3話 運命の管理者
あの後、どのようなことがあったのか。気がつくと、蒼太は自分の部屋にいた。時計を見ると、夜中の一時を指している。部屋は暗く、時計が時間を刻む音だけが響いていた。見慣れた光景に安堵して、自然と息がもれる。
しかしすぐ頭の中に、あの不思議な光景が浮かぶ。
真っ白い部屋、光る大樹。想像のユアにそっくりな少女に、威圧感を放っていた女の子。青子の不可思議な言葉。思い出すだけで、頭が混乱しそうだ。
夢だと思いたいのに、そう思えたら楽なのに。冷たい床の感触や不思議な光景が鮮明によみがえり、夢じゃないと告げる。
「どうなってるんだよ」
蒼太は一人呟いてみるが、返事をする者はいない。
もう、今日は寝よう。そう思い疲れた体をベッドに投げ出すと、蒼太はそのまま眠りについた。
* * *
次の日の朝は、若干寝坊したものの時間通りに学校に着いた。そのままぼんやりと授業を受け、放課後となった。
「部活がないと、体がうずうずするんだよな」
「また明日からきつい練習があるんだろ」
物足りなそうに言う豪に、蒼太は苦笑をもらす。珍しく豪の部活がなく、蒼太は雑談をしながら一緒に昇降口へ向かう。
「そうなんだけどさ。それとこれとは違うって言うか」
外履きに履き替えながら不満をもらす豪に、蒼太は小さく笑う。この親友は、走ることが心から好きなのだ。心から打ち込めることを持っている豪をうらやましく思う。
「そう言えば、あき兄が豪にまた遊びに来いって伝えてくれってさ」
「最近会ってないからな。今度、三人で遊ぶか」
秋穂からの伝言を伝えると、豪は嬉しそうに笑う。
「そうだな。あき兄にも言って……」
校門まで来た時、蒼太はいつもと違うことに気がつく。他の生徒は気づいていないようだが、明らかにこの場に不似合いな人物がいた。言葉を途中で切って、蒼太はその人物に声をかける。
「青子さん、誰かに用事ですか?」
校門の前で人待ちをしている青子にそう言えば、青子はかけていたサングラスを外して子供のような笑みを見せる。
「うん、蒼太君を待ってたんだ」
「俺を?」
青子を見た時から、何となく想像はついていたが少し驚く。通っている高校の名前は言わなかったはずなのに。そう考えていると、隣にいた豪に強く腕を引っ張られた。
「おい、蒼太」
なぜか小声で話す豪に、蒼太は不思議そうに返事を返す。
「何だよ」
「誰だ、この美人。まさか彼女とか? 俺に秘密でこんな美人の彼女がいたなんて」
何やら勘違いをしている豪に、蒼太はため息をつく。そんな蒼太と豪のやり取りを気にもせずに、青子は明るい声で言う。
「じゃあ、行こうか」
「行くって、まさか」
昨日の記憶がよみがえり、蒼太は少し複雑な顔をする。戸惑う蒼太に、青子はいたずらをする子供のように笑って答える。
「それは、後でのお楽しみ」
それだけ言うと、青子は歩き出す。豪を見ると、手を振って行けと促している。仕方がなく、蒼太は青子の後へと着いていった。
これといった会話もなく歩き、昨日の廃ビルの屋上までやって来た。警戒する蒼太をよそに、青子は普段と変わりない様子だった。
屋上には遮る物が何もなく、風が一段と冷たく感じる。少し離れた位置からフェンスを見るが、穴が開いているなど壊れているようには見えなかった。
「押されるのと、自分から落ちるのどっちがいい?」
緊張した空気に似合わない青子の声がする。蒼太は嫌な予感がして、青子から距離を取ろうとするが間に合わなかった。
「はい、時間切れ」
体当たりでもしたのか強い力で背中を押され、蒼太は前に飛び出す。倒れ落ちる寸前、目の前のフェンスがぐにゃりと歪むのが見えた。
* * *
目を開けると、白い部屋だった。殺風景なその部屋は、青子の仕事部屋と言われた場所だろう。仕事部屋と言うには何もない場所だ。正面の壁を見ると、木の絵がさわさわと揺れる。
