番外 晴天、波浪につき 4
遅くなりすみません。少し長めです。
次の日も晴天だった。凪いだ海は有難いが……暇すぎて、辛い。
あんまり調子のよくない体を持て余していると、向こうの方から、
「うわこれすっげー複雑な結び方してんのな!」
「おお、坊主、暇してんならちょっとやってみろや。ここをこうして……お、なかなか器用じゃねえか」
アイリッツは持ち前の明るさで、まあいつものことだが、船乗りたちとすぐ親しくなり、彼のまわりはいつも賑やかしい。
ヒューイックは他にすることもないので、剣を抜き、ひたすら素振りなどの鍛錬に励んでいた。
珍しげに茶の縮れ髪した水夫が寄ってきて
「お、すげえな、こいつはどうだ!」
バキッ!パッカン!パッカン!
手隙なのかわざわざ手近な材木を投げてきたので、難なく割って木切れにする。
「やるなあ、おまえ。もっと数を増やしてもいけるか?」
「ああ、そうだな。構わない」
太い材木が次々とヒューイックの持つ剣により、木切れにと変わっていく。堆く積まれたそれを、こっちは片付けとくから安心しろ!といいつつ別の男が回収する。
何か妙な気もするが………。
そうこうしているうちに、アイリッツが戻ってきて、
「おまえさぁ、そこまで来たら金取れよ?」
と呆れつつ突っ込んだ。
「トニー、バート、楽してんじゃねえぞ!そういうことは俺にも教えろ!」
煙草を吸っていた誰かが言って、割られた木材を薪として束ねていた男たちは、バレちゃあしょうがねえ、と頭を掻き、まわりの連中から、どっと笑いが起こった。
「……は?」
何が起きたのかよくわかってなかったヒューイックの肩をドンマイとばかりにアイリッツが叩き、また何か面白いものでも見つけたのか、突き出ている貨物用の巻上装置の方へ走り去っていく。
「あ、今夜の番はオレだからな!」
と叫ぶ奴に、わかってる、と怒鳴る。
「くそ…………」
いたたまれず、まわりを見渡すが、そこは船の上でまわりは海。飛び込むぐらいしかない。ヒューイックはふっ、と肩を落し、憂鬱な溜め息を吐いた。
夜。乗客に食事が配られた後に、船員たちも下で食事するらしい。上の、物置かと疑うような隅の狭い部屋から交代でレイノルドのところへ護衛にいくことに決めていたため、アイリッツはいない。
「……静かでいいな」
ヒューイックはひとりごち、まだ寝るには早過ぎるため、ひょいと簡易寝台の下に足を引っ掛けて、無言で腹筋を始めた。
レイノルドの部屋に来たアイリッツの方は、
「じゃ、お邪魔するよっ、と」
と来て、入り口の脇に寝床として毛布を置くと、興味深々といった様子で扇形の目盛り板を指し、
「なあなあ、こいつはなんに使うんだ?」
「そいつは測量器だ。クォードラントといって、そいつで太陽の高さを測る」
「それでどうするんだ?」
「太陽の高さから、北あるいは南に向かってどれぐらい走行したか調べるんだ。……日差しのきつい、正午にな」
ふ、と息を吐き、気を取り直したように、
「こっちも同じだが、こいつは星にも使える。クロススタッフ、という」
片隅から細長い棒を繋ぎ合わせたものを取り出した。
アイリッツが赤茶の瞳を曇らせ、
「……床に散らばってた奴か」
と尋ねたのでレイノルドは頷いて肩をすくめた。
「まあ、知らない奴からしたらただのガラクタに見えるだろうな。天測器と羅針盤、速力を重りのついた縄の結び目で測る測程索、暦の表と、肝心な地図。どれが欠けても、船は目的地に辿り着けず、さ迷うことになる。まあ、羅針盤は無事だったし、定規と材料さえあれば、クロススタッフは作り直せるから、別にいい。それより、だ」
と地図を持ってきて、
「今オレたちはここから、テスカナータへ行く途中の、まだこの辺りにいる。おおよそでしかないが」
トントンと地図の西側、を指し、
「先は、長いな……」
とアイリッツが呟けば、
「そうだな。長旅のどこかで、ちらりとでも、海について航海士の話が聞ければ、それでいい。この皮膚じゃあ、な……まずは、そこから、だ」
「知識の方は充分じゃないのか……?」
「いや。海は季節、天候、地理、潮の流れによってその姿を変える。調べてやり過ぎる、ということはない。今は穏やかだが……先はどうなるかわからない。特に南西。いくつかの岩礁地帯がある。ここに入り込むとやっかいだ。季節によって、この辺りは潮の流れが変わるから……」
集中しぶつぶつと呟くレイノルドに、
「オレは、詳しくないが、そんなオレでも、レイノルド、には才能があると感じる………本当に、惜しいと思う」
