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H30年4月19日再改稿しましたm(_ _)m
※戦闘シーンに伴う残酷描写や流血描写があります。ご注意ください。
アイリッツの人形を一分の隙もなく叩きのめしたゼルネウスは、しかしなぜかその場に留まった。
彼の瞳は――――――どろり、と色が濁り、ぼんやりしたかと思えばまた面白がるような色が浮び、忙しない。
所詮は……仮初めの、力か。
アイリッツは睨みながら、肩で息をする。すでに既知であり、過去の技では、敵わない。そして、繰り出すこちらの消耗も、きつい。
互いに沈黙が続くそのひととき、ゆっくりと息を吐きながらシャロンはアイリッツに、
「……やっぱり、直接触れての方が効率がいいのか?」
そう確認した。
「当たり前だろ。ここは奴の場だぞ」
苦い顔をしたアイリッツから言葉が返ってきた。軽口を叩きながらも、視線は常に‘彼’へ。まるで吸いつくように離せない、そんな雰囲気を奴は持っている。
……さざめいている。“気”が波立つ。何かを確かめるかのように、瞬きを繰り返す。
攻勢にまわることもなく虚空を眺めていたゼルネウスは、やがて視線をこちらへ戻した。
「もう一度聞く。引く気は、ないな」
わかっていながらの、敢えての問い。
「んな質問するなよジジィ。もうボケたのか?」
そう、不敵な笑みを浮かべながらアイリッツが挑発する。
あんまり顔色がよくないな……。
アイリッツをそう観察していたシャロンは、自分も気合いを入れるため、パシパシと頬を叩き、口元を吊り上げてみた。……顔は、まるで10年ぐらい笑ったことがないかのように、強張っている。
ついでに、ほぐしておいた。
「何やってんだ……」
アイリッツから呆れたような突っ込みが来た。……まあ、それはさておき。
少し前から、ゼルネサウスを見る際、かすかに、途切れがちにだが、魔力の波のようなものが感じ取れているのは……。
シャロンは凝らした目をゆっくり瞬きした。
少しずつの変化……何回か死にかけたのも無駄じゃなく、前進している。そう自分に言い聞かせ、敵を見据えるシャロンを、ゼルネウスが、感情の抜け落ちたような読めない表情で向いた。すらり、と自然体で剣を抜き、横に添える。
張りついた仮面のように感情は読み取れず……しかし、決して無表情ではないと感じる。
いくつかの複雑な感情が常に渦巻き、絡み合って凍りついたかのような面の表層へ浮かんでは消えていく。
「さて……行くか」
とそう、わざわざ宣言してきた。
……戦い方を変えてくる。
シャロンが先手を制すか反撃か二人を振り返れば、留まっている。
待った。私は、今どうして振り返った。
ゼルネウスのあの空気に呑まれたのかも知れない。
慌てて向き直れば、しかし予想に反して攻撃は来ず、慌てて視線を戻すシャロンと同時にゼルネウスが姿勢を低く、こちらに駆ける。これまでとは全く違い、捉えられないほどではない、速さで。
しなやかな獣のようだ。あれだ、獲物を弄ぶ時の……。
シャロンたちは迎え討つため、挟み込めるよう距離を開ける。
ゼルネウスのその動きは、反撃を誘い演舞を舞うかのように、ゆるやかだった。しかし、隙はない。
やたら遅い剣がこちらを狙い、反撃をしようとすれば、剣が取って返す。弾かれ、止まり、一気に突き返される。
「くそったれ!」
二、三度も打ち合わないうちに、ゼルネウスといつのまにか距離が空き、間合いが無いかのごとく詰められた。
無表情のまま、ゼルネウスは剣舞を踊り……速度が上がったかと思えば、急に遅くなる動きは、やりにくいが、パターンがある。捉えられなくはない。
どす黒いような、重厚な“気”の気配が増した。ズッ……。ゼルネウスの足が、大地に沈む。そして、その姿が掻き消えた。
剣をかざし詰めてきたゼルネウスを確認したまま散開し、剣を抜き、アルとタイミングを合わせて斬りつける。用心はしたままで。
ガキンッ
硬い手応えが返り、ゼルネウスの動きも遅い。はっきりそれとわかるほど。彼の鋭い眼差しと目が合った。
前にいたはずの奴が背後に立ち、アルフレッドがそれに剣を振るう。
驚きに脈打つ心臓を感情ながらすぐさま風を使い飛び退り、再び剣を突き刺した。
やはりその剣は捉えられず躱される。
ゼルネウスは静かに長く息を吐きつつ、ゴキリと首を捻り、
「……なかなか、敵わんな」
重そうに一歩を踏み出し、わずかに眉を顰め再び剣を構えた。
重そうに……?
