VS クヒィラ 7
長らくお待たせしました。今回もまた戦闘シーン有につき、苦手な方はご注意ください。番外も一応8月中に更新してます。よければ読んでください。
個々にいるより一度、戻った方がいいかも知れない。
奇妙に明滅しながら、ゆるりと身を翻し、集まりつつある白の魚擬きを、銀の風の刃でいくつも粉砕しながら、シャロンは跳躍した。
ところどころに残る砂岩伝い跳び、合流しようとするその動きを察知し、
「おい、アル!手伝え!」
「うるさい。わかってる」
大声を出されたアルフレッドがアイリッツに手で煩わしいものでも払うかのような仕草を見せ、すぐ傍の石柱を狙い、剣を振り下ろす。
いくつも縦に滑らかな断面を見せて切断された石柱の欠片はアイリッツによってその方向を変え、砂地の上を滑り、流れていく。
「シャロン、乗っかれ!」
アイリッツの言葉に、シャロンが岩の流れを見定めながら、渡る。
集う魚たちは一つ一つは遅く、群れながら行く手を阻み、阻んではシャロンに破砕され、白い体がきらきらと散っていく。
背後から突然長く大きな生き物が突っ込み、シャロンが咄嗟に弾くも、勢いを殺しきれず、ひやりとするほど鋭い牙を持つ、胴長の鮫にも似た生物が頭上ぎりぎりをかすめ、優雅に長い尾をくねらせ去っていく。
追撃する間もなく、邪魔しにまた寄りくる奇妙な魚の群れをシャロンは再び散らし、砂の海に雪のようにその欠片を降り積もらせた。
トン、トン、と滑る岩を渡り、あと少しで二人へ合流できる、その途中で、シャロンはかすかな振動を肌で感じ取り、
「二人とも、何かおかしい!気をつけろ!」
と叫んだ。しかし叫んだものの、その正体がわからない。
地面ではなく、空気の振動。震えからくる違和感は上。砂岩と砂岩を移りながら、シャロンは空を振り仰ぐ。
空には黒雲が沸き、降り出しそうな、と考えた刹那、シャロンはすぐにその考えを振り捨て、目を凝らした。
雲霞……ではない。この世界に来たばかりの頃出会った蝗害でもない。空に浮かぶは無数の黒い、何か。
「岩……」
アルフレッドが目を見開き、洩らす言葉が届いた。アイリッツもげッ、と低く唸る。竜巻により、どこか遠くへ飛ばされたはずの岩が、遥か上空から、こちらへ降り注ごうとしている。
瞬間的に、シャロンの頭にさまざまな考えがよぎった。あれほどの高さでは、直撃までまだ間がある。しかしここまで到達したら最後、風の結界では防げない。リッツの結界では……クヒィラの能力からして、防ぐのは厳しいと考えていいだろう。じゃあ、どうするのか。
「アル!剣で砂を深く割れ!リッツ、結界の待避所を!」
叫ぶあいだにもビリビリと震えは大きくなり、アルは無言で剣に‘力’を溜め、砂の大地を打った。凄まじい勢いで二つに割れた砂柱が上がる。気を取り直したアイリッツが結界を練る。
シャロンが二人の元へ跳躍し、合流した時、一瞬、空気の震えが止んだかに思えた。
ドスッ。ドスドスッ
遥か高みの空から、凶器の一部が到達し、激しく大地が揺れる。それを皮切りに、一気に、無慈悲な雨が降り始めた。
ドドドドドドドドド
暴石雨。もはやまわりなど見えぬほどの、激しく容赦ない岩の攻撃が、地上に絶え間なく降り注ぐ。
荒ぶる雨が到達する直前に砂の奥、深くに避難したシャロンたちは、暗闇の中、じっと息を潜めていた。
「ちょい不便だから、照らしとくぞ」
アイリッツが何かしたらしく、ほわり、と白い光が砂に囲まれた周辺を照らし出す。明かりが、涙が出そうなほどありがたく感じて、知らず知らずのうちに詰めていた息を、吐いた。だが、状況は予断を許さない。
来る!私が奴なら、この好機を逃したりしない。
アルフレッドとアイリッツも同じことを考えているようで、剣を緊張の面持ちで構え、じっと耳を凝らしている。
「リッツ……これはチャンスだ。奴は絶対にここに来る」
魚に襲わせるかも知れないが……どちらだろうか。いや、意外と襲わせて逃げたところへ、一撃を食らわせてくるかもしれない。どちらにしろ、動きを読みやすくなる、はず。
暗闇の中、手が冷えている。上の方で岩が激突する振動がここまで伝わってくる。
……私たちの命は、必死で支えなければ、押し潰されそうなほど、儚い。まるで弾けて溶けて消えてしまう泡のようだ。
最善を尽くさなければ……。
シャロンはゆるく握っていた手を開き、風の集まりを3つ、浮かばせた。くるくるとゆるやかにまわりながら2つが離れ、アルフレッドとアイリッツの元へ向かう。
広がった風の結界に、少しばかり工夫して、
「うわ……すげぇ」
外と内に膜を張り、あいだに風を閉じ込めた。
慎重に調整しなければ、弾けて散ってしまう、泡沫のような二重結界。
