追尾航 2
多少ホラーっぽい表現が出てきますので、苦手な方はご注意ください。
「失礼」
と言ってハーフェンは細い煙草を取り、おい、と一声掛けて近くの男に火をつけさせ、
「隠し扉があるのはわかっている」
細い煙を吐いた。
「あの痕……だいぶ苦労したみてえだな」
そうヒューイックが揶揄ると、
「打っても崩しても駄目とくりゃあな。おい見張っとけ。下に来させるな。……おまえらは、一緒に来い」
ハーフェンは素早く葉巻を捨て、丁寧に踏みにじってから近くの連中に声をかける。
「時間は貴重だ。あの壁を壊せるというのなら、すぐ下に行くぞ」
「ああ」
ヒューイックは頷いた。最初からそのつもりだ。
夕方になり、下に差し込む光はほぼ無しに等しいので、ランタンに火をつけて持ち、照らしながら進んでいく。
「隠し扉とされる場所は二つ。右と左に。その作りから鑑みて、ただの休憩室ということはないだろう」
隠し部屋にした理由は何か。言いたいことはわかる。
通常、祭壇は東側に造られていることが多いが、この場所も例に漏れず、薄暗い大広間まで来ると、ヒューイックは大股で祭壇横の右側、つまり南の痕の方へ行き、昼間のようにもう一度壁をなぞると、隙間に迷わず剣を突き立てた。
ギッギッと擦れ、上から下まで剣を使い、隠された溝を掘り出し、思いっきり蹴りを入れる。ズッ、とわずかに動く気配はしたが、どうやら重すぎて動かないらしい。
「おい、やれ」
ハーフェンが顎をしゃくると、ツルハシなどの作業具を持って立っていた屈強な男たちが、せーのッと体当たりをし、嫌な音を立てて石の扉が開いた。
そこには四角く何もない空間が広がっていた。何もない部屋。しかし、よくよく調べてみると、北側に、覗き穴がついており、向こう側は暗くてよくわからない。
「……もう一つの隠し部屋の方だな」
ハーフェンがぽつりと呟いた。それに対し、ヒューイックも何も言わなかったがこの部屋が何の用途で使われていたのかは、はっきりしていた。
祭壇から左、北側の部屋。そこは黒い染みがいたるところに付着した拷問部屋となっており、古びて脆くなってはいるが、かつての異端審問の痕跡が生々しく感じられる拷問具や、鎖などが転がっていた。
部屋の奥には何かを引きずったような痕と幅広の穴があり、湿った空気がそちらから流れ込んでいた。
穴を覗き込んだがかなり深く、暗くて何も見えない。鞄から布を取り出し、火をランタンから移して放り込む。
落ちた火は揺らめき、少しだけ間を置いて消えた。
「下に空気があるな」
ヒューイックはそう呟きつつ拷問部屋を見回したが、役に立たない代物ばかりが転がっている。
「……下りるつもりなら、これを使え」
部下がハーフェンに縄を渡し、フックとなっている先端を引っかけ、しっかりと結び目を作ってからランタンを通し器用に先に下ろす。
そういえば、あいつもよく使っていた。
ふと沸き上がった思いに首を振る。
「おまえらはここで待て」
ハーフェンはそう命令を下し、それから、先に下りることに対し、警戒をかすかに抱いたヒューイックの表情の機微を読み取ると、
「私が先に下りる」
あっさり下っていった。
「頭に何かしたら承知しねえ!」
「何ぼさっとしてる、早くしねえか!」
おそらく腹心なのだろう。髭面の筋肉男たちにせっつかれ、ヒューイックはすぐさま自分も後を追った。
「慣れているな」
「そちらこそ、取締役とは思えないな」
「奴らを纏めるのに、腕っ節が無いのでは話にならん」
それもそうか、と頷く。
揉めるのを避け、すぐに決断したその潔さは感心する。ヒューイックは相手を見直すのと同時に、内心で気を引き締めた。この男とことを構えるのは、容易ではない。
湿った冷たい空気の中、パキッ、と足が散らばる白骨を踏む。ランタンで照らせばそこら中に白く光る人骨の山。かすかに感じられる風は、縦穴下の廃棄所の隅から漂ってくる。
何回か蹴れば、組まれた石の一部が動き、外すと人一人屈んでやっと通れるぐらいの、狭い穴が、斜め下に続いている。
