硝子の城 4
翌日。シャロンは宿の部屋で鈍い頭痛と猛烈な後悔に襲われていた。
『時間は明日……いや、明後日の昼過ぎだ。村の東の外れ、使われていない広場で待つ。ああ、実剣だとさすがにまずいな。……そこらで刃が潰れたのを借りてくるから、それを使おう』
『わかった』
きっぱりアルフレッドに断わるつもりが……なぜあんなことに……。
「後悔しても仕方がない、か」
あの時は酔っていたんだと諦め、ついでにしばらく酒も控えることにして、シャロンは身支度を整えた。まず、市場に行って使い古しの剣が手に入るかどうかを確かめ、次に決闘で使う広場の状態の下調べもしなくてはいけない。
あれだけついてきていたアルフレッドの姿はまったく見ないまま、村の中心にある市を歩き回り、不要品引き取り屋に交渉して、もはや平たい鉄の棒となりかけた剣を二つ見繕ってきた。
それから東の使われていない広場へ行こうとしたが、酒場でちらりと話で聞いたのと違い、草が背丈ほどまで茂っていてなんだかよくわからない茂みになっていた。
別のところにするか?……いや、こんな娯楽のない村だ。下手にその辺の空き地を使えば、おそらく見物人で溢れてしまうに違いない。
仕方なく、足で草を踏み倒して小道を作り、広場の真ん中と思しき所でひたすら剣をふるって草を刈り、決闘できるよう整備する。
そういえば、何気なく使っていたが、この剣は一応風の力が使える魔法剣のはずだった。今のところまったく発動する様子がないが、もしひと思いにこの草を薙ぎ払えたら、どんなにいいか。
ものは試しだと駄目もとで、風が草を薙ぎ払うイメージを脳裏に描きつつゆるやかに振ってみる。
ザアッ……。剣から風が起こり、振った範囲だけ草を薙ぎ倒して渡っていった。
「……」
ふと心に、明日の決闘でこれを使えば勝てるんじゃないかと悪の声がささやくが、首を振ってそれを払う。……力加減が分からず、アルフレッドを一刀両断しても困るし。
先程よりは楽に草を刈り、若干の疲れを覚えつつも刈り草をまとめて脇へ避け、地面を踏んで平らにする。
さらに足場をよくするため、このままここで練習することに決め、シャロンは剣を抜き放った。軽く体を整えてから素振りを三百回ほどして、払う、薙ぐ、振り下ろす動作を、流れるように、時には鋭く無軌道を描くように繰り返してゆく。
アルフレッドの振り方は力強いが隙も出やすい。現段階ではまだ、素早さで翻弄すればいけるはず。問題は、得物が軽くなったことで、どう動きが変わってくるのか、だ。
慣れずにぎこちない動きとなるのか、それとも……。
いろいろと想像しながら剣を振っていると、あっというまに時間が経ち、知らないあいだに日が暮れていた。体にはまだ、酔いの名残である気怠さが少し残るものの、明日には消えてしまう程度。
心地よい疲れに身をゆだねながら宿へと帰るシャロンは、ふと、あることに気がついた。
「明日は、私の誕生日か……」
誕生日に決闘なんて、色気のない……でも、これが自分には似合ってるのかも知れないな、と自然と湧き上がってくる笑いを噛み殺した。
そして、当日は雲一つない、素晴らしい青空が広がっていた。勝っても負けても後悔はしたくない、そんな気持ちで、昨日必死で整えた決闘場に向かう。
そこにはすでにアルレッドがいて、まわりの広さや、足場の状態を確かめていた。
今日もどことなく機嫌が悪そうだな、と相手を観察しつつ、彼に持ってきていた例の古い剣を渡す。
「……シャロンは、馬鹿じゃないのか」
やはり不機嫌そうなアルフレッドが低く言う。
「場所を整えるなら整えるで、誰かの手を借りればいいだろう?一人でやる必要なんて、どこにもない」
「……見ていたのか」
