透明な壁
いらっしゃいませ。今日のお話は、2941文字です。ぜひ、読んでいってください。
双子として生を受けた二人は、二卵性双生児であるにも関わらず、その頃からよく似ていた。そこに、男女という決定的な性区別があったにもかかわらず、同じ服を着てしまえばどちらがどちらなのか、判別するのは、一緒に暮らしていた家族でさえ困難だった。
彼らの生まれたファミリーはとある名門の一族で、やがてはその家を背負って立つ跡継ぎとして、カイは期待され、とても大事に育てられる事となった。
しかし一方で、女児として生まれたマリアンは、一族から必要とされなかった。その中でも、家長である彼ら二人の父は、マリアンの事を我が子とも思わず、極端に毛嫌いしていた。
そのような父の考えはやがて増長し、やがてはマリアンに暴力を振るうなどの虐待へと至った。
マリアンは、自分とカイとの扱いがまるで双極である事実を知っていたが、その事を羨ましく思ったり、嫉妬したりする事は無かった。同じ胎内で育った弟の事を、大事に思っていたから。
そんなマリアンの胸中を知ってから知らずか、父の虐待は日に日にエスカレートしていった。これまで父は、服で隠れる場所だけに暴行を加えていた。それがいつしか、顔や手足などにも及ぶようになった。
そうやって見る度に傷が増えていく様子に、カイもさすがに気が付き、姉に直接尋ねた事があった。マリアンは静かに微笑んだ後、目を伏せるだけ。何も話す事は無かった。
ある日、カイは自分に優しくしてくれる父親が、姉に暴力を振るっているところを目撃した。カイは愕然としながらも、怖くなってその場を逃げ去ってしまったという。
自分の立場が特別である事を知ったカイは、これまで何も知らないでいた自分に嫌気が差し、あの時、マリアンの事を見て見ぬ振りをしながら逃げてしまった事を後悔した。
カイがマリアンを守る事を心に決めたのは、その時からだった。
ある日、何も知らない振りをして、カイはマリアンをゲームに誘った。それは、互いが互いの格好をして、入れ替わるというゲームだった。
そのゲームを、マリアンは心底面白そうだと思い、賛同した。
カイはそのゲームに、一つだけルールを設けた。それは、入れ替わっている事が誰かにバレるまでは、絶対にゲームを続けるというものだった。
ゲームがスタートした。
カイはマリアンの服を着用し、マリアンはカイの服を着た。
ゲームは、マリアンが思っていたように、とてもスリリングで面白いものだった。
生まれて此の方、こんなに楽しい思いをしたのは、初めてだと、マリアンは言った。
一方のカイは、服装だけではなく、マリアンの顔に出来た痣や手足の切り傷、擦り傷などさえも再現するため、自分で自分に傷を付けた。
その時になって初めて、マリアンはカイの本心を知った。彼は自分を守ろうとしていたのだ、と。
カイの思惑通り、その日から父の暴力の捌け口は、マリアンに扮装したカイとなった。
すぐにマリアンはゲームをやめさせようとしたが、たった一つしかないルールがそれを邪魔していた。二人の間の約束事は絶対だったから。
この入れ替わりゲームをすぐにでも終わらせる、簡単な方法があった。
入れ替わっている事を、自分から口に出して言えばいい。ただ、それだけの事。
だが、その行為自体は簡単でも、実行するには大きな勇気が必要となる。再び、虐待される日が戻ってくると考えると、弟の為とはいえ、彼女はなかなか決断できないでいた。
ゲーム終了は、意外な形で訪れた。母親が二人の入れ替わりに気付いたのだ。母は、父にその事実を告げた。
父は激高した。その日の内から、父は我が子二人を暴力の対象とした。あれほど可愛がっていたカイにも、容赦無く拳が飛んだ。
マリアンは、このままここにいると、二人とも殺されてしまうと恐怖した。
そして、間も無くカイを連れて船を脱出した。
