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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第二章
8/51

ペナルティ

いらっしゃいませ。第二章の開始です。今回は、3551文字です。ぜひ読んでいってください。

 カビ臭くて埃っぽく、ジメジメしていて蒸し暑い。

 なんだか劣悪な環境を列挙しただけのようだが、そういう場所が実際にあった。

 スタルト艇の二階部分である。


 かつては客船だったというこの船は、二つの意味で、今はオンボロのゴースト・シップだ。

 ちなみに、客船というのは内部の設計を見れば大体わかるのだが、それにしては部屋数が少ないし、特別広くもない。

 その疑問をエミーにぶつけてみると、どうやら大型客船の幾つかあった別館だったんじゃないかと答えた。彼女自身、この船が現役時代だった頃の事は知らず、単なる憶測であるらしいが。


 それはともかく、そのような劣悪な環境の二階は、人の出入りがまず無いようで、当然荒れ放題になっている。

 いや、劣悪環境で荒れ放題だから誰も出入りしないのか。

 どちらが先でも、今、悪循環になっているのは、間違えようのない事実だ。

 今までそうだったのだから、そんな場所は放っておけばいいのに、どういう訳か、僕はその二階の掃除、片付けをやらされていた。

 一人ではない。が、そこには喜べない事情があった。この仕事の相棒が、タイスだったのだから。

 彼の口からは、二酸化炭素よりも悪態の方が、ずっと多く吐き出されているのではないだろうか。ふと、いらぬ心配をしてしまいそうになる。

 けれど、彼の不平不満にも一理ある。タイス自身には、ほとんど非が無いのだから。


 元はと言えば、僕のバングルが姿を消した時、彼をその犯人に仕立ててしまった事に原因がある。

 タイスは誰かを庇っての事なのか、それとも虫の居所が悪かったのか良かったのか、やってもいない事をやったと認めた。それにより、課せられたペナルティが二階の片付けだった。

 事態は解決し、タイスへの疑いは晴れた。それでペナルティは、キャンセルされるという事に……はならなかった。

 エミーとしてはキャンセルにしようと考えていたようだが、どういう訳だかメアリが、やけに二階の片付け作業の必要性を訴えた。


「ティムに任せていたら、いつまで経っても片付かないわ」


元々、この作業をするようになっていたのは、ティムだったらしい。

 そうして、ペナルティは実行される運びとなった。

 その際、僕もその片付け作業に加わった。何しろ、僕がタイスを疑わなければ、そもそもこのペナルティ自体、存在しなかったのだから、そこに責任を感じずにはいられなかった。


「ったく、やってらんねー。あっちーし、カビくせーし」


そう言いながら、タイスはモップを前後に動かして、床を拭いている。

 僕は、大きめのゴミ、主に木材なんかを片付けたり、壁や照明に積んだ埃をはたき落としたりしていた。


 たまに休憩を入れたりしているのだが、休んでばかりもいられない。


「ちょっとぉ、タイス。口よりも手を動かしなさい!」


 両手を腰に当てて居丈高な調子でものを言っている、赤茶色の髪の女の子。彼女はメアリだ。彼女は現場監督よろしく頻繁にやって来ては、檄を飛ばしてくる。これが休んでばかりもいられない理由だ。


