終わりへの加速
いらっしゃいませ。本日は、3602文字です。よろしければ、ぜひ、読んでいってください。
その船は接舷してきた。
ティムが梯子を降ろして、謎の船から乗組員を迎えた。
梯子を登り船縁を越えて甲板に降り立ったのは、日に焼けた初老の男。鼻の下と顎に白髪混じりの髭が生えている。
彼は山高帽を外し、整えられた白いの混ざった髪を晒して、一礼をした。
僕は、その男性をもちろん知っていた。
前にいて顔に浮かんだ表情はわからないが、エミーも驚いた様子で、足を一歩後ろに引いて、右手を口許に当てたようだった。
僕は彼の名を口にしようとしたが、いち早く口を開いたのは、どうしてだか、ティムだった。
「ヨセフさん?」
僕とエミーは、ティムを穴が空く程の強い視線で見詰めた。
すると、今度はマリアン、カイの順番で言った。
「違うよ」
「ジョルジュさんでしょ?」
ゆっくりと双子の顔を全員が交互に見遣る。
僕の視線はやがて、メアリの方へと移る。彼女はそれを意識してか、咳を一つしてから、また別の名を口にした。
「ジャニスさんじゃないんですか?」
タイスは数歩前に出て、何かを言おうと息を吸い込んだが、エミーに制されて、押し黙った。
エミーはゆっくりと男性の方に向き直り、幽霊でも見ているかのように、恐る恐るといった風に、彼女の知る男の名前を呼んだ。
「ジョシュアさん。これはどういう事なんですか?」
ジョシュアは仮面のように表情一つ変えず、どこを見ているのかわからない細い目を、こちらに向け続けていた。
やがて、僕が感じていた不安のような思いがみんなに伝播したみたいに、互いに顔を見合わせて、小声で何やら呟き出した。
しばらくすると、その場には沈黙と重苦しい空気が漂い、僕達の心を支配し始めた。
長い間、そんな状態が続いていたような気がしたが、本当はそれ程でもないのかもしれない。
ジョシュアは一歩前に出ると、口を開いた。
「みんな、大きくなったねぇ。随分久しぶりだ」
これで確定した事がある。
彼は、いつの時点かはわからないが、僕以外のみんなと会った事があるらしい。しかも、名前を変えて。
少しずつだが、前に立つ初老の男性を見るみんなの目が、厳しくなっていく。みんなの中に疑念が募り出したのだ。
エミーは振り向いて、そんな全員の顔を一人一人じっくりと見た後、自身がジョシュアと呼ぶ男に詰め寄って、もう一度さっきと同じような事を言った。
「どういう訳なんですか? ジョシュアさん」
彼は右手の山高帽を頭上に戻すと、両手を後ろに組んで答えた。
「どういう訳も何も、私と彼らは古い知り合いなんだよ」
彼はそう言うと、それまでの穏やかな相好を一変させ、細い目を見開いて、鬼のような形相で僕を見た。
「君、以外はね!」
僕は思わず後ずさり、目を背けた。
「本当は、もっとこの状態を続けていたかったんだが……」
この状態?
僕は背けていた目を、もう一度ジョシュアに向け、負けないように目に力を込めた。
「続けたかったこの状態というのは、エミーに贋作を描かせる事なのか?」
「贋作?」
そう聞き返したタイス及び、エミーを除いた十の瞳がこちらに向けられた。
「人聞きの悪い事を言わないでくれよ。僕は描かせたりなんかはしていない。そこにいる彼女が勝手に描いてくれていたんだ」
「馬鹿野郎! エミーがそんな事を……!」
タイスはジョシュアに掴み掛かろうと、駆け出した。が、それをエミーはまたしても制した。
「何だよ、なんで止めるんだ!」
エミーは首を横に振って、静かな声で答えた。
「事実だからよ」
タイスは力無く両腕を降ろした。
「そうなのか?」
静かに頷く彼女。
ポツリポツリと空から雫が落ちてきた。
僕は、足音を立てないよう、穏やかな足取りでジョシュアの目の前までやって来ると、しっかりした口調で問い質した。
「どうして、あんたはここにいる彼らと知り合いなのか、それが知りたい」
ジョシュアは、「ふんっ」と、鼻で息を吐くと、返した。
「教えてやろうじゃないか」
彼は意味も目的も無く、横に数歩足を進めて立ち止まった。
「ここにいるみんなを、この船に連れてきたのは、私だ」
「何の為に?」
ジョシュアは面倒だと言わんばかりの表情をして、大きく溜め息を吐いた。
「それはね、エミーに頑張ってもらう為だよ。食い扶持が増えれば、それだけ金が必要になるだろう?」
彼はそこまでで回答を切った。後は察しろという事らしい。
僕は沸々と涌き上がる怒りを、精一杯押しとどめながらながら、尋ねた。
「名前がそれぞれ違っているのは?」
「僕は仕事の都合で幾つも名前がある。彼らと出会った時と場合によって、名前がたまたま違っていただけだよ」
