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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第四章
33/51

大海の奇跡

いらっしゃいませ。本日ノお話は、3699文字となっております。第四章の最終話です。ぜひ、読んでいってください。

 夜の航行は危険なので、出立は翌朝を待つ事になった。


 僕が一晩眠り、目を覚ました時には、既に船は走っていた。

 甲板に出た僕は、一瞬目を疑った。クロードが子供達を引き連れて、船の側面と後方からじっと遠くを見渡していた。


「これは……」


その声に気付いたクロードは、僕のもとに歩み寄って言った。


「お、ジェイク。起きてきたな。左右と後ろはおれ等に任せろ。だから、君は操舵室で前方に気を使ってくれ」


彼は子供達の方へ戻っていった。

 僕は胸が熱くなるのを感じた。


 船内に戻り、操舵室へ。船を操っていたのは、ロジャーだった。


「おはよう、ロジャー」


彼は会釈をしただけで、また無口に戻っていた。

 羅針盤によると、船は確かに東へ進んでいた。

 天気は良好だ。僕は窓越しに、大海原の水平線までを、目を凝らして見詰めた。例え、クジラやイルカ一匹でさえも、見逃さないように、神経を張り詰めて。

 無論、探している船が、そう簡単に見つかるとは思っていなかった。海は途方も無く広いのだから。

 一度別れてしまえば、基本的に再会するのは難しい。だから、一期一会という精神がこの世界には受け継がれていた。

 それでも再会できる要因があるとするならば、僕の建てた無茶苦茶な推論と、別れてからまだ数日しか経っていないという二件だ。


 それらしい船影が発見できないまま、やがてお昼になった。

 操舵室も甲板も、静けさに包まれていた。

 僕はさっきからずっと、不安に押し潰されそうになりながら、一心に前方を睨みつけていた。

 そんな時、急に扉が開けられた。


「二人とも、お昼ご飯ですよ」


操舵室に入ってきたのは、シュトライフ先生だった。先生は、おにぎりの載ったお盆を両手で抱えていた。

 おにぎりを手に、僕は再び大海に目を向けた。ロジャーもおにぎりを食しながら、船を走らせ続けた。

 そんな様子を確認するように見ていた先生は、満足げに頷いて操舵室を出て行った。やがて、ガラス窓を通して、少しくぐもった子供達の歓声が聞こえてきた。


 朝から走り続けていた船。

 見当違いの方へ向かっていたのかもしれないという思いが、僕の心で増長していた。

 スタルト艇が東の方にいるという僕の考えは、まったくの想像でしかない。

 皆にここまで迷惑をかけてしまった。

 今にでも探すのをやめて、この船に残る決断をするべきかもしれない。また別の孤児院へ移るという選択肢は、いつの間にか残っていなかった。


 弱気な考えが強くなって、僕の頭の中で台頭を始めた。

 いても立ってもいられない衝動に駆られ、僕は震える声で言った。


「ロジャー、船を止めてくれ」


 そう言うと、僕は扉の前に移動した。しかし、船はその速度を緩めない。


「ロジャー、もういいよ。これ以上、皆に迷惑を掛ける訳にはいかない。諦める」


 何も返ってこない。そう思い込んで、僕は扉の取っ手に手を掛けた。だけど。


「あ、あ、あきらめ……たら、いけない」


ロジャーはそう言って、僕を振り返らせた。

 船の駆動音と波のはじける音。そんな中にあっても、彼の声ははっきりと聞こえてきた。


「だけど!」


「だだ、誰も、め、迷惑、だなんて、思っていない」


 僕は操舵室側面の窓から、クロード達の事を見た。誰一人、文句も言わず、愚図ったりもせず、ただ一心に海の向こうを見通そうとしている。こんな僕なんかの為に。

 僕はその時、一つの答えみたいなものに行き着いた。

 そうか。結局、僕は心を開けなかったんじゃない。開こうとしていなかったのだ。そして、心に壁を作っていた。

 心の壁は僕が築き上げた、僕を守る僕の壁。だったら、それを壊すのも僕しかいない。

 その一線を越えた所に、いつだって人の暖かみがあった。


 僕は船の前を向いた。相変わらず、水平線の先まで青い空と碧い海が見える。

 もう、僕は諦める事をやめていた。

 不意に、操舵室の重たい扉が開かれた。クロードが血相を変えて、入り口付近で息を荒げていた。


「七時の方角に……船影がある。ジェイク、君の言う船かもしれない」


 聞き覚えのある汽笛が、ずっとずっと遠くから聞こえたような気がした。



 大海原の上で、二隻の船が並ぶように止まった。それから間も無くして、操舵室に通信を知らせるアラームが鳴った。


「こちら、スタルト艇。こちらスタルト艇。応答を願います」


「その声、ティムか? 船を動かしていたのはお前なのか?」


「ああ、ジェイク。良かった見つかってぇ。うん、タイスが……痛てっ、何するんだよぉ、タイスぅ」


「余計な事、言わなくてもいいんだよ!」


