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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第五章
39/51

頑な理由

いらっしゃいませ。本日のお話は、3161文字です。いつもよりも少々長めですが、よろしければ読んでいってください。

 ティムは甲板に出て、早朝の微かに冷たい空気を吸い込んだ。空には断片的な鱗雲が浮かんでおり、この海域にもうすぐ秋が訪れようとしているのを感じさせた。


「よし」


彼はそう呟くと、颯爽とした足取りで食堂へ向かった。


 食堂には既に明かりが灯っており、奥の調理場からは時折物音が聞こえてきた。エミーだろうか。

 ティムは、足早に調理場へ入っていった。包丁で何かを刻んでいる真剣な横顔は、エミーではなくメアリだった。


「ダメじゃないか、メアリ。寝てなくちゃ」


「ティム、おはよう。悪かったわね、私の代わりさせちゃって」


メアリは、少しも毒気の無い、清々しい笑顔でそう言った。


「僕の話、聞いてよぉ」


「私はもう大丈夫。それに、今日は調子がいい……どうしたの?」


ティムは、苛立っているのか、両手をわなわなと震わせると、それから大きな声で、メアリに怒りをぶつけた。


「もう、メアリ! いいから部屋で寝ててよ!」


メアリは明らかに困惑していた。


「ティム、何をそんなに怒ってるの?」


「……ほら、僕がやるからさぁ」


ティムはメアリの手から包丁を捥ぎ取った。


「どうしたのよ?」


哀しそうに眉尻を下げたメアリは、いつまでも答えない彼に対して機嫌を損ねた。


「何も答えないのなら、いいわ」


彼女の言葉には、明らかに刺があった。


 去っていくメアリを、ティムは一瞬追い掛けようとした。しかし、彼はすぐに足を止めて、振り返ってメアリが下ごしらえした朝食の材料を前にした。

 ニンジン、パプリカ、が細かくみじん切りにされて、ハムが細長く刻まれていた。さらに、手付かずのタマネギがある。まな板の横のコンロには、鍋が一つ掛けられていて、既にお湯が沸いていた。