緊張と、極限の集中とで、シャロンの顔は、白い。……冷たく、嫌な汗が身体を滑り下りていく。
「例の作戦でいくなら……こいつは恰好の目印だな」
アイリッツが苦笑して風の結界を外し、縮めて自分の外に置いた。
「オレの気配を纏わせて、オレの代わり、っと」
なんとか風を保ち続けているシャロンがともすれば上がりそうな呼吸をなんとか整えながら、
「リッツ……クヒィラは」
「ああ……小さいの多数、巨大なのひとつ。囲む気だな」
「わかった。ここから先は、タイミングを外せば、終わる。好機を逃さないでくれ。アイリッツの結界の力が、最も重要になる」
「わかってる。オレに任せとけ」
にやり、と笑ってアイリッツ。
「アル……私たちは、まず、浮上する。アイリッツの結界無しで、“風”が尽きる前に、地上に出なければいけない。きっと集中攻撃に合う……いや、合わないといけないんだ」
アイリッツの張る網に気づかれないように、と小さく告げて、暗闇の先を睨んだ。
「リッツ、慎重に慎重を重ねろ。おまえはどこか、詰めが甘い時があるから」
「はっ、それぐらいはわかってるさ。嘗めるなよ」
ふ、と溜め息で返事をされ、なんだよ、とムッとした表情で言い返した。
遥か頭上の振動音が、ふいに、止んだ。
「……おっと、そろそろ動き始めた、かな」
ぼんやりと照らされた砂の壁を見据え、視線を動かしながらアイリッツ。ギシギシ、ギシギシ軋む音が聞こえてくるような……そんな気がする。あるいは、錯覚か。
「リッツ……合図を」
「オッケー。まだ近くには来ていない……30、29、28、27」
砂と砂同士がこすれる音の他には、何も聞こえない静寂の中に、アイリッツのカウントが響く。
「くそ、動きが不規則で読みにくいな。残り一応5秒。4、3、2、今だ!」
1を待たずして声がかかり、シャロンとアルフレッドは結界の底を蹴り、勢いよく浮上し始めた。アイリッツは囮の球体を先に放ち、自身は気配を消して膨大な砂の海の中をいったん潜り、泳いでいく。
空っぽの結界とシャロンたちに、敵が群がっていく。その様子を感じ取りながら、アイリッツは気づかれぬよう慎重に慎重に結界を薄く広く伸ばしていった。……そう、底引き網のように。
暗く先の見えない砂の海。ひたすらに上を目指し、進んでいく。ギチッ、ギチッ。途中で白いものが体当たりをし、ヒレをちらちらと光らせ、体を跳ねさせている。
こちらはぶつかるその瞬間に結界を操作して補強できるが、アルの方はそうはいかない。シャロンはできるだけ敵を引き付けるよう、ジグザグに動きながら、上へと向かっていく。
先が見えないので、やたら長く感じ、衝突を繰り返し、風が薄くなるのに不安を覚えながら、じりじりと地上を望む。
まだ、まだのようだ。
ここで集中を切らせばすべてが無に帰る。汗で傷む目を必死で凝らしながら進み、そろそろ泣き言を言いたくなるほど、という状態になって、やっと周辺に明るさが増し、そして、地上に出た。
太陽の光が、なんだか懐かしい。
シャロンは相当薄くなっていた風の結界を解き、外の乾いた空気を胸いっぱいに吸い込み……そして咳き込んだ。
「……けほっ。一度に吸うんじゃなかった」
涙目になりながらもまずアルフレッドを探す。ああ、よかった。見つかった。……いや、よくない。クヒィラがそこに迫っている。
ズズズズズ、と砂飛沫をところどころ上げながら沈み、アルフレッドの足元を狙う。
「風よ……」
シャロンは気力を振り絞り、風をアルフレッドに纏わせる。そこへ、その巨体でよくも、と思うほど、上手に尾びれを使い、体をひねりバウンドしたクヒィラが、上からアルフレッドを押し潰しにかかった。アルフレッドの剣が上に突き出され、すると同時にその巨体が半透明に輝き、剣は宙を掻く。
クヒィラが沈む直前、アルフレッドはいきなり実体化したその尾ビレで跳ね飛ばされた。
「アル!」
風が衝撃を吸収していてくれればいいが……。遠くまで土煙を上げて吹っ飛んだアルフレッドを目で追うシャロンの足元から、軟体生物と思しき吸盤を持つ足が出現し、吞み込もうと絡みついた。
「ッこのッ」
蛸か烏賊か不明な生物の足の隙間からびっしりと牙の生えた口が覗く。シャロンは敢えて避けず剣をその口に突っ込んで風を発動させその体を八つ裂きにした。
アルフレッドは群れ来る魚と格闘しているらしく、満身創痍だが、白の魚群を斬り捨てる姿が見えた。
アイリッツは、と考えたところで、光の縄が、グンッ、と砂地から一気に引き上げられた。凄まじい衝撃が下から上に抜け、途方もない砂の爆発とともに、白く滑らかで優美な巨体が宙を舞う。
……成功した!!
