エレナ・クラレンス・リーヴァイス 3
リーヴァイス家は、公爵の血筋とはいえ、もはや徐々に斜陽化が進んでいるらしい。エドウィンがいくつか仕入れた商品と、託された物を手に馬車から下り立った屋敷は、それでもまだ貴族然とした風格を残していた。
高い塀に、出迎えの使用人は少ないながらも、通されたサロンの調度品は、青磁の壺や、見事な金細工の菓子箱〈キャンディーボックス〉など、芸術品としても一級のもので占められている。
「とても、見事な品々ですね。公爵に連なるリーヴァイス家の方々はとても芸術を愛されているようです」
エドウィンは、くすんだ蜂蜜色の髪を編んで結い上げ、白と萌黄の装飾を華美ではなくすっきりとさせたドレスに身を包む令嬢、エレナ・クラレンス・リーヴァイスに、心からの称賛を送った。
高貴な家柄を持つ人々は概ね小売業者のような下々の者とは直接やり取りをしないのが常なので、もちろん直接の返事などなく、傍に控えている、隙なく髪を後ろに撫で付けた初老の執事が泰然と頷き、
「この屋敷の調度はどれも一級の価値あるものを取り揃えておりますので」
牽制を含めた言葉を返す。
これは、生半可な品など出したら摘まみ出されそうだ、と苦笑して、荷物持ち兼助手に扮したアルフレッドに合図し、エドウィンはガーディスの作品を持ってこさせ、覆いをしたままテーブルに置く。
それから、片膝をつき、うやうやしく頭を下げ、
「この作品は、この世にたった二つしかない、稀なる美術品。私の知り合いから、特別に手に入れました。是非とも慧眼をお持ちと名高いリーヴァイス家のご息女様にと、こうして伺った次第であります」
とひとしきり喋ってから、一気に覆いを取る。
下から現れるのは、煌びやかな黄金の輝き。少し燻された金の籠の中の鳥は、表面に金箔の飾り細工をされ、眩いばかりとなっている。その精巧な作りに、思わず、といったように、エレナ・リーヴァイスから感嘆の声が上がり、厳めしい執事の眉が、ほんのわずかだけ動いた。
……まったく、あの後『ああ、作品の汚れは持っていく直前に落としとけよ。一応盗難防止も兼ねているからな』などとガ―ディスから研磨剤を渡され、今朝の夜明け前、美しい黄金が黒い下から現れた時の驚きは、言葉に尽くしがたい。奴は、時々こういったいたずらを、よくする。おそらく、金貨50~80といった値を付けたのも、あいつ式の冗談、なのだろう。
「とても素晴らしい細工だわ。……この鳥は、歌うのかしら」
そう執事に問いかける姿勢で告げる彼女に、
「お見せ致しましょう」
と蝶型のネジを取り出し、キリキリと巻くと、小鳥は首を傾げるような動作をして、やがて滑らかに歌い出した。
その愛らしい仕草から続く澄んだ囀りに、エレナ・リーヴァイスだけではなく、執事や部屋で控えていた侍女もまた息を呑み、鳥籠に目を奪われた。
やがて、歌い終わると、誰が洩らしたとも知れない、溜め息が部屋に落ちる。
「素晴らしいわね。これだけの作品は、手に入れたいと望む一人も多いのでしょう?」
本来であれば、ここで他の引き取り手を並べて競争心を煽り、値を吊り上げるところだが……今回の訪問の目的はそこにはない。
「先ほども申し上げたとおり……エレナ・リーヴァイス様へとご用意した品でございます。おそらく、この価値は金貨200……いえ300はくだりますまい。ですが、私めをお見知りおきくださる、ご挨拶の意味でも特別に、金貨180でお譲りしましょう」
そう言って深々と頭を下げる。
もっと高く売りつけたいのを堪えて、ここの財政も考えた上での、ギリギリの譲歩。本当に、あいつは作る物は超弩一級で頭もまわる癖して、こと金儲けに関してはその才を使おうとはせず……自然とその役目が、こちらにまわる。
頭を深々と下げ、こちらの返事を待つエドウィンに目を細め、もったいぶるように――――――実際は表情を悟られないために――――――扇で口元を覆い隠した。
これほどの品に、破格、と言ってもいいほどの値段。これなら用意させた報酬を気づかれないよう細工したうえで、機嫌を損ねた素振りで床に投げつけ、拾わせる、といった芝居を打たずに済む。
あの、荷物持ちの下男は……手伝いにしては目つきが鋭すぎる。ひょっとして、シャロンの……?
