それは、名も無き物語
2019年4月14日、一話を二つに分けたうちの後半です。内容は同じのためご注意ください。
――――――それから、数年後。
テスカナータの港は、今日も非常に賑わいを見せていた。製紙技術と豊富な石材に、硝子作り。今や職にあぶれる者はごくわずかで、治安もいい。
ボナバントラ商会は、また今日も慌ただしかった。山と積まれた書類、ほぼひっきりなしに訪れる人々。
「もう帰ってください……!いくら来たところで、おんなじです!!斡旋も、仕事の依頼も護衛相談も、直接ではなく、組合を通せって言ってるでしょうが!!」
ハリーの怒声が響く。
「こんな忙しいのに、ヒューイックさんはどこへ……!?」
「あ、ちょっと用足しに出ましたよ。そういえば、遅いですね」
こんな状況下でも声を荒げることなく、ヒューイックの机にまた新たに紙束を追加したロイスが返答をする。
またあの人は抜け出して………。
苦い顔をするその向こうでは二、三人が書類を睨みつけ、破かんばかりの勢いで分類し……ハリーは見なかったことにして、外の扉に貼った注意書きを太字で大きく書くように指示を出し、また書類が積まれ出した席へと勢いよく腰を下ろした。
組合と自警団内部が整うまでの辛抱、組合と自警団内部が整うまでの辛抱、とハリーは心で唱え続けている。そもそも、テスカナータに一気に人が集まったせいで、犯罪率も倍に増え、それをなんとかしようと手を出してしまったのが運の尽き。
ちなみに、ブロスリーは船の整備監督のため、今は港に出ている。
……羨ましい。内心恨み言が出てくる末期的症状なのを抑え、目の前の現実を睨むハリーに、貼り紙の作り直しをさせていた日雇いの声がかかった。
扉が開かれ、呑気そうな角刈りの男がひょいと顔を出す。
「あの、なんか人が来てます」
「仕事の依頼なら、組合を通すようにと……!!」
「いえね、どうも、英雄の墓が見たいとかで……」
「は?」
このクソ忙しい時になに呆けたこと言ってやがる、阿呆が、と言いかけたハリーは、ギリギリでそれを呑み込み、ぎこちなく笑って、わかった通していい、と低く返事をした。
テスカナータの町を一望できる、見晴らしのいい丘。気に入りの酒を手に提げ、ヒューイックはそこに来ていた。
「おら、来てやったぞ感謝しろ」
一等地にポツンと佇む墓標。その石碑を足蹴にし、ヒューイックは呟いた。
“稀なる英雄アイリッツ、ここに眠る”
刻まれた言葉を背景に、突き立てられた劍は、いかにも厳かでそれらしい。結構金が掛かってるんだから感謝しろよな、と酒の蓋を開け、ドボドボと墓石に注ぐ。
ふと、この墓を作ると決めた時のことが、鮮明に思い出され。ヒューイックはひとり、苦笑した。
やはりというかハリーとブロスリー、それにアイリッツのことをよく知る奴が、軒並み激しく声を上げ反対した。死んだことにするつもりか、と。
違う。そうじゃない。これは……一種の、博打みてえなもんだ。俺の、まあ、意地でもあるかも知れない。
こうしとけば、何十年か何百年か経って、残ってたら儲けもんだ。のちに勘違いする奴も出てくるかも知れねえ。英雄が、ここにいた、と。
どっかの奴らが騙される、その未来を想像して、ヒューイックはにやりと笑う。そうして、煙草に火をつけた。しみじみと吸い、一本吸い終えるまでそこでずっと景色を眺めていた。ああ、いい天気だ。
「じゃあ、またな」
と踵を返し歩き出す。少しばかり進んだところで、旅行者と思しき格好の青年が、汗をかき向かってくるのが目に入った。彼は登ってくるなり、
「あ、あの、アイリッツ、と刻まれたお墓が、ここにあると聞いて……」
そう尋ねてきたので、
「ああ、奴の知り合いか。訪ねてやってくれ。喜ぶ」
後ろを指してそう告げ、すれ違うのを待って彼のやってきた方へと歩き出す。
しばらくして、
「ああ、これだ!英雄アイリッツの墓!やっぱり、あの話は本当だったんだ!」
よくわからない感極まった叫び声が、耳に届き――――――。あ゛?とヒューイックは眉をひそめ勢いよく後ろを振り返った。
朝。中央都シーヴァースから南西の湖グランディーラとの間にある町、コルネッタの酒場兼宿屋。騒がしくしゃべり合いながら出立する男たちを、遅い朝食を取りつつジークは眺めていた。
