VS 守護龍 6
戦闘シーン、残酷描写ありです。
風の結界を張っていてもなお、凄まじい臭気だと感じ取れるほどの血の雨とともに、ドシャ、ベシャッとあちこちから肉片が降ってくる。間近で弾かれ、浴びることはないが、それでも気味の悪いことに変わりはない。
ぼたぼたと落ちていた欠片が止み、やがてさあっと降る雨から色が失せた。辺りに冷気が漂い、激しい風とともに叩きつける小雨は透き通ってはいるが、視界を奪う。曇り空に加えて、悪天候の場所で、霧じみた雨の切れ間から、優雅に空を泳ぐ龍の姿が見えた。
雨は、気配と音を消す。
氷雨の嵐の中、突如として、羽根を生やした青黒い蛇が現れ、牙を剥き飛びかってきた。シャロンが剣を抜き、跳ね除ければ、ぐるりと長い身を翻し、すぐ見えなくなった。かと思いきや、今度はまったく別の、後ろ斜め方向からおそらくだが別の個体が襲い掛かり、これはアルフレッドが頭を斬り落とす。どろりと崩れ落ちるが、休むことなく次の蛇が襲い掛かってきた。
「体力を削る気、か」
「ヒット&アウェイ……敵も、やるな」
アイリッツが口笛をピュゥと鳴らす。いったん引きつけ、風の結界を刃に変えて、次々と襲い来る飛行蛇を斬り伏せる。結界により雨に打たれることはないが、それでもなお冷気は伝わって、じわじわと体力を奪っていく。
飛び散った破片は集まり、地面を這うようなヒュルヒュルと細長い血溜りが、蠢いて蛇の姿を取り、鎌首をもたげ威嚇したと思うと、降りしきる雨へ隠れるようにまた去っていった
降りしきる曇天には、気のせいではなくはっきりと細身になった龍の体躯が、支配者のごとく悠々と滑空し、その身を巡らしている。
油断なく集中しながらも、シャロンは、降りてくる気はなさそうだな、と溜め息を吐いた。
赤黒と蒼の、小柄で素早い蛇。例え強力な力はなくても、死角からの絶え間ない攻撃は焦りを生む。また、風の結界はあまり音を通さない。まあ通したとしてもこの雨では――――――。
アルフレッドが、突然剣を抜き、シャロン目掛け突き刺してきた。驚き悲鳴を押し殺しながら剣の長さ分上半身を後ろに倒し避け、対処できるよう剣を握り直すのとほぼ同時に、風の結界を噛み破り、巨大な首が現れた。どろり、と窪んだ眼窩から液体が伝い落ちる。強烈な臭気が、鼻を焼く。突き出されたアルフレッドの剣は違わず龍の首を抉り、黒紫に毒々しい液体が辺りに飛び散った。
毒だ、と思う間もなくアイリッツが、右手の親指を噛み、龍の頭の反動で距離ができたアルフレッドに弾いた。それと同じくして左手でシャロンの口と鼻を押さえ治癒をかけ、さらに一気に“穀潰し”を、龍の開いた口に潜り込ませ、下から上へ跳ね上げた。
ブシャァ、と、気味の悪い体液が噴き出すも、龍の頭はぐしゃりと潰れて溶け、地面へと流れていく。
「ぅ……ッ」
「吐いてる暇はないぞ」
アイリッツの言葉にシャロンは慌てて、込み上げてくるものを無理やり嚥下する。
「う……くそ」
鼻から脳天に達しかけた毒をアイリッツに回復してもらったらしいアルフレッドは、こめかみを押さえ苦痛に顔を歪めながらそれでも剣をぐるりと一回転させ、好期と飛びつこうといした蛇どもを一掃し、もう一度頭を振って意識をはっきりさせようとする。
涙目のシャロンの頭上遥か遠くの龍には首がない。しかし、よく見ようと目を細めた次の瞬間には、龍は生えた頭を優雅にもたげ、旋回しながら上へ上へと昇っていく。
「下りる気は、なさそうだな」
シャロンがぽつりと呟き、その台詞につられるように、アイリッツとアルフレッドも分厚い雲の向こうに漂う龍の影を確認する。
「はっ」
アイリッツが鼻で笑い、にやりと口元を歪ませ、
「……下りてこないなら、引き摺り下ろせばいいのさ」
とそう、宣言した。
そして、
