音なき、訴え
今回長めの文章です。
依頼の品を届けることを優先したシャロンたちは、その後遭遇した飛び跳ねる虫の群れや、地下二階の双頭の犬を蹴散らして一旦町に戻ってきた。
ギルドを通して連絡がアンリ・フェブラスカに行くようにしてから、待つ合間にと二人で酒場へと赴く。
ほとんど客のいない酒場のカウンター席に座り、遅めの昼食を注文しながらここ数日で何か変わったことはないかと酒場の主人に尋ねると、彼は難しい顔で灰色の顎ひげを撫でながら、黙って奥へ引っ込んでしまった。
しばらくして、胡桃入りライ麦パン、香草とじゃがいもの入ったスープが運ばれてきた。まだ昼過ぎだがライ麦酒も注文してさらに言葉を重ね、やっと話を引き出すことに成功する。
「あんまり、いい話じゃないんだ。だいぶ前から、遺跡に冒険者狙いの奴らがいるのは知っているか?」
「ああ、知っている。というか今日そいつらとやりあったばかりだ」
「なんだって。……そうか、おまえさんたちもやられたのか」
主人は唸り、
「それがな、被害は増えていたものの、奴らの人相も割れてきたんで、そろそろ頭打ちじゃないかと思っていたんだが……。ここ数日で町にいた冒険者の数が減ってしまってな」
そう渋い口調で話す。
「それは、奴らにやられたってことか?」
「わからん。魔物にやられた、金が尽きた、などの理由で町を去った者もいるが、それらを除いても常連だった面々で、姿を見せなくなったのが増えているのは確かだ」
「金がなくて野宿なんかをしてる可能性については?」
「ありうる。まあ、ひょっとしたらただあの遺跡に深く潜ってるのかもしれん。例の噂もあることだからな」
自分で言って納得したのか、彼は表情を和らげた。シャロンの隣でせっせと食事を平らげていたアルフレッドがふいに尋ねる。
「噂って?」
「ああ、まだ知らないのか。遺跡ミストランテの奥を探索していたパーティーが今日やけに興奮して帰ってきたんだ。まあ、そいつらは何も言いふらしたりしなかったんだが……それを見て多くの冒険者が希望を抱いたってわけだな。地下三階までは序の口で、そのさらに向こうには、これまでにないほど多くの宝が眠っている、と」
「……なるほど」
シャロンはすっかり冷めたスープに残りのパンを入れてから飲み干すと、代金を横に置く。
「ありがとう。役に立った」
「そりゃどうも」
アルと一緒に酒場を出ると、空が赤銅を溶かしたように染まり、町に影が伸びてきていた。夕方の町は相変わらずこれから飲みに出かける者たちや、日が暮れる前にと買い物を急ぐ者で騒がしく、これまでとそれほど変化はないように感じる。
ギルドに戻り言付けを聞くと、依頼人のフェブラスカは日没後遅めに来るとのことだったので、入り口のよく見える席に陣取った。
分厚いテーブルに頭を乗せ、おそらくアカシアであろう滑らかな木の感触を感じながら休んでいると、これまでの出来事が目まぐるしく瞼の裏に浮かび、消えていく。
シャロンは青い玉の首飾りの入った懐をそっと押さえ、
「なぜこれがあんなところにあったんだ……。なあ、アル。どう思う」
と向かいで目を伏せて考え込んでいる(と思われる)アルフレッドに声をかける。
彼はパシパシと数回瞬きしてシャロンの胸元をじっと見つめ、
「……普通?」
「は?いや、あの首飾りのことだが……普通ってなんだよ」
「ん、ああ、そのこと。どうかな、判断するにはまだ情報が足りなすぎる」
一度ぎゅっと目をつぶり、伸びをするみたいに背筋を張る。
シャロンはどうも引っかかったものの、当初の話に戻すことにして、
「いや、だからさ、これまでのことといい、あの遺跡にはどうも謎が多い。このまま探索を続けていいと思うか?」
「……シャロンはどうしたい?」
「聞き返すのはずるいな。私は、本当のことをいうと、迷ってるんだ」
アルフレッドはその青灰色の瞳でまっすぐにこちらを見つめ、
「僕は、関わらない方がいいと思う。この遺跡には不明な点が多すぎる。地下三階のあの落とし穴だってそうだ。落ちた先が地下二階の部屋なんて、普通ではありえない」
真っ当な意見を述べた。
「そういえば……あの時はイライラしてて気づかなかったが、確かにおかしい」
シャロンはしばらく考え込み、頭が混乱してきたのでそれを放棄した。
しかし、これまでにかかった経費や、契約料はどうなるんだ。今のところ、差し引きしてどう見ても支出の方が多く、大損になっている。せめて後から引き受けた依頼の、高額になりそうな骨董品の一つや二つは見つけたいんだが……。
悩んでいるシャロンを見かねたのか、アルフレッドは彼女の頭を軽く叩き、
「僕は気が進まないけど……シャロンは今受けてる依頼のことが気になるんだろう?もうちょっと様子を見て決めようか」