「おい、あの噂本当か!?中央都に行けば、女神が夢に出てお告げをくれるっていう……」
「詳しくは俺も知らねえ。でも、知り合いの知り合いがさ、宿に泊まって、なんだかすっげえ神秘的な美少女の夢、見たとかって……あれか?」
待ち合わせまで、まだ時間はある。
テーブルには、こちらも暇そうに世間話をする地元民と、昨夜は振るわなかったのだろうか、この時間からは珍しく、ぽつぽつと南方の弦楽器シタールを爪弾く吟遊詩人とがいて、違う席には幾人か女性客も見られた。田舎町の朝にしては賑わっているのは、初夏の、訪れるにはちょうどいい季節だからかも知れない。
「よう、旅の人。待ち合わせか?」
「あ~、まあ。そんなところだ」
「……待てよ。こいつぁ驚いた!おめえ、ジークウェル、ってえんじゃねえか!?!あの、話し上手で評判の!」
「ああ、まあ。そうだが」
いきなり耳元で農夫か粉引きのような出で立ちをした髭面赤ら顔の男に大声を出され、顔を遠ざけ苦笑する。
「じゃあじゃあよ、なんか面白い話聞かせてくれよ。今日はほら、あれだ。荷馬車が嵌まっちまってよ、直すのに明日までかかるってぇんで、暇になっちまってよ。こうして飲んでるってわけだ」
男はぐびりと麦酒を呷り、ドカッとジョッキを下ろす。
「そうだな、じゃあ、とっておきだ。あの、有名な話をしよう。数年前、中央都シーヴァースは、人知れず、危機が迫っていた……」
ジークは語る。まるで見てきたかのように、三人の英雄の冒険譚を、生き生きと。旅の先々で繰り返されるその話は、誰もがよくできた創作話だ、吟遊詩人にでもなるといい、とジークのことをそう称賛した。
しかし、ジークの話が広まるにつれ、そういえば不可思議な夢を見た、とシーヴァースで語る人が現れ、その、創作だとされていた物語が信憑性を増す。
……何より、今やこの大陸中で知らぬものはない、と言われるほどの、あの恋愛譚と深く関わっている、と吟遊詩人が乗り出し、徐々に、だが確実に、その物語は一つの形を取り、人々のあいだでひそかに実話ではないか、と囁かれるまでになった。
「――――――それで、彼女は自分自身と引き換えに、魔王を封印した。たった一人残された男は、恋人を救うため、あてどもない旅へ、飛び出していく。いつか、必ずまた会えると信じて」
……いつの間にかギャラリーが増えていた。洗濯物の途中であろう中年女性がエプロンで顔を拭き、先ほどまで離れたテーブルにいた女たちがいつの間にか近くにいて、ハンカチーフ片手に涙を一生懸命拭っている。
「それでそれで、その、彼は今も恋人を探して――――――?」
「いえいえお嬢さん。この話には続きがあるのですよ。ほら、誰もが知る、あの有名な、恋愛譚です」
ジークの話を聞きながら、出番を今か今かと待っていた吟遊詩人が、シタール片手に得たりと後を引き継いだ。集まっていた人々は一息吐き、何人かは飲み物を注文してから、その歌声に耳を傾ける。
ジークは輪の中心を吟遊詩人に譲り、少し離れた位置に座って酒場の主人に、ライ麦パンとチーズを注文し、再び蜂蜜酒を傾けた。
「そして、ついに願いは叶い、最後に辿り着いた故郷で、彼は恋人に会う――――――」
やがて、吟遊詩人が歌い終えた。ちなみに、待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。
ここで現れたら、タイミングは神懸かり的だが――――――。
入り口を見やるが、やはり現れる気配はこれっぽちもなかった。
歌も終わり、集っていた人々は、息を吹き返したように我に返り、また自分たちの生活へ戻っていく。
「あの……ジークさん。もしよかったら、これから一緒にどこか、出かけませんか?」
なかなか可愛い顔立ちの少女がはにかみ、誘ってきたが、その言葉に苦笑して首を振り、
「悪いな。待ち合わせなんだ」
と言うと、そう、ですか……とちょっとばかり落ち込んだ様子を見せたがすぐに顔を上げ、
「あの、もし来なかったら、あの……私待ってますから!」
そう叫んで駆け出していく。
「…………え」
呆然とその背中を見送るジークに、酒場の主人が、