ハーフェンが散らばる人骨を足で蹴り避け、
「進むか」
「ああ。どうする」
「今度はそちらが先に行くべきだな」
「………わかった」
ここで背後から殺すほど馬鹿ではないだろう。
ヒューイックは先に立ち、狭く暗い穴を進む。
「度胸もあるな。重ねていうが、雇われる気は」
「無ぇ」
そんな会話をしながらその穴を抜けて冷たくじめっとした地下道へ出、ピチャ、ピチャンと水が滴り落ちる中を中腰で進むと、突然視界が開け、這い出てランタンで照らせば、そこは水のある鍾乳洞と思しき広がりとなっていた。
辺りはひんやりと寒く、その空間の壁面は整えられているのか白く光を反射する。滴る水の音の向こうは、地底湖のように水が湛えられ、ここからでは先の深さが想像つかない。水の中にはよくは見えないが、白い骨片らしきものとごちゃごちゃしたものが無数に沈み、真ん中はかろうじて、比較的大きな、石像のような物がいくつか立っているのは確認できた。
遠く目を凝らせば、水際にいくつも白骨死体が転がっている。
「水面には近づくな」
「わかっている」
時折白骨を蹴飛ばしながらも壁伝いにゆっくり歩いていく。滑らかな白壁には無数の穴。無言で互いに全神経を尖らせ、異音がないかを確認しながらじわりじわりと進んで一周するとそこは、中央に水溜まりのある直径おおよそ30~40脛ほどの空間だと判別した。
石像も細かな意匠はわからないが、四つの内一つはどうやら壊れているらしい。いずれも、中央の白く平たい台を取り囲むようにして立っている。
「垂直位置が石像か。持ってろ」
ハーフェンはランタンを渡してきた。
「どうする気だ」
「破壊されている石像側から近づき、水の中を確認する。しばし待て」
カチャカチャと音をさせ、ハーフェンは腰からベルト代わりの縄を外し……片方がフックとなっているそれを、破壊されている石像目掛けて投げた。
ヒュンヒュンと洞窟内に音が反射する。幾度か繰り返して引っかけ、固定されたのを見計らうと今度はランタンを通し、うまく操って中央へと送った。
ランタンが透き通った広い水溜まりと、四つの石像を照らし出す。
随分古い時代のものと思われる石像の造作は、それぞれ子どもが泥をこねて作った人形のような怪物、剣を持つ戦士、背中合わせに手を繋ぐ2人の可愛らしい少女たち。そして、上部が壊れた獅子のような姿。
その中央には、まるで祭壇のように平たく滑らかな石棺が白く輝き、それを囲み守るように鎮座していた。水の中にはおびただしい数の骨と、武器、装身具が沈められていた。まるで、捧げ物のように。
ハーフェンは、また器用に縄を操り、ランタンを中央から手元へと引き寄せる。
「うまいな」
「縄と鞭の扱いは慣れている。躾のなっていない者が大勢いるからな」
フッとハーフェンは笑う。
「それで、だ。水の中の物品……なんとか回収したい。それで、こちら側からこいつを落として引っかけ、手繰り寄せる」
「ああ」
「……さっさと終わらせよう。ここは堪える」
ハーフェンは破壊された石像に引っかけたままだったフックを外し、ポチャリと水に落とした。水の中での縄の扱いは苦戦しているようだったので、ヒューイックが交代しうまく沈ませて引っかけ、相当重量のあるそれを、水際に足がつかないよう慎重に、二人がかりで引いていく。
「絡まっているのか」
「……この紐の強度は」
「大の男二人支えるのが限界だ」
「それだけありゃいい」
ズル、ズル、と少しずつ引っ張っていく。慎重に慎重を重ね、水からもう少しで引き上がる、というところまで来て、どれだけの重みで罠が反応するのかわからないため、引く手をいったんストップした。
ズッ。
……何かがずれる、重みのある音がした。
「今の音は」
「わからない」
耳を澄ませても、水が滴り落ちる音、かすかに重なっていた骨が下へ落ちる音しか聞こえない。
「……行くぞ」
縄を引く手に力を込めた。
ズズッ
やはり音は聞こえる。パシャパシャパシャ、と何かが跳ねて来る音。魚か?まさか!
