番外 晴天、波浪につき 16 (完結)
H29年10月25日長かった第332回を二つに分け、付け足して投稿しています。
無理が祟ったのか、それから高熱が出、それはなかなか引かなかった。
彼にとって残念なことに、あの烏賊の足は、貴重な食糧として、回収され、樽の中へ保存された。
疲れた仲間に食事が振る舞われ、もちろん病床のヒューイックにも温かく栄養たっぷりのスープが届けられた。
ヒューイックが起き上がれないでいるあいだに、水夫たちは、海賊にやられ、命を落とした者の亡骸を海へ送る儀式やら、無事を祝う宴会の準備やらで、忙しく働いていた。
「トニー、クロスビー、ヨハン、ルクツォ……おまえたちは、いい奴だった。たまに羽目を外すときもあるっちゃアあったが……あばよ」
布に包まれ、板に乗せられた遺体は祈りの言葉に送られ、ドボン、ドボンと物悲しい音を立て、船を離れていく。
帽子を取り、胸に当て、皆が重苦しい雰囲気に包まれていた。
それを明るく変えるように、腕と頭を包帯でぐるぐる巻きにしたザックが、パンパンッと手を叩く。
「さ、もう辛気臭ぇのは無しだ。パーッと飲んで、うさ晴らしちまおうぜ!」
上はまだ片付けが間に合わず酷い有様なので、船内で行われた宴会では、食料の備蓄が少ないこともあり、アイリッツの引き上げた烏賊の足がメインとして振舞われ、そこに酢漬けや小魚と海藻炒めなどが並ぶ。
「あいつらは本当にいい奴らだったよ……飢えの時は、ベルトの革や、カバンを刻んだスープをともに口にして……奴らがやらかしてケツ叩きを受けた夜にゃ、痛くて眠れねぇって叫び声が夜通し響いて、皆で文句を言い合ったもんだった」
酔ったベネットが、そう悲しげに呟くのに合わせて、一人一人が思い出を語りながら酒を注ぎ、一気に仰っていく。
泣き声混じりに思い出話をして、笑ったかと思えば、涙を流す。あちこちですすり泣きの声が上がっている。
話して泣いて、また酒を仰る。宴は、まだまだ
終わらない。
そしてそこに、船長ゲオルクの姿はなかった。海賊から逃げた腰抜けとして、皆から文字通り吊るし上げ寸前に、責め立てられ、部屋に閉じ籠もらざるを得なかった。
まだ、海に放り捨てられなかっただけましと言える。……それを庇ったのは、意外にもリベロで、彼は、ほとんどの水夫から支持され指名を受けたが、あくまで船長代理としての立場を誇示し、船を動かしている。
「驚いた……てっきり喜んで引き受けるのかと」
疑問を素直に口にしたアイリッツに対し、
「こういうのは二番手として動くのが重要なんだ。船長に恨まれ、寝首を掻かれることもない。それに……だ。むさい男連中を纏めるなんて、僕はまっぴらごめんだね」
やれやれといった様子で、そのままラム酒の杯を一気に傾けた。
宴も盛りが過ぎた。煙草をふかそうと、甲板へ上がったリベロを追い、相当飲まされたにも拘らず、けろりとしたアイリッツは、チャンスだと後を追って外へ出る。
案の定、リベロはそこにいて、カンテラから火をとって、細めの葉巻に火をつけた。
「ああ~、そうそう。この船を守って戦った君たちには、いくらか都合しよう。まあ、船自体こんな有様だから、多くは出せないが」
追ってきたアイリッツを見るなり、そう言ったので、
「いや、金はいい。ちょっと、会ってほしい奴がいるんだ」
首を振り、訝しげなリベロを、いいから来てくれ、と引き、レイノルドが待つ船室へと案内した。
中へ入ると、カンテラの灯に、測量器具と本、そして二人の姿に、緊張した面持ちで腰を上げたレイノルドが、照らされた。
「ああ、君はあの。ええと、名前はなんだっけ」
リベロが、うーん、と眉をしかめるのに対し、
「俺、いえ、私は、レイノルド・ウィーヴァーといいます。………折りをいってあなたにお願いがあります。私は、航海士として、一から学びたい。紹介状を書いていただけませんか」
真剣に頭を下げるその言葉を、
「あー、君か。君ね。悪いけど、お断りだ」
バッサリと切り、レイノルドは次の言葉が出ないまま固まった。
「ちょい待った。もう少し考える余地はあってもいいんじゃないかと」
アイリッツが慌てて声を上げる。
「君さ、その肌……船乗りに取っては致命的だよ。航海士は四六時中外に出てるってわけじゃないけど……それでも、日差しを浴びないことはない。火薬調合師にでもなったら?その方が、まだ、現実的だ」
「そんな……いえ、私は――――――」
ずっと航海士に憧れてきた。そんな言葉はきっと、この人の前では、無意味でしかない。レイノルドは唇を噛み、机に丸めて束ねてあった地図に知らず知らず手を伸ばして、強く握り――――――。
「あ、それちょっと見せて」
