10話 真昼にのぼる月
それから、しばらくして真紀の意識は戻り、順調に回復していった。奇跡的に、後遺症も残らず普通の生活に戻れるとのことだ。
担当医は奇跡に近いと驚いていたが、みどりによるとこれも運命の修正作用の一つらしい。この調子だと、退院できる日もそう遠くないだろう。
一般病棟に移ってから、真紀はどんどん回復していき、それに比例して秋穂も元気を取り戻していった。秋穂は毎日見舞いに行っては、あれこれと見舞いの品を置いていってるらしい。おかげで、真紀の病室は花や果物で溢れている。
蒼太も見舞いに行ったが、真紀は困ったように眉を下げ、果物を食べるのを手伝ってほしいと言った。確かに、この量は真紀一人では食べきれないだろう。サイドボードの上に置かれたりんごやバナナ、それからクッキーなどのお菓子を見て、蒼太は小さく笑った。
あの日から、蒼太はみどりと会うことなく一ヶ月が経とうとしていた。
豪の着膨れはますます進み、今は携帯カイロが手放せないとぼやいている。それでも、放課後になると、生き生きと部活に向かう毎日だ。
蒼太にこれと言った変化はないが、確実に何かは変わろうとしていた。うまくは言えないが、しいて言えば色が変わった。それまでと同じ景色なのに、それらの色はより鮮やかにはっきりと見える。
蒼太はむき出しの手を合わせ、白い息をかけた。
すっかり冬景色に変わった街は、昼からイルミネーションの明かりで輝く。街路樹はすっかり葉がなくなくなり、身を切る冷たい風が通りを吹き渡る。
そんな街を歩いていると、またあの不思議な女性に会うのではと、つい捜してしまうことがある。短い黒髪が視界の端で揺れると、ついそちらを見てしまう。
どこかで期待してしまう自分に、何度も言い聞かせる。もう、彼女はいないのだと。
別れ際にみどりから聞いた話だと、青子が街によく出ていたのは恋人を捜すためでもあったようだ。青子の最後の言葉から、それは想像するに容易かった。
多分、運命の番人の姿が、青子には恋人に見えていたのだろう。しかし恋人の姿を覚えていない青子には、本当にそうだと確信が持てなかった。
青子は、そんな偶像と過去の記憶に悩まされていたのだ。
蒼太はコートの前を合わせ、腕時計を見る。
約束の時間まであと少し。小走りに待ち合わせの場所へと向かう。
青子は、正直な人だったが一つだけ嘘をついた。あの時、蒼太が運命の管理者になる運命は変わったと言ったが、それは違った。
青子やみどりのことを覚えていられたのは、運命の管理者になるという可能性があったからだ。そして、今もこうして覚えられているのは、まだその可能性が残っているから。
運命は選択によって変わる。だから、蒼太は運命の管理者になることも、ならないことも出来る。
そして、その答えはもう決まった。
移ろい続けるこの世界で、一つだけ言えることがある。どんな選択をしても、彼女達の記憶に蒼太は残り続けるだろう。
「返事を聞かせてもらえる?」
廃ビルの屋上に、小さな少女の姿がある。最初と会った時のように、長い髪をゆったりと流しているみどりだ。
きっと、答えは分かっているのだろう。それでも返事を問う。
「俺は、逃げないことにした。俺がいるべきなのは、ここだ」
蒼太が笑顔を作って言えば、みどりはにこりともぜずに言う。
「そう。じゃあ、これでさよならね」
「最後に教えてくれないか」
「いいわよ」
蒼太の言葉に、みどりが頷く。ワンピースの裾が、風でふわりと揺れる。
「みどりと、青子って本当の名前じゃないんだろ? 本当は何て名前なんだ」
そう聞くと、不満そうに顔をしかめてみどりが言う。
「碧と由衣よ。碧眼の碧でみどり」
「碧に由衣さんか。もしかして、青子って名前はみどりがつけたのか?」
蒼太がいたずらっぽく聞けば、みどりはそっぽを向く。澄ましているが、その頬はほんのり赤くなっている。
「これ以上答える義理はないわ」
冷たく言うが、その表情は肯定しているようなものだった。
「碧だから、青子か……」
蒼太は噛み締めるように言う。
確かに碧と言う字はあおとも読める。青子に自分の名前を入れたことに、自然と笑みがこぼれる。でもそれなら、あおいでもよかったのではないだろうか。
みどりのネーミングセンスのなさに、蒼太は笑いをかみ殺す。
「蒼太、いい加減にしなさいよ」
「悪い、悪い」
みどりが怒りをあらわにするが、その顔は少しも怖くはなかった。
空を見上げると、すみっきた青空が広がっている。
真昼に見上げた月は、頼りなさそうにぼんやりとしている。
けれども、確かに存在はしている。
「さよなら」
蒼太がみどりを真っ直ぐ見て言うと、冬の風がぴゅうと吹き抜ける。瞬きをすると、そこには誰もいなくなっていた。
蒼太は小さく笑うと、もう一度、さよならと言った。
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作中に登場した、片瀬と弥生を主人公にしたスピンオフ作品も投稿しました。
そちらもよろしくお願いします。
タイトルは『時計仕掛けの機械人形』です。




