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暮れて惑うは幽霊船  作者: 柚田縁
第四章
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分かれ目の日

いらっしゃいませ。今日は、3183文字の少し長めのお話です。ぜひ、読んでいってください。

 僕は屋上にいた。以前、メアリに教わって行った、あの屋上だ。

 立ち入りが制限されている場所だけに、もちろん誰もいない。

 ここを訪れたのは、一人になって考えたい事があったからに他ならない。


 僕はまず、中央で仰向けになって寝転がった。そうすると、空しか見えなくなる。太陽はまだ高くなく、視界には入ってこなかった。

 目を閉じると、様々な光景が去来する。そのほとんどが、ここにやって来てからの記憶だった。

 これからこの船を降りる身としては、あまり必要性の無いものばかりだが、一つ一つを愛しんでいる自分がいる事にも気が付いていた。

 だが、最後には頭に止めないように、苦労して記憶の片隅に追い遣った。残したままにしてしまうと苦しくなるから。

 僕はやっぱり、このままでいる事をどこかで願っているのだろう。


 遠くの海鳥の声が、不意に僕の考えを遮った。自然と目が開き、それが本能であるかのように、声の主を探そうとするが、見つからなかった。

 僕はまた目を閉じた。

 再び去来する記憶達。

 流れ込んでくる奔流から逃れようとするも、結局は不毛な行為だった。

 あっさりと流れに追いつかれ、僕はそのまま流れに飲み込まれるように、自我を手放した。


 次に目を開くと、強烈な眩しさに襲われた。太陽は既に昇っていて、自分が一、二時間くらい眠っていたらしい事に気が付く。

 右手で目の上に庇を作り、ゆっくりと起き上がった。


「やっと起きやがったのか」


突然掛けられた声に、僕は驚くと同時に、誰が発したものかすぐに理解した。


「タイス、なんでここにいるのがわかったんだ」


「どうでもいいだろ。エミーが呼んでたぜ」


それだけ伝えると、タイスは船内へ戻っていった。

 エミーが呼んでいる理由は、考えるまでもない。答えが迫られているのだ。

 僕は、「考え事は捗らなかったな」と言い残すと、屋上を去った。その時は何故か、何でもいいから言葉にしておきたいと思った。


 エミーの部屋に行くと、既に彼女はお茶を用意して待っていた。


「来たわね」


「呼ばれたからな」


 両者とも、いつもの場所に腰掛けた。

 エミーは自分で淹れたお茶に口をつけ、音も立たない程ほんの少し啜ると、カップをソーサーに乗せた。茶器同士の立てる音が、静けさの中に響く。

 エミーはその音を合図としたように、言葉を発した。


「それで、決めたの?」


 僕はお茶の表面をじっと見ていた。船が揺れる度に傾く水面。

 もちろん、エミーの言葉が耳に届かない訳が無い。だから僕は、短く返事をした。


「ああ」


 エミーは、厳しい顔をしてもう一度尋ねた。


「本当に、出て行くの?」


 僕は顔を上げ、まっすぐ彼女を見据えながら、今度は首を縦に振って応じた。


「何か、私達かこの船に不満があったの?」


「そんなもの、ある訳が無い」


「だったら、どうして?」


「最初から、そういうつもりだったのは、エミーがよく知ってるだろ?」


 この船に救助されてすぐの頃、エミーはこんな事を言った。

『この船に残るか、それともそういう施設に行きたいか、っていうこと』。

それに対して僕は、『じゃあ、施設に巡り会うまで、世話になる』と、答えていた。

 何も特別な事は無い。ただの約束だったのだ。


「そう……だったわね」


 エミーの表情から険しさが消えた。何か諦めたような、悟ったような。そんな顔だった。


「わかった。ジョシュアさんに、正式な手続きをしてもらうわ」


 エミーはそう言うと、いつもの柔和な笑みを浮かべた。



 その知らせを僕は、自室のベッドの上で、エミーから直接聞いた。頭はまだ半分夢の中で、無理に眠たい目を開きながらだった為、一時は夢の話かと訝ったくらいだ。

 別れの日がやって来た。

 エミーの言葉が切れると、急速に目覚めがやって来て、眠気ははらはらと剥がれ落ちるように、消えて無くなった。

