遼天を仰ぐ 1
戦闘シーン、流血描写等あります。
あの時決断し、固く心に誓ったはずだった。困難と分かりきった道でも、絶えることなく歩み続ける、と。
でも、こんなにも呆気なく……命は散る。散っていく。
歯を食いしばるナスターシャが短く呪文を唱え、血濡れで横たわるエリザベスとテリーの骸をすべて、炎が包み込んだ。
死んだはずの二頭はもう一度、すっくと立ち上がり、ぐいっと頤を上げて上を見た。
アオォーーーン
ォオオーーーゥ
空を仰いで口々に一声高く啼き、やがて炎とともにその体が、消えていく。
主人のもとへ、行くのだろうか。
シャロンはほんのわずか、感傷的な気分に囚われた。
ナスターシャは悲しみを湛えた眼差しでそれを見送り、ギリ、と唇を噛んだ。目頭が熱く、口の中に、血の味が広がっていく。
……あたしが、そうした。
彼らを擁護するなら遅かれ早かれそうなったとはいえ、こうもやすやすと……もっと力を出していれば。
アイリッツに気を取られなかったなら。そして、もっと、前面に立っていれば。
シャロン、そして、アルフレッドの動きは、各段に上がった。少しの油断で足を掬われるほど。
彼らの、その“力”を削ぐわけにもいかず、殺すわけにもいかず。――――――結局のところ、ぎりぎりの、綱渡りをやるしかない。
後悔に苛まれながらも、そう決意し、静かに呪文を紡ぐ。
『お願い、力を貸して――――――』
最後のその時まで、演じきれるように。
「彼らの、敵を討つ。あなたたちにあたしは止められない。……どのみち、ここで勝てなければ、あいつを倒すなんて夢のまた夢だから」
だからここで終わらせてもいいよねーー?
向き直った彼女は煩悶の色が消え、だが、削ぎ落とされた表情とは裏腹に、静かで穏やかな光が眼差しに宿る。
ああ、意思に殉ずる者の目だ。
シャロンは無性に胸を掻き毟られるような、何にも言えず苛立つような気持ちに襲われた。
「アル……お願いだ」
「シャロン。それは、自分より大分弱いものと闘うときにのみ、いえる。そして彼女は違う」
「わかってる……でも」
「……」
アルフレッドは何も言わず、離れた。
「互いに全力で戦う以外道はない。それが、どちらかが滅びることであっても。それが彼女の望みだ」
アイリッツが一足跳びにシャロンの傍により、諭すように声をかけた。不機嫌なアルフレッドがごく自然にその首を狙い、斬りつけられたその剣を、素手でパシッと流す。
「さすがのオレでも、こいつの意思を変える力はないな」
「……わかってるんだ、そんなことは」
……アイリッツにだって、無理なものはある。ここにいる誰も彼もが、己の意思に殉じていて、本当は、それを叶えた方がずっと……彼らのためなのかも知れない。
シャロンは拳をきつく握り締めて剣を構えた。
さああ、と空は晴れているのに、小雨がどこからともなく降って、三人と一人を濡らしていった。
「晴れているのに、雨の降る、か」
別名“神の、涙雨”
誰ともなしに呟いて、ナスターシャは再び弓を構え、矢もつがえず天空へと射た。
「さて、再開かな」
薄く笑みを浮かべているのに、冷気が這い登る心地がする。
雨が、鋭さを増した、いや、これは。
「くッ」
「いくよー」
軽妙な声とは裏腹に、表情は変えずに矢をつがう。そして、射た。
叩きつける雨は、その一筋一筋が重みのある、矢と同じ。同時に矢を放ち、挟み撃ちにするつもりか……だが。
シャロンは風を一気に解き放ち、結界を張り、同時にナスターシャの方へ向かうため、土を蹴ろうとして、その足がずるりとたたらを踏む。
「そう同じ手を何度も……!!」
風が地面を打ち、シャロンを運ぶ。そして、降る雨が、氷へと変化した。
「…………!!」
遠く離れた空で作られた氷塊は、たやすく風の結界を打ち破るほどの強度へと変わる。シャロンは咄嗟に風を操り、氷を打ち砕いた。アルフレッドも剣に“気”を溜め、降りしきる氷を打ち払う。
舌打ちしながらアイリッツがナスターシャを捉えるも、それは幻となって儚く消える。
蜃気楼。揺らぐその像は瞬く間に消え、辺りに霧が立ち込めた。
すぐ鼻の先すら見えぬほどの濃霧が、視界を奪う。
シャロンの眼前からナスターシャが飛び出し、その短剣が彼女の頬を薙いだ。
「く、そッ」
捉えようと振りかざす頃にはすでに姿は消えている。
ごそり、と視界の隅で何かが動いた。