「ああ、呼ぶのいちいち面倒だろ。レイでいい。残念だが、身体的な意味では違う。だから、解決策があるなら、例えわずかでもいいんだ。なんとしてでも手に入れたい」
ずっと考えてきた、それだけをひたすらにな、と告げるレイノルドの瞳は、ぎらぎらと熱を持っていた。
海は穏やかな日が続いていた。ヒューイックは鍛錬は欠かさないが、他の乗客や乗組員たちとは、つかず離れずの、当たり障りない距離を保ちつづけていた。
こうして、いるあいだにも、話しかけ、近づき、根回しをしていくアイリッツと、それを見ているしかない、俺。…………ただ、ひたすらに剣を振り、鍛錬に集中する。走る、飛ぶ、打つ。体がなまってしまわないように。体調は揺れによって影響するが、今のところ問題は出ていない。……すこぶるつきで気分はよくないが、それ以外は。
そして、再びの夜がやってきた。海な穏やかなためか、いつも賑やかで……船員の何人かが笛を吹き、バルバットの演奏に合わせてジャグリングをしたり足を踏み拍子を取って踊ったり、だいたいその輪の中心にはアイリッツがいる。
「ヒューも来たらどうだ!」
盛り上がりを見せている宴に背を向け、アイリッツの誘いに手をひらひらと振り返して断り、再びぼんやりと波間に目をやる。
「なんだアイツ。付き合い悪ィ」
「いや、ヒューは……リバースしそうなのを我慢してるかも知れねぇ」
神妙な顔で嘯くアイリッツに、ブハッ、と一人が吹き出し、また場が笑いに包まれた。
「こ、こんな凪でか……あいつこの先死んじまうぞ!!」
「いやオレもさ、それを心配してんだよ。いい方法ないかな」
「そういう時は飲むに限るんじゃねえか!?」
相当に顔の赤い酔っ払いが、まあ飲め飲めと皆に注いでまわり、何回目かわからない乾杯の音頭が取られる。
「勝手にやってろ……」
ヒューイックの呟きと同時に、ギィイイ、と軋む音がして、部屋の扉が開き、体のあちこちに巻かれた包帯の白が、不気味に明かりに照らされ浮かび上がったかと思えば、
「うまい具合に、誰もいないな……」
レイノルドが首を巡らせ周囲を確認しつつこっそりとこちらへ出てきた。
「迷信深い船乗りのことだ。見つかったら、騒がれる、か?」
「ああ。そのことなら大丈夫だ。この船では復路……俺のこの姿の理由は、皆知ってる。あいつらが不満や愚痴とともに散々、言いふらしていたからな。ただ、気分的な問題だ」
ふっ……と暗く自嘲めいた笑いを洩らす。
「そ、うか」
慰めの言葉も見当たらず、ヒューイックが黙り込む。
「心配するな。奴らには仕返しを考えた。これを見ろ」
バッ、とレイノルドが広げられた紙には、樽の内部が書かれており、上部に紐を取りつけて中に何かを敷き詰めた図が描かれている。
「樽爆弾だ。これが完成した暁には、あの二人を詰めて高々と打ち上げてやる」
くくく……と笑うレイノルドは、ヒューイックの視線に気づくと、
「……冗談だ」
と咳払いした。
「部屋に籠りがちだと、こんなことばかり考えていけないな……邪魔が入らないうちに、さっさと済ませてしまおう」
そう呟くと、コートを脇に置き、靴と靴下も脱いで裸足になった。
「何をやるんだ」
先が読めずヒューイックが首を傾げると、
「何って……トレーニングに決まってるじゃないか。部屋の中で一日、二日ずっと過ごしていると、体力が衰えるし、気も滅入る」
「靴まで脱ぐ必要あるのか?」
「知らないのか……甲板は常に湿っているから、靴だと天候や場所によっては滑る。あそこみたいに船首に近ければまた別だが、水夫は皆裸足でいるだろう?」
「気づかなかった……そういやアイリッツも、時折脱いでいるな」
「これは覚えておいた方がいい。天気のいい日ならともかく、湿気の多い日はひどい。戦闘では特に足場は重要で……まあ、そんな場面になどお目にかかったことがないから、これは受け売りだが」
さて、やるか、とちようどいくつかある部屋の扉から向こうまでを目安にゆっくりと走り、再び戻ってきた。
お世辞にも速いとは言えないそれを、レイノルドは何回も繰り返す。
「俺もやるか………」
見てるのも暇なので、呟いて並び、走り込んだ。
夜に走るのは初めてだったが、話のとおり、確かに甲板は濡れていて、足場としては悪い。
「結構、滑るんだな……」
もちろん、それでも二人の速さにはかなりの差が出たが、レイノルドは気にした風もなく、
「船は細長い分、狭く、身動きが取りにくい。誰かを護る状況なら、なおさら立ち位置、体の動きに注意しなければいけない……と、これも本に書いてあった」
