海の冷たさ
いらっしゃいませ。今回は1908文字です。よろしければ、読んでいってください。
気が付くと、僕は水の中にいた。
僕はすぐにメアリを探した。彼女は、僕のすぐ側で水に沈もうとしているところだった。
ぐったりとした彼女の体を支えながら、僕は自分が階段を落下した理由を知った。メアリは今なお、僕の服の裾を強く握っていたのだ。
おそらく、階段から落ちていく時、咄嗟に掴んだのだろう。
だが、今はそのような事に拘っている場合ではない。
「メアリ! しっかりしろ」
僕は彼女の体を強く揺すりながら、大声で呼びかけた。
「ううっ、痛!」
メアリは頭を手で押さえながら、目を覚ました。
周りが水である事に、彼女は一瞬驚いて、沈まないようにとすぐに周囲の木片にしがみついた。
僕は上の方を見た。どうやら、ここは船の底にある空洞らしい。周りは高い塀のように、壁が天井まで続いている。
「あそこから落ちて来たんだな」
僕は指差しながら、メアリに話し掛けた。
「ごごご、ごめんなさい! 私、何て事を……」
「いや、仕方ないって。それより、どうするか」
「結構大きな音がしたと思います。誰か来るんじゃないでしょうか」
僕は考えた。音に気が付いて様子を見に来るのなら、もうあの穴から覗き込んでいる誰かの顔が見えるはずだ。
誰も助けに来なかったのは、皆が食堂に行ってしまっていたからだろう。メアリが当番の時は、エミーの時よりも食堂に集まるのが早い。
料理当番をエミーに代わってもらった事を知らないみんなは、いそいそと食堂に行ってしまったのではないか。
ということは、誰も二人が海に落ちた事を知らない。
僕は全身に悪寒が走るのを感じた。
メアリの言ったように、誰かが来てさえくれればよいのだが。僕は彼女の言葉を信じたかった。
しかし、時間が経つに連れて、メアリの表情からは余裕が消え、今では真っ青な顔をしていた。
長い間、冷たい海水に使っているというのも手伝っているのかもしれない。そうだとしたら、そちらも問題だ。
どちらからとも無く、僕等は助けを求めて叫んだ。だけど、待てど暮らせど呼応する声や、助けは来なかった。
弁当を持参した事で、二人が昼食に現れなかったとしても、おかしくはない。
おそらく、エミーがみんなにその事を知らせている頃だろう。
「このままここにいても、誰も来ない。いっその事、外へ出てみようか」
僕は今の状態を打開しようと、メアリに提案してみた。
「外だったら、甲板に上がるための梯子とかないか?」
この船の事に関しては、彼女の方がよく知っているだろう。
「確かに梯子は有ります。でも、常に下ろしてあるとは限らないんです。でも、外に出れば、誰かに声が届くかも」
生じた僅かばかりの希望に、僕らは縋ることにした。
僕達は、船の底辺から外へ出ていくために、浮き輪代わりの木片を抱いて、深く潜った。
さすがに別館とはいえ元客船ということもあって、船底は想定よりもかなり大きく、潜っていった感想としては、まるで頭上に浮かぶ積乱雲のようだった。
それでも、二人は何とか外へ出ていく事ができた。
早速、上り梯子が海面まで下りているかを確認するため、船の周囲を泳ぎ進む。
先頭はメアリだ。新参者でよく船の事を知らない僕は、その後を着いていくだけだ。船尾を回って船の右側へ。
梯子は右側の舷に設置されていた。丁度、二人が海面に出たのとは逆側となる。
残念ながら、梯子は下りていなかった。
ちなみに、舷の所までの高さだが、目算によると五、六メートルくらいありそうだ。
メアリは破れかぶれに叫んだ。
「誰かー!」
女の子特有の高いその声は、遠く空まで届いたように思われたが、誰の返事も返ってこなかった。
一方、僕は彼女のように声を張り上げず、次にすべき事を考えた。二人同時に叫んでも、非効率だと思ったから。
確実に甲板に人がいる時に助けを求めて叫べば、誰かが気付いてくれるかもしれない。
そのためには、漂う船から離れない事が重要だ。
僕は左舷に幾本かのロープが垂れ下がっていたのを思い出した。
見境無く叫び続けるメアリ。
「メアリ」
こちらの声は聞こえないらしく、彼女は助けを求めて声の限りに叫んでいた。
顔は青っぽく染まり、目は血走って赤かった。
僕はメアリの両肩を掴み、揺すりながらもう一度名を呼んだ。
「メアリ!」
すると、彼女は夢から覚めたようにハッとなって、不安からか顔を歪めた。
「どうしよう」
ポツリと彼女は呟くように言った。
「今は待つしかない」
そんな現実しか言えない自分を、ちっぽけだと痛感した。
彼女の頭は今、僕の右肩に乗っていた。
僕は目を逸らし、メアリの涙を見ないようにした。
その右肩から彼女の悲しみが伝わってきて、僕も目頭が熱く感じられた。
でも、僕まで泣いてしまう訳にはいかないと、自分に強く言い聞かせ、何とか踏みとどまった。
読んでいただきありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。