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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第六章
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家族の起源

いらっしゃいませ。本日は、3047文字のお話です。スタルト一家の起源に関するお話です。よろしければ、読んでいってください。

 甲板の上、僕とエミーは日の当たる一角に並んで座って、話をしていた。と言っても、話しているのは専らエミーの方で、僕はたまに相づちを打つくらいだ。


「ジョシュアさんと出会ったのは、もう随分昔。孤児院を始めるよりも前。タイスと出会ってすぐだったわ」


「そう言えば、なんでエミーは孤児院を始めようとしたんだ?」


「うーん」


エミーは空を仰いで、右の人差し指をあごの下に這わせるような仕草の後、言った。


「どこから話していいかわからないから、最初から話すね」


「いいのか?」


「うん。だって、もうジェイクも家族だからね。話せない事なんて、無いよ」


彼女はしばし目を閉じて、記憶を遡り始めたようだ。

 その行為は唐突に終わり、彼女は語り始めた。


「私の一番古い記憶では、お父さんくらいの歳の男の人と暮らしていた。クラウス・スタルトっていう名前だったんだけど、本当の家族じゃなかったの。そのクラウスって人が言うには、私の本当の両親は、私をお金で売ってきたんだって」


「クラウスって人は、その……買ったの? エミーを」


「そう。でも、クラウスは私を救ってくれたんだと思う。私、実の親に虐待されてたみたいだから」


僕は、たまの相づち程度の言葉すら失ってしまった。


「もちろん、私覚えていないし確かめる事も出来ないけど、クラウスはとても優しくて誠実な人だったから、本当なんだと思う」


彼女は、遠くを見詰めてそう言った。


「……いい人だったんだな」


 僕は憚りながらも言葉を挟んだ。


「そうなの。クラウスは、奥さんと娘さんを海難事故で亡くしていたんだけど、その事もあってか、本当の娘みたいにとても優しく接してくれた。でも……」


彼女は言葉を区切り、一瞬悲痛な表情を見せたが、すぐにいつもの優しげな表情で笑いかけ、言った。


「クラウスは、病気で亡くなってしまったの」


彼女の左手が、無意識だろう、僕の右手に重ねられた。

 一瞬、僕は焦ったが、今は彼女に何らかの心的な支えが必要なのだろうと、右手を裏返し、上に重ねられた手を強く握った。


「一人になった私は、偶然通りかかった船に助けられて、その後、孤児院に引き取られたわ。だけど、そこは孤児院という名前を騙った、人身売買を行っている犯罪組織の船だった。

 私はその事を知って、逃げ出そうとした。けど、無理だった。そこで出会った、似た境遇の子らが一人また一人売られていくのを、黙って見送るしかなかった」


 エミーの笑顔の裏に、そういう辛い過去が隠されていたなんて、全然思わない訳ではなかったが、事実は僕が予想していたよりも遥か上をいっていた。


 彼女はさらに続けた。


「私の番がやって来るのに、そんなに時間は掛からなかった。私が売られたのは、とある鉄鋼の業者。肉体労働に従事する事もあったわ。

 それから何ヶ月か経って、私はその船を逃げ出した。タイスと出会うのは、その後。漂流していたボロ船に乗ってた。そのボロ船が、この船なの」


 一仕事終えたように、エミーはホッと息を吐いた。内容から言って、それを話す事は、一仕事なのでは済まないだろう。


 僕は、彼女が話を再開するまで辛抱強く待った。


「ここまでで、よくわからない箇所とか無かった?」


「は?」


エミーはこちらが呆気に取られる程、普段と同じような調子でそう聞いてきたが、まさかそういう質問コーナーのようなものが用意されるとは思いもよらなかった僕は、間抜けにもそんな返事をしてしまった。


「聞きたい事が無いなら、次の話にいっちゃうけど」


「あ、じゃあ、一つだけ。クラウスって人はどういう……?」


「うーん、さっきも言ったけど、優しくてまじめな人だったわ」


「エミーはどう思っていたんだ?」


エミーはどこか遠くを見るように、顔を斜め上に向けて、穏やかな顔をしつつ答えた。


「好きだったわ。多分、一番幸せだった時期。もちろん、今は除いてね。って、ジェイク、やけにクラウスの事を知りたがるけど、……あ、ひょっとして、やきもちとか焼いてるの?」

