第七話 侍女さんと春奈、食卓の攻防
「お姉ちゃんさぁ、ちょっとは自重する気ないわけ?」
中学校で蒼空が非公式とはいえ50mの世界新記録をあっさりと打ち立てて大騒ぎになったその夜――。
柚月家の食卓で家族が揃って食事をしている中、妹の春奈が呆れた表情とともに小さくて姉に見えない姉、蒼空に突っ込みを入れていた。
「自重? 何を? ボク別に変なこと何もしてないよ?」
ちょうど蒼空の向かいに座っている春奈に対し、何を言ってるのか解らないという表情を見せながら答える蒼空。
そしてそんな蒼空を後ろでかいがいしく世話をしている侍女、フェリもソラ姫の言葉にうんうん頷いていて、僭越ながらと言いつつフォローの言葉を入れる。
「春奈さま? 姫さまは学校ではそれはもう模範的ともいえる授業態度をされておられましたし、ご学友の方々にも分け隔てなく接しておられました。おっしゃられるような自重しなければいけないような場面は何一つなかった……と、私は認識しておりますが?」
「何一つって……一体それをどこで見てたのか? ってのも気になるとこだけど……、空飛んだり、転移したりさせたり、世界記録出してみたり……、そもそも見た目にしたって目立ちまくりなんだし……少しは学校を騒がしてるって自覚、あるでしょうが~?
ったく、お姉ちゃんがなんかしでかすたびに、私の方にまでとばっちり来るんだからね? もう少し普通にしてて欲しいわけ。――ほんと、紹介しろとか、家はどこだ、遊びに行っていいか? とか、ケータイ持ってないのか? とか……キリないんだから~」
フェリのその言葉に苦虫を潰したような表情を浮かべながら、ほとんどグチな言葉を返す春奈。
「だいたいそんなの私に言ってこないで本人に直接言えっての。三年の先輩とかまで来るんだからね? もう私にどーしろと?」
なかなか止まらない春奈のグチだが、それに対するフェリの言葉はあくまで冷静だ。
「それは致し方ないことかと存じます。おっしゃられた事は姫さまにとってはごくごく普通の日常的行為であり、エカルラートの姫として何ら恥ずべきことも、控えるようなこともされておりません。むしろあのような低いレベルの教育を行なう場にあって、よくご自分を抑えておられる……、それこそ自重されておられ、さすがは姫様であると感心しきりなのですから。
春奈様の方にご学友の方々がまとわりついて来るなど、うるさく感じておられ、迷惑を被ってらっしゃるということであれば、それはお気の毒ではありますし、姫さまがさせているわけではないにしろ申し訳ないことだと思います。
ですのでそれが我慢ならないとおっしゃられるのであれば――、
たとえば防御スクリーンを張るなどしてそのような者達を近寄れなくすることも出来ます。そうですね、それを張れば音声や視界を遮断することはもちろん、物理的干渉にいたるまでありとあらゆることへの対応が可能です。
妹君であらせられる春奈様のことであればソラリスさまも喜んで対応してくださるでしょう。いかがしますか?」
淡々と、しかしなにげに恐ろしいことを口にする侍女フェリに、呆然とする春奈。あまりの非常識な提案に言葉がすぐに出ない。
「はわっ、あ、あの、フェリさん? それはちょっといき過ぎのような……。は、春奈も冷静に……ね、ね?」
フェリと春奈の突然の舌戦にあたふたしだす蒼空。
「ううっ、お、お姉ちゃんは黙ってて!
