9話 それは儚くも
真っ白い部屋にやって来た。焦る気持ちを抑えて、蒼太とみどりは部屋にあるアーチをくぐる。青白い光をたたえる泉は、心なしか光が弱くなっているように思えた。そして、
「待ってたよ」
ガラス細工のような大きな木、運命の大樹の側に立っている青子が不敵に笑う。
「青子さん」
蒼太は呟くように、しかしはっきりと言った。近づこうとする蒼太を、みどりが手で制す。
「遅かったね~」
いつものように、軽い口調で青子が言う。その様子は普段と何も変わず、蒼太は下唇を噛む。
「きっとまた会えると思ってたよ」
そう嬉しそうに、青子は告げる。みどりが手を下ろし、一歩前に出た。その表情は、苦いものを噛んだようにしかめられている。
「青子、あんた自分がしたことを分かってる?」
その言葉に、青子は首をかしげて返す。大きな瞳はみどりに向けられたままだ。
「分かってるかなんて、みどりちゃんもおかしなことを聞くね。分からなかったら、こんな回りくどいことしてないよ」
「青子さん、今からでも何とか出来ないんですか?」
「無理だね」
たまらずに蒼太が聞けば、強い否定の言葉が述べられる。口元は笑っているのに、目は笑っていなかった。
「タイムキーパーとレコーダーが動き出したわ」
悔しそうにみどりが呟く。青子がちらりと蒼太を見ると、小さく息を吐く。
「だろうね。その様子だと、ひと悶着あったみたいだけど」
「青子さん、もう一度だけ言います。今からでも何とか出来ませんか?」
返ってくる答えは分かっている。それでも、蒼太は聞かずにはいられなかった。すると青子が首を横に振って答える。
「蒼太君、しつこい男は嫌われるよ。ねえ、君はどうしてここに来たの? まだ運命の管理者になって、お兄さんの恋人を助けたいなんて思ってるの? 笑わせないでよね。大した覚悟もなく、一時の感情だけで他人のために自分を捨てるなんて。そんなのただの自己満足にすぎない」
冷たい見下すような視線を向け、青子は一気に言う。
「青子さんの言う通りかもしれません。あの時の俺には大した覚悟もなく、その重さも考えてなかった。でも、今の俺は自分の意志でここにいる」
その視線をはねかえすように、自分の意志を告げる。そう、ここに来ることを蒼太は選んだ。巻き込まれたからでも、成り行きでもなく。
「それが君の答えなら、私は容赦しないよ」
その意思を感じ取って、青子の大きな目がすっと細められる。その口元には、もう笑みはない。
「そのつもりです」
もう後戻りは出来ない。心臓が早鐘を打って、頭の中でうるさく響く。
「君に私は止められない。止まる気なんて、最初からないけどね!」
来る。そう思った瞬間、青子が地面を強く蹴り、蒼太との距離を縮める。その勢いを殺すことなく、体重を乗せた拳を繰り出す。
「蒼太!」
みどりの焦ったような声が響く。蒼太はぎりぎりのところで拳をかわす。
先ほどの片瀬との戦いで、少しはこつをつかみかけていた。それでも、片瀬に攻撃された箇所がまだ鈍く痛み、蒼太は舌打ちをする。
「まだまだ!」
間を空けずに、今度は顔面目掛けて蹴りが襲い掛かる。避けられない距離に、蒼太は両手を上げてガードを固めた。
「くっ」
腕が痺れるような衝撃に、思わず顔を歪める。
蒼太は後ろにスッテップして距離を空けると、次の攻撃に備え意識を集中させた。
青子の戦い方は、威力があるが、滅茶苦茶だった。その分次にどのような攻撃が来るか予測がつかない。
流れるような動きの片瀬に比べ、体のバネを存分に使い戦う青子。純粋な強さで言ったら、二人に差はあまりないように思えた。
「こんな程度で私を止めようと思ってたの? 蒼太君は甘いんだよ」
青子が距離を一気に縮め、次の手を繰り出す。その動きは、猫のようにしなやかだった。襲い掛かる拳を上体を反らすことで何とかかわし、蒼太は反撃に転じる。
「まだ、勝負が決まったわけじゃない。甘く見るな!」
蒼太が語気を強めて言うのと同時に、強く握った拳を突き出す。青子の脇腹を狙って出された拳は、かすりはしたが避けられてしまった。
「その程度の攻撃で、よく私を止めようなんて思ったね」
青子が黒髪をふわりと舞い上げ、視界から消える。屈んだ体勢から、蒼太のすねに蹴りが入れた。その衝撃で、蒼太はバランスを崩しその場に倒れこむ。受身を取ってそのまま右側に転がると、蒼太が先ほどまで倒れこんでいた場所に拳が落ちる。ぎりぎりのところで何とか避け、蒼太は素早く起き上がった。
「ふぅん。少しはやるみたいだね」
青子は息一つ上げずに、つまらなそうに言う。蒼太は痛む体に鞭を入れ、笑顔を作って見せる。
「当たり前だ。甘く見るなって言っただろ」