そう言われた僕は、顔を赤くしているのかもしれなかった。

 しかし、さっきまで直視するのも難しい程辛い話をしていたのに、今はこんないたずらっぽい顔をして、僕を冷やかしてくる。そんなギャップに、僕はいろいろな意味で脱帽だった。


 彼女がこんなに笑っていられるのは、幸せな今があるからだろう。

 決して未来が明るい訳ではないし、直面するのは辛い現実ばかり。それでも、今は笑っている。笑える時は笑っていた方がいい。それは、僕がここの人達と家族になってから、学んだ事だ。


 エミーは一つ咳払いをして、満面の笑みを僕に向けてくれた。


「クラウスは私のお父さんみたいな人だったの。そういう意味で、好きだったの。安心した?」


と、またからかってくる。


「いいから、孤児院を始めた理由と、ジョシュアの話を続けてくれよ」


僕は話を変えてもらいたくて、辛抱強く待つという決意をあっさりと、自分から覆した。


「はいはい」


 彼女は笑顔をどこかへ収めて、さっきの話を続けた。


「タイスをこの船で見つけた時、私は十歳、タイスは五歳。そんな子供二人に、生き続ける上で何ができると思う? 答えは、何もできない、よ。私はそれを身に染みて知った。

 その頃、私はもう大人が信用できなかったのに、結局は大人に助けられる事になった」


「ジョシュア?」


僕は思わず、脳裏をよぎった人物の名を口にした。


「ええ、ジョシュアさん。私達はあの人のおかげで、生き延びる事ができたの」


僕には一つ引っかかる事があった。


「なんで、ジョシュアは手を差し伸べてくれたんだろう」


「それは……私にはわからない。単純に善意だったんじゃない?」


「うーん……」


僕は得心する事が出来ず、唸った。

 一方でエミーは、その事には大して興味を持っていないようで、僕が考えている間中退屈そうに天を仰いだり、水平線の向こうを覗き見ようとしたりしていた。

 そんな様子に気が付いた僕は、彼女に謝って、続きを促した。


「あ、ごめん。話を催促しておきながら、話の腰を折るなんて」


「うううん、いいの。じゃあ、続けていいの?」


僕は頷いた。


「ジョシュアさんは最初に、このボロボロだった船を、ある程度人が暮らしていけるくらいに修理してくれた。もちろん、船大工さんを雇って。その時はまだジョシュアさんの事、半信半疑どころか、二信八疑くらいだったんだけど、あの人、積極的に関わってくるような事はしなかったから、それが返って私達に、あの人を信じさせたのかも。だから、二、三ヶ月が経った頃には、私達、完全に心を開いていたわ」


 エミーの目には、当時の様子が映っているのかもしれない。少なくとも、この付近に目の焦点は合っていないようだ。


「その頃、私は絵を描き始めた。単純に、ジョシュアさんにお礼がしたくて。喜んでもらいたくて。その頃のは私は、そんな事くらいしか思い付けなかった。それで、似顔絵を描いたの。

 今まで絵なんて描いた事なかったけど、ジョシュアさんは驚いたみたい。そして、褒めてくれた。だから、彼に会う前には必ず、何かしらの絵を描いて、プレゼントしたのよ。

 そこで、初めて、孤児院の話が出たわ。私が描いた絵を売って、それを運営資金にしようって」


「じゃあ、孤児院はジョシュアに言われて始めたのか?」


「提案は確かに彼だった。でも、実際に始めたのはずっと先。ティムがこの船にやって来た時よ。私やタイスみたいに、辛い目に遭う孤児を救いたいと思ったから、孤児院を始めたの」


 結果的に、ジョシュアの提案を受け入れる事になったのか。僕は、心の中でそう呟いた。

読んで頂き、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています。

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