雪山にて
地元民によれば、山の高台まで一本道で、天気が良ければ迷うことはないとのこと。
ふもとの町や、名所である『地獄口』の大穴が一望できる見晴らしの素晴らしさはも
う語り尽くせない、と身振り手振りを加え説明してくれた宿の主人。
彼は天候の変化や山の名所に詳しい案内人を是非と勧めてくれたが、今に至ってそ
れは、商売っ気を出したのではなく親切心からだったとはっきり自覚した。
疑ってすまない、と心の中でその主人に詫びる。
シャロンは現在、前も後ろもまったく不明な吹雪の中を一人さまよっていた。
晴れていたのは本当につかのまで、しばらく登っていくと徐々に雲が出始め、まだいい
かなと思っているうちにすぐに視界は雪と風に閉ざされ、見晴らしのいい高台どころか
帰り道すらわからない状態である。
……どうして、こうなった。
歩いても歩いても、吹雪はやむ気配すら見せず、ひたすらまわりをびゅうびゅうと取り巻いている。
シャロンはかろうじてわかる地と空の薄暗い境界線に向かって必死に足を進めていた。
もはや体の感覚は鈍り、全身で重いズタ袋を引きずっているようでしかない。
ここで死ぬのだろうか。
その言葉がぐるぐると頭をまわる度に、必死で気力を奮い起こして、歩く、歩く、歩く。
ふと、気づくと境界線はなくなり、目の前が真っ白になった。
ああ、もうここまでか。
しゃがみこみ、やるせなさに思わず手を振り上げ、白い世界に拳を叩き込む。
ドカッ……ズシャッ。
あれ?
突然雪の壁に穴が開き、彼女は中の空間に頭から落ち込んだ。
埋もれていた体を起こし、雪を払う。後ろを振り返ると、そこは入り口になっていて、半分ほど雪で埋もれている。
……信じられない幸運だ。
どこかの岸壁にできた洞穴であろう場所は暗く埃っぽいが、宿の一室ほどの広さがあり、さらに目を凝らせば、奥にまだ人の通れそうな穴が開いている。
「……」
うわ、と驚きの声を上げたつもりが白い息が出ただけで終わった。
なんと奥の穴を通り抜けた先はちゃんとした部屋になっており、不恰好ながら棚やテーブルやベッド、丸太でできた椅子まで置いてあった。片隅には薪が散らばっている。
ああ早く火をつけてこの雪まみれの外套を脱いで暖まりたい。
ラッキーなことに、ここは誰かが住んでいたとき使っていたものがそっくりそのまま残っている。
まあ衣類とかはないが、あってもどうせ虫食いでボロボロだろうから別にいい。
しばらく考えて入り口近くへ戻り、そこの雪をかいて入り口を広げ、中央にあるくぼみに薪や手作り感溢れる木製の串を並べ、隅に置いてあった石で半円を描くように囲んでから火をつける。
徐々に大きくなる火種とパチパチと火のはぜる音に、彼女はやっと強張っていた体がほぐれていくのを感じることができた。
やれやれ、と一息ついて、シャロンは短毛皮の外套と上着を干してある棒の隣に置いたカバンから干し肉と小さな塩の塊を用意し、奥の部屋から埃まみれの鍋を取ってきて、綺麗にしてから雪と一緒にさっきの食料を放り込む。
くつくつと煮える音と充満する匂い。外は吹雪だが、洞穴の中は暖かい。
シャロンは肉が煮えるまでのあいだ、もう一度カバンの中身をチェックすることにした。
水や干し肉、ドライフルーツ、それから塩の塊は充分にある。
これで一週間はいける。普段からの備えが役に立ったな。
こういう時のためにいついかなる場合でもカバンには充分な食料を入れることにしており、事実それらに助けられたことはたびたびあった。
しかし裏を返せばそれらを使わざるを得ない状況に幾度もなった、ということでもある。
カバンをチェックし終わると、今度は腰の剣の状態を確かめる。
ガチガチに凍りついていた柄もすでに溶け、スラリと抜くことができる。
「……あ、しまった」
腰につけていたはずの鈴が、影も形もない。
この雪山には魔物が幾種か棲んでおり、魔物除けの鈴を鳴らしていれば近寄ってはこない、という町の人の話を聞いて、買って結んでおいた鈴。
吹雪の中でなくしたのか、それがなくなっている。
まあ、どうにかなるだろう。
煮えた鍋を火から降ろし、直接木製スプーンですくって肉を口にした。
薄く塩味のついたそれを平らげてから奥の部屋へ行き、薪を用意する。
今夜は寝ずの番、か。
簡易寝台から持ってきた硬い毛皮を巻きつけ、結局下着以外全部脱いで干すことにして、そのまま一晩中炎を絶やすことはなかった。
火を絶やすと凍死になります。