エルセヴィル 2
戦闘シーンあります。
ナナゼロは優雅に一礼して、後ろを振り返りしばらく待ったが、すするような奇怪な音が止まないのに、苛々したようすで大声を張り上げた。
「ジェリコ!いつまでかかってるんだ。ここにも獲物がいるぞ!」
バシュッべチョッ
「……??」
眉を寄せるシャロンたちの目の前に、大柄な体を震わせた、貧困農夫のような、体にあっていないぼろぼろの服を纏った男が飛び出してきた。
「おで、おで……おおお、お腹、すいた、」
「そりゃわかってる。だがな、捕獲どころか食い散らかしちまって。待てを覚えろよ」
「ひ、ひひひひひ」
いきなり笑い出したのかと思いきや、ひどい、といいたいらしかった。
「あーわかったわかった。侵入者は食っていいから」
ぱああ、とわかりやすく顔が輝き、ジェリコ、と呼ばれた壮年の男は崩れた。四足でこちらへ向かいながら半透明などろどろの軟体物質に変わり、その巨大な狼に似せたその頭をぶるりと振るわせた
「よし、さくさく行くぜ」
ナナゼロとアルフレッドが対峙する。
……こちらも悠長にこいつらの相手をしている時間はない。
彼らがおそらく人間ではない、と判断したシャロンは、風で二体の敵に斬りつけた。自身もそちらへ向かう。
ジェリコの腕が飛び散り、次いでナナゼロが輪切りに……ならなかった。一瞬体がブレたかと思いきや、まったく効かずこちらへと走り寄る。
「ナナゼロか……ひでぇネーミングだな」
「……おまえが言うな」
そんなやりとりを交わしながらアルフレッド、アイリッツがまず先にとナナゼロに斬りかかり、少し離れた場所から、何気なくジェリコの様子と千切れた腕を見ていたシャロンの背筋に、悪寒が走り、即座に風の結界を展開した。
鋭く、錐状の形となった破片は、風の結界に阻まれ、べしゃりと落ちる。同時に、おああああ、と雄たけびを上げながら、ジェリコがその、服を中に取り込んだ半透明の体を開き、粘着質な触手を目の前の餌である二人に伸ばしていく。
思ったより時間を取られそうだ、とシャロンはこの二体を撒いて先へ進んだほうがいいのか、と考えてすぐに首を振った。後ろからやられる危険性が高い。
シャロンも速度を上げた。風、もしくは剣で斬りつけられているナナゼロと名乗った男の体が、どんどん横にほどけていく。すでに人の形はしてない。紐のようなその体を自在に使いながら、アルフレッド、アイリッツの剣を避けつつ、逆に縛り締め付けようと、腕(?)を伸ばしていく。そこへアイリッツが剣を振るい、ちまちまと紐の体に傷をつけようとするが、すぐさまそれは棘つきの細い鉄線となり、彼の体へ絡みつく。同時に、がばりと大口を開けたジェリコが彼らを貪ぼりつく、その前に重い風の風圧で、その動きを抑制し、地面へべしょりとへばりつかせた。
アイリッツがふ、と不敵に笑い、絡みつく鉄線を握れば、それはみるみるうちに風化して白くなり、ぽろぽろと剥がれ崩れ落ちた。
「!」
ナナゼロが驚くが、アイリッツは離さず、次々に相手の能力を自分の力と変えていく。無理やりナナゼロが引き離したところで、アルフレッドの渾身の一撃が、彼の体を叩き斬った。
人と同じ姿を保っていた顔が、愕然とした表情を浮かべ、崩れ落ちていく。
ぐおおぁああ、と散らばる体を寄せ集め再び身をもたげるジェリコに手心も加えず、シャロンは再び強力な風圧の一撃を加え、その隙を逃さずその内に宿る核をすくったアイリッツが、ぐしゃりと握り潰す。
そして、ジェリコ、と呼ばれた魔物は、どろりと液体状になり、気味の悪い輪郭を残し、やがて地面へと染み込んで消えていった。
眠りから醒めてすぐ、永久の眠りか……なんだか気の毒な気もするが。
そんな感慨を抱きながらも、警戒は怠らず、周辺を窺うものの、他の何かが近づく気配はなく、意外に早く終わった戦闘に、シャロンたちは構えを解いた。
閉ざされた空間の中で、エルズは考えていた。奇妙な最初の伝言。数多くの部屋。そして、あのシルウェリスの性格からして、突拍子もないところに、解除装置が設置されている可能性が高い。シルウェリスの性格…………目の前に見せびらかし、こんなのもわからないのかとほくそ笑むのが好きな奴だった。
改めて、あいつの性格は最悪だな、としみじみ実感して、上を見上げれば、罠としか思えない回転羽が上に設置され、壁際にギャラリーがあった。
…………あれが怪しいな。
エルセヴィルは、小部屋の寝室に行き、高級シーツ、天蓋のカーテン、その他もろもろ使えそうなものを引き千切り、細く裂いて長く繋げていく。おおよその長さに達したところで、これまた寝室に備え付けの覆いつきランプを解体し、針金を巻いて丈夫な鉤のようなものを作っていく。
準備はできた。
じっとギャラリーの手前の格子に狙いを定め、鉤を引っ掛けると、一つ一つ作った結び目に手と足をかけながら、ゆっくりと上っていく。
「くそッ、たれッ」
足を動かす度に激痛が走り、冷や汗が噴き出していく。手汗で滑らないよう、慎重に慎重を重ねながら、上っていくと、軋んだ音を立てながら、ゆっくりと回転羽がまわり、下へ降り始めた。
大分痛んでいるらしく、ギシギシと今にも壊れそうな音をしている上に、回転はゆっくりめで、エルセヴィルは余裕を持って、腰に巻きつけてあった紐を回転羽へ投げ、その一部を自分の登っている紐へと結びつけた。
羽根にシーツでできた紐が絡みつき、少しずつ上へ持ち上げられていく。そのあいだに先へ進み、ギャラリーとの距離を縮め、完全に平行になった時にはすでに柵へ手が届いていた。
「ふっ!」
回転羽に絡む紐をほどこうと力を籠めて引けば、回転羽根そのものがバキバキと壊れて床へ叩きつけられる。
ひとまず置いておき、ギャラリーをじっくりと確認すれば、その中になぜか若かりし国王ゼルネウスの絵姿が紛れ、異彩を放っていた。
ゆするが、外れない。トントンと指で絵を叩けば、内部が空洞になっているような音がする。
「シルウェリス………人をおちょくるのもいい加減にしろ」
いない者へ文句をいいながら、腰に挿しているナイフを抜き、その絵の中心部に突き立て、引き裂いた。空洞から黒い物体がぽろりと落ち、跳ねて遥か下の床へと落ちていく。
バシュウゥ、と異音を立て、ギャラリーの柵から遠くの床を見下ろせば、そこにはすでに床はなく、漆黒の空間がぽっかりと口を開けてエルセヴィルを待ち構えているかのようだった。
…………この高さから、もし下へ叩きつけられれば命がない。
収まったはずの汗が再び滲んでくる。下をもう一度見、ぶら下がった紐を手繰り寄せるが、途中で切れていて使い物にならない。
エルズは、目を閉じて今一度深呼吸をし、足をかけると、それを乗り越え、漆黒の闇へと身を躍らせた。
意外に早く終わった戦闘に、一応周辺を警戒するも、他の何かが近づく様子はなく、シャロンたちは構えを解いた。