時を待つ
いらっしゃいませ。今回は2003文字です。よろしければ、読んでいってください。
一頻り涙を流して落ち着いたメアリに、僕はもう一度左舷側に戻るよう言ってみた。
「何か考えがあるんですか?」
「ああ。左舷には海面スレスレまでロープが何本か垂れ下がっていた。それに捕まっていれば、少なくとも漂流する事はないだろう?」
「そうですけど……」
メアリは何か言いたげだったが、言葉には出来ないようだった。
でも、僕には彼女の言わんとしている事が、何となく理解できた。
「確かに、これだと根本的な解決にはならない」
「……ですよね」
「甲板に人が必ずいる時を待つんだよ」
「そんな時って……あっ!」
どうやら彼女も気が付いたらしい。誰もが甲板にいる時を。
「今はもう食事の時間は終わって、皆船室に帰ってしまっているだろうから、次のチャンスは夕食の時だ。この時だったら、館内放送という合図まであるはずだろう」
僕は意図的に彼女へ笑いかけた。少しでも、この拙い策についての不安を取り除いてやりたい思いだったが、上手くいったかどうかは確かめようがない。
そんな僕らしくない事をやったのも、この計画には大きな問題があると考えていたからだ。
僕は平泳ぎで船尾の方へ泳ぎ出した。その後を追ってくる、メアリの立てる音に耳を傾けながら。
やがて、船尾を回り、左舷側にやって来た。僕の記憶通り、そこには三本のロープが垂れ下がっていて、その内の一本が水面スレスレまで垂れ下がっていた。
僕はまず、そのロープを掴んで、状態を調べた。
太さは僕が片手でしっかり掴めるくらいで、長い間使われていないのか、フジツボやら岩牡蠣の殻のような物がこびり付いている。
駄目元で考えていた、ロープを上るというのは強度的に、また、付着物的にも不可能だと確認できた。
しかし、その事をメアリに話す事はしなかった。精神的にも体力的にも、彼女はかなり参っている様子だったから、余計な心配は与えない方がいいと判断したからだ。
メアリが前、僕が後ろになるよう、二人はロープを掴んだ。すると、予想すべきで出来ていなかった事が起こった。
ロープがするすると船の上で解け始め、どんどん伸びていったのだ。
僕は一瞬呆気にとられ、何が起こったのか理解するのに時間を要した。
理解すると同時に、最悪のケースが脳裏に思い浮かんだ。
このロープがどこにも括られていなくて、向こう側の先端が海に落下してくるところを、目の当たりにする事だ。
だが、これについては杞憂に終わった。
ロープはどこかに括られていたようで、ロープは大分長くなり、船は遠くなったが、最後はしっかりとした感触があって、ロープはピンッと伸びきった。
僕達はロープを手繰り寄せながら、少しずつ船に近づいていった。
薄曇りの午後。仄かな陽光が辺りを照らし、波に反射しながらキラキラと輝いて見えた。
そんな中にあっても、冷たい海水は僕等の体温を少しずつ奪い、体力を消耗させた。
特にメアリが心配だった。大人びて見えるとはいっても、彼女はまだ十歳。
子供には子供の体力という物がある。
それは時に、大人を遥かに凌ぐ事もあるが、それは特別な時に限られている。例えば、夢中で遊んでいる時などは、計り知れない程の体力を発揮する事があるものだ。
だけど、今はそんな時ではない。疲れてメアリは、ウトウトとしている。
緊張や集中力が途切れ、今にも海面に顔を沈めてしまいそうになっては目を覚ます。そんな事を何度か繰り返す彼女を見ていて、僕は実にハラハラさせられた。
僕は彼女の肩を、後ろから三度軽く叩いた。
ハッとして目覚めるメアリ。彼女は振り向いて、失態を取り繕うように表情を固くして、言った。
「な、何ですか?」
そんな彼女の口元には、涎の伝った跡が白く残っていた。僕は無言で、自分の口元に人差し指を当てて、それを意地悪っぽく教えた。
メアリは慌てて海水で顔全体を洗い出した。洗い終えた彼女は、頬を膨らませて言う。
「ジェイクさんって、意地悪なんですか?」
「そんな自覚はないんだけどな」
「でも、女の子に向かって、よ……涎の跡を指摘しますか?」
「じゃあ、そのまま黙って見ていれば良かった?」
「……それも困ります」
メアリは俯き加減でそう言うと、急に「ふふっ」と吹き出した。
それにつられて、僕も笑い出した。今度のは、特別あつらえた笑みではない。それに、何かが特別おかしい訳ではなかった。
よく、箸が転んでもおかしい年頃、なんて言うが、それに似たようなものだったのかもしれない。
笑い疲れて、僕は貪るように空気を吸って、言った。
「こうして楽しい会話をして、笑っていれば眠くなったりはしないかもな」
「そうですね。今から交互に自分の話をしませんか?」
「ああ。じゃあまずは、言い出しっぺのメアリからだな」
「ええっ? まだ何も浮かんでません!」
「時間ならいくらでもあるさ」
メアリは真剣な顔で、話す事を考え始めた。
一分程、うんうん唸っていたが、何か思い当たる記憶に行き着いたらしく、彼女は晴れやかな顔で、「あ」と、叫んだ。
読んでいただきありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。