巨大な蛇が、こちらへ鎌首をもたげ、飛び掛ってくる――――――。
「…………!!」
剣を構え、切捨てようとしたところで、後ろから腕、そして肩にかけて激痛が走った。
「シャロン!そいつは縄だぞ!」
飛び掛られ切捨てたその端切れを見れば、確かに縄が足元に転がっている。
少しずつ霧が晴れてくる。視界が遮られると、フォローはきついな、と、アルフレッドを探ると、身を低くしながらじりじりと進んでいたアルフレッドは、ナスターシャの背へ斬りかかった、と見えた次の瞬間、風の刃が彼目掛け縦横無尽に、その肌を斬り裂いた。
ぎりぎりで風の防御が間に合ったものの、ナスターシャはトン、トンと身をひるがえし反転しつつ軽やかな身のこなしで彼女は枝伝いにこちらと距離を取った。
空は曇りで、空気は肌寒く、少し薄れたものの、霧はまだ出ている。
「〈――――――凍って〉」
突如小さな氷の華が浮かんだ。蕾が開くように六つの三角錘の花びらが広がり、姿を変え、風の結界を突き破りながら、枝葉を伸ばして次々に開いていく。
次のは、予想がついた。
シャロンは風を使い、自分とアルフレッドを吹っ飛ばした。――――――なるべく遠くへ。
咲き乱れ、風とともに舞い散る氷の華。通常であったならとてつもなく感動しただろうが、避けるので手いっぱいで鑑賞する余裕はない。
発射し襲いくる、氷の刃を避け、
「これはどうかな?〈水螺旋〉」
豪華な噴水のように、水がしなり、蔦のように絡み合いながら、避けつつ距離を取るシャロンたちの進行方向へ、茨のごとく、生え、凍りついた。
「――――――ぁああああッ」
アルフレッドが剣に力を溜め、その茨を砕いた。シャロンも、風で強引に薙ぎ倒していく。さすがに無傷とはいかず、切り裂かれ、足や腕に血が滲む。
「治癒!」
大丈夫か、とアイリッツが、シャロンとアルフレッドに出来た凍傷と鋭い斬り傷を、癒し、回復して見せた。
「大丈夫、じゃないよー」
ナスターシャが、矢をつがえ、放つ。それは細く、いくつもに分かれ、息つく暇も与えずシャロンたちに襲い掛かり、
「このッ」
シャロンの風によって、はたき落とされた。
打開策が見えない……!!
すぐ届きそうに見えて、届かない。まるで、遥か高みから、見下ろされているかのよう……。
ぽたぽたと垂れる水滴が、ゆっくり凍りつき、体温を奪っていく。振り払うようにシャロンは風の刃で、ナスターシャを狙い斬りつけた。しかしその風の刃は直前で、無効化され、宙に散る。
……そういえば。
風は効かないんだったな、と考えふと何かが気になったが、それがはっきりとした形をとる前に霧散していく。
「アル……」
目線で合図して、アルフレッドに風の加護をつける。もう一度結界と、加速を強固なものに。
「アイリッツは、大分警戒されているな。先ほどから近寄らせようともしない」
そう呟けば、
「そりゃあね。……きっと、近づけばオレに見惚れて戦意喪失しそうになるのが嫌なんだよ」
そうさらりと冗談を口にして、
「ない。それはない。」
ドスッ……とかなり大きな土くれがアイリッツの頭目掛けて降ってきていた。もちろん彼は避けたが……シャロンの背筋を嫌な汗が流れた。なんだってこいつはいつも一言多いんだ……!!
息を整え、ナスターシャを睨みつける。自分にも、風の力を溜め、そして、跳躍した。
アルフレッドと同時に前後で挟むように対峙し、逃げられなくする。剣を構え、速度を爆発的に上げ、後ろから首を狙うつもりで、振りかぶり、
「何、でいこうかな」
ナスターシャの背中に、羽が生えた。ような錯覚をした。
発生した旋風に巻き込まれ、煽られる。
「………!!」
「残念だけど彼女の心配、してる場合じゃないよ」
顔を強張らせるアルフレッドの振りかざす剣を、短剣で受け止め、左手を伸ばす。不吉な気配に彼は体を後方に倒し、短剣を握る腕を蹴り上げた。
「あ、あたしの武器が!?」
驚き、拾おうとナスターシャは手を伸ばし、
「なーんて、」
ひょいっと手に、先の尖った枝を持ち、アルフレッドに突き刺そうとして塞がれ、
「…………ッ!?」
枝がかすったその手が無残にも腫れ上がり、それを押さえながら後退した。
「はいはい、“治癒”。漆とはえげつねえな」
すぐ助けに入ったアイリッツが、呆れたように首を振る。
「戦法に良いも悪いもないよ。勝ったもん勝ち」
随分離れたところで、ナスターシャが肩をすくめて見せた。