そんな音声だけのやり取りが、情景として浮かんで来るような気がして、僕は思わず口許を緩めた。


「ジェイク。こっちに戻ってくる意志は無いのかい?」


僕は何と言っていいのかわからず、言葉を見失った。


「おーい、ジェイクぅ。やっぱり、嫌なのかい?」


「嫌なんかじゃない! ただ、僕にその資格があるのか? 僕は自らの意思でそっちのみんなを捨てて、出て行ってしまったんだ。そんな僕に……」


僕の声は少しずつ小さくなっていき、やがて、途切れた。


「ああ、イライラさせやがって。戻ってきていいんだよ! クソやろうが!」


ほんの数日しか経っていないというのに、そんなタイス節が懐かしく思われた。


「……タイス」


「まー、タイスでさえそう言ってるんだから、他の皆が拒否する事は無いと思うよぉ、ジェイクの事」


ティムの言葉が勇気をくれた。


「ティム、梯子を下ろしてくれ。これから、船を着ける」


そう言うと、僕は通信を切った。


「ロジャー、言った通りだ。頼む」


彼は無言で船を操り始めた。繊細さを必要とする操舵だった。

 船が停止し、操舵室を出る間際、僕は振り返ってロジャーに礼を言った。彼は何も言わなかったが、不器用な笑顔で手を振ってくれた。

 操舵室を出ると、事情を何も知らない筈の子供達が並んで、こちらを向いていた。思えば、彼らの名前を僕が覚える機会はついに来なかった。


「あ、出てきた」


「ジェイクだ」


そんな風に、子供達一人一人が勝手に喋っていたのを、クロードが鎮めた。

 クロードが「せーの」と言うと、子供等は皆で声を揃えて、僕に別れの挨拶をした。


「さようなら!」


「皆、ありがとう……さようなら」


大勢に見送られ、僕はクロードと並んで歩き出した。


 シュトライフ先生は、スタルト艇の梯子に、紐を舫っていた。先生はこちらに気が付くと、いつもの厳しそうな顔を向けた。

 僕は、これから大切な事を先生に頼もうとしていた。それが、受け入れられるかどうか、それはわからない。だが、それを聞いてもらえないまま、スタルト艇へ戻る訳にはいかなかった。

 その前に、謝罪と礼を言わなければならない。


「シュトライフ先生、本当に済みません。わがままを聞いてもらって。本当に、感謝しています」


「わかっています」


そう答えた先生は、表情を固くしたまま崩さない。


「僕はあなた達が嫌になって出て行く訳じゃないんです。それだけはわかって欲しい」


「それも、わかっていますよ。あなたにはもう家族がいるみたいですから、家族のもとへ帰るだけでしょう」


そう言っても、彼女は厳しい顔をして、眼鏡越しに鋭い眼光を放っていた。

 僕は極度に緊張しながらも、言わなければならない事を口にした。


「あの、この船が非正規の……だって」


「報告などしませんよ。ここも同じですからね」


「え?」


「ここも、正規の孤児院ではないのですよ」


その時初めて、シュトライフ先生が、はっきりとわかる悪戯っぽい笑顔を見せた。


「ええええっ」


「驚いていますね。ですが、本当です」


 僕は落ち着きを取り戻すのに、少々時間を必要とした。


「じゃあ、先生、クロード、さようなら」


 僕は梯子に、手と片足を掛けた。背後から二人の別れの言葉が聞こえたのを確かめて、僕は振り返る事無く梯子を上り出した。


 梯子を上り終えると、そこには皆が待っていた。

 僕は皆を前にして言った。


「……ただいま、みんな」


「おかえり」


ティムがそう言うと、他のみんなも頷き、「おかえり」と言って、駆け寄ってきた。

 ティム、タイス、メアリ、マリアン、カイ。

 そこに、エミーの姿は無かった。


「エミーが見えないみたいだけど」


すると、メアリが苦笑いを浮かべながら、後ろを振り向いて、食堂の方を指差した。

 そちらに目を遣ると、傾いた陽の光で伸びた影法師が、こちらからは死角となって見えない食堂の影に、誰かいる事を暗に告げていた。

 僕は歩み寄って、影を見ながら彼女の名を呼んだ。


「エミー」


その瞬間に、影法師が僅かに揺れた。


「ただいま」


「お、おかえり……なさい」


エミーは相変わらず、食堂の建物の影に隠れている。


「まったく。こんな子供みたいなエミー、初めて見るわ」


メアリが呆れ顔で言った。

 影から出てこないエミーに、僕は自分から進み出て、対面した。俯いていたので、彼女の表情は不明だったが。

 僕は今の正直な気持ちを言葉に変えた。


「……僕もここで、みんなと笑っていたいんだ」


エミーは顔を上げた。


「もう、どこにも行かない?」


縋るような潤んだ瞳と、ほのかに紅潮した顔が、かわいく見えた。


「ああ」


僕は、彼女を元気付けるように、強い口調で言った。


「……良かった。戻ってきてくれて」


そう言ってエミーは、ふんわりと、大輪の花のように笑った。

読んで頂きありがとうございます。次回から、第五章となります。またのお越しをお待ちしております。

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