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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第四章
32/51

決意の西風

いらっしゃいませ。今日のお話は、4025文字となっています。いつもよりも長いですが、折角ですので読んでいっていただけますと嬉しいです。

 気が付くと僕は、もの凄く見覚えのある場所にいた。広過ぎる部屋にベッドが二台あり、右側の窓際と左側の扉側に、それぞれ互い違いに設置されている。後は、ベッドの脇に棚があるだけの簡素な部屋。

 ここはスタルト艇の、僕がいた部屋だ。

 という事は、この体はタイスのものだ。


 タイスの目はどういう訳か、横になる者のいない空いているベッドに向けられていた。シーツは敷かれておらず、掛け布団も枕も無い。

 彼はやがて舌打ちをすると、立ち上がって部屋を出た。どこへ行こうというのだろうか。

 見慣れた廊下の景色。見渡す限り誰もいない。

 タイスは、そんな中を足早に歩き出した。

 真っ黒な雨雲の所為で、まだ早いというのに天井の明かりが灯っていた。その為、船外の様子はよく見えなかったが、雨音だけはしっかりと聞こえている。

 そんな雨の中で、彼は傘もささずに甲板へ出て、食堂へ向かって行った。


 勢い良く開かれる扉。中は薄暗く、席に座っている者はいない。ただ、奥の方から光が洩れている事から、調理場にはだれか人がるらしい。

 迷う事無く、タイスは奥の調理場へ大股で歩き出した。調理場で夕食の準備をしていたのは、メアリだった。


「おい、メアリ」


メアリは名を呼ばれ、手を止めて持っていた果物ナイフをまな板に置いた。


「タイス。どうしたの? 夕食ならまだ……」


「当番はエミーじゃなかったか?」


彼女は再び果物ナイフを手にして、手を動かし始めた。野菜の皮むきをしているようだ。


「エミーはずっとあの調子だから、こういうのを持たせるのは……ちょっと」


メアリは多くを語らなかったが、タイスには通じたらしい。


「そういう事かよ」


呟き、彼はまた舌打ちをして、そのまま何も言わずに調理場を後にした。


 続いてタイスが訪れたのは、エミーがいる筈の船長室だった。タイスはノックする事もなしに、いきなりドアを開けた。

 エミーはテーブル奥の椅子に座って、まっすぐ前を見詰めていた。その視線に、タイスは一瞬だけ驚きおののいたが、すぐに彼女の瞳の虚ろさに気付いた。上の空、心ここに在らずだ。

 今、彼女の目には何も映っていないのがわかる。

 タイスは、ずけずけと部屋の中に押し入った。


「エミー」


返事どころか、反応すら無かった。


「エミリア!」


タイスが大きな声でそう呼ぶと、エミーはビクッと体を震わせた。それから、徐々にではあるが、虚ろだった瞳に色が戻ってきた。


「あ、タイス……。いつからいたの?」


「さっきからだよ」


「ごめん、ぼうっとしてて」


彼女は戸惑いながらも、作り笑顔を浮かべてタイスから目を逸らした。


「あいつの事……だろ」


「違うの。ちょっと体調が優れなくて」


握った手のひらに、爪が刺さる痛みが伝わってきた。苛立ちの所為だろう。

 彼は、冷淡に言葉を放った。


「もうあいつは戻ってこない」


「そ、そんな事、わからないわ」


エミーは狼狽しながらも、反論した。


「クソッ! あいつはお前の何なんだよ!」


エミーは俯き、黙り込んだ。


「おれじゃダメなのかよ! おれじゃ、あいつの代わりにもならねーのか!」


エミーはすっと顔を上げ、こちらを見据えた。そして、しっかりとした口調で言った。


「タイス。人は誰だってその人一人しかいないの。誰かが誰かの代わりになんてならないのよ」


「だからってよー!」


「あなたはあなた。誰の代わりにもならないけれど、誰にも代わりは出来ない」


 タイスは肩を落とした。そして僕は、彼の顔の表情筋が、複雑に動く様を感じ取った。

 しかし、タイスはその込み上げる感情を押しとどめる事に成功したらしい。


 その後、彼は船長室を出た。

 彼は両手で顔面を覆って、強張った顔の筋肉を解すように、力一杯押さえた。

 その時、遠くで雷鳴が聞こえた。

 彼は思い出したように、すぐ隣にある副船長室のドアノブを握った。



 僕は机にうつ伏せの状態で眠っていた。いや、気を失っていた。

 いつもなら、誰かの体に憑依している間の僕は、多少上の空であっても、意識を保っている。だから、意識が二つに分かれるという表現をしてきた。

 両方の意識で経験した記憶は、離れた片方の意識が戻って来た時に統合される。

 今回は、僕の体の方に意識が残っていなかった。ローズマリーが効き過ぎたのだろうか。


 僕は真っ暗になった部屋を見回した。夜目が僅かに利いているお陰で、ぼやけてはいるが何とか輪郭だけはわかる。

 特に変わった所は無い。窓を叩く雨の勢いは、弱まっているようだった。

 椅子の下に、ローズマリー・ティーの茶葉が散らばっていて、封筒は少し離れた所に落ちていた。

 僕はその匂いを嗅がないようにしながら、場所をベッドに移した。横になり、匂いがするのとは逆の方に寝返る。

 その場所からでも、ローズマリーの目の覚めるような強い香りが漂っていたが、意識を持っていかれる程ではなかった。


 僕は心を鎮め、タイスの目を通して見た、今のスタルト艇について考えを巡らせた。

 ファミリーの全員を見た訳では無いが、様子が変わっているようだった。

 いつもイライラしている風だったタイスは、さらに輪を掛けて苛立っていた。メアリは、一見いつも通りに見えたが、伏し目がちだった。

 そして、エミー。タイスを苛つかせて、メアリには気を使われていた。


 タイスの言葉に出てきた『あいつ』というのは、僕の事だろうか。そう考えるのは、単に、自意識過剰なだけかもしれない。しかし、ほんの一ヶ月くらいの共同生活の間に、僕がパズルのピースの一つになれていたのだとしたら、これ以上の事は無い。


