青い世界
いらっしゃいませ。今日は、2004文字です。第二章の最終話となります。ぜひ、読んでいってください。
この時期は多いのだろうか。
その日の朝も、スコールが降った。
当然、孔の開いた天井は、それを完全に防ぐ事は出来ず、二階の廊下はまたしてもずぶ濡れで、水たまりが出来ていて、もし誰かが来れば、モップを持った男の姿一つを見る事ができたはずだ。
タイスは今日もベッドから出ないで憎まれ口を飛ばしていたし、エミーはおっとりと微笑んでいて、マリアンとカイは陽気にはしゃいでいた。
メアリの作る朝食は相変わらず美味しくて、ティムはそれをへらへらしながら口に運んでいた。
いつもの朝だった。
あの後、ティムに発見された僕等は、彼が迎えにきた小舟で、本船に戻る事が出来た。
危機一髪で助かったのだ。
僕は彼に礼を言ったが、メアリは、「遅い!」と、怒ったように一喝していた。
それでも、ティム自身は少しも気を悪くしたようにはせず、むしろメアリに謝っていたくらいだった。
今、下の階から釘を金槌で打ち付ける音が響き始めた。床に開いた大穴を塞ぐ作業。一体、誰がやっているのか。
意外にもそれはエミーだったのだが、少しばかり納得してしまった。
彼女は後で雨漏りの修繕もするらしい。彼女は船長であり、土木担当でもあったのだ。
僕が思い出したように、せっせとモップで水を拭っていると、聞き覚えのある足音を響かせて、誰かが階段を上ってきた。
「ジェイク。手伝いに来たわ!」
メアリだ。
「いやいやいや、もう一人でやりたいから勘弁してくれ」
「そんな事言わないで」
笑顔で僕のモップを引っ手繰った彼女は、鼻歌混じりにモップを使い始めた。
無駄が無い動きで効率良く水を拭う彼女は、やはりさすがと言わざるを得なかった。
しかし、何故メアリは、ここ二階の片付けにやたらと積極的になるのだろうか。
「なあ、メアリ。何で、ここの片付けにこだわるんだ?」
彼女はピタッと動きを止め、俯いた。何か悲しい理由でもあったのだろうか。
そう思って顔を覗き込むと、彼女は顔を紅潮させていた。
僕の頭の中に、疑問符が浮かぶ。
メアリは、モップから手を離した。パタリと倒れるモップ。
すると、彼女はスタスタと廊下を奥へ進み始めた。
そちらには、かつての面影を完全に失った、みすぼらしい部屋への扉が続いているだけで、特に変わったものも無いまま、行き止まりの高い壁と、その壁に設置された巨大な嵌め殺しのガラス窓があるだけなのだ。
彼女は、突き当たりの窓ガラスを覆ったカーテンを、慣れたような手つきで開いた。
朝の眩しい光が、窓を通って廊下を照らす。水たまりは真っ白に輝き、僕は眩しさに目を細めた。
逆行で黒い影と化したメアリは、カーテンの中に紛れ込んでいた紐を掴み、重そうな素振りを見せつつ、それを鉛直下向きに引っ張った。
次の瞬間、天井がゆっくりとした動きで降りてきたかと思うと、様々なからくりが働いて、天井は階段に姿を変えた。
どうやら、僕が天井だと思っていたそれは、三つに折り畳まれた階段であったらしい。
その階段が出現した後、天井には人一人が通れるくらいの長方形をした穴が、ぽっかりと口を開けた。
階段はその開かれた穴の向こうへと繋がっており、青空に真っ白な羊雲が見えた。
唖然としたまま凍り付いていた僕は、背後に迫っていた人影に気が付かなかった。
「やあ、頑張ってるぅ?」
ティムの間延びした声に振り返る。彼の視線は自然に階段へと向けられた。
「うわ! どしたの、それ?」
「馬鹿ティム、あんたが教えたんでしょうが」
「そだっけぇ?」
「屋上よ。もう忘れたの?」
「ああ、そう言えば、そう言うのがあったような……」
メアリは再度俯いて、小さく何かを呟いた。
僕達は一人ずつ階段を上る事となった。順番は、ティム、僕、メアリだ。
思ったよりも急な階段を上り終えると、そこには縦横三六〇度に広がる青の世界があった。
「ああ、思い出した!」
メアリが階段のステップを二、三残した辺りで、ティムがそう叫んだ。
「何を?」
僕は尋ねた。
「メアリがこの船に来て初めの頃、ここに連れてきた事があったっけぇ」
「もー、今頃思い出したの?」
「うん。ここに来てメアリ、なんでか泣き始めて……」
「そんな事言わないの! まったく」
メアリは顔を赤くしたまま、襟首を正すように改めて話した。
「私、その時は泣く事も出来なくなってたんだ。お母さんが死んで、見ず知らずの人ばかりいる船に乗せられて。
訳がわからなくなっていたんだと思う。
だけど、ティムに無理矢理連れてこられて、ここから朝焼けを見せられたら……どういう訳か、涙が止まらなかった」
想像してみる。
無理も無いかもしれない。
僕だって、今、世界の大きさに圧倒され、背中に感じるゾクゾクをどうにも抑える事が出来ないでいるのだ。
メアリはこの景色をもう一度見たかったのか、それとも守りたかったのか。
僕にはわからない。
けれど、こうやってその景色を見せられた事で、僕の中で何かが変わろうとしているのを感じる。
僕は小さく呟いた。
「家族か」
誰にも聞こえないように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。