エレナ・クラレンス・リーヴァイス 2
少し短めですが切りがいいので投稿します。
父は、まるで卵白でできたお菓子のような人だった。優しいが、捉えどころのなく・・・・・・ふわふわと、気の赴くまま、芸術鑑賞に社交場パーティにと、渡り歩く。
公爵と結婚できた、と母は浮かれていたわ。侯爵家からさらに上の家へ嫁ぐのは誉れ。多い愛人の中から、自分が選ばれたのだもの。
いそいそと嫁いだ先には、鉄錆色の髪に、陰気な表情をした、娘がいたとしても、それはなんの障害にもならなかった。
きちんと面倒をみてあげているのだから、感謝して欲しいぐらいだわ、と母はよく言っていた。私もそう思った。だって、私の方が、お勉強も刺繍も、乗馬もできるのだもの。本当に、お姉様ったら愚図なんだから。
若い家庭教師がついて、また変わる。お父様のあれは、病気ね。気まぐれに味見して、まあこんなものか、と捨てて、罪悪感すら残らない。
年を重ねるたび、母には余裕がなくなる。美しく整えられた顔も、肌の張りも、永遠ではない。
何回かの繰り返しののち、やっと既婚の、容姿が平凡な女性、と条件をつけることを覚えたわ。本当にすべてがそう……とは思わないけれど、いったい、どれだけ醜聞が撒き散らされたのかしら。
見栄っ張りの母と、浮き世離れした父は、少しずつ、少しずつ財を削り、気づいたときは家令も真っ青になるほどの借金が積み重なっていく。いくつか、別荘を手放すことになり、その最後のお別れにと訪れた先で、姉が逃げた。
年嵩の、脂ぎった老年男に嫁がされると知っていたから。
その頃の私は、本当にどうでもよかった。勝手に逃げればいいじゃない。夜会のたびに、相手の顔色を窺ってばかりの姉。嫁ごうと、そこらの無法者に命を散らされようと、知ったことじゃないわ。
母は、こちらが驚くほど、激昂した。
「よくもまあ、あそこまで恥ずかしいことができたものだわ。育てた恩も忘れて。……いいわ、全部処分なさい」
そう、執事と侍女長に命令してから、
「エレナ……長女は、別荘地で体調を崩し……命を落としたことにしましょう」
「はい、お母様」
感情を波立たせ、疲れた様子の母は、ふと、窓の傍らに飾られた薔薇を見て呟く。
「ああ、蕾が萎れてしまったわね。もう捨てなければ」
姉の持ち物はすべて家令と侍女長が手配し、わずかばかりの足しとなり、いくつかの服と装飾品は、私の手に渡る。身つける気にもならなくて、それらはすべて衣装ダンスの奥へ仕舞われた。
姉が逃げてしまったので、そこで財の補充策は、浮いたままになり、代わりに私を、という声も向こうから上がったのだけど……母が渋るうちに、いつか話は経ち消えた。伯爵は別の獲物を見つけたらしい。
母は、ことあるごとに、
「エレナ……貴女は、違うわ。あの礼儀知らずのようにはならないでちょうだい」
そう告げるようになった。
何を怯えているのだろう……一度こっそり、私の日記を読んでいたことがあり、咎めれば、娘のことを母親が知るのは当然よ、とはっきり言われ、返す言葉がなくなる。
そうこうしているあいだにも、月日は過ぎる。少しずつ、これまでは見えていなかった綻びも、見え始めてくる。
家令は、公式に姉が‘亡くなる’まではと、こっそり人を雇い、探させていたらしい。
しばらく経った頃にこっそりと、シャロン様は、まだお元気でいらっしゃいますよ、と私に教えてくれた。……そんなこと、何の意味もないのに。
その家令は主に母と父に対して、頻繁に同じ台詞を告げるようになっていく。‘もう少しお控えください。このままでは……’
父は表面上は納得したように頷くものの、その生活をまったく変えようとはせず、母にいたっては聞く耳すら持たない。
少しずつ、リーヴァイス家は沈んでいく。
この家……こんなに寒かったかしら。
「まったく最近の人たちは……礼儀知らずが多くて困るわね。この前だって、」
違うの、お母様。私たちが変わってしまったのよ。これまでのように派手に、上質なものをふんだんに、とはいかないの。使用人も少しずつ減らさざるを得なくなり、パーティの規模はともかく、中身の質が落ちれば、自然と、集まる人たちも、質が落ちる。
来ないのならこちらから出かけなくては、と、母の出歩く頻度が増えた。傍にくる人間も限られ、その場限りのお世辞を口上に乗せて、陰で流行遅れ気味のドレスや、代わり映えしない宝飾品などを話の種に、陰で笑う。
変わらない父と母にしびれを切らした家宰から、相談という名の苦言を持ちかけられることが、重なってきた。領地のことなど、まったく手をつけていなかったから、わからない。話を聞けば聞くほど、ただ漠然とした、不安だけが広がる。
家令に無理を言って人を雇い、姉に接触をつけたのもこの頃。どうしてだろう。あれだけ嫌っていたはずなのに……今はただ、姉妹でいたあの頃が懐かしい。
シャロンも、独りで苦境を生き延びている。その姉からのとぼけたような手紙を読むたびに、少しだけ、強張って冷えた指先が、暖まるような気がした。
多少ドレスや宝飾品が見劣りするものであっても、マナーは完璧に。
綺麗に髪を結い上げ、好感を持てるよう控えめに丁寧に化粧を施したその下で、常に意識を張り巡らせ、社交場の会話に遅れることのないように、また、相手を立ててわきまえるように話術を磨く。
招かれた社交パーティで、少しずつ少しずつ知り合いを増やし、穏やかな、人の良さそうな相手を選び、味方を増やす。
「ねえ、エレナ。ベスウィックの娘、ミュリエルといったかしら……最近、よく一緒にいるわね」
「ええ、お母様。親しくさせていただいてるわ」
「商人の娘でしょう?貴女にはふさわしくないわ。あまり、下の人と付き合うと、品位を疑われますよ」
「お母様、ミュリエル・ベスウィックのお父様は確かに商会を持っていらっしゃるけど……とても交友関係が豊かで、今一番話題の方なのよ。噂では、近々男爵位を授けられるとか……」
「あら、そうなの。男爵……それでも不釣り合いに感じますけど、それなら、まあいいわ」
手の平を返すように表情を変え、あなたのことを心配しているのよ、とささやいて軽く抱擁してから部屋を退出するお母様。
「……喉が渇いたわ。紅茶を入れてちょうだい」
「はい、お嬢様」
ゆったりとしたビロードの肘掛け椅子に座り、運ばれてきた紅茶とビスコッティを摘まむ。
「疲れたから少し休みたいの。誰も入れないで」
目元を押さえてそういえば、よく知る侍女は、ひとりにしてくれた。
私は、美しく、また、珍しい調度品や骨董品が好きで、あらゆるところからその情報を集めたいと思っている、と、まわりには伝わっている。
様々な店や、商人からの手紙に紛れて届く姉からの手紙は、書き物机の絨毯右側の、床板の下に。決して、気づかれないように。