 彼女が退室した後、僕は荷造りをしようと棚を見たが、何も無かった。そういえば、ここに来る時唯一持っていたバングルも、今はどこかの海の底だ。


 何だか落ち着かない僕は、ベッドから立ち上がり、部屋を出て行こうとした。

 隣のベッドで眠っていると思っていたタイスが、急に言葉を発した。


「行くのか」


初め、僕はそれが寝言の一種かと勘違いしてしまったが、脈絡のある言葉だったので、彼が密かに目覚めていたのだと思うに至り、遅れて返答した。


「ああ。部屋が広くなるだろ」


彼ならそのくらいの事を、いつもの憎まれ口で言ってくるのではないかと予想し、先回りしてそう言ってやった。


 しかし、彼の口からは何も出て来ないまま、長いと思えるほどの時間が経過した。

 少し言い過ぎたのかもしれないと、僕はこう付け加えてみた。


「寂しくなるか?」


「ば、馬鹿野郎! 元に戻るだけだよ」


「元に戻るだけか……」


確かにその通りだ。彼の部屋が広くなるのは、元の状態に戻る事に他ならない。

 僕と同じ部屋に眠るようになってからの時間など、彼が一人この部屋で眠るようになってからの時間と比べれば、ほんの僅かでしかないのだから。


「タイス、お前は変な奴だったが、楽しかったよ。じゃあな」


彼は、またしても黙りだった。変な奴なんて言ったら、確実に噛み付いてくるだろうと想像していたのだが。

 僕はドアノブを軽く握り、慎重に戸を開けた。蝶番は落ちなかった。


 部屋を出ると、窓に無数の水滴が付いているのが見えた。雨粒が触れる度、雫は徐々に肥大化して、その度自重に耐えきれずに流れていく。

 その当たり前の現象は、実は自然の摂理であり、もっと別の何かにも言えるような気がしたが、具体的には何も思い付かなかった。


 僕は歩き出し、外へ出た。それから、船長室へ向かった。エミーに会う為に。

 ついさっきも会ったが、どうしても今、彼女に聞いておきたい事と、言っておきたい事があったのだ。

 ノックをして返事を待つ。返事も無いまま、扉は内側から開いた。


「ジェイク」


「エミー、今時間あるか?」


「ええ」


 何度かこの部屋にも来たが、もう、この部屋に入る事は無いだろう。

 エミーは奥の椅子に腰掛けたが、僕は立ったまま話を進めた。


「聞きたい事がある」


エミーは立ち上がって歩み寄って来た。そして、「どうしたの?」と、首を傾げた。


「どうして、正規の孤児院に入所しないんだ?」

エミーは一瞬凍り付いたように固まった後、戸惑いを隠すように答えた。


「どうしてって……その必要が無いと思っているからよ。今のままで不満は無いわ」


「必要無い? 不満が無い? 本当にそう思っているのか?」


「一体どうしたの? ジェイク」


「僕はこの前、マリアンとカイが怪我した時に思ったんだ。もし、病気や怪我で、きちんとした処置が必要な場合はどうするんだ? 医療船なんかに行ったら、一発で連合に情報が入る。ここにいるみんなが、その後も一緒に暮らせる可能性は低い。だけど、今のうちなら、まだ可能性はある」


 辺りには、重い空気が立ち込めている。そうなる事はもちろんわかっていた。しかし、ここのみんなの本当の幸福の事を思うと、言わざるを得なかった。

 僕は最後に、言いたかった事を口にした。


「みんなと来ないか? 僕と同じ施設へ」


エミーは珍しく動揺している様子だった。

 僕は彼女の選択を待った。

 が、彼女は目を閉じて深呼吸すると、「ちょっと、ごめんなさい」と、僕への返答をする事無く、逃げるように部屋を出ていった。


 しかし、これで終わりではない。エミーは僕の言葉を何度も反芻し、頭の中で議論するだろう。僕の狙いはそれなのだ。

 今すぐ決める事など出来はしないし、出来たらそれはそれで熟慮が足りないという事で、良い結果は得られないだろう。

 ただ、起こり得る最悪のケースを考える事で、今後の役に立てればと、僕は思って言ってやったのだ。

 嫌われるなら嫌われてやろうじゃないか。僕と彼らの道はここで別れる。もう、会う事も無いだろう。

 そんな風に心の中で一人強がっていたが、やはり慣れない事をした所為で、僕は高鳴る鼓動を抑える事が出来なかった。

読んで頂き、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。

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