彼は先ほどよりも、踏んだ足は沈み、眉間のしわが深い。
動きを止めたゼルネウスに、アルが、仕掛けた。さらにその先を読み、動くその正面から避けられないタイミングで一撃を繰り出すが、腰を落とした彼の頭上の剣で受けられ、跳ね返される。
ふっと剣を下ろし、ゼルネウスが立ち止まった。
「……来る」
アイリッツの言葉と同時に、虚空に剣を振るう。
シャシャシャシャと半円の連なりに振るわれたその動きに従い、剣筋が幾筋も華弁のように重なり、シャロンたち三人の方向へ、開いた。
襲うは不可視の重厚な“気”の刃。
………いや、アイリッツが刃に自らの“気”を練ってぶつけ、速度を緩めようとし、
「追いつかねぇ……ッ」
次々に生まれる刃に対し、せめてもとアイリッツは視認できるよう刃にその‘気’を纏わせ追従させる。
幾重にも連なり、逃げ場を奪うように絶妙なタイミングで放たれる刃。避けきるのは至難の技だと、シャロンはそのうち一つを剣で受けようとし、圧し潰されそうなほどの重さに慌てて軌道を逸らしざまに擦り抜けた。
ゼルネウスから生まれ、放たれ続ける銀色を纏う刃。一つ一つが死刑執行人の斧より平たく薄く、長く速い。
アイリッツ、アルフレッドも下がり、慎重に且つ素早く、かろうじて避けながらも、数十、数百とすら思える攻撃の中心に立つゼルネウスから片時も目を離さず、じっと反撃の時を待つ。
……いや。
シャロンが気づくのと同時に、ゼルネウスがふ、と口の端を上げた。
「盛大に、な」
中心から放たれる刃が一気に増えた。
「まずいッ」
シャロンが三人全てに、風の結界を張る。
「防げる隙などないぞ」
呆れたゼルネウスの呟きなど拾っている暇はない。ゼルネウスは自らの立ち位置から刃を放つと同時に、これまで放ち続けていた刃をすべて呼び戻した。
そして溜めた“気”を放出し続け身軽になったゼルネウス自身も地を蹴り、移動する。
ザザザザザザザザ
外から中心へ。中心から外へ。吹きすさぶ風、否、刃の動きは中心であるゼルネウスが動くことにより、さらに軌道が複雑さを増す。
細切れにされてもおかしくはない、シャロンの張る風も、アイリッツの結界ですらも簡単に撫で斬る刃が前後に入り乱れシャロンたちを襲う。そう、急に立つ夜の嵐のように。
シャロンが結界の性質を操作し、刃を防ぐのではなく、風の反動で避けられるようにしたが、そのためアルフレッドとアイリッツは双方ともに、攻勢の刃とぶつかりあい、錐揉み旋回、蛇行状態に追いやられ、アイリッツが何か――――――自力で避けるからこれを解いてくれ、みたいなことを叫んだため、アイリッツのみシャロンは解放した。
風の結界も慣れれば、少しずつ方向を操作できるが、それでも自由自在にとまではいかない。
その、無尽蔵な刃の嵐の中を、ただ、中心地であるゼルネウス一人だけが自由に、行き来する。
アイリッツの力で可視化され銀に縁取りされた刃が、ゼルネウスに戻る瞬間、肩に当たってパッと砕け散り、上着を滑り落ちた。
「やっぱ無理か」
どうやら刃に何かを仕掛けたらしいアイリッツが舌打ちし、何事もなかったかのように袖に掛かった銀の粉をゼルネウスが払い落とす。