「シャロン……風でどうにかして、一時的にでもあの雲を、晴らせないか?」
と尋ねてきたので、
「わかった。やってみる」
と頷いた。リッツ、無理はするなよと付け加えることも忘れずに。
「わかってる。野朗……目に物を見せてやるぜ」
アイリッツがフフッ、と不敵に笑う。うわ、駄目だこれはとアルフレッドと目を見交わすと、彼は肩をすくめてみせた。
「一度、風の結界を解く」
シャロンがそう告げると、無言でアルフレッドが、香草を噛み、続いて鼻に揉み込んだので、アイリッツも、詰めて出すその姿にひそやかに笑いを噛み殺しながら、だらりと手を下へ垂らし一見力を抜いているようでいて隙のない構えを作る。
風の結界が解かれた。その壁に弾かれ、攻めを躊躇していた羽根を持つ蛇の群れが、一斉に攻撃を再開する。
視界の悪い中、アルフレッドとアイリッツは全神経を集中させ、叩きつけるように降る雨とともにどこからくるとも知れぬ敵の牙に、構えを取りつつ出来うる限りその攻撃の瞬間を捉えて、反撃のカウンターを食らわしていく。
その二人に守られるようにしながら、シャロンもまた、冷えきる雨の中瞼を閉じ、じっと一つの目的へと意識を集中させていた。
雨を降らすのは龍。そして、この降りしきる雨は、一種の結界の役目を果たしていて、蛇の群れの動きを阻害することなく、こちらの視界と体温を奪っていく。
厚い雲を、晴らすほどの力を。
剣の柄を強く握り締めた。描くのは、天を貫くほど長く激しい竜巻。雲を巻き込み、振り払うほどの。
細く速く風を紡いでいく。荒れ狂う、何かの“力”に出来るだけ対抗できるよう、そして、それらの“力”の方向を見定め、それさえも利用できるように。
シャロンの手のうちで、風が暴れた。剣を強く掴み、時に押さえつけ、高く高く形作っていく。龍に直接“風”は効かない。だから、ただ周辺を晴らすだけでいい。アイリッツが、確実にその姿を捉えることができるように――――――。
雲がつかのま晴れ、青空が再び戻ってきた。
「見てろよ……這い蹲らせてやる」
アイリッツが笑いながら何かを集め、呼び寄せるような仕草をした。
青い空に白い筋がいくつも、まっすぐどこまでもどこまでも伸びて、軌跡を描く。
「……は?」
シャロンの顔が、強張った。なんだあれは。
巨大な飛礫。シャロンはそれ以上現す言葉を知らない。
その威力を感じるには遠すぎて、想像でしかなかったが、龍の小さな影に、白い筋がいくつもいくつも肉薄する。パン、パン、と軽い冗談みたいな音が、数回に渡って響き渡り、龍の体が、破砕された。
おそらく凄まじい勢いで再生されたのだろうその分かたれた影は、また一つになると、錐揉みしながら悶え、急速にその高度を落とし始めた。
「おお、やったぜ、会心の一撃!」
「無茶もいいとこだな」
おそらく、目のいいアルフレッドはもっとよく見えたに違いない。鼻を鳴らし苦く呟くと、剣に力を籠めて落下しみるみる目前に迫り来る龍の巨体を待ち構えた。
アイリッツは、何も考えてないように見えて、考えている。今回もおそらく、大丈夫だと判断したからのこの攻撃だろう。だが、時々……本当に、考えているのかと疑いたくなるときがある。どうしてだろう。お調子者で、心優しきアイリッツ。
シャロンは、体勢を立て直そうとする龍の翼を狙い、追い討ちをかける。ちょうど、待ち構えるアルフレッドの元に来るように。
その、巨大な体躯がもう目と鼻の先まで落ち来た時、ああそうか、とシャロンは理解した。
なら、私たちは、もっと強くならなければ。優しき彼が、サポートにまわらなくても済むように。
シャロンのその思いは、鋭く残酷な風の刃となって龍を穿つ。次いでアルフレッドが、その剣の刀身がぶれてみえるほどの闘気を纏わせ、龍の頭から背骨中ほどまでを、一刀両断し、地面へと叩きつけた。