠しけれずに、ホワンの着ていたベストを口に含んで咀嚼した。無駄に金ぴかしているから不味いのではないかと思っていたが、ほろ苦く甘い、めくるめく官能の扉の一歩手前まで感じてしまう。
「……こってりかと思いきや、洗練されたクリーム煮……オマールエビが春いっぱいに溢れ出すぅ」
「このベストはモア姫に作って頂いたものですよ。お忘れですか?」
羊毛ベストを着てくれるホワンが好きだ。
目元が柔らかく笑むとこも、すりすりと頭を擦りつけてくれることも。
「忘れてなんかないもん! 自分で作った服を食べるの、あんまりしたことないからさ~」
ホワンとほのぼの感いっぱいに喋っていると、一匹の狼が歯をむき出しにして唸っていた。
「こいつ……ファーファベア国の女神の娘?」
「捕まえろ!」
私だけは大丈夫だと思ってたから油断した。
「ホワン――!」
背後から襲い掛かってきた狼に、ホワンが噛みつかれてしまう。白ヒツジの巨体が、狼と共に地面に崩れ落ちた。
あれ、走馬灯な感じのが一瞬で脳裏に浮かんでくる。
***
前世が人間の記憶を持つ私は暴れ狂った。なまじ力が強いから、ヒツジとしての自分を受け入れきれなかったのだろう。部屋の中の調度品や母や父、周囲のものを傷つけた。頭突きして鏡を割ると破片が散らばる。
恐る恐る覗いてみると、そこには一匹のヒツジがあった。頭を横に振るとヒツジもならい、上下に振っても同じ動きをする。五本の指は蹄になって、体は硬直した。これは誰なのかと自問する。
『は……これは夢だよ、起きたら、私は目を覚ますの』
『モアさま……?』
『起きて、起きてよぅ』
壁に体ごと激突したり、頭をしこたま打ちつけていると、白い羊毛は赤く染まり、鉄臭い匂いが鼻をつく。大泣きしながら目を覚まそうとしていたら、母ヒツジと父ヒツジににすり寄られた。
『私たちの可愛いモア、頼むから自分を傷つけるな。父の胸に飛び込んでくれるなら毎日おいで。壁より面白いから、さぁ!』
おとうさんが、私の体のクッションになってくれた。でも若干、父親臭がするのは気のせいかな――羊毛がふわふわであったかい。
『モア、モア、あなたを殺さないで。お願い、私たちのモアを殺さないで』
私が私を殺すの?
私が夢から目を覚ますんではなくて?
おかあさんは、ヒツジの私を愛してくれる?
『モアさまの不安を取りのぞきたい』
『あ……』
『可愛い、私のモアさま』
従者のホワンが一番ケガしてるのに、私のおでこを何度も舐めてくれた。ヒツジな私は、きらいよりも好きをたくさん増やしたかった。このときからホワンのことが好きになった。
私がチート持ちで調子に乗ってファーファベア国を大きくしてたら、密猟者に目を付けられた。他のヒツジも色を持つ毛玉を作れるんじゃないかと――
ファーファベア国民のヒツジたちも、いい迷惑だろう。私がこの国を出ようと画策していたら、ホワンに止められた。
『どこへ行かれるのですか』
『ここ以外のどこかだよ』
桃色のスカーフを食む。
いまの自分の顔を見られたくない。
『国王と王妃さま、民はどうなるのですか……私までも見捨てられると?』
垂れ下がった瞳にしているのは誰だ。
これ以上誰も傷つかないようにしているのに、ホワンはとっても悲しそう。
『……私は争いの種なんだよ。ホワンはそれでいいの?』
ほんわかした笑みを零しながら、ホワンがすりすりとすり寄ってきた。
『あなたの居たいと思える場所を、私が作ります。それではダメですか?』
『ダメだなんて……』
『なら、約束してください。私の隣にあなたがいて、モアさまの隣に私が居てもいい承諾を――』
気づいたら、ホワンの羊毛に埋もれて泣いていた。