ふう、とため息を吐く。
「まあ、そうだな。……でも、ちょうどいい運動にもなったし。私だって、本当に手助けが必要だと思えば声ぐらいかける」
「……どうだか」
あんまり信じていないような声音だ。それはともかく……
「じゃあ、始めよう。勝負は、どちらかが戦えなくなるまで」
腰の剣を外して邪魔にならない場所へ置き、決闘用の剣を構える。
じりじりと緊張が高まり、どこか近くの枝が、パシッ、としなる音が合図となった。
ギィンッ
アルフレッドが間合いを詰めて剣を振り下ろし、シャロンはそれを斜めに弾く。
(……重いっ)
弾かれた剣は続けて横薙ぎに襲い掛かり、それをぎりぎりで躱して距離を取った。
深く息を吸い、体勢を低くして今度はこちらから一気にアルフレッドの利き腕を狙い、斜め下から斬り上げる。
当たった、と思った瞬間、剣が胴体を薙ぎ、息が詰まる。ケホケホと咳き込み、急いで離れるが追いつかれ肩に斬りかかってきたアルフレッドの剣を弾き、大きく距離を取った。
「く、さすがにやる……」
こいつには、負けたくない。体の奥底から力が溢れ、汗で滑る柄を再び握り締めた。
「ただ、旅を一緒にしたいってだけで……なんでそこまで拒むの?」
真摯な声が耳を打つ。動揺を悟られないよう、努めて平静な声を出そうとして……失敗した。
「そんなの、わかるわけないだろッ」
握る手に力を込め、斬りかかるスピードを上げる。速く速く、速く――――――。
長引けば、受ける負担が重い分自分が不利になる。
「これでッ、」
強くアルフレッドの剣を弾き、同時に渾身の力とスピードで上から振りかぶった。彼の剣を持つ右手は離れている。
とらえた、と思った次の瞬間、腕を下から思いっきり蹴られ、その軌道が大きく逸れる。
「ッ痛ぅっ」
かろうじて剣を離さず後ずさろうとしたところで、ぴた、と剣を喉元に突きつけられた。
「あ……」
アルフレッドは射るような眼差しで、しばらくこちらを窺っていたが、やがて剣を引いた。
蹴られた右腕はひどく痺れ、じくじくと痛んでいる。負けたのか、と実感が胸に広がると、一気に力が抜け、ぽたぽたと涙が零れ落ちていく。
「シャロ、」
「見るなッ」
乱暴に目をこすり、顔をそむけるが、なかなか止まらない。躊躇う気配がして、ごそごそと何やら探っていたかと思うと、バサリと若草色の布が被せられた。小さく野花の縫い取りがしてあったりする綺麗なそれは、涙と鼻水とでとても返せない状態になっていく。
「私はただ……許せなかったんだ。おまえの剣の腕が、どんどん上達していくのが。でもそれは、おまえの努力の結果だということも……わかっているんだ」
アルフレッドが、悲しみと心配が入り混じった表情でこちらの様子を窺っている。それに、なんとか顔を向けて、
「もう、いいよ。おまえが私と旅を続けたいっていうなら、私はアルの戦い方や剣筋を覚えて、盗んでやる。……次戦うときは、どうなってるかわからないぞ」
にこりと笑ってみせる。
アルもまたふっと口元を和らげて、
「いや、その時は僕ももっと強くなってるから」
「……えらそうに言うな」
軽くアルの肩を小突いてから、自分の頭でひらひらしている布を引き下ろした。
「これ、綺麗にして返すよ」
「……まだ、跡がきちんと取れてない」
布で目を押さえられ、続いて頬に柔らかい感触が――――――。
「ッおいっ」
布と手を押しのけると、アルフレッドの、よく晴れた空のような笑みが飛び込んでくる。
「誕生日、おめでとう」
怒りの言葉は勢いを失い、その代わりに収まったはずの涙が溢れ、ほろりと頬を零れ落ちていった。
この後別の意味で目を合わせ辛くなったり、冷静になってからやっとこの布がプレゼントだと気づいたりするのはお約束。