エレナはそこまで考えて、さすがに想像を広げすぎかしらと小さく苦笑し、澄まし顔で執事を呼びつける。
「良い品には報酬を惜しんだりはしないわ。ベークラント、王立金貨で200、用意して。あと、紹介状を書くから、必要なものを」
「……お嬢様。ですが」
「誠意を見せてきた相手に、礼を尽くさず、リーヴァイス家に泥を塗るつもり?それとも、私のこの目が曇っているとでもいうのかしら?」
「……いえ。大変失礼致しました。すぐに用意をさせますゆえ」
執事の目配せに、侍女が一礼して退出し、少しばかりして、紙とペンとインク壺、そして蜜蝋を、縁飾りの豪奢なお盆に乗せて運び入れ、差し出した。
壁側に備え付けられた小さな書き物机でさらさらさらと記入し、最後に胸元から印章指輪を取り出し、溶かした蜜蝋に押し付ける。それから、執事に小声で何事かを話し、執事がこちらを向き、
「こちらはお嬢様からのご厚意です。一通目は、こちらを再び訪ずれる時に必要なもの。二通目は、お嬢様からの、紹介状に当たります。それで、ある程度の融通は利くでしょう。ゆめゆめ、この期待を裏切ることのないように」
ずっしりと詰まった金貨の袋とともに執事から渡された封筒は、仄かに甘い香りがした。
「有り難き幸せに存じます。慧眼新たかな、心優しきお嬢様と、この家すべての者に、祝福がありますように」
今一度深々とお辞儀をし、アルフレッドに荷物を纏めるよう指示をして、うまくいった、と浮き立つ足取りを抑えつつ、エドウィンはその場を後にした。
馬車に乗り込み、腰を下ろすと、エドウィンはふふ、と笑みを洩らした。
「なかなか、切れ者のお嬢さんでしたね。あまりにすんなり事が運びすぎて、少々驚いたぐらいです」
相変わらず死んだような表情のアルフレッドが、
「密閉された空間にいると臭いし頭が痛い」
そう言って頭を軽く振る。
「あんな可愛らしいお嬢さんを前にしておいてそれですかあなたは」
「まあ、鼻の形から顎のラインにかけては、僅かばかり似ていた気はする」
その返事に……エドウィンは諸々のことを諦めた。それから小さく息を吐いて気を取り直し、
「あれほど機知に富んだ女性は珍しい。まあ、男尊女卑の風潮の強い貴族社会ではやや生きにくい気もしますが。そしてこの同封の紹介状……リーヴァイス家ではなくエレナ・リーヴァイス個人からのもの……ということであれば、その価値はほぼ無いに等しい。……普通ならば」
シャッ、と封を短刀で開け、カードを2枚取り出す。
「ええと、かいつまんでいうと“この者が誠実な商人であり、良質の品物を”云々とありますが、ここに」
エドウィンがカードの下、エレナのサインから、不自然に空いた空白を示すと、インクのない羽ペンでひっかいたような跡があり、目を凝らすとそれは、かすかに“組合 ⅵ-349”と書かれていた。そしてそのちょうど後ろに印章が捺されている。
「これをなぞり、組合で提示しろ、ということでしょうね……知られる危険を最小限に抑えた、うまいやり方だ」
ふうん、そんなものか、という気のない返事のアルフレッドに苦笑して、エドウィンはそのカードを大切に、仕舞い込んだ。
貸衣装を返し、翌日すぐにガ―ディスの元へ報告にいくと、奴は変わらず汚部屋にいて、机に向かい、一心不乱によくわからない数式と設計図をカリカリと記入していたが、呼びかけに振り向くと案の定にやりと笑い、人を食ったようにこう言った。
「どうだ驚いたか?なかなかの傑作だっただろ?俺の取り分は150でいいぞ」
商人たちが立ち去ってのち、鳥籠の重さとその光具合を片眼鏡を片手に確かめていた執事は、顔を上げると、背筋を伸ばし、胸に手を当て微笑んだ。