バサリ。白く鯨に似ているが、より曲線美が強く、神秘的なその体が空に浮かび上がった途端、その背に翼が生えた。
その姿は、聖獣と呼ばれるに、ふさわしい。
「これで終わりだ!おまえの技、お返ししてやるぜ!」
地中から現れたアイリッツが叫び、手をかざす。細く縦に裂かれた岩々が、鋭い槍となって、空を泳ぐクヒィラに目掛け、突き立った。
ぃいいいいい!
悲鳴のような、物悲しい鳴き声が空に響き渡る。
アイリッツの渾身の力を籠めた攻撃は、見事クヒィラの体を穿ち、深い傷を負わせ、空に血飛沫が舞う。その巨体は羽ばたき、態勢を必死で整えながらも、空から墜落した。
チャンスを逃すことはできない。
シャロンは、アルフレッドに追い風をかけ、クヒィラの墜落地点のすぐ傍、最も攻撃のしやすい位置まで彼を運ぶ。
「くっ……!」
体が悲鳴を上げ、休息を取りたがっている。なんとか、風を。シャロンはがくがくと震え始めた体に力を入れ、自らもクヒィラの元へ向かう。
きゅぃいいいい!
かろうじて落下の衝撃を緩和させるのに成功したらしいクヒィラは傷だらけで、よく見ればその白い身体に何か、まるで装飾されたように文字が巻きつき、螺旋の魔法陣を描いていた。
アルフレッドが、“力”を溜めた剣を振りかぶる。今度は抜けることなく、その剣がクヒィラの体を、突き破り、斬り裂いた。風が、再生などできぬよう、さらに追い打ちをかけて欠片を斬り刻み、打ち砕く。アイリッツが結界で逃さず圧し潰す。
悲痛な叫びが響き渡る……クヒィラの最後だった。心に痛みを伴いながらも、容赦はしない。先延ばしには、できない。自然と、目に涙が滲むが、シャロンはそれを堪えて、追撃の手を休めなかった。
『…………』
なんだろう。何か、言っているような気がする。
『尽きようとも、命は、ゆるやかに、時を超えて循環す……この朽ち、た体にも、芽吹き、が……いつの日か。我は、それまで、』
夢見ている。
……確かにそう、声が聞こえた。
間近でその命が消えゆくのを見つめながら、気づく。その瞳は、最後の最後まで澄んだままで、恨みが籠ることはなかった。
神聖なる生き物の死。その白く大きな身体から光の粒が溢れ出し、辺り一帯を染め上げ、包み込んでいく。
沁みとおるような、暖かな優しい光だった。捻った腕、傷ついた体、先ほどまで悲鳴を上げて休息を求めていた心が、穏やかに凪ぎ、癒されていく。
それは、すべてのものに等しく与えられる恩恵に違いない。アルフレッドにも同じように癒しの光が注がれ、アイリッツでさえも、包み込む光に、充足を感じている。
優しき、白き獣。聖獣と名付けられるのにふさわしい最後だったことに、シャロンは切なく苦しく胸が締め付けられた。
遠い過去に、聖獣を倒した誰かが、等しくそう感じたように。
――――――すべてのことに意味合いがあるのならば、三度行われたこの戦いにも、意味はある。そう、これは試練。感傷、過去の追従……そういった生やさしいものではない。
英雄に挑戦する者は、まず英雄にその力量を問われ、試される。シャロンたちは、その最中ずっと……そう、今この瞬間でさえ、その力を、かつての英雄へ挑むだけの価値を、試され続けているのだった。