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申し訳ありませんが、ネタバレを避けるため、この章は各話すべて前書きに流血、残酷描写有りの警告を載せさせて頂きます。ご了承くださいm(_ _)m
※流血、残酷描写があります。ご注意ください。
最後の戦いが、始まる。
アーシェは、夜の星空を見上げ、口に手をやり、白い息を吐いた。
砂漠の中の、眠りについた街。……まだ、シーヴァースは残っている。その中の人々ごと、幸せな眠りについたままで。
例え結末が負であっても、彼らは幸せな夢を見続ける。それは、救いなのかも知れなかった。
ゴン、と閉じた中央都の門を叩き、俯いてまた白い息を吐いた。彼らが失敗しても、これまでと同じ。繰り返すだけ。でも願わくば――――――。
彼の、煉獄の歩みに終焉を。
アーシェは、分の悪い願いだと分かりながらも、手を組み、目を閉じて祈りを捧げた。……請い、願うように。
そう、これまで数え切れないほど繰り返してきた時と同じように――――――。
淡く光に包まれたまま、シャロンたちは薄暗い執務室へ戻ってきた。
窓の外は晴れ。黒い軍服にも似た意匠に身を包む男は、瞳に鈍い春空を映し、やがてこちらを向く。そして――――――ぱしぱし、と明るい陽の光を見た者がするように瞬きをし、目元を手で揉んだ。
六十路一歩手前の、壮年の男。後ろに濃灰色の髪を撫でつけ、その鋭い眼光は、老いを微塵たりとも感じさせないでいる。
「覚悟の程は、見せてもらった」
低く、しっかりと響く声。讃えている。そんな口調。
……なぜだろう、先ほどから震えが止まらない。
「ここでは、少々手狭だな」
ギシリ、と椅子を軋ませ、これまでずっと座りっ放しだったかのようにゆっくり立ち上がり、背筋を伸ばした。――――――背が、かなり高い。アルフレッドと比べても、頭一つ分はゆうに超えている。
一歩、二歩。長身の男が歩むに連れ、執務室の壁、調度品、床が薄れていき……それと引き換えに闇が影を増す。
シャロンたちの驚きを置き去りに、静謐さに満ちていた部屋はやがて消え……天井にも足元にも、星のない夜空のような闇が黒々と広がった。
――――――否。散り散りに、あちこちに、もはや片手で足りるほどの、星にも似た輝きが淡く瞬いている。弱弱しいその輝き。自分と、仲間も同じく光っている。暗闇の中で、その光がどれだけ愛しく感じることか。シャロンは、知らず入っていた肩の力を落とし、息を吐いた。フン、もったいぶりやがって、とアイリッツが吐き捨てる。
「ただ自分が滅びる瞬間を遠ざけたいだけだろ?安心しな、完膚なきまでに叩き潰してやるよ」
強がりとわかる笑みで、ゼルネウスを挑発するも、相手は微動だにせず、ぐるりと首をめぐらせ、
「……気づかぬか」
ふ、と息を吐き呆れ顔を向けた。
「なに?」
「いや……。どのみち、末は同じ、か」
星の瞬きが消える。一つ二つ三つ……目の前の男の存在感が増す。ずしりと、直視できないほどに。
拭っても消えぬ手汗。体の震えが止まらない。一言も喋らないアルフレッドは、と見れば、滝のように汗を流し、傍目にも分かるほど震えていた。
シャロンはその冷たくなっている手をしっかりと掴み、自分自身にも激を入れた。
ゆっくり、背筋を悪寒が這い上がり、冷えた汗が下りていく。
「祈りと、別れを告げるための時間が必要ないのなら。それでは、戦おう」
輝きは消えた。空間が歪み、辺りは姿を変え、足元に広がるのは、赤みがかり荒廃した大地。他には何もない。曇り空の下、曖昧な地平線がどこまでもどこまでも伸びている。
ゼルネウスの台詞が、どこか寂寥感と慈愛に満ちて聞こえたのは、ただの、錯覚かも知れない。
「行くぞ」
彼はそう宣言し、剣の柄に手をかけた。
シャロンたちも、それぞれ武器に手をかけ、身構える。緊張の高まるその刹那、何かに気づいたアイリッツが蒼白な顔で叫んだ。
「逃げ――――――」
パシパシパシッ。
しかし、何も起こらない。
冷たい、嫌な風が首筋を撫でた、と思っただけで。アイリッツが蒼白で何かを止めようと口を開きかけたまま、固まっている。ゼルネウスの姿も、変わらぬ、構え――――――。
ブシュウ。
シャロンの目の前で、アルフレッドの体から、血が吹き出し、物も言えず倒れていった。
