内の鳥
人によっては不快に感じる表現があるかも知れませんので、お気をつけ下さい。
5月4日改稿しました。
シャロンは球体の---まさしく鞠のような結界を作り、動かない取り込み中のアイリッツとアルフレッドの代わりにと、ヒレ持つ純白の魔獣を引きつけていた。
五体の魔物は非常に興味を引かれた様子で------次々に体当たりを食らわしてくる。
風を操り、うまくバウンドしたり、上昇したりして衝撃をかわすシャロンに嵌まり、五体の魔獣は夢中になってその球体を追いかけ、構い倒してくる。
死ぬ、これは死ぬほどキツい……!!
頭や尾ビレ、時に体全体で突き飛ばされ、急降下急上昇、左右に揺さぶられるのをなんとか堪えつつ、心中嘆きながらシャロンは、なるべく早くに解決してくれよ、頼むぞ本当に……!!と、動かない二人に念じていた。
アルフレッドに待ちを頼み、アイリッツは瞼を閉じて外界を遮断した。
深く、深く、自分の内側へと潜り込み、意識の底へ辿り着く。
暗い視界が開け、白っぽい荒れ地と、温度のない、乾いた風。
唯一つ建てられた塔は傾き、かつての堂々たる姿をわずかに残すだけ。
崩れかかっているのかサラサラと砂が落ちていて、その振る音がアイリッツに届いた。
塔の内部は乾いて、扉が多く、そのどれもが閉じられ、住人たちははあるいは内側から激しく叩き、あるいはじっと扉の内側で時が来るのをずっと待っている。その音が届くのも、遠く幻のよう。
……ここではない。
そのさらに奥。塔の地下の礼拝堂に、いつもは上を見上げ、映し出される景色を目に焼き付けんとしている少年の、膝を抱え蹲る姿に辿りついた。
彼は、泣いている。嘆いている。夢が失われる可能性を。
項垂れたままの白金の髪が力なく横に振られ、アイリッツがその身体にそっと触れれば、光が溢れ、白く、場を染めて塗り替えた。
崩れ落ちた塔の瓦礫を、傷だらけの手で掘り返す。
血の滲む指、爪が剥がれかけ、腕に血が滲んで、ぼろぼろと涙を零しながら、それでも手は休めない。
『おい、無理すんな!いいか、あの時ミストランテからは、生きている奴はひとり残らず上に転送されたんだ。死んだ奴は転送されなかった。下はほぼ埋まっちまって遺品を捜すのも時間がかかる』
『ざけんな!何かの間違いだ。アイリッツがそんなはずねえだろ!』
少年は年嵩の男にそう叫び返す。
やらせてやれ、と他の者が言う。
他にも諦め切れなかった幾人かが同じように誰かの名を呼びながら瓦礫の山をひっくり返していた。
血が滲み、感覚がなくなり始めてからも、彼はまだずっと手を動かし、奥へと掘り進む。
『リッツが、こんなとこで終わるわけねえだろ。言ってたじゃないか、英雄になるって……!!ヒューと、船とか徒歩とかで、旅を続けて、世界に名を売るんだって……!!嘘だろ、嘘だと、いつものように、死にそうな目にあったけど、なんとか帰って来れたって、言ってくれよ!』
……今は、暗い、静かな塔の中。
理不尽な現実を前に首を振り続ける幼子のようなジークの背に、アイリッツの影は静かに、そして穏やかに呼びかけた。
――――――充分だろ。これから闘う相手は、失われた王国の頂点であり、英雄と名高い男だ。例え表にはでなくとも、きっと、歴史に残る。人の心にも。だから、、、そう嘆くな。
……声は、きっと届いたのだろう。
アイリッツはその場から、急速に浮上した。
慣れ親しんだ身体の感覚とともに、ゆっくりと瞼を開けば、長いこと微動にしなかったこちらを不審そうに見てくるアルフレッドの姿が映った。 瞬きをしたアイリッツの、瞳から雫が散る。
「おい、なんだ、いきなり」
不機嫌さを隠そうともしない声に、アイリッツはふ、と笑い、
「なんでもない。ちょっとばかり、混乱があったようだ」
答えて、さりげなく目元を拭う。
「意味が分からない」
眉根を寄せるアルフレッドに、
「心配をかけた。もう大丈夫だ。悪かったな」
そうにやりと笑ってみせる。
「シャロンが頑張ってくれてるんだろ?すぐ助けに行こう」
シャロンは結界を保持したまま、五体の白い巨体に、突つかれ、体当たりをされていた。
「無垢なる純白の聖獣、クヒィラか」
「……知ってるのか?」
「まあな。防御力、魔法耐性とともに高い。幻術も使う」
「……幻術?あれがか?」
「いや、あれは本体だな。いくつかに分けている」
あの手でいくか……あまりやりたくないが。
少々、時と力を、無駄にした。
シャロンがもの言いたげにアイリッツを見る中、彼のアイリッツの片方の眦から、つぃっと涙が零れ、頬を伝っていく。
泣くなよ、ジーク……気にしちゃいない。
そう口内で呟いて、アイリッツは落ち着いた眼差しで白の聖獣に目線を据える。
そのうちの一体に円月刃を飛ばす。
無駄なく、確実に。
アイリッツの意思を受けて、二つの刃は一瞬で極小に縮む。
キュァアアッ
警戒と苦鳴の入り混じる声を上げるが、もう遅い。
アイリッツの武器は点で強靭な聖獣の肌を突き破り、中で拡大し、内から聖獣の体を斬り裂いた。
シャァアアアア
警戒の咆哮が上がり、それとは別の個体が、アイリッツとアルフレッド目掛けて衝撃波を放つ。
彼らがそれを難なく避けるのと同時に、シャロンが離脱し結界を解いた。
こんなやり方は、アイリッツらしくはない。
同じことを感じているだろうシャロンとアルの内心は、と苦い思いを噛みしめるアイリッツの元に、
「助かった」シャロンがすぐさま合流する。
そして、警戒し砂地をぐるぐると泳ぎまわる白の体躯と、アイリッツとを交互に見やり、訝しげな表情のまま、
「おまえ……」
と言いかけた。
ああ、彼女は敏い。不明な中でもなお何かを掴みだそうと、思考を巡らせている。
そして、
‘本当にアイリッツなのか’
と、そう問われることは、存在意義を揺らがせる。オレの------。
アイリッツは、断罪を受ける時のように、シャロンの言葉の続きを、待つ。
「……いや、いい。アイリッツ。もう、大丈夫そうか?」
「あ、ああ」
「ならいい。あの獣を倒そう。後が控えてる」
「そう、だな」
アイリッツは知らず知らずの内に体に入っていた強張りを解く。
「今度こそ、ちゃんとしなければ、斬る」
アルフレッドの脅しも相変わらずで。
まあこっちはシャロンの判断を信頼してるんだろうが……。
アイリッツは意識しないまま、安堵の息を洩らした。