「え、あ、どうぞ」
レイノルドが答える間もなくリベロはそれを手に取り、バッ、と地図が開かれ、そこへ身を乗り出した。
「――――――これは、君が?」
「え、ええそうですが」
うろたえるレイノルドに、ふうん、と返事を返し、
「僕のより正確だな。よし、わかった。紹介状を書こう。ただし……これと引き換えだ」トントンと指先で地図を叩く。
「いいんですか!?これは独学で――――――」
「構わない。なんだったら、今すぐ書こう。ちょうど、引退した航海士に、おあつらえ向きのがいるんだ。頑固な爺さんだが、腕はいい。紙とペンは?」
「あ、これです」
信じられないものを見るようなレイノルドの前で、さらさらと紹介状が書かれ、
「後は封蝋だが……ああ、ちょうどいいな」
その辺に放り出されていた蝋燭に手を伸ばし、封筒にぽたりと垂らして、首に下げていた指輪で刻印した。
「これでよし、と。じゃあ、はいこれ。そっちと交換する」
「あ、ああ、ありがとうございます」
地図と引き換えに、紹介状を渡され、夢ではないか、と疑っているのか、何度か首を振るレイノルドにリベロはにやりと笑い、
「男に情はかけないつもりだが、この地図はいいな。ああおまえ、言っておくが、航海士にとって正確な地図は山と積まれた黄金より価値がある。俺の同業に持ち掛けたとしても、死んでも手放さんだろうよ。ま、もう少し考えることだなひよっ子未満。あと、その肌が致命的なのも変わらない。……ま、俺の知ったことじゃあないな。こいつは有効に使わせてもらうよ」
軽く地図を振って、あっさりその部屋を後にした。
「レイ……あの地図、よかったのか?」
呆然とアイリッツが呟けば、紹介状をしっかりと防水の袋に入れ、懐に仕舞い込んだレイノルドは、顔を自然とほころばせ、
「――――ああ。今の俺にこれは、何ものにも代えがたい。……それにだ」
あんな地図もう全部頭に入ってるから、また描き直せばいいだけだからな、と得意げに笑ってみせた。
それからは再び穏やかな日々が続き、無事、テスカナータの町へ着く頃には、かなり体調は回復していた。
「ま、元気になってよかった」
アイリッツと、よく長旅を堪えた、と思わせるようなこの船が波止場にロープで固定されるのを見つめながら、
「……結局、襲撃の原因は、積み荷だったんだな」
「胡椒、らしいな。中は偽物で、囮に使われたらしい。香辛料なんて売りさばくルートがなけりゃガラクタ同然だ、本物であっても海賊の奴らは無駄骨だったな、なんてレイきゅんが言ってた」
「……そうか。まったく迷惑な話だな」
敢えて突っ込まず、さっさと下りる準備をして、重い荷物をさっさと下ろしていく。それから船の方を見やり、待つことしばらく。荷を下ろす水夫たちに交じって、ドサリ、ガラガラと、非常にたくさんの荷物とともに、フードを目深に被ったレイノルドが下りてきた。
呼びかける前にベネットが船上からヒューイックに声をかけ、
「ヒューイック!すまんが、少し手伝ってくれ!荷が瓦礫に挟まって、動かせねえ!おまえの剣でちょちょいとだな」
「……あーわかった。少しなら」
低く通る声で答え。ヒューイックが手伝いのためいったん船へ戻っていく。
「おー頼られてんなあ……」
「しかもタダで使われてるな」
アイリッツの呟きに、荷物を運んできたレイノルドも追い打ちのように返して、それから一度荷物を置き、改めてアイリッツに向き直ってから、深く頭を下げた。
「おまえたちには、本当に感謝している。目的を達することができた。……ありがとう」
「いや、決め手となったのはレイのあの地図だし。……なんだよ、いきなり改まって」アイリッツは照れたように視線をさ迷わせ、髪をくしゃりと掻き、
「あ……そうだ。うっかりしてたけど、レイさ、その肌……ひょっとしたら、なんとかなるかも、だぜ。サルヴィスの町で、流れの商人たちが、噂してた。貴族の女性たちが陽に焼けないよう肌に使用する、特別な薬があるらしいんだ。もし、その話が本当なら……オレもさ、また詳しいことがわかったら、連絡するよ」
ほがらかに告げるアイリッツに、レイノルドが、何とも言えないような、渋い……奇妙なものを見るような顔つきになった。
「おい、なぜそこまでする。ただ同じ船にいて、たまたま依頼を受けただけの相手に」
「…………」
アイリッツはふ、と笑みを浮かべてみせ、
「その方が、面白そうだから?」
「おい――――」
「ってのは冗談で。レイノルドは、白子……アルビノって、知ってるか?」
「………?あ、いや、聞いたことがある。獣の中に、たまにいる白い、アレだろ」