「っせーなぁ。やってるだろー」


「ジェイクさんもお願いしますね」


彼女は僕に少し遠慮がちだ。これが二人の距離。

 僕は少し強引に作り上げた、ぎこちない笑みで応えた。


「じゃあ私、お昼ご飯の当番なんで、行きますね」


口調からして、僕に対して言ったのだろう。


「ああ」


 メアリは僕の返事に軽く会釈するように首をすくめて、スカートを翻し、階段を下りていった。



 そして次の日、夜明け前にスコールが降った。


 朝食を済ませて二階への階段を上ると、廊下は水浸しだった。雨漏りだ。

 ここ数日の作業で、随分綺麗になったような気はしていたが、それが台無しとなった。

 とは言っても、元々雨降る度にこうして水に浸かっていたのだろうから、それほど特別な被害は無いだろう。

 しかし、雨が階段を伝って一階まで流れ込まないのは、どうしてだろうか。そんな疑問を持った。

 調べてみると、どうやら長年の雨漏りで、廊下の板が湾曲しているらしく、水はその部分に溜まっていくらしい。


 僕はモップを手に、一人で水を拭き始めた。そう、今日は一人なのだ。

 タイスは朝から顔を紅潮させてふらふら歩いていたので、訝しく思って体温を測った結果、三十八度台の高熱を出していた。

 当然今頃は、ベッドで休んでいるはずだ。

 病人の事を悪く言うのもアレなのだが、「この忙しい時に……」である。


 けれど、タイスの不平を聞く事無く作業できるのなら、気分よく進める事が出来るかもしれない。

 僕はモップを前後に動かし、吸い取った水をバケツに絞って、バケツがいっぱいになれば流しへ捨てる。そんな作業を繰り返していた。

 そんな時に、階段を上ってくる足音が、廊下に響いた。足音では判然としないが、大体誰のものなのかはわかった。


 足音が劇的に変わって、階段から廊下へ歩く場所が移ったとわかる。だが、僕は直前まで気付かない振りをしていた。向こうから話しかけてくれるのを待っていたのだ。

 その時はすぐにやって来た。


「あの、ジェイクさん?」


「ん? 何だ?」


僕は作業の手を止める事無く、首を後ろに向けてからそう返した。


「私も手伝いますよ」


僕はその時、やっとモップを持つ手を止めた。


「メアリ。気持ちは嬉しいけど……」


「大丈夫です。掃除は得意なんです」


掃除というよりも、メアリの場合は家事全般が得意なのだろう。それほど長い間見ていない僕でも、そのくらいの事はわかっているつもりだった。

 作る食事にしてもそうだ。エミーよりもメアリの方が料理は上手で、それは本人達を含めて、周知の事実なのだ。

 余談ではあるが、食事の時に皆が集まる時間が、エミーのそれと比べてメアリの場合、約半分くらいなのだ。


 そういった要素を、メアリは少しも鼻に掛けたりはしないのだから、好感の持てる良い子だと、僕は感じている。

 むしろ、本人はその要素を自覚していないのではないだろうか、とさえ思わせる謙虚さをも併せ持っている。


「得意でも、これを女の子にさせるわけにはいかない」


 僕がそう言うと、一瞬メアリは悲しそうな表情を顔に浮かべた。そうかと思うと、彼女はキッと強い目をして、反論した。


「こういう事に男の子も女の子も無いと思います」


 メアリは次の瞬間、僕の手に握られていたモップを奪い、吸い取った水をバケツに絞り始めた。

 これは、意地でも帰らない事を表明している姿だ。


「うーん」


僕はうなりながら、仕方無くもう一つのモップを取りに、階下へ向かった。

 メアリの働きは実に見事なもので、てきぱきと手際良く作業してくれた。

 はっきり言って、タイスとは比較対象にならないくらいで、昨日と作業の捗り方の次元が違っていた。


 そうして、昼食の前までには、廊下の水たまりは殆ど無くなっていた。


「凄いな。メアリが手伝ってくれて、いつもよりもずっと捗った」


「いいえ、まだスタートに戻っただけですよ」


 社交辞令程度の微笑を浮かべ、そう返したメアリ。

 彼女の言葉は確かにそうで、スコールさえ降っていなければ、このような作業は初めから無かったのだ。

 しかし、僕にとって問題なのは、その何気ない会話が、作業し始めてから最初に交わした言葉だったということで、その理由は、二人が熱心に仕事を進めていたからだけではないのだと感じる。

 メアリは、僕に遠慮をしているようだ。呼び名、敬語などからそれが伺える。

 それに対して僕も、メアリに対して遠慮をしていると認めない訳にはいかない。

 二人の間には、そんな負の螺旋があった。


 僕が色々考えている間に、メアリはまたしても作業に没頭し始めていた。

 そんな時、船内放送でエミーが昼食の時間を告げた。

 僕は少し引っかかる事があったので、メアリに確かめた。


「そう言えば、今朝の朝食はエミーだったような気がするけど、お昼はメアリの当番じゃなかったか?」


「あ、そうですよ。でも、エミーが代わってくれたんです」


それはそれは、さぞ残念に思う者も多いだろう。

 別にエミーが料理下手とか味音痴で、破壊的な料理を作るとかいう訳ではないのだが、こと料理に関して、メアリの方に分が有る事は、前述した通りである。


「実は、お弁当持って来てるんですよ。階段の下の方に置いてあります。食べます?」


「え? ああ、食べる」


僕はメアリの後から階段を下り始めた。階段は少し湿り気を帯びていた。


「そう言えば、天井の修理って誰に頼めばいいんだろう」


「え?」


階段を下りながら、メアリは後ろを振り返った。


「だって、雨が降ったらまた床がびしょ濡れになっちゃうからさぁ」


「ああ、それは、エ……!」


その瞬間、メアリの姿が消えた。

 正しくは、彼女が濡れた階段に足を滑らせたのだ。そして、僕はというと、一緒に階段から落っこちてしまったのだ。

 空中にいる間は、何が起きたのか理解できなかった。

 そして、廊下の床に体を打ち付けた時も、同様だった。

読んで頂き、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。

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