僕は黙って、目を閉じた。
黙ったのは、これ以上口を開けば、相手を罵倒する言葉しか出てきそうになかったからだ。
目を閉じたのは、これ以上彼の姿を視界に入れると、殴り掛かってしまいそうだったから。
それ程までに、僕はジョシュアに対する怒りを覚えていたのだ。実際に、頭の中では、この初老の男に、何度も腕を振り上げていた。
「さあ、もういいだろう」
ジョシュアはそう言った。
僕は目を開いた。彼は踵を返し、こちらに背を向けた。ゆっくりとした歩調で、歩き出す。
船縁に片手を掛け、そのままの姿勢で彼は言った。
「エミー、後悔していないかい? 今、この状況を」
僕のみならず、みんながエミーに目を向ける。
彼女は凛とした表情を浮かべ、しっかりとした声で答えた。
「後悔は、していないわ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、ジョシュアは、「そうか」と、呟いた。そこからは、何の感情も捉えられない。まさしく、荒涼とした口調だった。
それから、彼は舷に自分の背中を預け、再びこちらに向き直ると、今度はみんなに聞こえるよう、はっきりとこう言った。
「家族ごっこは、終わりだ」
ジョシュアの声が、その場に立ち尽くすみんなの耳に届いた頃、雨が急に強く降り出した。
雨が甲板を叩く音と共に、ジョシュアのいる船縁の辺りに、梯子が二挺掛けられた。合計、三挺の梯子を登ってくる者達がいる。
服装から、彼らが連合の職員だとわかった。
「てんめー、連合に通報しやがったのか!」
タイスが怒りを露わにした。
「そうさ。もう君たちに用は無いからね。しかし、これは善意だ。考えても見てごらん。後ろ盾を失った君達が、これ以上生きていく事ができるのかい? いっそ、このまま連合に保護された方が、より堅実だと思うけどね」
ジョシュアは、いけしゃあしゃあとそんな事を言った。
「みんなが一緒じゃなくちゃダメなの!」
メアリが訴えるも、ジョシュアはまるで聞こえていないように、無反応だった。
その代わりに、連合職員がこちらに向かって走ってくる。
みんなは、捕まるまいと、甲板をでたらめに逃げ出した。
最初に狙われたのは、小さな双子姉弟だった。男二人掛かりで襲いかかり、先にマリアンが腕を掴まれた。
「お姉ちゃん!」
カイがマリアンの腕を掴んでいる職員に、勢いを付けてぶつかっていったが、体格に大きな差があり過ぎて、相手は少しも動かなかった。
それでも彼は、マリアンを捕まえて離さない腕にしがみついた。そんなカイを、もう一人が後ろから羽交い締めにする。次の瞬間、悲鳴が上がった。
「いってー!」
カイが、マリアンを掴んでいた方の男の手の甲に、歯形を付けていた。
男は、手を離し、彼女を自由にしてしまった。そして、もう一人の男も相方を助けようとして、カイを解き放った。
雨は、依然として強く降り続いている。
気が付けば、職員の数はさらに増えていた。もう、こちらの数を上回る程の人数だ。
一方で、連合の男に追われていたメアリが、甲板に出来た水たまりで足を滑らせた。転倒すると共に、水飛沫が舞う。
「メアリー!」
ティムは自分も追われている事を忘れ、倒れたメアリのもとに駆け寄った。二人は、三人の男達に押さえ込まれ、動けなくされてしまった。
誰かが掴まってしまえば、諦めにも似た空気が漂い出し、士気が下がる。なし崩し的に、タイスが掴まり、カイ、マリアンも同じ道をたどった。
まだ掴まっていないのは、僕とエミーだけ。けれども、それさえもう時間の問題だった。
掴まった者達は、もう抵抗したり無闇矢鱈に暴れたりする事も無い。それだけ、ここには絶望感が溢れていたのだ。
僕も、二人掛かりで両腕を掴まれ、身動きが取れない。
胸中では、これで終わりだと諦める自分の存在が徐々に大きくなり、拳を強く握りしめる事さえ出来なかった。
そんな中、エミーはたった一人、抵抗を続けた。そこに諦めの文字は微塵も見られなかった。
大の大人に腕を掴まれても、振り解く力をまだ有していた。この場において、彼女の心だけは、まだ折れていなかった。
「くっそー!」
心の底から涌き上がってきた僕の叫びを、雨は音の渦の中で海底まで沈めてしまった。
やがて、エミーも力尽き、膝から折れてうつ伏せに倒れてしまった。
彼女だけは、後ろ手に腕を組まれ、手錠を掛けられてしまった。
甲板上は静かになった。雨音は相変わらずだったが、それでも静かだった。
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