「オレが旅して会った奴に、学者がいて、そいつに言われた。オレのこの目……もう少し色素が薄ければ、太陽は拝めなかっただろう、って」
「……」
レイノルドが突然の話で何も言えずにいると、軽くまた笑い、
「だから、なんか他人事とは思えなくってさ。それに……それだけじゃない。このオレの目……乾いた血の色とかって蔑まれたり、乗船を断られることもあるんだ。特にこういった船乗りなんかは験を担ぐから」
「まあ……そうだな」
「今回さ、オレがすんなり受け入れられ、船でも何も言われなかったのは、レイノルドのおかげなんだよ。おまえがいたから……皆、オレより目立つ奇妙な存在に、すっかり気を取られてた」
「まあ………そうかも知れないが」
レイノルドの憮然とした答えにアイリッツは、はは、と笑いながら、海を見やる。
「あの化物も、オレ一人でなんて、倒せやしなかったよ。……ヒューや、レイ、あの傭兵や水夫たちの協力あってこそだ。オレは、自分のことだけで、夢を追うので精一杯で、これまで振り返れなかった。前を見るので必死で、気づけなかったけど………」
「……」レイノルドは、何も言うことが見つからず、その先を待った。
アイリッツは、大海原を渡る風に、気持ちよさげに目を細めている。
「ああ、こういう風にまわってるんだな、って思った。世界は、そうできてる。オレだけじゃ無理だった。足りなかった。レイノルドだけでもどうにもならなかっただろう。オレたちはそれぞれに、足りない。けど、それぞれに、出来ることがある。そうやって互いに補い合って、色んなものがまわっていくんだ」
「確かに……そうだな。そのとおりだ」
レイノルドもまた、アイリッツと同じように、騒がしい船着場から、水平線の彼方を見やった。しばらく、穏やかな沈黙が、二人を包み込む。
「くそ、あいつらは、結局なんだかんだと扱き使いやがって……なんだ、二人して」
やっと帰ってきたヒューイックは、二人が黄昏ているのを見て、同じ方向を眺めてみたが……そこには水平線と、寄せてくる波があるだけて、特に変わったものはない。
「いや、レイに言ってたんだよ。お金の代わりにだな、オレたちがいつか船を持ち、冒険に出ることがあったら……航海士として来てくれないかって」
アイリッツがウインクする。レイノルドはそのウィンクに顔をしかめ、手でパッパッと払う仕草をしながらも、
「……そうだな。約束の、報酬だ。その時は出来る限りで、力を貸そう。ああ~もちろん、出来る限りだ。まず俺自身の命の保証と、きちんと報酬ももらう」
「おい……船を持つ気なのか?それより他に、いくらでもすることがあるだろう」
まずあの掘っ立て小屋をなんとかしねえと……と言ってヒューイックは首を振る。
しかし、お金の代わりとなった報酬のことに異は唱えなかった。……懐が潤っていたせいもあるかも知れない。
「いいだろ、大海原の冒険!英雄アイリッツとして名を馳せるチャンス!」
「あ~わかったわかった」
「もちろんレイノルドにはそれなりのものを用意するぜ。有能なる航海士のために!」
そんなアイリッツの宣言を受けてレイノルドは当然だというように頷いてみせ、
「まあその頃には、俺はあちこちで引っ張りだこ、予約待ちかも知れないけれどな!」
そう高らかに笑って、ああでも、まずは一からの修行か、と、リベロに貰った紹介状の人物が住む場所、ひとまずの連絡先を告げて、あっさりとじゃあな、と手を上げ、ガタゴトガラゴロとその場を後にする。
その背中を見送り、依頼の完遂を実感したのか、アイリッツがやったな、と得意げに笑って手を上げたので、軽く拳を打ち合わせ、勢いよくハイタッチをした。
互いに改めて勝利と、無事航海が終えられたことの喜びを噛み締める。
「なあ、せっかくだから、なんかうまいもん食いに行こーぜ!ちょっとばかし稼いだことだし!」「……やりすぎるなよ。結局全ての報酬を断っちまって……一応、俺らは激貧、てことになってるからな」
「別口の臨時収入があったと言えばいいだろ!」
まあ、この場合はそれは正しいわけだが……。
「わかった、好きにしろよ」
ヒューイックが肩をすくめると、何が嬉しいのか、とてつもなくテンションの高いアイリッツが、こちらを見、よく晴れた空の太陽のような満面の笑みを浮かべた。
そして、いつものように本気か冗談なのかわからない台詞を口にする。
「やっぱオレらは最高、おまけに最強、世界一のコンビだよな。これはずっと、変わらない。ぜったいに…………オレとおまえが、生きている限り」
「あれ、レイきゅんが戻ってきたぞ。……おーい、忘れ物か?」
「いや、よく考えたら……おまえらこの町に住んでるんだろ?安くていい宿と、美味い食堂があったら、紹介してくれ」