返る刃のいくつかは同じように輝きを放つが、速度さえ緩まらず、余裕ある表情でゼルネウスが狙い討とうとしたアルフレッドに対し、先手を打ちシャロンは風で吹き飛ばした。しかし、その先の刃に狙い撃ちされ不規則な軌道を描きながらアルフレッドが落ち、奴がこちらを向く。
ああ、絶望が来る。どうせなら盛大に。
シャロンは風を纏い同時に爆発させて、逃げを打った。……残酷な壁の刃のあいだをすり抜けるようにして。
しかし、奴の方が速く、シャロンを捉えた。シャロンは無理やり軌道を崩し、その凶刃を避ける。
「アイリッツ!今だ!」
シャロンは必死で頭上まで来ていたアイリッツに叫んだ。
「わかってる!」
無茶ぶりをしたにも関わらず、アイリッツが落下する勢いと自重を乗せ剣を突き立て、ようとして硬質な何かがそれを防いだ。弾かれ、大きく体勢を崩したところへ、幾多の刃が襲う。ゼルネウスはそのまま身を捻りシャロンの肩口から右腕までを斬りつけた。ぶらりと垂れ下がり、ここまでひどいと痛みもないのか、妙に現実感のないまま血が噴き出す――――――。
「!?」
ドス、と鈍い音が走り、背後からアルフレッドが、ゼルネウスに剣を立てた。わずかに驚きの表情を浮かべたまま、ゼルネウスが剣を振るい、その剣はアルフレッドを弾き飛ばす。
「……シャ、ロン」
蒼褪め涙を滲ませ、それでもアイリッツが撥ねられた右腕を即座に快癒で元に戻す。
刃の嵐はぴたりと止んでいる。
「なぜ」
短くそう告げ、不可解だ、というように背に傷を受けたまま、ゼルネウスが首を小さく振った。
トン、トン、と跳躍しやがて戻ってきたアルフレッドが、
「これが、俺たちの、仲間の力だ」
堂々と胸を張った。
…………ごまかすにも、ほどがある。いや、連携という意味では、間違いじゃないのか。
シャロンは呆れつつも、俯いて小さく肩を震わせていたアイリッツに、
「タイミングばっちりだったな。よかった。死ぬかと思った」
そう冗談めかして言えば、ややあってアイリッツは顔を上げ、目元を乱暴に拭い、アルフレッドの元へ向かって、大きな傷もなく、一撃入れられて得意げなアルフレッドの姿に、目を見開いた。
彼が纏うのは風の、多重結界。通常は薄くアルフレッドを覆っているものの、状況に合わせて外部から空気を取り込み、もしくは内から排出し、強度、厚み、たわみを変化させるようにできている。そして、おそらく彼は、その風の結界に後押しされ、刃の壁を蹴り、あいだを渡って来た。
それ、は。何があっても、アルフレッドを守るという、シャロンの決意の表れ。
そのことに気づいたアイリッツに、指摘されたら羞恥で死ねるから、頼むから口にするなと、シャロンが必死に目配せで合図した。
「ふ、くくく、あはははは」
ゼルネウスが顔に手を当て、空を仰ぐ。しばらくウケたようで、笑い続けている。
……なんだか不気味だ。その場の誰もが、凍りついたように彼を見つめ、動かずにいると、
「ああ、胸が躍る。こんなに楽しいのは、久しぶりだ。だが、残念だな」
笑いをようやく収めたゼルネウスが、改めて剣の柄を握り直した。それでも揺るがないと、暗にそう告げて。
…………背中の傷は、すでにない。
「この、戦闘狂」
まだまだやる気に溢れたこの世界の王に、アイリッツが苦々しく呟いたが、アーシャがここにいたら、彼女もまた、ちょっとした呆れを込めて同じことを呟いていたかも知れなかった。