英雄と呼ばれるもの
今回、短めです。H28年8月17日改稿しました。
さらさらさら……と何かが崩れる音がする。後ろを振り向けば、そこには絨毯が敷かれた廊下、その先はひたすら真っ白な空間が広がっていた。
自然と無言になり、ただ先を急ぐ。
長かった……やっと辿りついたその先にはきっと。
シャロンはこれまでのことを振り返り、やっとここまで来たな、と二人に呼びかける。
「アル、ありがとう。アルの支えがなければ、きっと挫折してた。アイリッツ……おまえは、いや、なんでもない」
シャロンが言いかけて言葉を止め、
「なんだよ、途中で」
訝しげに先を行くアイリッツが振り返った。
にやにやっと笑い、
「溢れる感謝が胸いっぱいで伝えられないっていうんなら……」
とそこでアルをチラ見し、ヤバいヤバいと微苦笑して、
「冗談はともかく、引っ掛かりがあるなら、今のうちに解決しといた方がいいぞ。これからその余裕もなくなる」
「そうだな。なんていうか、うまく伝えれないが……。そのとおりだ。リッツには感謝している。リッツがいなかったら、ここまでこれなかった」
そして、今もなお、助けられている……とシャロンが呟いた。
「フラグっぽいぞそれ。マジで」
「は?」
「ああ、いや、こっちの話。気にしない気にしない」
ごまかすように手を振るアイリッツに、シャロンは首を傾げたが、すぐくしゃりと顔を歪め、
「おまえのために、何もしてやれなかったな。せめて何か誰かに伝えるような、例えばヒューイックには」
何か伝言でも、と、真剣な表情でアイリッツの顔を見上げる。
「正直なところ、オレはオレのやりたいようにやっただけで、感謝の謂われねぇんだ、これが。それに、あいつに伝言ねえ………」
照れくさいのか、それとも本気でそう言ってるのか、珍しく困惑気味にアイリッツは返事をした。
パッと思いつくのは、早く童×捨てろよ、ぐらいだが……しかし意外と済かもしれない、なんてことを真顔で考え、首を振る。
「特別言うことなんてないな」
シャロンの顔が悲哀に歪むが、それに対し、にッと口角を上げ、
「あいつはあいつが思っている以上に人から頼られ、そして助けられてもいる。だから、大丈夫だ」
そう付け足して不敵な笑みを浮かべる。
「オレらのタッグは最高にして最強。まさに世界一。その事実は変わらないさ。例え何があっても」
胸が詰まる。傍のアルは、まさしくどうでもいいという表情をしているが。……彼らは本当に親友と呼べる存在だったに違いない。
私たちは、そんな仲間でいられただろうか。
後悔はしていないのか、と問いかけそうになって、そういえば、彼のそんは、と我に返り、打ち沈みかける。
そこを叱咤激励するかのようにアイリッツは、
「英雄は振り返らず、突き進むだけさ。その後に道はできる」お、オレ格好いいこといった、と笑いながらサクサク歩いていく。それが当然であるかのように。
そう、ここまで来たんだ。
シャロンは再び気合を入れ直し、歩調を速めた。隣に黙ってアルフレッドが並び、宥めるように髪をぽふっと撫でてからふ、と溜め息を吐いた。腕を二三回まわし、今は殴るのを控えてやるか。そんな表情で。
……ブレないアルが、心底羨ましいと思う。私は、いつだって、迷ってばかりだから。
それから、どれだけ進んだだろうか。
深い茜色の絨毯の先に、造りのしっかりした、貴賓室のものような両開きの扉が見えてきた。
心臓が嫌な音を立てて早くなる。
「念のため、オレが開ける」
アイリッツが一言断って、鍵の有無を確かめ、そしてガチャリと両手で開け放った。
そこは、書斎のようだった。本棚に囲まれた奥には執務机があり、窓を背に頬杖をついていた誰か、壮年の男性らしき影が、顔を上げてこちらを見た。逆光でよく見えない。
バタンとひとりでに扉が閉まる。
深々とした絨毯を歩いて近づくにつれ、本が山となって積まれた執務机に座っていた男が、目を細める。自然と目が吸い寄せられ、まるで磁力でも持っているかのように、強烈な存在感がその場を支配した。
「ああ、よく来たな」
低く、力強い声が部屋に響く。
白髪混じりの灰色の髪に、口ひげ。こちらを窺う空に薄い雲を浮かべたような瞳が鋭く細められた。
貴族としての過去の己が、揺り起こされ、その風格と威厳に、気を抜けば膝をつきそうになるのを堪えて睨みつける。
「貴方が、ここの、王か」
男は頷き、立ち上がった。
「いかにも。国王、ゼルネウス・バルロヴ・ヴォロディア・シーヴァーだ」
彼が名乗った瞬間、なぜだかさざなみのように震えが走った。
ぐっと拳を握り締め、
「……私は、シャーロット・クラレンス・リーヴァイス」
「アルフレッド・フロスデヴェイク」
シャロンは彼の名乗りに驚いたが、今は尋ねる時じゃないと表情を引き締め、この時を心待ちにしていたのであろう青年が隣で獰猛な笑みを浮かべ、
「アイリッツだ。……残念だが、おまえと、おまえに連なるすべては、ここで終わらせる」
そう宣言した。
全てを束ねる王は、驚く様も、頓着も見せず頷き、
「挑戦者ならば、まず、こちらの“試し”を受けてもらう」
厳かに告げた。
「“試し”とは」
シャロンが力を入れ返すその言葉に、
「これから、三体の神獣と戦い、それらに勝つことができたのならば、相手をしよう」
彼は、そう返答をした。
余裕じゃないか、とアイリッツは、笑みをこそ崩さないが、汗の滲む手を握ったり緩めたりしながら、内心で呟いた。
奴にとっては児戯のようなものだろうが……こいつが余裕ぶっていればいるだけ、こちらの勝機が近づく。
思ったより、“力”が蓄積でき、減りも少ない。これならば………。
すっ、とゼルネウスが手を動かした。見えぬ何かを掴むような仕草。何が起きるかわからない、とシャロンは剣の柄を硬く握り締める。
不意に、天井と壁、続いて床が消失した。上には青空、下には荒れた大地。遥か遠くに見渡せる地平線。太陽がぎらぎらとこちらを照りつける。
『最初の相手は――――――』
ゼルネウスの姿はいつのまにか消え、声が遠く薄く響く。
赤褐色に荒れ果てた大地。そこに、ぽつりと雫が落ちるように、みるみるうちに緑が広がり、急速に木の芽が成長して、空まで届かんばかりの大樹となり、葉が生い茂っていった。
堂々たる、白い幹に太い枝。濃い緑の葉を持ち、生命力あふれる樹が、その枝葉を揺らした。そして、その幹のふしくれが、ゆるやかに動き、みるみるうちに幹が盛り上がり、人型の瘤ができたかと思えば、その樹が縮むように感じた。枝は数を減らし、たおやかな女性の手に。揺れる葉の萌ゆる緑はそのまま髪に。白い幹は滑らかな肌と簡素なドレスに変化する。
小麦色の瞳がぱっちりと開き、人外としか言いようのない美しいかんばせがほころんだ。
彼女は歌う。豊穣の歌を。
荒れた大地に草木が広がり、花が蕾をつけ、色とりどりの花々が今を盛りとばかりに花開いていった。