「本当によく調べてるな」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、圧倒的に経験が足りない。……ただの頭でっかちだ」
ははは、と乾いた笑いを零す彼に、ヒューイックは、いや、といいかけて、
「何やってんだよ。走り込みか?」
アイリッツの声に遮られた。
「リッツも来たのか。今、体力作りをしてたところだ。みろ、この細い腕を」
わざとらしく自虐的に包帯の巻かれた腕を差し出すレイノルドに、見せなくても……と呆れるヒューイックだったが、アイリッツは笑い、
「確かに、必要だな、こりゃ」
とまじまじと見つめるアイリッツの頭を、失礼だろ、とヒューイックが叩く。
その後何を思ったかアイリッツは、
「じゃあ、オレも見せてやるよ」
バッ、と腕を捲って見せた。
そこには太く巨大なミミズ腫れが、いくつか斜めに走っている。
「これはひどいな。いったいどうやったらこうなるんだ」
原因を探るように見つめるレイノルドに対し、
「これはな、魔物と戦った時にできた。あれだ、男の勲章だな!」
自信たっぷりに告げるアイリッツに、
「魔物は魔物だが……蠍に噛まれて無理やり引きずり離した跡だろ。しかも完全に油断だ……勲章とは言わない」
「おい、バラすなよ。言わなきゃわかんねえだろ。まったく、ヒューはわかってねえな」
やれやれ、とアイリッツが言うのと同時にぶっ、とレイノルドが吹き出し、笑う。
「ふ、ふっ。それは、大変だったな」
「本当にな。腕から血はだらだら出てくるし、止血しながら戦えないしで、ひどい目にあった」
まだ、毒針にやられなかっただけマシだがな、とヒューイックは遠い目をして呟いた。
「だぁー、悪かったって!その話はあの後さんざんした。もう終わり!」
で、だ、と急に真面目な顔でレイノルドに向き直り、
「皮膚……駄目なのは昼間だけか?」
「というより、太陽が出ているあいだだな。今、怪我をしてるだろ?ついでに、体を包帯でぐるぐる巻きに覆ってみてはと考えたんだが……」
「見た目的にアウトだろうな」
「海へ放り込まれるぞ」
アイリッツとヒューイックが口々に突っ込んだ。
ひとしきり話した後、水夫の一人が、
「リッツ!何やってんだ、面白いものが見れるぞ!」
と向こうから叫べば、今いく、とアイリッツも大声で返事をして、
「さて、と。今日はおまえだったな」
「ああ、わかってる」
「じゃあ、ちょい行ってくるわー」
と手を振ってアイリッツは戻っていく。
そんなやり取りを交わすアイリッツたちがレイノルドにはなんだか新鮮だった。前の奴らは、この部屋には近づきもせず、思い出したようにたまにまわりをふらつくだけだったのに。
部屋に戻れば、ヒューイックの顔がすっ、と無表情になり、周囲の状態を確認し、一度剣柄を握りわずかに浮かせ、仕舞うと、入り口脇に置かれた毛布を下に、座り込んだ。茶の髪は潮風でかなり痛み、全体的にどことなく疲れが滲んでいる。
「疲れてるところ悪いが、一度、測定に出る」
レイノルドが彼に声をかけ、部屋から出れば、外は降るような満点の星で、小月がすでに上の方へ上りつつあった。
天測器を使い、位置が常に変わることのない航海星との高さを測り、書き込みをしてまた部屋へと戻っていく。
「俺は今から作業をするから、まあ、適当にしといてくれればいい」
レイノルドはそう言うと、早見表と照らし合わせて、
「このまま行けば順調だな………次はサルヴィスの港になるのか……」
と呟いていたが、そういえば、と顔を上げ、黙り込んでいたヒューイックに、
「ヒューイック、ええと、ヒュー、でいいか?ちょっと渡したいものがある」
「…………なんだ?」
顔をしかめて、おっくうそうに立ち上がった彼の前で、酔い止め、と書かれたワイン瓶を取り出すと、そこから真鍮製の小瓶へと何やらどろどろした緑色の液体を移していく。
プン、ときつく青臭い匂いが鼻を吐いた。
「うっ……どうした」
「確か、船酔いがひどいとかいってたから……やるよ。俺も昔はひどくて、船に慣れるまでいろいろ試したんだ」
「自分で、作ったのか?」
「ああ。航海日誌に書いてあるとおりに。俺の父も、航海士だったんだ。足を悪くしてやめた後は、酒場の店主に鞍替えして……よく、船の話をしてくれた」
「そう、だったのか」
呟きのように言葉を洩らすヒューイックに、
「その薬、効き目は保証する。俺が飲んで効いたんだから。………た、だ、し、とてつもなく、死ぬほど苦い。あれだな、あまりの苦さに、船酔いも吹っ飛ぶ、そんな感じだな」
レイノルドはそう言って、少し人の悪そうな、にやりとした笑顔を見せた。