砂を噛む
残酷表現、グロい描写等があります。苦手な方はご注意ください。
それから、月日は飛ぶように過ぎていった。
「た、助け、てくれ。だれか、だれか。魔物が、ぁあ」
血塗れで這いつくばりながら、足を引きずり、こちらへやってくる男。くちゃ、ぐちゃと何が楽しいのか千切れた内臓の一部を振り回しながら、顔が猿にも似た奇妙な生物が、後ろから追ってくる。臭気が、煩わしい。
トン、と石床を蹴り、脇を抜けその猿の鼻面に剣を突き刺し、ひぎぃッと怯み叫んだその頭を斬り飛ばした。
猿ではない。足が八つある。蜘蛛、というのにも微妙すぎる。
「ぁ、あ、も、もぅいっぴき、」
涙と鼻水を流しながら倒れ込む男は無視して、奥へ進み、男の仲間かであったものだろうか、まさに食事の真っ最中だったところを、喉元から薙ぎ倒した。
さほど手応えはなかった。アルフレッドは、遺跡があまりにもお粗末だったことにがっかりしながらも、這いつくばっていた生き残りの男を振り返る。
「おまえ。女を見なかったか。髪は長く赤茶色をした……」
また、何も得られなかった。
仲間の亡骸を前に膝をつき嘆き叫ぶ男を捨て置き、近くを流れる川でおざなりに体を洗い町へ戻ると、組合で名前と遺跡の魔物討伐達成を告げ、依頼達成を確認するまでの時間を潰す。
秋から冬にかけて、野犬、狼、熊などの野生動物の被害が増え、それに伴い、奇妙な姿形をした変異種の目撃例も、ちらほらと出てくるようになり、各町の組合はこの事実を重く受け止め、旅人、冒険者、傭兵たちに調査を依頼し、その結果、理由は不明だが古代の遺跡を中心に、魔素、と呼ばれるある種のエネルギーが色濃く流れ、魔物の活性化に繋がっている、との見解を打ち出した。
それと同時にひそかに、遺跡の内部には、強力な魔物に守られ、まだ見ぬアーティファクトが数多く眠っている、とも。
事情を知る考古学者はその噂を一笑に付し、各地の状況と、大量の遺跡の資料を前に知人に、
『遺跡の魔物を怖れた上の連中が流した、ガセでしょうね。まだ見ぬ遺物は、確かにアルかも知れない……しかし、魔素の増えた原因は、他にある。私たちが戦いを挑んだ、もう一つの世界の有り様に』
そう語ったという。
かの地は、この世界に少しずつ還元され、その力を失いつつある、と。
そういった事柄は知らぬまま、アルフレッドはただひたすら、遺跡を探索し、魔物を潰し、必要とあらば未だ息づく古代遺跡の核を潰していた。
……ひどく、餓えている。かと思えば、音も色づきもせず、自分とは関わりなく日々が過ぎていくのを、ただ、眺めている。
だいぶ待ち、やっと名が呼ばれ、遺跡の魔物を討伐した報奨金を受け取った。そのまま組合を出、安宿で一泊した後、町を出れば、後をつけてくる者がいる。
またか。
「兄ぃちゃん、随分稼いだみたいじゃねえか。俺らにちょびっとばかし恵んでくれよ」
傭兵上がりか下級の冒険者か。体ぐらい漱げと言いたくなるような悪臭漂う男たちが二人でこちらを囲むように立ち、にやにや笑いながら大仰な剣をちらつかせた。
少しばかり猫背の方。あの頭を、いかに返り血を浴びずに飛ばすかを考えていると、そいつが突然顔色を変え、
「悪い。人違いだったみてえだ、許してくれよな」
と早口で言って走り出す。
「え、あ、おい、待てよ!」
そいつを追ってもう一人も走り出し、そこから誰もいなくなった。
残念だ、と思うのと同時に、煩わしいのが去った、とかすかにほっとした気持ちも浮かぶ。
ここ、イーリエから西へ。次の町への道を、特に急ぐでもなくアルフレッドは歩いていく。時折、どうして自分はここにいるのだろう、と虚脱感に襲われ、巣食いそうになる負の感情を捻じ伏せながら。
あれから、手がかりは見つからず……魔物との戦いで、ただ、剣の腕だけが冴えていく。
町から出て数歩も行かないうちに、騒々しい馬の蹄の音が、後ろから近づいてきて、
「おーい、アル、やっと見つけた!ちょっと待てよ!」