「おいおい……もう諦めちゃあどうだ。こんなに待たせる女なんて、ロクな奴じゃねえ。それこそ、女なんて、この世に星の数ほどいるんだからよ」
「って、おい!違げぇ!なんでオレが振られたみたくなってんだよ!そんなんじゃねえよ!」
「わかってるさ。そうだよな。おまえはただ、ここで……わかってるわかってる」
頷く主人に、同調するかのように、まわりの憐れみを含んだ生温かい眼差し。ああクソ、と叫んでジークはカウンターに突っ伏した。
「済まないジーク!遅くなった!」
カランカランとベルの音をさせ、酒場の入り口に、フードを目深に被った待ち人が慌ただしく現れたのは、そろそろ昼を越そうか、という時間帯だった。
「遅ぇ」
ドスの効いたような声になってしまったのは、まあ仕方がない。
近くに来て、フードを取り、
「いやその、本当にすまない。出がけにそう色々、色々あって……」
必死に言い募るシャロンに生温かい笑みを向け、ジークはトントン、と自分の鎖骨辺りを叩いて見せる。
「え?あ……これ、あ、あいつ、目立つところには付けるなってあれほど……!!」
ぶわ、と音がするぐらい頬に朱を走らせ、シャロンが叫ぶ。
「まったく、毎回毎回待たせといてさあ……」
「別に、一日待たせといてもよかった」
いつのまに来たのか、アルフレッドが低い声でシャロンの横から告げた。
「ああ!?なんだとてめえ、そうなったらな、おまえらの泊ってるところに直接押し掛けてやんよ。このジーク様の情報収集能力を舐めるなよ」
「やってみろ。おまえの首が飛ぶ」
「おい、こんなところで言い合いするな!!そしてアル……気配消して隣に立つのはやめてくれ」
困り果てた様子で、シャロンが止めに入る。というか、入り口のドアベルすら鳴っていない。
目立つのを避けてフードを下ろしたアルフレッドの黒髪と鋭く濃い青灰色の眼差しと、どこか常人離れした雰囲気は、周囲の目を引く。
ジークとのやり取りも、やはり注目を浴び、そろそろ、あ、あの彼はひょっとして、なんて言い出しそうな雰囲気が出てきた。
「……一旦、ここを出よう」
「ああ、賛成」
酒場の主人の物問いたげな視線を感じつつ、その場を後にする。気持ちはわかる。なぜなら、彼は先ほどまで、吟遊詩人に食堂中に響くぐらいの声で、歌われていた主人公に、特徴が酷似している。
「というか本人……」
ぼそりとジークが零す。シャロンがその呟きを拾い、またあの話か、と首を振る。
「まったく……放浪の剣士は背が高く逞しく、その恋人はスタイル抜群、超絶美人、と歌われているから、まだ救いがあるけどな……おかげで一発で見破られることはほとんどない。各地で偽物も出ていることだし」
はは、と自嘲気味に笑う。
「で、今度の依頼は?」
「この湖からさらに西に行った場所に、沼地がある。そこに潜む魔物を倒すこと、だそうだ」
「エドウィンも本当に顔が広いな。どこから受けてくるんだ。これだけ倒せば、そろそろ魔物が尽きてくると思うんだが」
シャロンがうんざりした表情を見せれば、
「だいぶ、貯め込んでいるだろうな。そろそろ、取り分を回収しにいく頃だ。金はいくらあっても、余ることはない」
アルフレッドが、黒い笑みを見せる。
「……はあ。初めて会ったときは、金欲の欠片も感じさせないような奴だったのに。なんでこうなったんだか」
「私のせいじゃ……ないと思うぞー、多分」
ジークのぼやきに、シャロンが汗を滲ませつつも、そう返した。
彼らの活躍は、留まることを知らず。その物語は、大陸中に知られ渡っていく。
他の追従を許さぬ強さで魔獣を倒し、竜殺の名でも知られる剣士、アルフレッド。風を使い、その傍で彼を支え続けた心優しき恋人、シャーロット。
そして、二人の傍で優秀なサポート役をし、さらに優れた物語り手としても有名な、ジークウェル。
そしてこの三英雄の他に、アルフレッドとシャーロットを助け、中央都を救った英雄が一人いるというのだが……。
“アイリッツ”という名前以外、その正体は謎のままとなっている。
This story is――――Happy End.
おまけ
『謎の英雄……!!いいねいいね~』
『……それより誰だ、テスカナータの町に、俺とアイリッツの銅像建てやがった馬鹿は』
ここまで本当に長くお付き合い頂き、ありがとうございました。