「野菜スープでも作ろうとしてたのかな」


ティムはタマネギの皮を剥き、他の野菜と同様に細かく刻み始めた。目が滲みる。涙で前が段々と見えなくなっていった。

 それでも、ティムはタマネギを闇雲に刻み続けた。その様子はちょうど、八つ当たりしているみたいだった。


 タマネギが十分細かくなると、他の材料と一緒にお湯の中に投入した。

 火力を弱にして一息吐くと、ティムは空中の一点を見詰めるようにして、未だ溢れそうな涙をTシャツの袖で拭った。

 そして、「これで良かったのかな」と、独り言ちた。


 目線を鍋の中に移すと、色鮮やかな具材が混ざり合って、ぐるぐると対流していた。野菜の色がお湯に移り、徐々に暖色系へと変わっていく。

 ふと目を逸らし、彼はまた一人、自分に言い聞かせるように、言った。


「うん、これで良かったんだ」


寂寥とした声の響き。


 ティムはその後、我に返って、味付けの為のコンソメを探し始めた。

 そうして作られた野菜スープは、ティムの料理至上最も美味しいものとなった。

 しかしながら、その朝、食堂にメアリが現れる事は無かった。



 そんな事があった次の日、未だメアリは自室で大人しく横になっていて、ティムは相変わらず家事に精を出していた。

 ティムに関しては、ちょっとした奇跡が起こっていた。彼の家事能力が、見るからに上昇していたのだ。

 掃除をしてもバケツをひっくり返す事は少なくなったし、洗濯機から泡を大量に溢れさせる事も無くなった。

 料理だって、メアリやエミー程では無いにしても、何とか残さず完食する事が出来るくらいになった。

 初めは下手でも、それを繰り返し実践していると、徐々にではあるが、上達するという良い見本となった。


 みんな、ほっと胸を撫で下ろした事だろう。

 だが、そのような平穏は長く続かなかった。翌日には、もう昨日の上達ぶりが嘘のように、元に戻っていた。

 昨日の事はやはり奇跡だったのだと、そんな風に思う者は誰もいなかった。ティムが疲労していたのは、誰の目から見ても明かだったから。

 目は虚ろで、声を掛けても反応が薄い。いつもへらへら笑っていた口許が、今は固く閉じられていた。

 そういう訳で、昼食の片付けが終わってすぐ、家族会議はまたしても開かれる事となった。


 正直、この会議で物事を解決するような案は、あまり出てこないというのが、僕の印象だった。

 今回はメアリも参加する事となったので、場所が彼女の部屋になっていた。

 彼女の存在が、会議を変えるかもしれない、そんな予感はしていた。


「じゃあ、会議を始めます」という、エミーの宣言で会議は始められた。


 開始に当たって、議題は何も語られなかったが、全員が既にそれを理解していた。

 ティムを休むように、無理をさせないように、どう説得すべきなのか。その為には、やはり彼の心情を汲んでやる必要がある。メアリに心当たりがあればいいのだが。


 エミーが早速、メアリに発言を促した。


「メアリ、どうしてティムがこんなに頑なのか、何か知らない?」


「私にも全然」


 彼女は憤然とした様子で、きっぱりとそう言いきった。

 誰ともなく、溜め息が聞こえた。やはり、彼女に期待していたのは、みんなも同じのようだった。


「私、眠っている間の事はわからないけど、目覚めた後でも、彼、ティムがどうしてあんな事をしているのか、わからなくて……。私、調理場から追い出されたんだよ」


 メアリはそっと口許に笑みを浮かべたが、哀しみを隠すには至っていない。

 誰も口を開かない。メアリは続ける。


「このままだったら、今度はティムの方が倒れそう……」


その時、ドアをノックする音と、メアリを呼ぶお気楽そうな声が聞こえた。最早、確かめる必要は無い。この場にいないのは、彼だけなのだから。


「入るよー」


ティムは、そこに全員が揃っている事に、あまり頓着しなかった。


「何? みんなでメアリのお見舞い?」


みんなの代表として、エミーが答えた。


「ええ」


「メアリは調子、どう?」


彼女は答えない。


「そっかぁ、まだあんまり良くないんだね。あ、そろそろ洗濯物を入れちゃおうかな。メアリ、早くよくなってね。じゃあまた」


ティムは右手を小さく振ると、踵を返して部屋を出て行こうとした。


「待って!」


メアリが彼を止めた。


「ん? 何か用事でもあるの?」


ティムは、どこか嬉しそうに笑っていた。


「もう、そろそろいいんじゃない?」


ティムの表情から笑みが消えた。


「もう、いいから。私の事はいいから! だから、やめてよ……」


メアリの言葉の後半部分は、波音に消え入りそうな、静かな声だった。


 ティムは、無表情に僅かな慈愛のような達観した感情を浮かべ、メアリを見詰めた。


「大丈夫だよ、僕は」


「大丈夫じゃない! 今度はティムが倒れちゃうでしょ!」


「僕は倒れないよ」


「例えティムが倒れなくても、私が苦しいの!」


 ティムは酷く驚いたように口をぽかんと開けて、俯いた彼女を改めて見詰め直した。

 そうした時間が十秒くらいあって、ずっとみんなで静観していた僕は、二人の会話に割って入った。


「ティム、なんでそこまで頑ななんだ」


彼はその時、その場の全員を見回した。おそらく、全員の視線が自分に集中している事を、初めて知っただろう。


 ティムは少しの間迷いながら、重そうに口を開いた。


「僕の所為だから。僕がいつもメアリを怒らせていたから!」


「そんな事……」


メアリは首を横に振って否定した。その後、どこか居心地の悪い沈黙が降りてきた。


「結局、みんなが悪いんだ」と、僕は、第一声を発した。


「メアリには色々してもらってたからね」


エミーは、済まなそうに俯き、そう言った。


「お前は休んでろ。二人も倒れられたんじゃ、たまったもんじゃねーからな」


タイスはいつものように、毒に包まれた優しい言葉を吐いた。


「私もお手伝いするー」


「僕もー」


と、双子等。


「みんな……」


メアリは嬉しさを通り越して感激した様子だったが、やがて、真面目腐った表情を一瞬で作り、言った。


「そういう訳だから、ティム。あなたは休みなさい」


ティムは、少しの間凍り付いたように動かなかったが、やがて、どっと肩の荷が下りたように、清々しい顔で、ようやく頷いた。

読んで頂きありがとうございます。次回で、第五章に幕が降ります。またのお越しをお待ちしております。

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