「急がして悪いけど、さっさと行くよ」
青子が蒼太を促すように言い、アーチへと向かって行く。
「……分かりました」
蒼太は大きく深呼吸をし、諦めたように歩みを進める。そのことに満足したかのように、青子が鼻歌を歌う。
アーチをくぐると、再び光を放つ大きな木が現れた。見上げると、太い枝に少女が一人腰掛けている。
「青子さん、一ついいですか?」
歩みを止め問いかける蒼太に、青子は無言で頷く。
「青子さんは、あの子は人の心が見せる幻だって言いましたよね。だとしたら、見たことがない人物に見えるなんてこともあるんですか?」
青子は首を少し傾げ考えると、口を開く。
「これが夢だとか聞かないんだね。そうだな、有り得ない話ではないよ。実際に見たことがなくても、蒼太君にとってその人への思いが強ければそう見えるかもしれない。あくまでそれは、蒼太君の思いから作られた幻だから、実際の姿とは違うだろうけど」
最初の言葉に、蒼太は少し肩を竦めてみせる。
「そうですか。……これが夢だったら、よかったのかもしれないですけどね」
蒼太は、もう一度少女を見る。少女の視線は、どこに向いているのか分からない。表情もなく、身じろぎすることもなく枝に座っている。
「行きましょう」
少女から視線を離して蒼太は言う。その言葉に、青子は歩を再び進める。
「さあ、ここだよ」
再びアーチをくぐり青子が言う。それに続いて蒼太もくぐると、そこには昨日会った女の子がいた。昨日と同じ、大きなリボンのついたワンピースを身に着けているみどりだ。
真っ白い部屋に、クッションやジグソーパズルが置いてある。部屋の主であろうみどりが、澄ました顔で座っている。
「君は、みどり?」
「そうよ、覚えていてくれたみたいで何よりだわ」
昨日と雰囲気が違うみどりに、蒼太は疑問を持つ。そんな蒼太の疑問を感じ取ってか、青子が言う。
「みどりちゃんは、よく髪型が変わるんだよ」
確かに言われてみれば、今日はツインテールにしていた。昨日より少し幼い印象を受ける。髪型だけでずいぶん印象が変わるものだと驚いていれば、みどりが口を開く。
「昨日は無理やり送り帰したから、記憶が混乱してるかと思ったけど。その様子だと、平気みたいね」
「そう言えば、気がついたら自分の部屋にいて……」
突然記憶が途切れたことを告げれば、青子が明るい口調で言う。
「多少記憶に混乱が生じたみたいだね。まあ、それくらいだったら問題ないよ」
そんなやり取りが終わると、みどりが大きな目を細めて言う。
「さて、本題に入りましょう」
その言葉と表情に、蒼太は緊張するのを感じた。
「今日来てもらったのは、昨日の話の続きをするため」
「昨日の話?」
「ええ、運命の管理者についての話よ」
運命の管理者。確かそれは、青子も言っていた言葉だ。自然と蒼太の表情が硬くなる。
「君たちは何者なんだ」
「それについても、これからちゃんと説明させてもらうわ。長くなるから適当に座って」
その言葉で、蒼太は自分だけ立っていることに気がつく。
「まあ、そんなに硬くならずに。リラックス、リラックス」
クッションを抱えがら笑う青子に、みどりがため息をついて言う。
「あんたはリラックスしすぎなのよ」
そんな二人のやりとりに、蒼太は少しだけ力を抜く。適当な場所に座ると、みどりに言う。
「聞かせてくれないか」
その言葉を聞いて、みどりが静かに話し始めた。
* * *
それは、蒼太の想像を超える話だった。みどりの話をまとめると、次のようなことだった。
まずこれは青子の言うように、夢ではなく現実だ。これについては、蒼太自身も薄々分かっていたことだが、あらためて言われると動揺を隠せない。しかし、リアルに感じる空気や温度、匂いがそれを物語っている。
みどりと青子は運命の管理者と言う役割らしい。みどりや青子のような人物は他にも存在するが、顔を会わせることはまずない。