その後、彼らが漂流していたところを、通りすがりの人が救助し、スタルト艇へ連れて行ってくれた。
二人の言葉を纏めると、そういう話になる。
どうやら、マリアンが果物ナイフを持ち出したのは、カイにこれ以上自分を傷つけさせない為で、あの後、調理場にある全ての刃物を、海に捨てるつもりだったらしい。
僕はというと、その時抗えない程の虚無感に襲われていた。その少し前までは、無力感だったものが、度を超え過ぎて変化したもののようだった。
「……クソが、そんな事!」
タイスは怒りを露わにして、叫んだ。
短いながらも、彼の怒声には、確かな力があった。
「タイスは怒ってくれるんだね」
マリアンは空しそうな笑みを口許に浮かべながら、そう言った。
怒る。僕にはそんな感情が湧いてこなかった。
「当たり前だろうが!」
タイスは歯を食い縛りながら、ほとばしる感情を必死に抑えようとしていた。
カイはそんなタイスを見て、嬉しそうに言った。
「タイス兄ちゃん」
「ね、カイ。わかったでしょう? もう、入れ替わる必要なんて無い。例え何があっても、この船にいるみんなは、あたし達を見捨てたりはしないよ。だから、もう、自分を傷付けるなんて事、しちゃいけないよ」
「……うん。うん、うん……」
カイは一度小さく頷いた後で、何度も声に出しながら、頷いた。堰を切ったように、涙が零れて、頬を伝い流れていった。
それから、カイの言葉は意味を持たない嗚咽に変わり、涙を隠そうとしたのかマリアンの右の肩に顔を埋めて、その服を濡らし始めた。
マリアンは、カイの背中にそっと手を当て、三度軽く叩いて、愛おしそうに抱きしめた。
ベッドから立ち上がり、二人のもとへ行くタイス。
「絶対するんじゃねーぞ」
彼はいつに無く優しい顔をして、普段の乱暴さを装って言うと、二人の頭にそれぞれ手を乗せた。
僕はそんな光景を、冷静且つ客観的に見ている自分に気が付いた。見ている事しか出来ない僕は、目の前に透明な壁があるのを感じた。
その後、十分くらいすると、カイはいつものように笑えるようになっていた。涙の流れた痕が固まって白くなっているのが、如何にもカイらしいという様子で、笑いを誘った。
姉弟は自分らの部屋へ戻っていった。
僕が外れてしまったドアを直し始めると、タイスが独り言のように言った。
「いい加減、そのドアもきちんと修理する必要があるな」
僕は黙々と作業を続けた。
壁とドアを繋ぐ蝶番を、嵌めてあった場所に充てがい、そこにネジを差し込む。ドライバーは必要無い。もうネジの入る柱の穴は、ネジの直径よりも大きく広がっていたからだ。
「お前、エミーに言っとけよ」
「自分で言えよ」
僕は素っ気なく返した。
大きな舌打ちが響く。
「壊してるのはいつもお前だろ」
思い返すと確かにそうなのかもしれないが、僕はどうやら機嫌を悪くしているようなので、何とも答えなかった。
「おい、何か言えよ」
ドアの応急処置は終わった。
「おい!」
「今日はよく喋るじゃないか」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
「別に」
タイスはぶち切れる。そう思っていた。しかし、実際の反応は少し違っていた。
「おかしいぞ、てめー」
僕は彼の方をまっすぐ見て、言った。
「タイス。誰かの為に怒れる事を、照れたり恥ずかしがる必要は無いんだ。誇っていい事なんだぞ」
そんな事、僕には出来なかった。
「何言ってんだ?」
タイスは訝ったが、尚も僕は答えない。
やっぱり、僕はここの一員にはなりきれないのかもしれない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。今回でひとまず、第三章は終了です。物語はまだ続きます。またのお越しをお待ちしております。