 ノックが僕の考え事を遮断した。何も答えないでいると、扉が勝手に開いた。


「うわ、なんだこの匂い。それに部屋、真っ暗じゃないか」


クロードだった。


「ん? 寝てるのか、ジェイク」


「起きてるよ」


僕は言った通りに、ベッドから起き上がった。


「おお、夕食の時間だ」


「わかった、行くよ」


僕は立ち上がり、部屋を出て行こうとしたが、戸口のクロードは動かないで、下を向いている。


「どうした」


「ああ。シュトライフ先生が、そろそろ答えを……って」


まあ、言い難い事なのだろう。


「答えは出たよ」


「そ、そうか」


クロードは明るくそう言ったが、足取りは重かった。僕はそんな彼の後をゆっくりと着いて行く。


 食堂にはもうファミリーの全員が、待機して僕等の登場を待っていた。食事の挨拶、「いただきます」をした後、いつもの夕食が始まった。

 普段通りに勢いよく食物を口に放り込む子供達。それに対して、大人達は誰かの不幸でもあったみたいに暗く、ゆっくりしたペースで食べていった。

 子供達が一人一人「ごちそうさま」を言って、食器類を調理場へ持っていく。いつも食べるのが遅い子でさえも、今日は最後にはならなかった。

 小さい子供等が食堂を去り、何だか落ち着かない静けさが訪れた。

 僕の皿には、その日のおかずがほとんどそのままで乗っていた。クロードとロジャーは何とか完食できたが、シュトライフ先生は半分くらい原型が残っていた。

 彼女は口許を白い布で拭った。

 僕は、そこで立ち上がった。その場の全員の視線が集まる。

 シュトライフ先生は、悟ったように頷く。


「答えを聞かせてください」


「はい」


僕は深呼吸をした。


「僕は、船を出て行く事にします」


先生は小さく息を吐き、口許を結んだ。


「一つお願いがあります」


 僕は直立不動のまま、シュトライフ先生の目を見て話した。


「何ですか?」


「僕には帰りたい場所があります」


「ご両親の所ですか」


「違います。僕がこの船に乗る前にいた、孤児院です」


先生は驚いたように口を半分程開けたが、クロードはさほどでもない様子だった。


「僕はあの船に戻らないといけないんです!」


自分でも驚くような強い口調になった。


「しかし、あなたの言うその船がどこにいるのかは、わからないでしょう?」


「それは……」


僕が言葉に詰まり、訪れた静寂。そんな中、微かに遠雷が聞こえた。

 その時、僕の脳内では、当に雷のような光が閃いた。


 まず、僕が自室にいた時、雷雨はちょうどピークだった。雷鳴がすぐ近くで響き、雨脚も強かった。

 その後、僕の意識はスタルト艇にあった。

 タイスの体に入ってすぐの時は、まだ雨もそれほど強くなく、雷も遠くで鳴っていた。

 だけど、こちらに戻ってくる直前には、スタルト艇で雷雨のピーク時になっていた。

 再びここに戻ると、雨は弱くなり、雷も遠くなっていた。

 ここは北半球で、天気は大まかに西から東へ変わっていく。だとすれば、スタルト艇はこの船よりも東の方角にあるという事になるのではないだろうか。

 これが強引な理論である事は、百も承知だった。だが、今はどんなあえかな可能性にでも縋り付きたい思いでいた。


「東です! 東にいる筈です!」


僕が突然叫んだ勢いに気圧された三人。一番最初に言葉を発する準備が整ったのは、シュトライフ先生だった。


「どうして、東だとわかるんですか?」


「それは、天気……」


本当のことを言ってしまえば、ややこしい事になる。これ以上話が拗れるのは、誰もの望んでいない。


「何となく、わかるんです」


僕の声は、さっきと比べて、かなりトーンダウンしていた。これでは、説得力などほとんど無く、人に動いてもらう事は出来ない。


「そんないい加減な理由で、船を動かす訳にはいきません」


案の定で、常識的な返答だった。


「だけど!」


僕が懇願しようと先生の方へ一歩踏み出したその時、大きな体が動いて僕の行動を遮った。代わりに、聞いた事の無い低い声が、全身を震動させるように響いた。


「せ、先生!」


それは、ロジャーだった。


「ひ、ひが、東。に。い、い、行きましょう」


「ロジャー、あなた……」


「おね、お願いだ、から」


クロードは、僕に細い目を向けた。


「おれもロジャーが喋っているところ、初めて見るよ。先生、行ってやりましょう」


 シュトライフ先生はすっと目を閉じ、息を吐いた。


「わかりました。東の方へ行ってみましょう」


 ロジャーが声も無く笑った。それから、クロードも。

 僕はそんな彼らを見て、胸の内に渦巻いていたもやもやが、晴れていくような気がした。

読んで頂きありがとうございました。次の話は、第四章のクライマックスとなります。またのお越しをお待ちしております。

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