ヒューイックは咄嗟に剣を抜き、飛びかかってきた何かを撥ねた。噛みついてきたのは頭蓋、そして下の顎骨が砕けて水面に落ちる。
「糞が!」
縄を放し、距離を取る。
カタカタ、カタカタ、と歯を鳴らしながら、次々と縄に白い頭蓋骨が噛みつき、ギリギリと振り絞った。
「なんだこれは!」
ハーフェンが縄を振り上げ、壁へそれらを叩きつける。水面がザザザザと波立った。
絡み合う骨たちが長く繋がり合い、一つの大きな塊を形作る。ぐるりと石棺と石像を取り巻いていたそれは、鎌首をもたげ、大蛇となって牙を剥いた。
でかい。そして、足場が悪すぎる。
骨の大蛇は威嚇音を鳴らしながらこちらを窺い、続いてその長い尾を振り立てた。
「くっ!」
「化け物め……ここは引くか」
ハーフェンが広い額に汗を滲ませ提案するが、それには首を振る。
「逃げたところで、縄を上っている時に追いつかれ、殺られる。なら、ここで倒した方がいい」
「……言ってくれるな。なら、その自信があるのだろう。私はいったんこの場を離れる」
「逃げるのはいいが、退路は塞ぐなよ。祟るぞ」
そう軽口を叩く。もしそうなれば、そこらを切り崩し出口を探すまでだが。
ギシギシと身体を軋ませ、身を捩る大蛇は白く淡く発光し、それと呼応するように、後ろの石像が、淡く明滅する。
シュウシュウと威嚇音を鳴らしていた蛇は、ずるりと場を離れ、こちらへにじり来た。
「行け!」
そう告げて先に間合いを詰め剣を振り、軽くこちらを丸呑みできそうな頭をもたげる蛇の鼻先を弾き飛ばし、牽制した。
こいつはでかい。そして厄介なことにこの頭、胴体……楽にあの通路を追って来られる姿をしている。
パシャッ、パシャパシャッ
水面を弾く嫌な音が聞こえる。あの頭蓋骨……。
じわり、と嫌な汗が背筋を伝った。
中央から淡く照らされる光を頼りに、ヒューイックは薄暗がりに目を凝らし、今にも襲い掛からんばかりの巨大蛇に相対するよう剣を構え深呼吸をした。
暗闇の通路を中腰の姿勢でハーフェンは急いでいた。きっと明日は腰が痛くて立てないかも知れない。
そんな風に負の感情に捕らわれそうな自分の気を紛らわしつつ手探りで進み、横穴を這い進んで戻り……。死体捨て場の暗がりから、相当上の、明るみへ向かって叫んだ。
「おい!誰かいないか!」
叫んで驚く。思ったより声が響かない。舌打ちして、今度は襤褸切れ、骨などが散らばる足元を探る。くそったれ。
折れた腰骨あたりが一番投げやすそうだ。縄を掴み、急ぎ途中まで上り、思いっきり放り投げた。半分。もう半分。
気づいたらしく、すぐに顔が覗く。
「お頭!大丈夫ですか!?すぐ引き上げますから……」
「引き上げるな!それはいい。おい、どちらか46番を取ってこい!あと、天幕の敷布も2枚!すぐにだ!」
「へえ、で、でもあれは……こんな狭いところで使うには……」
「ごたごた抜かさずさっさと行け」
低く恫喝して、縄を下りる。待つあいだ、ザクザクと手袋をナイフで切り指空きに変える。滑ってうっとうしい。
ポケットからハンカチーフと、携帯着火装置を取り出し、さらに待つ。
「お頭!無事ですか!?もう少しお待ちください!」
うるさい早くしろ。足下の骨をいくつか投げて、返事としておいた。