な、何よ、姫さま、姫さまって。そもそもお姉ちゃんは地球の、日本の、私ん家の、ただの弱っちいへたれな中学生だったんだからね。そんなご大層な人間なんかじゃなかったんだからっ! ふん、何さ、誰が姫さまだっつーの! ちゃんちゃらおかしいよ。い~だっ!」
もうここ最近のソラ姫騒動の鬱憤からか、感情が爆発する春奈。ただその内容はだんだん子供じみてきている。(まぁ大人ぶりたい年頃とはいえ、実際中学二年の女の子なわけだが)
しかしその春奈の言葉を真に受け、同じレベルで言い返すフェリ。
「その言葉はたとえ妹君とはいえ看過できません! 姫さまはエカルラート七千幾百万の民の頂点に立つお方。出自はおっしゃられるように地球ではあるものの、スカーレットを御身に宿し、ライエル王直々にエカルラート領主に任ぜられ、エカルランの名を賜った……嘘偽りなど一つもない……我らエカルラートの民が愛してやまない、ようやく得られた人類種の姫さまなのです! 訂正を要求いたします」
「うぐっ、な、何さっ……。そ、そ、そんなことわかってるもん! でも、だって……私の――、私のお姉ちゃんなのに……」
先ほどまでの冷静さがウソのように感情を乗せたフェリの言葉に、さっきまでの勢いはどこえやら、ちょっと怖気づく春奈。でもやはり、これは実の姉のことであり……納得も出来ないわけで。
フェリはフェリで緋炎宮で侍女長、副侍女長に次ぐ、侍女三位の立場とはいえその歳はまだ十代後半。地球の高校三年生と同じであり、実家が伯爵位を持つ家柄であることからその立場と成り得たが、まだまだ子供っぽいところが抜け切れない可憐な少女なのである。愛してやまない姫さまを(もちろん本気ではないとわかっていても)けなされて黙っているわけにはいかなかった。
「もう二人ともそれぐらいにしておきなさい?
あなたたちがすごい剣幕で口論はじめちゃったから、蒼空ったらどうしたらいいのか解らなくて……もう今にも泣きそうな顔してるわよ?」
なかなか譲りあうことの出来ない二人の間に割って入ったのは、蒼空と春奈の母親である日向である。蒼空は日向の言う通り、なんとも情けない表情でその可愛らしい顔の赤と碧のオッドアイを春奈とフェリ双方間で彷徨わせていて、エカルラートの領主、春奈の姉という威厳(あるかどうかは怪しいが)などどこにも見えず、ただただ不安げで少し寂しそうな表情を浮かべていた。
それにすぐさま反応したのは侍女のフェリ。フェリエル=ミディ=アリエージュだった。
「姫さま! 申し訳ありません。私などのためにご心労をお掛けするなど、姫さま付きの侍女として失格です。妹君に対しても感情にまかせ、大変失礼な物言いをしてしまいました。このアリエージュ、どのような処罰でも謹んで受ける所存でございます。ですからそのような表情をなされないでくださいまし。姫さまの寂しげなお顔……もう見たくありません……わ」
フェリはふとこの地球に戻ってくる以前……、エカルラートでホームシックにかかったソラ姫が、それでも我儘を言えず自らの感情を抑え、表情を無くしてしまったときのことを思い出してしまった。そして自らの行いが、またそんな表情をさせようとしてしまったことに深い自己嫌悪を抱いてしまうのだった。
春奈はそんなフェリと、しょぼくれてしまった小さな姉を見て、さっきまでの……あれほどいきり立っていた気持ちはどこかに行ってしまう。
そして今は逆に地球に居なかった頃の姉、落ち込んでしまっていた蒼空のことと、そんな蒼空に侍女たちがどんなに心を痛めていたか? を、帰ってきたときにアリスから聞かされたことを思い出し……、大きくため息をつきつつあきらめの言葉を放つ。
「はぁ、もういいよ。お姉ちゃんもそんな顔しないで。
私も言い過ぎたと思うし……これくらいにしとこ? っていうか、まさかお姉ちゃん、マジ、フェリさんのことどうにかしようなんて思ってないでしょうね?」
春奈がちょっと怖い顔をして、安心顔になりかけていた蒼空に突っ込みを入れる。
「ふぇ? そ、そんなことあるわけない。ぼ、ボク、フェリさんのこと大好きだもん。しょ、処分だなんて考えるわけないよっ。
フェリさん? ボク、なんにも気にしてないから変なこと考えないでね? これからも変わらずボクのことよろしくね?」
「も、もったいないお言葉です。ありがとうございます、アリエージュは……フェリエルは幸せものです。これからも誠心誠意、姫さまにお仕えさせていただきます。よろしくお願いいたします」
そう言って蒼空の席の後ろで深々と頭をたれるフェリ。そんなフェリを見て慌てて、「もういいから、頭上げて!」などとあわあわしている蒼空。
そんな二人――、
どこまでもにぶくて空気の読めない姉でありエカルラートの姫……な、蒼空。
姫さまが第一で大好き。ソラ姫一筋の侍女、フェリ。
なんとも残念な感のある主従の様子を見て、さっきまで真剣に怒っていた自分が馬鹿らしくなってくる春奈。
それをさらに遠くから、仲裁には入ったものの――、半ば呆れるように見守る日向。
そして蒼空の隣りに座る父親、雅行は今日も空気だった。