運命の管理者とは、運命が作用したか見定める者の総称。運命は、運命の番人によって生み出される。運命の番人とは、光る大樹に座っていた少女のことで、運命の神様だ。
そしてみどりは、青子の先輩であるとも付け加えられた。ついでのように言われた言葉に、蒼太が目を丸くしたのは言うまでもない。
「ここに、木の絵があるでしょ。これが、運命の大樹とを繋ぐ媒体になっているのよ」
みどりが床に描かれている木の絵を、手のひらでなでながら言う。青子の部屋にも同じものが描かれていた。
「運命の大樹と繋がることで、運命が作用したか知ることが出来るんだよ」
青子の言葉に疑問が浮かぶ。それを尋ねれば、みどりが何ともないかのように答える。
「この絵が媒体なら、別の場所にいる時はどうするんだ?」
「基本的に、私たち運命の管理者は、この部屋から出ることはしないのよ。青子は仕事を放り出して、よく現実世界に行ってるみたいだけど」
じろりとみどりが青子を見る。青子は、曖昧な笑みを浮かべると話題を変えるように言う。
「現実世界って言うのはね、蒼太君たちがいる場所のことなんだ」
確かに、ここは現実世界と言うにはおかしなことばかりだ。納得していると、さらに驚くことが伝えられた。
「運命の管理者になると、人々の記録や記憶から消され、存在した証がなくなってしまう」
みどりは顔色一つ変えることなくそう言った。
「どんな些細な情報や痕跡さえも残らない。それだけではなく、本人が管理者になる前の記憶もなくなってしまうわ」
「そんのって、あんまりじゃないか」
力なく言う蒼太に、青子が小さく笑ってみせる。
「まあ、悪いことばかりじゃないよ?」
うつむき黙り込む蒼太に、青子は話題を変えるように言う。
「こう見えても、みどりちゃんは三十年以上のベテランなんだから」
自分のことのように、青子は胸を張る。見た目には、小学生か中学生くらいに見えるのに、三十年とはどう言うことかだろうか。
目を丸くして蒼太が驚いていれば、みどりが補足を入れる。
「私たちは、管理者になった時から姿が変わらないのよ」
ただそれは同時に、みどりが幼くして運命の管理者になったことを示す。
蒼太が言葉をなくし黙っていると、みどりが話を戻す。
「さっき記憶が全て消えるって言ったけど、一つだけそれまでの記憶を覚えていることが出来るの。覚えている記憶は何でもいいけど、それ以外は忘れてしまうから慎重に考えた方がいいわね」
ここまで聞くと、その現実離れした話にめまいさえ覚える。
「蒼太君、大丈夫?」
顔色がすぐれない蒼太に、青子が心配そうに尋ねる。
「正直、頭が混乱してます。でも、どうして俺にそんなことを?」
一番気になっていたことを聞けば、青子が顔を明るくさせて言う。
「それは簡単だよ。蒼太君に管理者になるっていう運命が生み出されたから。君は、選ばれたんだよ」
選ばれた、その言葉がやけに心に甘く響いた。
「それは本当なのか?」
蒼太が信じられないと言うように視線を向ければ、みどりが肯定する。
「本当よ。普通の人間には、こちらから接触しない限り認識されないし、会話をしても相手の記憶に残らない。だけど、管理者になる運命を持った者は別。あんたが、私たちのことを覚えていられるのが何よりの証拠よ」
確かに道行く人々や学校の生徒たちは、妙な格好の青子に視線を向けることすらしなかった。青子と出会った時にいた不良もそうた。青子は突然現れたように思えたが、それは彼女が不良たちに認識されなかったからだ。
「もちろん、管理者にならないことも出来るわ。その時は、私たちと関わった記憶が消えるだけだから安心して」
そう言うと、みどりは視線を少し鋭くする。
「大切なことだから、よく考えて結論を出してちょうだい」
みどりのその言葉は、蒼太の心に重しのようにずしんと沈んでいった。