バシャッ、と血の中へ崩れ落ちる嫌な音が響く。
いつのまにか腕輪の石が、すべて砕けている。
なんのてらいも躊躇いもなく。水が下にゆるやかに流れるかのごとく自然に再び柄に手がかかる。警告のような背後からのさむけ。驚愕に目を見開いたままのシャロンが、振り返り、構えるゼルネウスを映す。
そこに、“死”があった。人の形をした、黒い、死が。すぐ傍に。
だれ、か、アル、を、た、す、
バシュ、と音を立て、痛みも衝撃すらもない“死”が、彼女を抱く。
懇願を口に乗せることすら叶わず、シャロンはやがて、自らが作り出した血溜まりの中へ、倒れていった。
油断した。……そう、いつからだ。アイリッツは絶叫する時間すら惜しみ、すぐさま血溜まりの中のシャロンとアルフレッドを結界で包み込む。まだ、息はある。ほとんど、絶命状態だが。
背に二人を庇い、気力を奮い起こして、アイリッツは黒の“英雄”の前に立った。
「糞が……封じるとはな」
震える拳を握り締め、ぎらぎらと睨むその前で、男は笑う。当然のことだ、と。
「よく言う。人から盗んでおいて……その代償を貰っただけのこと。クヒィラの封印の効果は、さほど長くはない。だがな。知っているぞ。おまえの正体を。おまえは英雄になれるはずだった男の‘影と、行き場を失った、人々の‘克己心’との集合体。その力は、無限ではない」
「はッ。力が有限なのは、てめえも一緒だろうが。このくたばりぞこないの、糞ジジイが!」
アイリッツは剣を抜く。奴相手に、双剣ではきつい。すぐさま二つのエネルギー体は縒り合され、一つの剣を形造る。
「頑張ってくれよ……」
ガガガガガッ キィンッ
アイリッツが衝撃波を籠め、振るのと同時に、ゼルネウスが予備動作なく、剣を振り下ろす。潰されては叶わない。大地に亀裂が走るほど重い剣を受け流し、跳ね返す。さらに‘力’を宿し、いくつも刃を飛ばして牽制する。にやり、との形容が相応しい表情で相手が笑う。
まったく年を感じさせない無駄のない動きで、細身の剣が振るわれ、鎌の刃部分にも似た不可視で密度の高いエネルギー体が、うっすらとカーブがかっているその刃の動きに合わせてブン、ブン、ブン、といくつも振り下ろされ、地面に突き立った。
時間差で、弾けていくつもの欠片に分かれ、跳ぶ。
「うわっち」
咄嗟に手をついて、地面を這うように滑る刃に“力”をぶつけて相殺した。背後に倒れ伏した二人の身体にも容赦なく攻撃は降り注ぎ、それを防ぎながらの戦いは、正直、辛い。
溜め込んだ“力”は、互角なはず。それならば、彼らを見捨て、全力でぶつかれば……。
ふと浮かぶ思いつきに、苦笑する。……たとえそれが正しいとしても、どんなに苦しい戦いをこれから強いられるとしても、それは最初から選択肢にはない。
なぜならオレは――――――アイリッツ、だからだ。
いくつも‘力’の球体を作り出し、まとめてゼルネウスにぶつける。同時に、動く。奴は、抜いた。不規則な動きでそれらを避け、時には斬り崩しながら、怖ろしいほどの速さですぐにアイリッツに迫る。
剣を抜く、かと思いきや、ゴスッ、と威力のある蹴りが来た。剣を握る左手首に、痺れが走る。それでも放さなければ、反対から回し蹴りが顎を狙い、剣を傾けて防いだものの、そのまま吹き飛ばされる。
「結界を放置するのか?仲間が死ぬぞ」
すら、と抜いた剣を、突きの構えにし、ゼルネウスが脅す。それはもう、楽しそうに。簡単に突き破れるのだと、言わんばかりに。
「そんな卑怯な手口には惑わされねえよ」
そう言うが早いが、アイリッツはゼルネウスとの間合いを詰めた。攻撃は最大の防御。剣を振るい、防がれ、右手で魔弾を篭めた銃を抜く。
ギンッ
パラ、と弾が剣により斬られた。
「……そういえば、いたな。そんな輩も」
「らしくはない。らしくはないが……そうも言ってらんねえんでな」
アイリッツは顔をしかめた。存在意義……それが揺らげば、揺らいだ分だけ自分を保てなくなる。誰かの無念。誰かの意志。今、ここで使え、と扉を叩く。
一発、二発。魔弾が飛ぶ。剣で斬られてはいるが……あれも、想念の塊だ。削られれば、ダメージを与えられる。
アイリッツは、今一度、結界で守られた二人を見た。早く回復して、目を覚ましてくれ……と思う反面、このまま寝ていて欲しい、とも思う。
起きたら、きっと地獄が待っているから。