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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第五章
35/51

雲、立ち込める午後

いらっしゃいませ。今日は、2606文字のお話です。ぜひ、読んでいってください。

 結局、僕は自室に戻った。

 その頃になっても、タイスはまだ眠っていた。掠れたような寝息を立てながら。

 僕は音を立てないように自分のベッドに腰掛け、読み掛けだった本を手に取ろうとして、うっかり取り落としてしまった。

 ハードカバーのそこそこ厚い本が床に落下して、鈍い音が静かな室内に響き渡った。

 僕は咄嗟にタイスの方に目を遣った。すぐに反応はなかったが、五秒くらい経った頃、タイスはガタっと身震いした。

 そして、ゆっくりと動き出し、掛け布団を投げるような勢いで剥ぎ取り、眠たげな目をして周囲を見回した。


「今、何か凄い音がしなかったか」


「お前のいびきだ」


もうその時、床に落下した本は、手に回収済みだった。


「そうか」


小首を傾げながらも、タイスはベッドから立ち上がり、寝癖の付いたままのぼさぼさ髪で部屋を出て行った。


 時間が経っても、彼は戻ってこなかった。

 いたらいたで少し面倒くさいので、ちょうどいいとばかりに、僕は本を読み進める事とした。


 窓から直接太陽光が入ってくるようになった頃、メアリの声で昼食を告げる放送があった。僕は本を棚に置き、食堂へ向かった。

 そこで、タイスと再会したが、特に言葉は交わさなかった。


 その日の昼食は少し、おかしな雰囲気に包まれていた。


「いただきます」をして、最初に口に運んだものは人によってそれぞれだったが、そこから感じた思いには、共通するものがあった。

 いつもは甘めの卵焼きが、過剰に塩辛かったり、ゆでられた野菜に芯が残っていたり、豚肉の生姜焼きのショウガが効き過ぎて辛かったり、と。


 要するに、メアリが作る料理にしては、あまりにお粗末だったのだ。

 みんな、食事をしながら、メアリの方をチラチラ見ている。彼女の方はというと、いつもと変わらない様子で、自分が作った料理を、表情を崩す事無く黙々と食していた。

 ついに僕は、自分の味覚の方がおかしくなっているのだと言い聞かせ、残さないように食べ続けた。


 昼食は滞り無く終わった。

 エミーとメアリは食器の後片付けの為に、調理場の方へ行ってしまった。


 食堂から出る辺りで、ティムが小声で僕に言った。


「今日のお昼ご飯、どうだった?」


僕が言葉に詰まっていると、横からタイスが言ってきた。


「あれ、メアリが作ったのか?」


「僕もそれには疑問だったんだぁ。実は、エミーが作ったんじゃないの?」


「いや、今日のはエミーでもちょっと……」


僕が口を挟むと、二人はキッとこちらに鋭い目を向けた。

 ちょっといけないことを言ったのだろうか。僕は二人の勢いに気圧されて、口を噤んだ。しかし、二人は「だよなぁ」と、同意しただけだった。


「何の話?」


 カイがいつの間にか、すぐ近くで聞き耳を立てていた。そこへ、マリアンが登場し、カイに言い聞かせた。


「みんな今日のご飯がおいしくなかったって、話してるのよ」


 カイより遠くにいたのに、彼女にはしっかり聞こえていたらしい。

 僕とティム、タイスは、マリアンの言葉に苦い顔をして、やり過ごすしか無かった。


 誰からとも無く、食堂の扉を開いたその時だった。メアリの名を呼ぶ、エミーの切迫した声が、調理場の方から聞こえたのは。



 調理場へ殺到する五人。最初に到着したのは僕とティム。それから、タイスと二人の姉弟。ただでさえ狭いこの調理場に、クルー全員が集結していた。

 エミーは叫ぶような声で、メアリの名を呼び続けていた。


「メアリ! メアリ! しっかりして」


 名を呼ばれている少女は、床に伏すように倒れていた。

 ティムが数歩前に出て、うつ伏せで倒れているメアリの両肩に手を掛けた。何をするのかと見ていると、彼はメアリの体を仰向けにした。そして、頬を軽い力で叩きながら彼女の名を呼び掛けた。


「メアリ、メアリ」


意識は戻らない様子だった。

 これはいよいよ、恐れていた事態なのではないか。僕は思った。


「どうしよう……どうすれば」


「医者に見せる他、無いだろう」


僕はエミーを見据えてそう言った。


「ジェイク……」


エミーが見返しつつ、零すように言った。


 僕は、そんな彼女から目線を移した。


「ティム、タイスとメアリをベッドまで運んでやれるか?」


「う、うん。タイス、頼むよ」


「わ、わかった」


こういう時は、さすがにタイスも不平不満を口にする事は無いのだなと、そんなどうでもいい事が脳裏をよぎった。


 双子の姉弟も、ティム等の後を着いて行ったらしく、その場には僕とエミーしかいなかった。


「エミー」


名前を呼んだただそれだけで、彼女には僕の言わん事が伝わったらしい。


「うん、わかってる。方法があるの」


エミーは決然とした目をして歩き出し、僕の横を通って調理場を出た。

 僕は彼女の後を追う。

 いつの間にか、空にはうっすらと雲が広がって、陽光をやんわりと遮って、辺りを暗くしていた。


 二人が行き着いたのは、操舵室だった。

 船を動かすのかと思いきや、エミーは通信機の前に立った。彼女はそれをを操作して、登録されたアドレスから一つを選び出した。

 通信機の画面には、相手の名が記されていた。


「ジョシュア……どこかで聞いたような」


「忘れたの? ほら、この前会ったでしょう? 私達を支援してくれてる……」


「ああ! 思い出した」


 そうだった。ジョシュアは、僕をシュトライフ先生の孤児院に紹介してくれたという、あの男の人だった。早朝に、たまたま会う事があった。


「あの人に、紹介してもらうわ」


「それって……まさか」


と言っていると、ジョシュアが応答した。画面に、見た事のある顔が映った。彼が現在どこにいるのかわからないが、余程遠いのか、映像にはかなりの乱れがあった。


「どうしたんだい? エミー」と、ジョシュアが尋ねる。


 エミーは事情を説明し、医者を紹介してもらうよう頼んだ。それに対してジョシュアは、難しい顔をした。


「大丈夫なのかい?」


それがジョシュアの第一声だった。それが、患者の事を表しているのではないと、僕にもわかった。


「はい」


エミーは覚悟を決めている様子だった。


「少し待っていてくれ」


通信が一旦断たれた。

 僕はエミーにさっきの続きを言った。


「闇医者なんだろう? 診療費とかどうするんだ? そもそも、ここの運営費だって……。あのジョシュアって人に頼ってばかりはいられないだろ?」


「うん、大丈夫だから」


エミーに考えを変える気持ちは無いようだった。

 僕は黙る事にした。お金の事は二の次だ。優先すべきは、何よりもメアリの命。


 数分後、ジョシュアから通信が入り、医者がこちらに向かっていると知らされた。

読んで頂き、ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。

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