さらに、馬以上に騒がしい奴が、遠くから大声で呼び掛けてきた。
振り返ると馬上からの、ジークウェルの満面の笑み。逆光もあり、アルフレッドは思いっきり顔をしかめ、
「……なんのようだ」
「何の用だ、じゃねえだろ、おい。遺跡の情報だ。よっ、と」
奴はひょいっと身軽な動作で馬から下り、
「まあ、とりあえず近場にしけこもうぜ。飯もろくに食ってないんだ」
半ば強引に、アルフレッドを定食屋へ引っ張り込んだ。
「ああくそ、酢のような酒と、干物の付け合わせは飽きたぜ。新鮮な魚が食べてえ……」
塊を口に放り込み、めいっぱい噛み締めながら、ジークはこぼす。
「さっさと用件を言え」
「せっかちだな、アルは。エドウィンからの情報だ。西のカラシュという町周辺にある、遺跡群で人が消えると……」
「外れだな。砂に潜む魔物の可能性が高い」
「まあな。でも、行ってみなけりゃわかんねえだろ」
「奴がそれで儲けているのは知っている。仲介料はいくら貰った」
「……否定はしねえよ。だって、必要だろ」
複雑そうに顔を歪め、ジークは言う。
「シャロンを救い出す。そのための情報を集めるのにも、旅を続けるのにも、なんにせよ金はいる。確かにエドウィンは稼いでるさ。取り分のことで文句があるなら――――」
「そういう話じゃない」
アルフレッドは濃度の高い酒を呷る。あんまり、味はしなかった。
「餌をちらつかせるのは止めろ。遺跡に潜れば潜るほど……わかる。こちらとあちらとの繋がりは、今じゃ希薄」
「可能性はゼロじゃねえよ。……諦めんなよ、アルフレッド。オレは、オレは少なくとも、信じてる」
ジークの瞳が揺れている。
「……おまえは、そうだろうな」
アルフレッドはふと目を伏せ、その次の瞬間には持ち直す。
「その町の情報をよこせ。そこへ行く」
「ああ。もちろんだ」
ジークは頷き――――
「だが、無料じゃない」
不敵な笑みを浮かべた。
「おまえもしぶといな」
はあ、と溜め息を吐き、中天を過ぎかけた陽の下でアルフレッドは柄を握り……
「今日こそは、半刻保たせる。オレも、遊んでいたわけじゃない」
どこから来るのか、自信たっぷりに言って、ジークもまた剣を構えた。
打ち合いの末、下から掬い上げるようなアルフレッドの剣戟が、ジークの剣を撥ね飛ばし、その剣を拾おうとした挙げ句に間合いを詰められ、腹に剣の柄がめり込んだ。咄嗟に威力を殺そうとした姿勢のまま後退り、ドウ、と仰向けで寝転がる。
「まあ、保った方だ」
冷静にそう言って、剣を納めるアルフレッドの息は、まったく乱れていない。
「てめ、また強くなりやがって……反則だろ……」
「知るか」
大の字になって肩で息をするジークは、しばらくして空を睨みつけ、オレは負けねえぞ!と吠えた。
「……絶対に、追いついてやる」
その台詞が誰に向けたものなのか。よろめきつつもやがて立ち上がり、
「ありがとな、アル!次は半刻、いや、せめて二十合ぐらいは保ってみせるぜ!」
こっちがどこにいても噂を手がかりに居場所を掴み、こうして、剣を交えることを引き替えに、情報を渡していく。そのジークの諦めの悪い心意気と、腕を振り上げて見せた笑顔は、アルフレッドに、誰か、を思い出させた。
が、もちろん、普段から寡黙な彼は、そんなことを告げはしなかった。
……必死に、追いすがろうとしているのに、月日は人を嘲笑いながら、無情にも過ぎ去っていく。
ボナバントラ協会は、少しずつ規模を広げ、多くは海から、そして、信頼のおける者を他の町の組合に推薦しながら、繋がりを順調に伸ばし……そうして得た情報を洩らさず伝えたが、それでも手がかりは掴めなかった。
関わった誰もが日々を生き抜き、諦めきれないまま、できるだけのことを続けていた。アルフレッドは魔物を討伐し、遺跡へ潜る。ジークは連絡係を。エドウィンとヒューイックは各地から情報を。
そうしてまた歳月が流れ、気がつけば、あの出来事から、ゆうに2年が経っていた。