にらみ合う二人を離れた位置から見ていたみどりが、声を上げ割って入る。
「青子、諦めなさい。あんたも分かってるんでしょ。こんなことをしたって無駄だって」
「諦める? バカなこと言わないで。この世に無駄なことなんて何もないんだよ。全てに意味がある」
「こんなことにも意味があるって言うのか?」
蒼太が顔を歪めて問えば、青子は笑顔を見せる。
「そう、意味はある。あるんだよ」
その瞬間、青子の体が一瞬ぶれたように見えた。その隙を突いて、蒼太は青子の足を払うようにして蹴りを出す。足払いがきれいに入り、青子はその場に倒れこむ。蒼太は馬乗りになって、上からそのまま青子を押さえつける。
右手を握り締め大きく振り上げ、そのまま蒼太は動きを止めた。その右手が小刻みに震えている。
蒼太が肩で息をする音だけが響く。蒼太は青子を強い瞳で見据え、そのまま動こうとはしない。すると青子が、ゆっくりと口を開く。
「蒼太君は優しいよね。でも、その優しさがあだになる時もあるんだよ」
青子はため息をつくと、穏やかな優しい顔つきになる。それは、蒼太を案じているかのようだった。
「何が言いたいんですか?」
振り上げた拳を下ろして、蒼太は静かに聞く。
「やると決めたら、最後までやらなきゃだめだよ?」
子供を諭すように優しく言う青子に、蒼太は動揺する。蒼太の瞳が一瞬、不安そうに揺れる。
「青子さん……?」
「私を止めるんでしょ。だったら迷たらだめだよ」
体のバネを使い蒼太を押し退けると、青子は起き上がり一気に距離を開ける。
「みどりちゃんは分かってたんでしょ?」
視線だけをみどりに向け言うと、青子は再びため息をつく。
「まったく、二人とも甘いよね」
笑顔でそう言う青子は、困ったように少しだけ眉を下げる。
「みどり、どういうことだ?」
蒼太が問えば、険しい表情のまま答えが返ってきた。
「青子を止めるなら、消すしかない。でも、私たち運命の管理者は外的要因では死なない。でも……」
そこで言葉を切ったみどりの続きを、青子が引き継ぐように言う。
「管理者としての能力を失えば、それも可能かもしれない。例えば、運命の大樹とを繋ぐあの絵を壊すとか」
その言葉に、みどりは返事を返さず顔をしかめる。それは、その言葉が正しいと言っているのと同じだった。
その言葉で、青子やみどりの部屋に描かれていた木の絵を思い出す。あれは、確か媒体だと言っていた。
「だめだよ。チャンスはいくらでもあったのに」
そう言うと、青子は静かに目を閉じる。両手は下ろされ、少しうつむいて言う。
「でも、甘いのは私も一緒か。あと少し。あと少しだったのに……。でも、もう遅いみたい」
その瞬間、テレビ画面の映像が割れるように、青子の体が一瞬かすれる。
「青子……」
みどりが静かに名前を呼ぶ。その声に、泣き笑いの表情をして青子が言う。
「もう、どこで間違えちゃったんだろう。神様を消そうだなんて、無理だってことくらい分かってたのにね」
その目じりには、じんわりと涙がにじんでいる。
「青子さん、最初からこうなることを分かってたんですか?」
拳を握り締めて、蒼太が言う。その顔は悲しそうに、悔しそうに歪められている。
「分かってたよ。運命を捻じ曲げれば、修正作用が働いて私が消えることくらい」
青子は、泣き笑いのまま言った。蒼太を見つめる瞳から大粒の涙が流れる。その姿にたまらず、蒼太は叫ぶようにして言う。
「だったら、どうして!」
「どうして? どうしてだろう……。ああ、辛かったのかもしれない。あの人を見続けることも、捜し続けることも」
青子は、視線を運命の番人に向ける。蒼太も運命の番人を見るが、そこには相変わらず無表情の少女がいた。青子の目には、どのように映っていたのだろうか。
「青子」
みどりがはっきりとした口調で言うと、ほんの少しの笑みを浮かべる。その瞳は、青子の涙で濡れた顔を映す。
「あんたといれて楽しかったわ」
「みどりちゃんにそんなこと言われるなんて、明日は雨が降るかもね。私も楽しかったよ」
青子は鼻をすすると、子供のような笑みを浮かべる。青子の体のかすれが、だんだんと広がっていく。
「蒼太君、みどりちゃんのことよろしくね。こう見えて、みどりちゃんは寂しがりやだから」
「分かりました」
心配するように言う青子に、大きく頷き返す。
「ありがとう」
青子は今まで見た中で一番の笑顔でそう言う。
その言葉を最後に、青子はその場から消えてしまった。青子がいた場所には何も残らず、蒼太は溢れる涙を堪えようと上を向く。
涙に青白い光がきらきらと反射して、それはとても不思議な光景に見えた。