「いい買い物をなさいましたな、お嬢様。これは素晴らしい、の一言に尽きます。さすがにすべて純金……というわけではないようですが、ある程度の純度があり、何より、この細かな意匠と絡繰りは、名のある細工師の手によるものかと……。おそらく、依頼主の意にそぐわなかったか、もしくは、事情により手放さざるを得なかったものが流れてきたのでございましょう。おそらく、あの男の述べた価値の倍、いや、それ以上はありますな」
茶色の瞳が讃えるように暖かく緩んだ。
エレナもそれに、花が綻ぶかのような柔らかな笑みを返して、
「そうね。とても美しく、珍しい品だから、久しぶりに人を呼んで、盛大な社交界を開きましょう」
執事はその提案にしっかりと頷いて、「素晴らしきご判断であり、応対でした。このベークラント、お嬢様の成長ぶりを間近で感じ、胸が打たれる心地が致しました。招待客に関しては、お任せください。すぐに目録を確認しまして、その候補を選んで参ります」
そう告げると彼は一礼し、優雅に、しかし親しい者からすると、いそいそ、という表現がピッタリな足取りで去っていった。
彼、ベークラントが声を荒げたところなど、見たことがなく。常に自分を律しながら私情を挟むこともなく、私たち家族の陰になり日向になり、このリーヴァイス家に尽くしてくれている。……彼にもまた、労いを考えなければ。
しばらく一人で見ていたいから、と、東側のサロンに運ばせた黄金の鳥を眺めながら、解れかけた髪を後ろへやり、紅茶とお菓子をついばんだ。
鳥籠の中の小鳥は、ネジを巻けば、いつでもわかっている、とでもいうように自信を持って頭を上げ、役目を果たす。その愛らしさと歌声の美しさを目にした人たちは、皆、きっと賞賛の言葉を送るはず。
…………籠の中の鳥が不幸せなんて、誰が決めたのかしら。
「シャロン……死んだりなんかしたら、絶対許さないんだからね」
私は、ずっとここで……この狭い世界の中で、それでも誇り高く頭を上げて、生きていく。そんな、私の言葉は、部屋の陽だまりの中。誰にも知られることなく……鳥籠の小鳥だけが静かに耳を傾けてくれていた。
中央都は今日も、ざわざわと騒がしい。やがて来る収穫祭に向けて誰もが浮き浮きと家を飾るオータムリースを作り、通りを掃き清め、その準備を少しずつ整えていく。街には秋薔薇や、マルベリーやクランベリーの甘酸っぱい香りも漂っている。今年は、特に花つきがよく、果物も当たり年だよと、売り子の呼び声も弾む。
だが、アルフレッドの時は、止まったまま。
やっとの思いでそこに立ち、ただ息をしているアルフレッドに、エドウィンは告げる。
「ガ―ディスの言う通り、可能性は低いですが無いわけではありません。私は、リーヴァイス家のお嬢さんから預けられた資金を元手に、情報を集めます。遺跡、魔物……そういったものの集まる地が、足掛かりとなるでしょう。彼女の好意を無駄にしてはいけません」
そう、幾ばくかの旅費と、首都の手近にある、遺跡への地図を彼へ渡す。
「彼女といった土地へ向かってみるのもいいでしょう。それは、きっと無駄ではない」
「……また、そのうち連絡を取る」
ぼそりと、最後の最後まで不愛想なアルフレッドに、
「ええ、また」
にっこりとエドウィンは頷いてみせた。
……エドウィンは、シャロンが助けられる確証があったわけではない。むしろ、彼女を助けられる見込みなどないだろう、と踏んでいる。だからこそ……アルフレッドに手を貸した。
彼の才能を、このまま潰えさせるのは惜しいと。
あの、魔素溜まりのような世界が崩壊し、遺跡へどう影響するかも知れず、これから起こりうるであろう、魔獣の活性化には、凄腕の戦士、人々を救う力を持つ‘英雄’が必要となってくる。
……これは、所詮先行投資に過ぎない。
アルフレッドの旅の先が、どこへ繋がるのか、その答えは…………未だ不明のままとなっている。