「そうしてくれると助かる……」
それから二人でもう一度話し合い、結局地下四階の状態を見て判断しよう、ということになった。
そんな出来事の後、だいぶ遅めにきたアンリ・フェブラスカは仕事帰りで疲れているはずなのに、シャロンが首飾りを出した途端にテンションが上がり、力いっぱい手を握り締めてぶんぶん振った後、瞳を潤ませて何度もお礼を言い、報酬と引き換えに受け取って足取りも弾むように去っていった。
痛む手を押さえながらも、その謎とは無縁そうな姿に、シャロンの中に若干うらやましい気持ちが芽生えた。
「……帰ろうか」
「うん」
わずかに暖かくなった懐になぐさめられたシャロンは、どことなく眠そうなアルフレッドと早々と宿に戻り、明日に備えてゆっくりと体を休ませることにした。
翌日、体力を温存しようと素振りなど軽い運動のみにして、シャロンたちは早朝から遺跡へと向かう。
相変わらず埃っぽい地下一階と、ざらついた砂岩でできている地下二階を通り抜け、その下へと降りていく。
〈Ⅲ-2 先駆者の標〉
誰かがまた直したのか、文字からは打消しの線が消され、ちゃんと読み取れるようになっていた。
壁の言葉を一つ一つ追い、その色を確かめながら赤い矢印の方向を辿っていく。そうやって壁を眺めていると、意味のわかる文字とよく分からない字とが半々にあり、落書きの中から、解読できないがひょっとしたら冒険のヒントではないかと思われる記号や、迸るような警告、さらには助けを求める言葉などかくっきりと浮かび上がるような気持ちにさせられた。
「このほとんどが役に立たない雑言か……信じられないな」
どの文字も訴える力に溢れ、書いた者の姿が見えてくるような気さえする。
ふいに冷たいものが体を走り抜け、シャロンは鳥肌の立った二の腕をこすった。
「急ごう。あんまり見ていると、囚われる」
アルフレッドがシャロンの手を引き、迷わず東から壁に沿って北へ、それからマルガレータたちが襲われていた場所を通り過ぎて、大木の倒れていた空間へと辿り着いた。
床の亀裂はそのままだが、倒れた木には緑の芽や蔦が生え、木々の回復力の早さに感動……っておかしいだろ!
突っ込むまもなくいきなり蔦が伸び、足に絡みついてくる。
「ぅわっ」
倒れる寸前にアルが絡みついた蔦を斬り、いつのまにかわさわさと壁に伸びている蔓や蔦を用心深く睨む。
というか、どう見ても元凶はあの倒木じゃないか。
シャロンは決意してランタンの油を倒木に引っかけ、付け木で火を放つことにした。
「待った!それは」
「え……」
アルに止められ、そういえばここは地下で狭い空間だったと思い出す。炎は燃え上がり、見るまに逃げ道を奪うかに思われたが……生木が多かったせいでなんとかくすぶる程度で終わる。
ゲホゴホと咳き込みながらしおれかかった蔦を刈り、ほどなくして木の魔物を一掃することができた。
どんな仕組みかはわからないが、通路にもうもうと立ち込めていた煙は薄くなり、次第に消えていく。
「……ごめん。悪かった」
何やら言いたげなアルフレッドの視線に耐え、シャロンは通路を西に進み、あの、“諦めろ”や“もうお終いだ!”などと書かれた壁のそれぞれの文字をじっくりと観察し、赤で書かれた言葉を選び出した。
「“跪いて祈れ”ね。どうも従いたくないな」
渋っているあいだに、アルフレッドがさっさと跪き、目を閉じて真剣な表情をしている。
それじゃあと、シャロンも同じようにポーズを取ると、かすかに床と左の壁の隙間から空気が流れてくるのを感じた。
アルフレッドが這いつくばり、空気を感じる壁の真下の石に短剣を突き立て外すと、そこには丸く小さい突起物があり、彼は迷わずそれを押す。
すると、近くからズズズズと鈍く引きずる音がして、少し引き返したところの壁がぽかりと開いていた。
中を覗くと、横にも同じようなボタンがあり、どうやら中からは開け閉めできるようになっているらしい。
その仕掛けの向こうの曲がりくねった通路を進むとそこには階下へ続く階段があり、下から湿った空気が流れ込んできていた。
階段の薄暗さに、シャロンはもう一度ランタンの油の残りを調べ、振り返ってアルフレッドを呼ぶと、前後になって慎重に足を踏み下ろしていった。
〈地下三階の魔物(一部除く)〉
トレント……奥深くに陣取り、太い枝や蔦を獲物に巻きつける。また、棘を飛ばすこともできる。
飛び跳ねる虫……顎の牙が鋭く、バッタのようにピョンピョンと飛び跳ねて狙いがつけ辛い。迷宮内では主に腐肉をあさっているため、それほど強くはない。
〈地下三階の蛇足的補足〉
“心して選べ”と書かれた大部屋にあるドアは、最南端、最西端のものがそれぞれ地下二階への階段に、後のドアは小部屋と、まわりまわって最終的にはこの部屋へと帰ってくる通路に繋がっている。